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渡リ烏のオカルト日誌  作者: 黒木京也
第一章 オカルティック・ホテル
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絶望の手記

 ホテルウッドピアの号室は十二ある。例えば五階の四号室といった場合には5004といった具合に、階数が前。部屋番号が後ろにくるようになっていた。

 それを踏まえた上で、この存在しない階ではどうなっているのかと言うと……。


「0013か。つまりここはゼロ階って訳ね」

「零階かもしれないわよ? 霊界とかけて」

「その理屈だと僕ら死んでいることになるんですが」


 そんな小粋なジョークをメリーと飛ばし合いながら、扉に手をかける。エレベーターホールからここへ来る途中までの十二ある扉は全部調べた。その全てが施錠済み。

 ダメじゃないか。そう思いかけた時、僕らは突き当たりになる筈の場所に、本来の間取りにはない十三番目の扉を見つけたのだ。

 見れば見るほど、何かがあると思わせる、恐ろしい雰囲気だった。

 さっきの怪音は絶対に気のせいじゃない。仮にここが閉まっていたら、完全にお手上げではあるのだが、その不安は杞憂だったようだ。扉はあっさりと開かれて、僕らは中へ足を踏み入れた。


 ひとりでに明かりが点いたのは……もう驚かない。見渡してみると、部屋の内部構造は、完全に他とは違っていた。

 広い間取りに、大きな机。その前には本が何冊も乗せられたローテーブルに、革張りの大きなソファーが対面する形で二つ並べられている。正面と側面には天井近くまで届こうかという棚がそびえ立っていた。入れられているのは……様々な経営の指南書に、書類整理に使うのであろう大きめのバインダーが多数。後は部屋の隅に植木が一つ。

 何となく小学生の頃に忍び込んだ、校長室を思い出した。

 あるいは社長室か、偉い人の仕事場。連想するのはそんなところだ。


「……ねぇ辰、気づいてる?」

「うん。感じる事は出来るからね。……植木鉢の影だろう?」


 メリーの問いに小声で頷きながら、僕は目を細める。

 何かの気配を感じる。暖かい部屋に突然ドライアイスが置かれたかのような不自然さが、部屋の一角からヒシヒシと伝わっていた。

 害意があるかどうかは分からないので、警戒はしつつも、僕らは再度室内を見回した。

 そういえば、ローテーブルの上にある本の山は何だろう? 他は綺麗に整理されているのに。

 メリーも同じ事を考えたのだろう。頷き合いながら僕らは部屋の中心へ。覗き込むようにテーブルの上を見ると、そこには『diary』と、金色の文字で刻まれた、十はあろうかという黒い日記帳だった。


「読め。ってことかしらね?」

「そうだろうね」


 人は言うに及ばず、幽霊にだって色々ある。そこに存在するのは、全て何らかの理由があるからだ。


 強い未練を残しているからか。

 あるいは自分の死に気づいていないケース。

 果ては長い間さ迷った末に目的を忘れ去り、ただの脱け殻と化した哀れな例もある。

 一見してバラバラな事象。だが、それでも唯一共通するものもある。

 それらは存在している限り、大なり小なり現実や人に影響を与え続けるということ。

 そして、総じてその影響とは、仮に幽霊ならばさ迷っている理由に直結していたり、間接的に関係しているものなのである。


 それを踏まえれば、僕やメリーがこうしてよく分からないホテルに閉じ込められているのだって、何か事情が怪異側にあるということになる。もっとも、それが人間の常識にある範囲内だとは限らないのだが……今は考えまい。

 この日記に、あるいはこの部屋のどこかに、きっと今回の騒動を起こした黒幕の、伝えたいものがある。それが分かれば、脱出の鍵としては充分すぎる。


「……読むよ?」

「ええ。……視線を凄い感じるわ。よっぽど見て欲しいのかしら。あるいはその逆か」


 メリーがそんなことを言うものだから、少しだけ背筋が寒くなる。これが逆に読むな。はたまた読んだら何かが起きる引き金だったとしたら……。

 そこで僕は思考停止し、ソファーに腰掛けてゆっくり日記を捲り始めた。躊躇ったところで、問題は解決しないのだ。


『八月一日。天気晴れ。かねてより夢だった遊園地をオープンすることが出来た。実に長い長い道のりだったが、こうして実現できた事を嬉しく思う。このド田舎に小さいながらもこうした娯楽施設があることで、皆が笑顔になってくれれば嬉しい。開園前から長蛇の列。思わずガッツポーズをしたら、妻に笑われた』


 日付は驚くべき事に、二十年以上前のものだった。それを見たメリーはちょっとだけ驚いたように口笛を吹く。無駄に上手だった。


「……開園がこの日って事は、出来たのは一、二……。二十四年前? それなりに歴史ある遊園地なのね」

「実は地元近くなんだ。けど残念ながらそこまで長寿じゃない。僕が小学校に上がる頃には、とっくに閉鎖してたよ」


 そういえば話すタイミングがなかったなぁ。と思いつつ、真実を告げれば、メリーは一転して何とも言えない顔になりながら、もう一度日記の一文を見る。未来に夢が頓挫するなど、これを書いていた時の本人は知るよしもない。それを思えば僕も胸が痛むようだった。

 ついでに幼少期のウッドピア事件をかいつまんで話す。いつかの結末を聞いたメリーは「何気に凄い体験してたのね」と、顔をひきつらせていた。

 閑話休題。

 ページを捲れば捲るほどに、楽しげで、幸せそうな記録が引き出されていく。僕らはといえば、果てを知っているが故に、反比例するように気持ちが沈んでいくようだった。

 メリーが視た幻視(ヴィジョン)が本当ならば、何処かで不幸が。あるいは幸せが崩れていく過程があるのは確定なのだ。そんな考えが先行し、気分は更に陰鬱になっていく。


『一年目、客に溢れて目が回るよう』

『二年目、ちょっとしたイベントを行う。大成功』

『三年目、長女誕生。同時にかねてより計画していた、奥の森に動物園を作る計画に着手』

『四年目、例年よりは落ち着いているものの、まだ順調』


 勿論、丁寧に一日一日を見た訳ではない。ざっとめくり、これ見よがしに気合いを入れて書いたと思われる部分を抜粋しただけ。陰りが見え始めたのは五年目からだった。


 事故やトラブルか起きた。

 劣化し始めた遊具の修繕費。

 実は初めて味わう、人の上に立つ苦悩。

 経営の難しさ。

 そして何より……客足が完全に遠退いたこと。そんな暗い内容が増えていく。


 田舎に出来た遊園地は、最初こそ物珍しかったのだろう。だが、致命的な事に田舎は都会のように人の出入りが激しくはない。

 他の観光地もあるとはいえ、それは財政が傾き初めてから一年経ち。二年を越えた辺りで、完全なマンネリを迎えてしまった。

 無念に震えた筆跡を僕が読み上げた時、メリーは静かに立ち上がる。「他の所も、調べてみるわ。そのまま読んで」そう言って、彼女は書類がある棚を物色し始めた。

 何か思うことがあるのか、痛みに耐えるような表情だった。

 僕は暫くその後ろ姿を見つめていたが、再び日記に視点を戻す。

 動物園が完成した。喜ぶべき所なのだろう。だが、止めればよかったという後悔が滲んでいた。仕入れた動物も真新しいものなど、ほんの一握り。それは、失った客層を取り戻す処か、更に経営を圧迫してしまう事になる。

 心から喜んでいたのは、一人娘だけだった。


『ガラガラの小さな動物園を、飽きもせずにグルグル回り、動物達に話しかける娘の姿に安らぎを覚える。それと同時にどうしようもない焦燥を覚えるのだ。守らねば。ここは、彼女が生まれると共に誕生が決まったのだから』


 月日は、流れていく。

 日記は簡潔になり、金融。解雇。辞表。買収。不穏な単語がちらつき始めた。

 怪しげな借金取りの怒号に晒される日々。

 同居していた母は辟易して倒れ。

 不幸が連鎖し、親族の一人は事故を起こしてしまう。

 そんな中、妻はパートを掛け持ちし、日に日に窶れていく。

 彼はというと、そういった心労がたたり、経営は更に杜撰になっていく負のループ。


 そうして、とうとう運命は終焉へと到達した。


『閉鎖が決まった。これ以上の維持は不可能だった。取り壊しの費用もかかるので、大部分の遊具はそのままになるだろう。動物達は、引き取り手を今も探している。何も知らずに傍に寄ってきた娘の顔が……見れない。私を……許してくれ』


 くしゃくしゃのページが、彼の苦しみの全てを物語っていた。日記を思わず閉じてしまいたくなる。だがそれは出来なかった。

 不意に部屋にあった気配が僕に急速に近づいて、僕の手をやんわりと抑えたのだ。


「――っ!」


 僕もメリーも、ビクンと身体を跳ね上げる。僕が傍に来た何かを認識するのと、メリーが思わず取り落としたバインダーが、強かに床を叩いたのは、殆ど同時だった。


「……君は」

『そのまま、読んで』


 小さな女の子だった。勝ち気かつ利発そうな瞳は、黄玉(トパーズ)を思わせる金色。ブルーのワンピースを身に纏った、おかっぱヘアー。彼女を僕は知っていた。

 記憶の奥底に仕舞い込んでいたのに、今はありありと思い出せる。

 幼い頃に迷い混んだ、この世にある筈のない遊園地。そこで再会を約束した、あの女の子だった。


『読んで。お願い』


 僕やメリーがぼんやりと女の子を見ていると、女の子は再び急かすように言う。

 この子が黒幕か? そんな事を考えながら僕は促されるまま日記を読み始めた。

  

『ダメだ。ダメだダメだダメだ。どうしても、動物達の引き取り手が見つからない。色んな施設から残飯を譲り受け、何とか分配しているが、もう限界が近い。これ以上はどうにもならない。途方に暮れていると、何かと相談していた知り合いの一人……猟友会に所属する男が、こんな提案をしてきた。いっそのこと、殺して山中に埋めてしまうのはどうか……と』


 部屋の温度が少し下がった錯覚を覚えた。

 悪魔的な提案だった。彼は随分と迷っていたようだった。ありとあらゆる葛藤の言葉が綴られ続け。だが結局、彼はその提案を飲んだようだった。

 命を奪う金をその男に渡し。彼は動物達の殺害を依頼した。そのページは、涙で字は滲み、血痕らしきものまであった。

 これ以上、金を無駄に出来ない。家族との共倒れは避けねばらならない。


『見届ける勇気すら、今の私は持ち合わせていなかった。殺した手段は、分からない。銃殺か、毒殺か。想像を巡らせるのすら放棄し、私はただ、彼ら彼女らの墓穴だけを掘り、ウッドピアを後にした。部屋に帰り浴びるほど酒を飲もう。仕事も探さねば。そう思っていた矢先だった。妻から、娘が行方不明になったと連絡が来たのは』


 横目で女の子を見る。彼女は無言で僕に読むことを強要した。


『必死の捜索も空しく、娘は見つからない。どこに、どこに行ってしまったのだ?』

『見つからない』

『今日も探す』

『嫌だ』

『返事を。まだ私はお前に謝れていないのだ』


 慟哭が聞こえてきそうな筆圧と、錯乱したような筆跡により、日々は流れていく。

 やがて、捜索は打ち切られ。彼は個人で山々や町中を探す事になった。だが結局。彼は最愛の娘と再会することが叶わなかった。

 やがて春が来て、雪が解けても娘は帰らず。そこから更に何年かして、彼の妻が家を出ていった。


『目を覚ませば、働いて。眠れば、悪夢を見る。負債はようやく完遂したが、私に残されたのは己の命と。最後まで売り払う事を拒み続けた、あの廃墟を有した土地だけだった』


 日記はますます淡々と、彩りのない無限ループを思わせるものになってきた。

 いつの間にか彼は故郷を捨てていて。誰もいない。誰もが他者を見ない都会に埋没し、彼は細々と生きていく。

 気がつくと、日記は最後のページになっていた。


『もはや私には何もない。それでも、夢みてしまうのだ。楽しかったあの頃を。いつかもう一度、あの場所に……。そうすれば、帰って来てくれるかも。もう一度。もう一度……』


 パタリと日記を閉じる。自分のことではないのに心が抉られるようで。目をそらせば否応なく、あの女の子が此方に金色の瞳を向けていた。


「……わからないよ」


 そんな言葉が口から漏れる。


「一体君は、何がしたいんだ? これを見せて。僕らに……」

「ねぇ、辰」


 どうして欲しいんだ? そう言おうとした矢先、メリーが横で声を震わせた。僕が驚いてそちらを見ると、彼女は書類が入ったバインダーを眺めたまま硬直していた。

 どうしたの? そう声を掛ける前に、彼女はそれを元の位置に戻し、辺りを見渡した。


「ここがホテルとは違う構造なのがわかったわ。多分ここ、貴方が迷い込んだウッドピアの……オーナー室か何かなのよ」

「……どうしてそんなことが分かる?」


 僕がそう聞くと、メリーは棚にある別の資料を次々と掴み、見て戻すを繰り返してから、納得したように頷いた。


「備品の修繕費や、取り寄せてる物品の記録。全部がホテルには関係ないものばかりだわ。あと、ついでにあの骸骨の正体もわかったかも」


 資料の一枚を素早く折り、紙飛行機にしてメリーは此方に投げ寄越す。

 器用だなぁ。という感想が思わず出てくるが、そんなものは記されていた代表者の名前で即座に吹き飛んだ。


「……〝内藤(ないとう)〟、啓明(けいめい)?」


 その名を僕が口にした途端、背後のドアが乱暴に開かれた。

 ぎょっとして振り向けば、ガキゴキという不協和音が耳の奥に響いて……。


『ア……、アア……、ッ……コォ……』


 ホテルマン姿の骸骨が、声にならない呻きを漏らしながら、よろめくようにして部屋に入ってきた。


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