閑話其ノ四 僕の知らない物語③
『それはまるで、一対の翼に似て』
始まりはいつだったか。
思い出すのは難しい。小さな頃からいつも一緒で、フラフラするに必死でついていって。でも気づけばいなくなっていて、頬を膨らませた。帰りを待ちわびて。時に甘えたり、蹴り飛ばしたり。
そうしているうちに、ストンと型に嵌めたかのように、好きになっていた。
けど、それを伝えるには彼と私はあまりにも一緒にいすぎていて。
認めよう。目を向けないようにしていたのだ。彼が私を特別扱いするのは、妹を可愛がるようなもの。彼の中で私を傷つけるのはタブー。そういった謎の制約が作られているような……そんな気がしていた。
だからだろうか。変に恋路のライバルが現れないことをいいことに、私は時間を掛けすぎた。結衣ちゃんが言っていた通りだ。
卑怯で最低な言い方になるけれど、あの人が……。メリーさんと彼が出会う前に確固たる絆が築けていたら。私が彼を想っていることを伝えられていたら……。もしかしたら、話は変わっていたのかも。負け惜しみみたいで凄く嫌だけど。
「あー、うー……むぅ」
自室のベッドに突っ伏しながら、私はいつかのお出掛けと。その日の夜を思い出す。彼が帰って来て、はや九日。向こうに帰る日も迫ってきている。私としてはやはり会いに行きたい。けど……。
少し、怖い。
彼とメリーさん。その二人がいるとこに、僅かに関わりはしても、長い間同じ場所にいたことは、この数日でついぞなかった。
友達皆を巻き込んだ交流会はカウントしない。あくまで私達三人。その関係を思い浮かべたら、三角形が頭に描かれる。
恋愛小説ならハラハラドキドキ。現実なら胃が痛くなること請け合いなその形。ただし、私達の場合は綺麗な正三角形ではなく、二等辺三角形だ。誰が何処に位置するかなんて分かりきっている。……蹴っ飛ばしたいなぁ。
「……あー、もう。いいや」
暫くそうしていて、結衣ちゃんに電話しかけたくなる衝動を抑えつつ、私は最終的に思考停止する。
決めたではないか。私はやっぱり追い続けるんだと。
あのバカは、物凄い鈍感だから、メリーさんとてそうそう上手くはいかない。あの二人の関係を聞いた今、私はもう、決めたのだ。先ずは……妹分脱却だ。
というわけで突撃しよう。
※
デートは楽しかった。凄く、凄く。
初めて助手席に乗せてもらい、久しぶりに並んで歩く。
高校の頃の思い出だとか、他愛のない話を語り。昼食にフードコートに入った時は、相変わらずなバカ丁寧な食べ方に内心で大笑いしていたり。
映画を選ぶ時、実はこっそり観察していたの、気づいていただろうか。
恋愛、コメディ、アクション、SF、アニメ、ホラーサスペンス。どれを見ようか。そんな時、彼の目がほんの一瞬だけホラーの方に向けられたのを、私は見逃さなかった。
オカルト研究サークル。というだけで結構驚いて、そんな趣味があったと今更ながら知ったのは、つい最近。
やっぱりそっちの方が観たいよね。きっとメリーさんといたら、迷わずそっちを選ぶのかな。そう思ってしまい、私はつい。
「ホ、ホラーにする? オカルトサークルなら、す、好きでしょ?」
なんて言ってしまう。震え声になっていた。彼は目を見開き、そのまま困ったように笑い。
「観たいのは否定しないけど、どうせなら二人で楽しめるのがいい……かな」
これ多分、綾が観たら大変な事になるよ。そう苦笑いする彼に、私は密かに歯噛みする。悔しいけど否定できない。
結局、恋愛もの……は、あまりにもあからさまなので、無難にアクション映画になった。
チケットを買い、お菓子とポップコーンを購入する。ちらりと彼の顔を窺えば、何だか嬉しそうにキャラメルコーンポップコーンを眺めていた。
そういえば、こういった特定の場所での定番を食べる。そんな細やかな楽しみを彼は結構愛しているんだっけ。そう思ったら、普段は飄々としている姿が途端に子どもっぽく見えて、私は小さく吹き出してしまう。
「どうしたの?」
「なんでもない。……メリーさんとだったら、ホラー観てた?」
「それまだ引きずるのね。綾、無理に苦手な世界を広げなくても……」
「純粋な興味っ!」
その困ったような顔は嫌だ。そう思ってついむくれながら彼を見上げれば、その表情を崩さずに頬を掻く。
「意外と彼女、アニメも好きなんだ。多分僕らが来たとしたら、そっちになるかな。あるいは続けて二本観ちゃうか」
「メリーさん、アニメ観るの!?」
意外すぎる! と、本気で目を丸くすれば、僕同様そんなに詳しい訳じゃないけどね。と、付け加えた。
「にわかにありがちな、話題作だけ観る感じ」
「俗っぽいとこあったんだ。……あ、でも辰もそうか」
「綾ってたまに僕のこと、珍獣か変人の類いだと思ってないかい?」
「変態だとは思ってるわ」
「……そう言えばそうだったね」
私が舌を出しながらそう言えば、彼は懐かしむような。それでいて楽しそうな笑みを浮かべる。何かざわざわしたのは、所謂女の勘。それを聞こうか迷っていたら、席についてしまう。
時計を確認すれば、上映まで大分時間がある。もう少しだけ、踏み込もう。
私は買ったアイスミルクティーを一口飲み、そのまま静かに辰を見る。
今日決めていた事。それは……確認だ。
「ねぇ、辰。正直に答えて」
聞きたい事があった。自分の想いより先に。
彼が変わったのか、変わっていないのか。それを見極めたくて……。
「メリーさんは……辰にとって何?」
※
勝手知ったるなんとかで、彼の部屋に入れば、彼は妹のララちゃんを抱き枕にすやすやと寝息を立てていた。
傍らにはハードカバーの小説を片手にゆったりと彼のそばに寄り添っていた。
森見登美彦の『夜行』……どんな本かは想像しがたいが、夜を行くという言葉が、不思議とメリーに。そして彼にもよく似合うフレーズだと思った。
「あら、竜崎さん」
「遊びに来たんですけど……まさか寝てるとは」
「一応十四時に起こす約束だから、あと少し待ってくれれば、大丈夫よ?」
「……じゃあ、待ちます」
そう言って、私は少し離れた位置にクッションを持ってきて、そこに座る。部屋はメリーさんが時折本のページを捲る音以外は何も聞こえない、静かな空間になっていた。
知らず知らずのうちにソワソワしていると、メリーさんは少しだけおかしそうに、クスリと笑いを噛み殺す。それにムッとした顔を作りつつ、気をそらすべく彼の寝顔を眺めて。私はそこで、そういえば、寝顔を初めて見た。幼馴染みなのに。なんてことを思い再び陰鬱な表情になる。
私が知らない彼なんて、こんなにも溢れていた。
「……帰るとき、メリーさんも一緒なんですよね」
「……そうよ?」
「向こうで、これからも」
「そうね。そのつもり」
淡々とした言葉の応酬が続いていく。
「ズルい……です」
「隣の芝はなんとやらね。私に言わせれば、幼い頃から彼と一緒にいれた。なんて方がずっと羨ましいわ」
昔にいい思い出なんてない。だから、もし彼がそばにいたのなら、もう少し可愛いげのある女になれたかも。そう呟く彼女は、そっと手を伸ばし、彼の髪に触れた。
「……初めてなの。私を受け入れてくれた人は。私の全部を見せれた人は、彼が初めて」
消え入りそうな声が、私の耳を抉っていく。塞ぎたくても、意地が邪魔をした。
「相棒って、言ってましたよね。今はそれでいいって。いいんですか? 私が横からかっさらうかも」
「そんな心配はしてないわ。いいえ。むしろ、それで取られちゃうなら、所詮その程度の絆だったのよ」
「……絆ですか。恋人ではないのに」
「個人的には恋人なんて一番危うくてふわふわしてると思うのよ。口約束みたいなもの。だから恋人になる。より……私はね、色々あるこの人との関係の中に、恋人ってカテゴリーを加える。そんな風になりたいわ」
「……ただの恋人では嫌。貰うなら全部欲しいと?」
「あら、分かってくれた?」
強欲なことだ。私はため息をつきながら、キッとメリーさんを睨む。彼女は視線に気づいたのか、本を閉じて真っ直ぐ私を見据えてきた。
「昨日言ったこと、覚えてますか?」
「彼が好き。負けないから……ね。シンプルだけど、心に響いたわ。だから私も、自分の気持ちを話して、貴方の疑問に答えた」
彼が寝ているのをもう一度確認してから、メリーさんは頷く。遡るはお出掛けしたその夜。私はメリーさんを呼び出した。
宣戦布告と同じく確認。聞いた内容は、彼に問うたのと同じもの。
貴女にとって、辰は何?
彼女の答えは難解で、複雑。そうして奇しくも示し合わせたのでは? と錯覚する位、彼の答えと一致していた。
それは、恋する乙女には些か残酷で。故に悔しくて。痛くて。泣き叫び、嫉妬に狂いそうなくらい羨ましかったけど。
それでも、私が諦める理由にはならなかった。
恋敵は強大。多分今告白しても、間違いなく玉砕する。それどころか、弾みで彼がメリーさんを意識する可能性すらある。それくらいに、少し絶望的な戦いだ。
けど想い続けた年月や、その想いの大きさで負けている気はしない。そもそもこれしきで挫けるなら、ここまで拗れてはいないのだ。
「負けませんから……」
「私の答えを聞いても?」
「はい。だってわかりました。貴女が彼に似てるなら……きっと肝心なとこでは進展しない。なら……私にだってチャンスはあります」
「……そう」
肝心なとこでの下りで顔が引きつっていた辺りは図星なんだろう。結構。ならば……。戦争だ。
沈黙が部屋に満ちる。やがて、静かにメリーさんはため息をつきながら。少しだけ目を伏せて。
「もし仮に貴女が辰を射止めてたなら……いえ、止めましょう。ifの話はあまり好きじゃないわ」
貴女、強いのね。不思議な輝きを放つ青紫の瞳が私を捉える。何だか別の世界を視ているかのようなそれは少し怖かったけど、私は最後まで目を逸らさなかった。
少なからず、そこには敬意が滲んでいるように見えて……。
次の瞬間、彼女はいつかの長ったらしい名前を静かに口にした。
「え?」
「私の、本当の名前よ。……あの時は、辰の家族に向けて名乗ったから、貴女はわりとどうでもい……。じゃなくて、不可抗力で聞かせる事になったけどね」
おい。今この女、人をどうでもいいとか言ってなかったか?
「お世話になってる家族以外は、辰しか知らなかったの。知って欲しい人にだけ教えてた」
「それって……」
私が目をしばたかせていれば、彼女は柔らかく微笑んで……。
「覚えてて。〝綾さん〟私も譲る気はないってこと」
「……さん。は、いらないわ。〝メリー〟」
その日から、私達は開戦した。
といっても、すぐに離れちゃうから冷戦になったというか、考えれば考える程に私不利すぎない? とか色々気づいて、また結衣ちゃんに泣きつく事になるのだが……。それはまた別のお話だ。
※
『メリーかい? うーんララにも似たようなこと聞かれたなぁ。相棒、だよ』
『辰? そうね。簡単かつ一番近い言葉にすれば、やっぱり相棒かしら?』
『最初はね、好奇心。これが強かった。あ~。僕と似たような奴がいるな~的な』
『最初はね。ただの観察対象だったのよ。え~。何コイツ、面白い奴ねって具合に』
『バディを組むようになって、取り敢えず今までいた友達と違うなって思ったんだ。なんだこりゃ? って最初は感じたなぁ』
『これが親友ってやつなのかしら? なんて気恥ずかしくも思ったわ。私はこんなだから……ちゃんとしたお友達、いなかったのよ』
『ただ、親友なのは間違いないんだけど、なんだろね。変な話だけど僕にもわかりかねるんだ。恋人なのかってよく言われるけど、違う。愛に近い感情が無いとも言わないけど』
『でもそれだけじゃないって気づいたの。ええ、向こうは知らないけど、私が彼に恋してるのも事実よ。でも、それだって結局側面の一つに過ぎないの』
『背中を預け合える相手なんだ。安心するんだよ。同じ世界を共有できるのって』
『そんな存在だからこそ、そばで寄り添っていたいのかも知れないわ』
『だから、僕にとってメリーは……』
『そうね。私にとって辰は……』
『代わりなどいない、大切な人なんだ』




