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渡リ烏のオカルト日誌  作者: 黒木京也
第六章 バレンタインに悪魔を殺せ
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裏エピローグ:悪魔の教示者

 とある深夜の出来事だった。魔子はゆっくりと、足元に倒れ伏した最後の復讐の相手を見下ろし、血に染まった両手をダラリと弛緩させる。

 緩く先端が巻かれた、明るい栗色の髪は、紅くぬるついた肌にぴったりとはりついている。一糸纏わぬ、隻眼全裸の女。それが、今の魔子が象る姿だった。愛した人間が望んだ身体。一番見せつけてやりたかった者達には、これ以上なく効果覿面だった。

 無念と怨みのこもった叫びと共に(はらわた)を引きずり出され、喉笛を噛みちぎられた、人間だったもの。それは、悠の母親だった。


『……ああ、終わった』


 悠を苦しめた奴らを全部全部殺してやった。あげたかったバレンタインチョコも完成した。これで……もう、思い残すことはない。魔子は小さくため息をつきながら、その場からフラリ。フラリとよろめいた。

 パキリと。どこかで骨が折れるような音がする。願いは成就した。もうすぐ自分はまた、ミイラに戻るのだ。活動が出来そうな期間は十三日間。復活してから八日は復讐に費やしたので、残るはあと五日程だろうか。

 長いようで短いと、魔子は感じた。

 娯楽など今の自分には必要ない。誰かとの関わりなど持とうとも思わない。

 今彼女が欲するのは、愛した男との思い出を胸に静かな眠りにつける場所だった。

 もうしばらくは、人間には関わりたくない。身体を失い、願望器となって誰かの手に渡るより、誰にも見つからない、遠くへ行きたかった。

 人を唆し、陥れるのが本質の悪魔らしからぬ思考。だが、人に恋をした時点で、魔子の悪魔としての側面はとうの昔から壊れていたのかもしれない。


 だが……。そんな悪魔らしい在り方の喪失は、彼女の身に降りかかる災厄を相手取るには、これ以上ない程に致命的だった。


『こんばんは。いい夜ね』


 不意にヌルリと。怖気が立つような気配が、魔子の背後に出現する。誰も入れないようにしていた筈の相沢邸――。その霊的な領域が何者かによって意図も簡単に突破されたことを意味していた。


『――っ』

『ダメじゃない。動いちゃ』


 魔子が反応し、振り向く直前に、その人物は彼女の背後に立ち、その血で湿った髪をむしり掴んでいた。

 ピンと頭皮が引っ張られる感覚が魔子に訪れるが、生憎大したことは無いので、魔子はそのまま振り返り……。その人物と目を合わせた。


『……え?』

『……フフ。どうしたの? 豆鉄砲を食らった鳩みたい。あ、豆が転じて魔滅(まめ)で、目は潰されてたんだったかしら?』


 歌うような声と一緒に、ハチミツと死臭が混ざり合ったような匂いが魔子の鋭敏な鼻を突く。

 そこに立っていたのは女だった。

 日本人離れした雪のような白い肌。緩くウェーブのかかった、亜麻色のセミロングヘア。そして、爛々と不気味に光る不気味な青紫の瞳が否応なしに魔子の目を釘付けにする。

 浮き世離れした、人形じみた美貌はどうしようもなく見覚えが有りすぎた。彼女に力を与えた功労者。滝沢辰の傍らにいた、名も知らぬ女に間違いなかった。


『あんた、何で……』

『あ、この格好? 実は手作りなのよ。ちょっとヤボ用で、つい昨日まで、夢の国に行ってきてたの』

『……は?』


 訳もわからず魔子は目を白黒させる。女の格好は確かに目立つ。

 薄青いワンピースに、白いフリルつきエプロンドレス。紺色のリボンタイ。白黒ボーダーのニーハイソックスという出で立ちは、絵本からそのまま飛び出してきたかのよう。魔子は知るよしもないが、それはルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』の仮装だった。


『何で、ここに? シン・タキザワと一緒じゃないの?』

『……私が何処にいようが。貴女には関係ないでしょう?』


 浮かべた疑問ににべもない回答が返ってくる。掴まれた髪を強く握りしめながら、女は妖艶に笑う。

 その美しくも恐ろしい表情に、魔子は悪魔でありながら、戦慄した。

 滝沢辰の傍にいた女は、こんなにも危険で怪しい気配を放っていただろうか。

 こんなにも、冷たく狂気に満ち満ちた目をしていただろうか。


 いや、それ以前に……。魔子はいつかのデコイを通じて見た光景を思い浮かべる。彼女も確かに霊感はあった。

 だが……。こうして自発的に、怪異を手で捕らえられるようなものだったろうか。こうして悪魔の領域に侵入できるような芸当が出来そうな女だっただろうか。


 これでは、まるで……。


『あんた……、何者? あの女とは、違う気がする』


 自然に口にしたその言葉に、女は肩を震わせながら、ゆっくりと魔子の髪を引き寄せる。唇から漏れる吐息が魔子の耳に当てられると同時に、脳を溶かすような囁きが、魔子の思考を侵していく。


『私、〝本物のメリーさん〟今――、貴女の後ろにいるの。ねぇねぇ悪魔さん。お願いがあるの……』


 死んでくれる?


 ブチリブチリと、髪が引き抜かれた瞬間。魔子の片側の視界には、まるで手招きをするかのように此方へ伸ばされる白い手が映っていた。

 辰から受けた目潰しとは比較にならない害意と殺意。

 それを鋭敏に感じた魔子は、小さく悲鳴を上げながら、必死に身体を捩り、転がるようにして女から距離を取る。

 あの手に触れてはいけない。動物的な勘がそう告げていた。

 女は引き抜いた髪をフリフリと揺らめかせたかと思えば、やがて一纏めにして横へ放り投げた。


(かつら)を作るのもいいかしら? そこに丁度死体と死体になる予定の悪魔もいるし。まぁ、正直私は、髪や着物より、もっと剥ぎ取りたいものがあるのだけど』

『っ、趣味悪いなぁ、アンタ。……剥ぎ取る?』

『……〝では、(おれ)引剥(ひはぎ)をしようと恨むまいな〟悪魔だもの。願いと引き換えとはいえ、悪事をする。それが貴女の存在理由(レゾンテートル)。……私達は同じ穴の狢よ。私もまた、願いの為に、今度こそ貴女から奪いたいものがある。これもまた悪いこと。だけど許してね? そうしないと私……』


 いい加減〝彼〟が恋しくて、餓死しちゃいそうなの。


 濁りきった眼差しで、女は再び此方に迫ってくる。

 白い手を振りかざし。そして――。



 ※


「はい、只今確認が取れました。滝沢様。どうやらこちらの伝票は、こちらでは承っていないとのことです」

「……そう、ですか。ありがとうございました」


 その瞬間。はっきりと背筋が凍りつく錯覚を感じた。

 深雪さんの鑑定により、送られてきたものが猿の手だと判明した翌日。僕は念のため、その出所を追ってみるべく、伝票に記載されていた郵便局を訪れていた。

 いつかの電話のように悪魔のマジックで。と言われたらそれまでだけども、今回はある要因からその可能性は低いと踏んでいたのである。

 幸いにして、発送日からは日が経っていない。だからこそ、仮に何らかの機関を通してきたなら、足取りや手続きした者の姿位は掴めるのではないか。そう期待したのだ。

 正直に言えば、初めは興味本意だった。しかし……。


 結果はご覧の有り様。僕にゆうパックを送ってきた差出人はおろか、これは正式な郵便物として送られたものでもないと判明してしまったのである。


「嫌だなぁ。止めてくれよ」


 モヤモヤした気概を抱えたまま、僕は郵便局の待ち合い席に座り直し、思わず身震いする。

 繰り返すが、これは〝郵便物〟として、僕の部屋に輸送されてきた。実際には誰も頼んでいない筈なのに。

 想像すればシュールだが、魔子が手続きして箱を渡し、夜にでも郵便物の保管場所に忍び込み、荷物としてミイラになったならば話は簡単だった。悪魔が郵便局を使ったという笑い話で済んだのだ。

 だが、それが違うと言うならば、誰かが彼女を梱包し、僕にゆうパックと偽り、持ってきた事になる。それにより、浮かび上がる恐怖は……。


「なら……誰だったんだ? あの配達員」


 不吉な疑問が、独り言と共に膨らんでいく。

 思い出すは、ミイラが届けられた日。小包を持ってきた配達員の顔も、声も。僕は思い出すことが出来なかった。



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