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渡リ烏のオカルト日誌  作者: 黒木京也
第五章 純愛絞首台
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裏エピローグ: 不吉に過ぎ逝く年

 ああまたか。

 その光景を感じた時、私は誰かに問われたからという訳でもなく、静かに独白した。

 私メリーさん。今、森の中にいるの。

 勿論、本当に私の身体が立っている訳ではない。何故なら、これが夢のようなものの中だと、私はわかっているからだ。

 ただ、私は少しだけ府に落ちぬ感慨に浸っていると、唐突に視界は左右に動き始め、辺りを見渡した。



 郊外の雑木林……まさかね。


 真っ暗な森の中。いつかのように息が吸い込まれ、濃密な木と、喉奥に貼り付くかのような、おが屑の臭いが肺を満たした。肌を刺すような冷たい空気に、ブルリと〝勝手に〟身が震える。


 これは、あの時と全く同じ場所だ。だけど……何だろう? 


 この違和感は? そう思い、自分の格好を確認しようとして、そこで私は初めて首が動かないことに気がついた。どうやらあの時とは違い、何かの視界を通して今度は見ているらしい。ただ、それならば少しおかしな事がある。私が視界ごしにオカルトを知覚するとき、実は五感が全くといっていいほど機能しない。その、筈なのに。

 この身体はまるで私のもののように、風や空気を味わうようにして、森の中を進んでいる。これは一体どういう事なのか。


「……て。……よ……!」


 静かに森の中を動く身体は、ついに運命の場所にたどり着く。


 ぎぃ。ぎぃ。パキ。パキ。と、風もないのに何かが……木が擦れ、軋むような音と一緒に、微かな声が私の耳へ確かに届く。

 異音と共に響く誰かの啜り泣くような声が、段々とハッキリしてくる。

 藪を掻き分けると、少しだけ開けた場所に出た。そこに……人影が〝三つ〟


「止めて……文哉ぁ……! お願いだから……止めてよぉ……!」


 一人は女性。デニムワンピースを着た、黒髪のショートヘア。小柄な体躯と、くりくりした丸い目。ふっくらとした頬が愛らしいリスを思わせた。亜稀さんだ。

 もう一人は男性。こちらは、実にずぼらな格好だ。髪はボサボサに乱れ、髭も伸び放題。落ち窪んだ眼窩の奥で、暗い瞳がギラついている……文哉さん。


 そして、最後の一人は……。


『……え?』


 声を出そうとした。だが、それが発せられることはなかった。

 そこで見たのは女性の後ろ姿。素足にクリーム色のネグリジェと、紺色のストール。という、寒空の夜の森では異様すぎる出で立ち。髪は緩くウェーブのかかった亜麻色のセミロング。……あまりにも、身近すぎた。いや、はっきり言おう。

 そこにいたのは……〝私〟だったのだ。


「文哉……ダメ! お願いだから! やだ! やだよぅ……!」


 泣きわめき、文哉さんにすがり付こうとする亜稀さん。だが、私の視界の主はそれに目もくれず。ただひたすら、〝私〟の背中を見つめていた。


 そして……。


「一度死んだ人が……生き返る筈がないわ」


 いつの間にか自殺も、女幽霊の祈りが終わり、〝私〟の本来ならば誰にも彼女に聞こえる筈がない独白が響き……。私の視界の主はギリリと歯軋りする。


 ……誰なの?


 底知れぬ恐怖を覚えた。私は一体、誰の中に……?

 目の前で、〝私〟が振り返る。だが、それと目が合う前に〝私〟は煙のように消え失せて。

 私の視界も暗転した。


 場面が切り替わる。

 鉄格子の中で、男と、肉の塊が震えている。

 男の顔は恐怖に戦き、肉の塊は男を守るように私の前に立ちはだかった。文哉さんと、亜稀さんだ。


『なんで!? どうして放っておいてくれないの!?』


 金切り声をあげる亜稀さんに、私は静かに近づいて。気がつけば、その背後に回り込んでいた。

 肥大し、異臭を放つ肉に、ゾッとするほどに白い手を重ねて、私は静かに囁いた。


『私、――さん。今、貴方ノ後ロニイルノ』


 名乗っていたのであろう言葉だけが、まるで靄がかかったかのようにはっきりしなかった。ただ、その口上は聞き覚えがありすぎて……。


『悪く思わないでね。〝ここ〟でも〝ちゃんと使えるか〟いつも実験してるのよ』


 その言葉が手向けだというように、私は軽く撫でるように手を動かした。

 悲鳴も、音もなく、肉の塊がこの世から消失する。後に残されたのは、灼けつくような掌の痛みと、魂が抜けたかのように呆然とした、文哉さんのみ。


『貴女は、私に潜む狂気を自覚させてくれた。その点だけは感謝するわ……』


 私はそのまま、文哉さんに近づいていく。文哉さんは糸の切れた人形のように、虚ろな雰囲気のまま、私を見上げた。この男は、どのみちもう壊れている。だが、変なことを口走る可能性もあるだろう。ならば……。


『亜稀さん、一人じゃ可哀想だわ。ねぇ、文哉さん。彼女、成仏したの。たった一人で。貴方がやるべきこと、分かるでしょう?……彼女を愛してるなら』


 それは、有無を言わさぬ命令だった。カチャリと、鉄の擦れる音がして。気がつけば、私の手には出刃包丁が握られていた。

 手を煩わせないで。刃をちらつかせながら、視界の持ち主たる私は、そんな空気を暗に匂わせる。

 文哉さんはノロノロと、全てに絶望したように舌を出し、それに自らの歯を突き立てていく。

 血走った文哉さんの目と、バチュンという生々しい音。それが私の見た全てだった。

 男の骸が留置場の硬い床に転がるより早く、私はその場から薄れていった。


「これであなた達は、永遠に一緒よ」


 よかったわね。そんな無感動な台詞だけを残して、まるで幽霊か何かのように……。


 ※


「……――ッ!」


 身体を震え上がらせながら、私は目を開けた。

 息を荒げながら、目の前にいる相棒をきつく抱き締める。身体が小刻みに震えていた。「んぐぇ!?」と、苦しげな声が目の前からするが、私はそれを気にせずに、そのまま静かに深呼吸する。


「メ、メリー?」

「……――っ、ごめんなさい、ちょっと夢見が悪くて」


 夢。そうだ。きっと夢だ。

 混乱し、ぐちゃぐちゃな思考のまま、私は沸き上がる考えに蓋をする。幻視(ヴィジョン)はありえない。あんなの初めてだ。

 きっと自分の暗い感情に振り回されて、マイナスな思考になっただけ。この身体の震えだって。手のひらに残る嫌な生々しさだって、きっと……。


「……あー、ごめんよ?」


 ポンポンと、背中をあやすように叩いて……何を思ったか、すぐにそれを中断し、辰は私に負けぬ位にぎゅっと私を抱き締める。

 私が以前に子どもみたいに扱うなと言った事を覚えていたのだろうか。だからといって、こんな……いきなり……。


「……酷いイタリア野郎ね」

「イタリアの人に謝りなよ。……弱音吐きたい時位あるだろう?」


 少なくとも、お正月の一件は、何だか君に酷いダメージを与えてる気がしてね。そう言って相棒は、照れ隠しの悪態をつく私を、包み込んだまま離してはくれなかった。

 私はそのまま、彼の手に触れる。突き指は殆どよくなっていた。


「……酷い夢だったわ。私が……殺人を犯す夢。あり得ないくらいリアルで、動揺しちゃって」

「わぉ。それはまぁ……確かに凄まじいなぁ」


 深刻な私に反して、無理はないけど彼は少しだけ軽い返事だった。適当な相槌打ってくれるじゃない。と、私が批難を込めて睨めば辰は苦笑いしつつ、まぁ、そんな事天地がひっくり返っても有り得ない事だし。と、呟いた。

 どうしてよ。私がそう目で訴えれば、彼はそっぽを向きながら。


「君が、殺人だろう? 僕がそんなこと、許すと思う?」


 よしんば企てたと知ったら、全力で止めるよ。と、小さな声で呟いた。

 少しの放心。だが、あっちを向く辰の耳が時間と共に赤くなるのを見て。……コイツ、言ってたそばから自分で照れている? そう気づいたら、少しだけ吹き出してしまう。台詞がクサ過ぎやしないかな? 我が相棒よ。


「そう、ね。どうかしてたわ。私には……貴方がいるものね」


 でも、仮に貴方がいなくなってしまったら……。

 一瞬鎌首をもたげかけた感情を押し止めた。考えなくてもいい事はある。


「あー、うん。復活した? ならよかった。よかったよ。……なら、その。抱き寄せといてあれだけど、少し離れよう……」

「辰、安心したら、私また眠たくなってきたわ。動くのも怠いし。ちょっとまた……寝る」

「え? ちょ! このまま!?」


 あたふたしている彼に身体を押し当てながら、私は目を閉じる。そうだ。夢だもの。だから。この役得な状況を楽しむことに集中しよう。

 ちょっと位なら、悪戯も許そうか。このヘタレがそんなことをするかどうかはさておき……ね。


 ※


 再び可愛らしい寝息を立て始めた相棒に、ホッとするやら止めてくれよ。と悪態をつきたくなるやら。微妙な感情を抱きながら僕はその場で身体を弛緩させた。観念し、抱き枕になろう。そうとも。僕はただの枕だ。フニフニでやわっこい女の子の感触に動揺などするものか。蜂蜜みたいな甘い香りも、鎖骨辺りに当たる吐息のこそばゆさなど大問題だ。いや、じゃなくて、問題ない。


 アイアム・ア・ピロー。

 アイアム・ア・ピロー。


 よし、何か行ける気がしてきた。

 思考を切断し、手に届く範囲にあったリモコンを手に取りテレビをつける。勿論音は低めで。寝ているのがベッドの上でよかった。ギリギリテレビが観られて、気がそらせる……のだが。


「……うわ」


 顔をしかめて、すぐにチャンネルを切り替える。メリーには何故だか見せたくない。一瞬映されたのは、ニュースだった。内容は……。

 いつかの殺人者が、留置所で舌を噛み切り、自殺したというもの。

 そのうちそうなるような予感はしていたから、驚きはしないけど……。それでも何となく、後味はよろしくなかったのだ。



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