幻視の共有
不思議な夢を視た。
それは、何処か物置めいた場所で。お櫃が並ぶその一角に、見覚えのある青年が腰掛けていた。
在りし日の……悠だった。
何だかなぁ……平坦だよ。俺の人生。自分が腰掛ける場所から斜め下へ視線を向けながら、悠は自嘲するように呟いた。
他に人影はない。独り言かと一瞬思ったが、悠は明確な意思を持って、こちらを見ていた。
話しかけているのだ。僕へ向けて。いや。正確には……〝僕が入っている誰かに〟
「普通に学校卒業して、就職。何か劇的な事があったわけじゃない。高校は……色々やったけど、結局さ。後悔ばかりだ」
やりたいことがやれた訳じゃない。そう言って、悠は表情を曇らせる。
大学行きたかったなぁ。だとか、母さんが許してはくれないだろうな。といった愚痴まじりの言葉が漏れ。続けて、長い長い溜め息が漏れた。
「ダメだな。強そうな奴とつるんでも、変われない。やったことなんざ、苛めのパシり。苛めなきゃ苛められる。そんな世界だ。終わってみたら、俺には何も残ってない……誰もいない」
寂しそうに、悠は携帯電話を操作する。ディスプレイのアドレス帳には、家族と僅かな数の友人。そして……僕のアドレスだった。
「アドレス変えて、連絡する度にさ。届かない奴が増えてくんのよ。笑えるよな。多分悪い噂なんて伝播してって……。コイツとは関わりたくないってなるのかね?」
カッカッカ……と、乾いた笑いがこだまする。僕は、当然ながら声をかける術は持ち合わせていなかった。
「辰は……今、何してんのかなぁ……」
ぼんやりしたまま、悠は虚空を見つめる。
色々な欲望が。色々な願いが、僕に入ってくる。そして……。
「〝友達〟……欲しいなぁ」
パキリ。と、骨が折れるような音がした。
※
暗転する視界。
外れた自転車のチェーンを治す、悠の姿。
それに僕の視界の主は、何やら話しかける。
最初はポカンとした。次第にごく普通に話し……。そして……。
場面はめぐまるしく変わっていく。
ある日はゲームセンターで遊び倒し。
またある日は買い物に行く。
一緒に旅行に出かけたり。
悠の実家に行った時は、どういう訳か、母から冷たい視線と言葉を受けた。
何度も何度も足を運ぶも、とうとう悠の母は、視界の主を正面から見なかった。
仕方ない。気にするな。そんな悠の顔が印象的だった。
だが、そんな暗い影がありながらも、出て来て見えるのは、楽しげな思い出だった。
祭り囃子に胸を踊らせたり。花火を見たり。
取りたての免許で車を飛ばし、紅葉を見に行った時もある。
クリスマスは細やかなミニパーティーを開き。
新年は一緒に初詣へ。
そして……。
「バレンタインってまた……気が早くないか? まだ一月になったばかりだぞ?」
苦笑いしながらも。悠は何処と無く照れくさそうだった。
日頃の感謝だ。勘違いするな。
あと、チョコレートは作ったことないから、練習期間が必要だ。
そんな言葉を視界の主は言う。それを聞いた悠はそっぽを向きながら、誤魔化すように頬を掻いた。
「別に、何貰っても嬉しいんだぞ?」
※
視界が再び暗転する。
こんな筈ではなかったのだ。そんな誰かの心の叫びを、僕は聞いていた。
ただ、願われる側の自分が、いつしか願うようになってしまった。願いを叶え終えたら、終わってしまう。
だから……嫌だ。一緒にいたい。そう思った時、その気持ちは抑えられず。
とうとうその視界の主は、悠に全てを打ち明けた。
目を見開く悠。だが、やがて彼は優しく笑い……。そこで不意に僕の身体は浮遊して、視界の主から離れていく。
幽体離脱って、こんな感じなのだろうか。体験したことはないからわからないが。
俯瞰的な視点になり、僕はそこで改めて、悠と対峙する人物の全体像を捉えた。
そこにいるであろう人は、ほとんど予想できていた。
ギャルっぽい容姿。派手な服装。だが、目だけは純粋な光を灯して、彼女は悠を見つめていて。
「……願い、いいか? 二つ目だ」
「っ、待って。嫌……。そんなことしたら……」
「お願いだ、魔子。……人間になってくれ。悪魔なんてのに縛られない……一人の女の子になってくれ!」
涙で潤んだ瞳を、女……魔子は大きく見開いて。
直後、パキン。と、また骨が折れたかのような音がした。
視界は再び暗転へ。その直前、僕は傍らに誰かが一緒に浮遊しているのが見えた。それは……。
※
チュンチュンと、爽やかな雀の囀ずりが耳に入ってきた。同時にカーテンの隙間から射す陽光が、微睡みから目覚めた僕の思考を、徐々にクリアにしていく。
夢。と、頭の中でぼんやりと呟いた時、僕は身体全体に伝わる心地よい暖かさと、ハチミツの香りに目を細めた。
顔のすぐ下に、見慣れた亜麻色。首に回された細腕からは、ネグリジェのシルク生地がもたらす優しい感触がする。
静かな寝息が首もとに当り、僕の腕もまた、フワフワの髪の毛に枕となる形で使われていた。
「……ああ、そういえば」
メリーと一緒に寝たんだっけ。いつもは背中合わせが、今回ばかりはくっつく形で。
理由は色々。彼女が悪夢を見ないように。それから、寝るときに部屋を暗くした時、僅かにメリーが身体を強張らせたのを見てしまったから。昨夜だけの特例だ。
打ち払う方法としては目で見てるのか、脳で認識してるかわからないので、取り敢えず僕の腕が、メリーの頭に触れるようにして。僕自身は盾か鎧。守るものをイメージしながら眠る。こんなアバウトでいいものかと思ったが、当のメリーが「凄く安心する……」なんて言いながらくっついてきたので、僕はそこで考えるのを止めた。
その結果は……思わぬものだった。
「んっ……しん?」
舌ったらずな声を出しながら、メリーが身じろぎする。青紫の瞳が僕を捉えて、何度か瞬きした後に、少しだけ照れを交えた柔らかな笑みが花開く。
「……おはよ」
「うん、おはよう。悪夢は……大丈夫だった?」
僕がそう問えば、メリーは頷いて。
「おかげさまでね。ただ……核心と、ちょっとビックリするものが視えた」
「悠は、悪魔に女の子になってと願った……とか?」
「ええ。そうして、夢で辰を視たの。私の隣に浮かんでいる貴方を……ね」
私が考えたこと、分かる? と、小首を傾げるメリー。それを見て僕は確信した。恐らくあれは、メリーが視るヴィジョンそのもの。どんな原理かは分からないが、それを僕は彼女と一緒に共有し、視たという事になる。
僕の干渉が彼女に及んだのかは分からないが、その辺の原理は後に検証することにして。
僕らは到達した真実の酷さに嘆息した。
推測もとい妄想だったものが、最後のピースを得て現実味を帯びてきてしまう。悪魔は確かにいたのだ。だが、それ以上の残酷さを人は有している。それをまざまざと思い知らされた気分だった。
「部屋を……見せてもらうまでもなかったね。悠は恐らく、あの屋敷の、途中にあった倉辺りが怪しいな。そこで、何らかの悪魔に関する物を見つけたんだ」
あそこまで悠と悪魔の関係性が浮き彫りになったのだから、私物の中に何かがある。そう踏んだのだ。
それを確かめるべく。最後の手がかりを求めて悠の家に行かんとしていたのだが、意図せず情報が舞い込んできた。
つくづく、反則な力だとは思う。真実に到達出来るという意味ではこの上なく有用だけれども。
「どんな形でそこにあったかは分からない。でも悠が、それの正体を知っていたとは思えない。ただ何となく話しかけた。そんな些細な切っ掛けだったんじゃないかな」
それは、悠が口にした願いを聞き入れてしまう。
何かに封印されていた超常的な存在が願いを叶えてくれる。そんな物語は世界各国に色々な形で登場する。恐らくは悠が見つけたのも、それに近い類いだろう。結果、悪魔は魔子となって、悠の前に現れたのだ。
「……ところが悪魔が、悠に情を持ってしまった。そうして、二人は惹かれ合い、二つ目の願いを口にした」
「人間になってくれ……ね」
「そう。魔子の口ぶりからして、願いの数には限りがある。願いが終わったら、二人は離れなければならない。だけど、魔子を人間にしてしまえば……」
一緒にいられる。二人はそれを願ったのだ。だけど、それは悲劇をもたらした。
悠と、その友人だった人達に、何があったのかは知らないが、不幸な出来事は、容赦なく二人を襲った。
悠の目の前で、皮肉にも人間になってしまっていた悪魔は、簡単に押さえつけられて……そして。
「君が視界に納めたという事は、少なくともオカルト現象の筈。にもかかわらず、乱暴されていたってのが不自然だった。オカルト現象たる悪魔が、人間にされてしまい、弱くなった結果だったなら、納得できる。同時に、自殺した理由も何となく想像できるよ」
魔子は言っていた。自殺の原因は、つまらない価値観と、低俗な欲望と裏切りだと。それが、魔子に対する友人達からの暴行だった。
大事な人を守れず、友人達から裏切られ。悠の無念や悲しみは、どれ程のものだったのか。僕には安易に想像しがたい。
「警察に、通報しなかったのは……二十年前の事と同じかしら?」
「あるいは魔子が、恐らくこの世に存在し得ないから……かな」
もしくは魔子は、あの場で殺されていたのかもしれない。この世に存在しなかったからこそ、悪魔の死体が消えた。はたまた、限りなく認識しずらいものになったか。真実は分からない。
ただ、魔子曰く、彼女は僕に電話をかけた。足りないものを補うために。悪魔の燃料かは分からないけど、僕の血を頂くのが目的で。
「今にして思えば、魔子はあの土地に縛られていたのかも。殺されて、封印された……何てベタな流れだけれども」
でも、死にかけの身体とも言っていたから、当たらずとも遠からずといった所。そう思えば、どんどん噛み合うものがある。
わざわざ霊感持ちと考えられる僕を呼んだのも、弱っていても認識してもらえるから。
メリーは連れ込まなかったのは、僕ら二人では手に余ると言っていたけど、そもそもあの時点で一人引き込むのが限界だったから。
あの女幽霊は……僕らにより興味を持って貰うための、釣り餌だろうか。デコイとも確か言っていた筈。悪魔ならば、それくらいは出来るのかもしれない。
そして、その目的の最終到達地点は……もう、あの様子からして察することが出来る。
「復讐って所かしら? 辱しめられた事と……悠くんを死に追いやった事の」
目を伏せたまま、声を絞り出すメリー。僕はそれに、黙って頷くより他なかった。
つまるところ僕らは、その復讐の片棒を知らないうちに担わされてしまった。そういう話になる。
「……連絡。連絡取れないの? 少なくとも三人は、昔同級生だったんでしょう?」
「……その三人は、アドレス知らないんだ。電話番号も」
「……嗚呼」
何とも言えない沈黙が、僕らに流れた。
詰みだ。恐らくは僕らに被害はこれ以上ない。けれども。
「後味、悪いなぁ」
多分何処かで、悲惨な事が起きている。それは、容易に想像できた。
悪魔の愛を壊した代償は、張本人達の命か、あるいは他の何かか。
因果応報。それは否定できないが、それでも、モヤモヤとしたものは残る。自分本意な感情ではあるけれど、背負いたくもない十字架を課せられた気分だった。
「……この辺で、引いておくべきかしら?」
「だと思う。これ以上首を突っ込めば、行く先来る先で怪現象が起きかねない」
オカルトサークルとしては見に行くべきなのだろうが、現実問題として、悪魔の復讐相手への手がかりはなく。あったとしても事件が起こる確定の場所へ赴いて、何らかの疑いを持たれるのは避けたいところだ。
冷淡かもしれないが、僕らはスーパーヒーローでもなければ、名探偵でもない。引くところは引かないと危ないというのは、嫌と言う程分かっているつもりだった。
悪魔はこの世に確かに存在していた。直接的にも比喩的にも。渡リ烏倶楽部の今回の活動は、知らず知らずのうちに悪魔をもって悪魔を祓う。或いは、悪魔の手のひらにて、ただ踊っていただけなのか。
ただ、確かなことはただ一つ。悪魔は今、一人。また一人と復讐を完遂していっていると言うことだった。
その事実のうすら寒さに、僕らはただ、震えるだけだった。
※
その日の夕方頃の話だ。固唾を飲んでニュースの動向を時間毎に追っていた僕らは、ついにそれを報道ごしに目撃した。
昨日から今日未明にかけて、火災と、二件の変死事件が、発生したのだ。
焼けたのは、ごく普通の住宅一棟。逃げ遅れ、焼死体で発見されたのは、そこに住んでいた十代の青年。
一方、二件の変死事件はというと、一人は、病院の屋上から飛び降りて、全身が砕けて。もう一人は、郊外の冷凍倉庫(調べを進めた所、以前の職場だったそうだ)にて、凍死体となって発見されたという、見方によっては自殺に見えなくもない顛末だった。
嫌な言い方になるが、話題性のない。すぐに次のニュースに埋もれそうな些細な事件。
だが、僕らにとっては、そうはいかない。
被害者として上げられた、三人の名前は……。今更挙げるまでもないだろう。
「……ああ、まさか、そういうこと?」
けれども、僕が一番恐怖を覚えたのは、別にある。
最初に気づいたのは、メリーだった。
復讐と、やり残したことを今してるのね。と、彼女はニュースを眺めながら呟いた。何の事かわからず、僕が首をかしげていると、メリーは少しの畏怖を浮かべた表情で、静かに語りだした。
「だって考えてみて。悪魔が人を殺すにしては、随分と回りくどいじゃない。これは多分……調理よ」
「調、理?」
僕が目を白黒させるなか、メリーは話を続けていく。
調理。酷く日常的ながら、どうしようもなくおぞましい響き。それが指し示すのは……。
「砕いて、熱で溶かして。冷やす。他の名も知らぬ二人は、型抜きされるのかしら? それとも、カップに詰められるのかしら?」
「……メリー? いや、待って。待ってよ。流石に、想像が豊かしすぎやしないかい?」
だって、その行程は……まるで……。
「きっと魔子は……チョコレートを作っているのね」
それは、まさに悪魔の所業だった。
僕らに残されたのは、沈黙のみ。
解き放たれた悪魔を止める術は、持ち合わせていなかった。
因みに、遺体の一部の肉がこそげ落とされ、見つからないらしい。警察は殺人事件として追ってはいるらしいが……恐らくは捕まらないだろう。そして、分かることはもう一つ。あと〝二人〟程犠牲者が出る。これもまた、確定事項だった。




