未来がくる年
「メリー。君の視るヴィジョンってさ。基本的には〝今〟現実で起きている事。あるいは、それに関係する過去の出来事なんだろう?」
「……そうよ?」
勿論、例外はある。無差別に色んな心霊現象を視ると言っても、私自身が何らかのオカルトに近い場所にいれば。あるいは、何らかの強い意志が働いていれば、それに関するものを視るだろう。過去か現在。それに関わることのどれを視てもおかしくない。重要なのは、確かにそこでオカルトチックな現象が渦巻いていること。それを思い出した時、私は辰が何を言いたいのかを悟った。
「……今回視たのは、無差別なものではない比較的近くで起きた。そう言いたいの?」
「うん、だって、君が僕のお膝で目覚めた時に、リアルタイムでその光景を視たのだとしたら、やっぱりおかしいことになる。君がそれを視た時は、まだ年は明けていなかった訳だろう? なら……」
神社に向かう道すがら、ゆっくり歩きながら辰は夜空を仰ぐ。
「雑木林が静かなのは、おかしいんじゃないかい? 近くが神社なら、尚更ね」
一瞬の思考。答えはすぐに出た。
「……除夜の、鐘ね?」
「そう。基本的には大晦日の夜に百七回。年が明け、一月一日になった瞬間に一回は鳴らされる筈。初詣に来ていた客もいたんでしょ? 鐘が鳴っていたなら、前もって神社に来ていたんだろうけど……。鳴っていない静かな夜だったとしたら、既にその時には年が明けていたって事になる。つまり……時系列が合わないんだ。過去ではなく、リアルタイムだと仮定するならね」
そう締めくくりながら、辰は私の方を見る。どう思う? と、問う目に、私は静かに頷いた。
「確かに……それなら納得出来るわ。でも、そうなると、少し怖い予想が出来ちゃうのだけど」
「あ、やっぱり?」
私の言葉に、辰もまた、苦笑い気味に肩を竦める。
つまり、そのオカルトは……。幽霊が見守るなかでの自殺は、私の住む地域の比較的近くで起きていた。という事になる。そんな所で、今更何らかの怪現象が今起きている?
となれば、あの女幽霊が放っていた最後の祈りは、幽霊からのSOSという事になる訳で……。
「まぁ、とにかく行ってみよう。もしかしたら、僕らの考えすぎかもしれない。参拝客がせっかちで、鐘を鳴らす人もせっかちで、普通より早く脳内で年越しを……」
「辰、ああ、辰。止めましょう。〝心に感じたことは信じなければならない。ことにそれが虫の知らせである時は〟だからきっと私達が予想している通りになるわ」
「……バルタザール・グラシアンだね。それじゃあまぁ、活動内容に神頼み以外に、今回は虫の知らせも追加だね」
期待と畏れがないまぜになった顔で、辰は笑う。駅を素通りして、更に先へ。こんなことならば、自転車で来てもよかったかもしれない。徒歩にして二十五分と少し。私達はようやっとの事で目的の神社にたどり着いた。
ついでに言えば、予感はやはり的中した。
「小学生の頃に夢中になって読んだ、児童書ホラーを思い出したよ。状況とかは全然違うけどさ」
参拝にと歩いていく人込みの背を見つめながら、辰はシニカルな笑みを浮かべつつ、小さくため息をついた。
「〝なんだ、夢と違うじゃないか〟そう呟いた男の話。でもまぁ、僕らの場合……夢と一緒じゃないか。と、言うべきかな?」
「童心社の〝怪談レストランシリーズ〟かしら? 私も大好きだったわ。あれ」
個人的お勧めは、第二弾の化け猫レストランだ。まぁ、その話は置いておこう。今目を向けるべきものは、別にある。
神社の境内を、静かに見回す。変鉄もない、だが、それなりに広い。右手に見えるのは、御神籤や絵馬が売っている売店だろう。人だかりがそれなりに出来ていて、御神籤に一喜一憂する様子が見てとれた。その反対側では、住職さんが甘酒を振る舞っている。……ぜひとも後で行こうと思う。
正面には本殿が。お賽銭箱の前で、老夫婦が手を合わせている。今年の無病息災をお祈りしているに違いない。
そして……。本殿の左手斜め後ろ側。参道から外れた少し離れた場所にそれはいた。
一転して、神社の灯りが届かぬ所に、雑木林の入口は広がっている。その前に……潤んだ目で雑踏を見つめ続けている、リスに似た小柄な女の姿があった。
「……ビンゴ?」
「……ビンゴよ」
全部一緒だったのだ。神社の造りも。雑木林への繋がりかたも。あの女性の幽霊の姿も。すべからく、夢に出てきたものと一致した。
この瞬間、気紛れから始まった初詣は、意味と形を変えることになる。目の前にオカルトの匂いがするならば、私達が動かない理由はない。今回の活動は……。題してさ迷う女幽霊のカウンセリングなんてどうだろうか。
目と目を合わせ、二人揃って小さく頷く。迷いはなかった。
静かに互いの指を絡め、しっかりと手を繋ぐ。
恋人繋ぎで少しだけ勇気が出るのは、私だけの秘密。畏れと興味がいつだって半々なのだ。だからこそ、二人でなら挑めるという事にもなるのだけれど。
「行こうか。まずは……無難に声をかけてみるかい?」
「そうね。そうしましょう」
前置きはこの辺にして、私達は連れだって歩き出す。
年明けから一時間もしない深夜。大学非公認オカルトサークル、『渡リ烏倶楽部』が行動を開始した瞬間だった。
※
「視えてます。よかったら、お話お聞きしますよ」
人込みから微妙に離れているとはいえ、さすがに何もない雑木林の入口で幽霊と立ち話をする訳にもいかず。
私達は幽霊の傍を通りすぎる瞬間にそう語りかけて、雑木林の奥へと進んでいった。
それなりに暗い雑木林は、夜目が効く私達でも、進むのは困難だ。だが、こんなこともあろうかと、持っているものがちゃんとある。
「持っててよかったペンライト」
そう呟く辰に心底同意しながら、私達は手持ちのペンライトに明かりを灯す。アクアマリンとローズピンクの細い筒から放たれる光は、小さいながらも強い。以前ショッピングモールで一緒に買った、色違いの同一モデルだ。
霊感持ちが二人揃えば、予期せぬトラブルに巻き込まれることもある。そんな時の為に常備しているこれは、七つ道具とまではいかなくとも便利なツールの一つとなっている。
あまり奥に入りすぎない場所。かつ、それなりに月明かりがハッキリしている開けた場所を発見し、私と辰は並んでそこに立つ。
時間にして数秒。軈て音もなく私達の目の前に、女幽霊が滑り込んだ。
「……あなた達は? 私が、見えるの?」
幽霊なのにおっかなびっくりな様子で、その女性は私と辰を交互に見る。極力刺激しないよう、「そうですね。一応」と、辰が答える横で私も頷けば女幽霊は「そっか……」と、寂しげに溜め息をついた。
「どうして、私なんかに話しかけてくれたの?」
「……う~ん、話せばそれなりに長くなるんですけどね」
「貴女の生前での知り合いに、自殺をした方……いたりしますか?」
ちょ、メリー! と、すぐ横で慌てるような声がしたが、気にしない。無駄は省くべきだ。少なくとも今、何かがここで起きているのだから。そんな私の思考を察したのか、辰はやれやれ。というように肩を竦めた。
「君は容赦ないというか……大胆すぎるよ」
「貴方がヘタ……慎重すぎるのよ」
「……今君、ヘタレって言おうとしなかったかい?」
「嫌ね。気のせいに決まってるわ」
あくまで相棒としてだが、付き合いはそれなりに長い。サークル活動の折りに泊まりがけで旅行したり。よく部屋で手料理を振る舞い。誕生日やクリスマスにはプレゼント贈り合ったりもした。けど一向に多少の頑張ってアプローチしても、抱き寄せるなり押し倒したりしてくれないのがこの男だ。ヘタレと言って何が悪い。
ブーメランと言われたらそれまでだけれども。私も大概である。ともかく。
「こちらの事情を今から一方的に話させて頂きます。もしも傷つけてしまったら……申し訳ないですけど」
そう言って、私は自分が視たヴィジョンや、私のもつ体質についてを話す。生きた人間には教えるのを躊躇してしまう私の背景も、オカルト相手ならば問題ない。
最初は怪訝そうな顔だった女幽霊も、私が男の名前や風貌を話し。最後に私の視た彼女が発した言葉を伝えると、みるみるうちに顔面蒼白になっていく。幽霊なのに。
「……ああ、そんな。でも……でも……!」
惑い、目を泳がせ、最後に祈るように手を胸の前で組んだ女幽霊は、静かに息を吐き。
「きっと……きっと私の願いが通じたのね。貴女が視たっていう、おかしな夢。私が恐れていた事と、全く一緒だもの……」
何処と無く気味の悪さというか、畏怖を含んだ視線が、女幽霊から私に向けられる。
それが昔あった些細な出来事を思い起こさせ、少しの諦感に似たものを抱きかけた時。辰はさりげなく女幽霊の視線を遮るようにして「詳しく聞かせてもらっていいですか?」と、問い掛けた。私はといえば、小さな違和感を覚えていた。恐れていたこと?
彼はもう既に、自殺をしてしまったのではないのか? 怪訝な顔で女幽霊を見ると、彼女は静かに頷き、涙声でこう呟いた。
「彼を、文哉を助けて欲しいんです。彼、今、自殺を考えていて……」
一ミリも予想していなかった事実を告げた。
繰り返すが、私の幻視はあくまで今起きているか、過去にあった事のみだった。これから先――未来についてを受信したのは……今日が初めての経験だった。
※
女幽霊。佐々木亜稀さんは、婚約していた彼がいた。
赤羽文哉。大学の登山部にて先輩後輩として知りあったのを切欠に、交際に発展。
順調に愛を深めていた二人は、文哉さんの就職が決まると共に、双方の両親公認の元、互いの卒業後に結婚の約束までした仲だったという。
ありふれた、恋物語。だが、破局はある日突然に訪れた。
ほんの些細な喧嘩だった。今にして思えば、積み重ねた年月や喧嘩のパターンを省みるに、少しのクールダウンで仲直り出来るものだったという。が、そのクールダウンが問題だった。
部屋を飛び出した亜稀さんは、事故により帰らぬ人となり。最愛の彼女を失った文哉さんは……狂ってしまった。
自分のせいで。と、自身を責め続けた彼は、彼女が死んでから何週間も部屋に引きこもってしまったという。
一方、幸せの絶頂から奈落に叩き落とされた亜稀さんはというと、未練の強さからこの世にとどまっていた。
何度も文哉さんに話しかけようとしたものの、声は届かず。時間だけが虚しく過ぎていく中で、ある日文哉さんはこう呟いたという。
「……ああ、死のう。そうだ。約束したあの場所の傍で……懺悔と祈りと共に死のう」
そう言って、文哉さんは丈夫な登山用のザイルを取り出したのだ……。
「つまり、貴女が死んでしまったのを苦にして、文哉さんは自殺を決意。思い出の場所が……この神社と?」
「はい。ここで丁度去年に初詣の帰りでプロポーズされたんです。でも……まさかこんなことになるなんて……」
「ここには、どうして一足先に?」
「もう、どうにもならなくて……。きっと私が傍で叫んでも、あの人は、め、目の前で死んでしまうんだわ! だから……。だから、もう、ここで、誰かに助けを求めるしかなかった! もしかしたら、私が見える人がいるかもって」
顔を手で覆い、項垂れる亜稀さん。それを辰はじっと見つめながら、質問を続ける。
「彼、今は? ここに向かってるんですか?」
「はい。きっと」
「彼が豹変した事を、知っている人は?」
「いない、です。ずっと借りてるマンションの部屋にこもりきりで……」
「……彼以外に、貴女は何人くらいに話しかけましたか?」
「この神社で、ひたすら。数えきれないくらいに。誰にも届かなくて……」
成る程。と、辰は目を細める。私は、何も言えなかった。時折亜稀さんが、何処と無くビクビクしながら、せわしなくこっちを見るからだ。
チラリと、辰と目を合わせる。考えていることは、同じらしかった。
きゅ。と、辰の手を握りつつ。私は頷く。この件については、私達の方から踏み込んだ方がよさそうだ。
「彼は、文哉さんは、貴女が説得すれば、自殺を止めてくれますか?」
「……きっと。話せるなら。でも……」
「勿論、僕もメリーも協力します。貴女の願いがメリーに伝わったから、僕らはここに来た。貴女が望むなら……力になれます。文哉さんと貴女が話す架け橋に、僕らはなれる」
亜稀さんは、ただ呆然と、辰を見つめていた。よくもまぁ、こんな台詞が出てくるなぁ。何て思いつつ、私は彼の横顔を一瞥してから、再び亜稀さんに視線を戻す。
その目には、すがるような光が宿っていた。
「……本当に? 文哉と、私が、お話しできるの?」
「出来ます。貴女が僕らに語った事に、偽りがないならば、文哉さんも貴女と話したいはず。彼は……そんな力があるから」
辰の言葉を代弁し、私が亜稀さんにそう話せば、亜稀さんはゴクリと、唾を飲むように喉を動かした。幽霊なのに。という突っ込みは、今はしなくてもいいだろう。出来る幽霊は出来るのだ。きっと。
「話した事に……偽りはありません。私は文哉を助けたいんです! お願い……辰君、メリーさん。助けて……欲しい」
目線を逸らさず。真っ直ぐと私の瞳を見つめたまま、亜稀さんはそう言った。それを聞いた辰は、よし。と、手を叩いた。
「わかりました。じゃあ、とにかく、急いで神社に戻りましょう!」
「懺悔と祈り。って言ってたなら、多分参拝はするだろうしね。思い出の場所……なんですよね?」
私の手を引き、辰は亜稀さんを先導する。「え? どうして戻るの?」と、首を傾げる亜稀さんに私は手招きしつつそう告げて。
私達は雑木林を急いで引き返した。
ペンライトが照らす光の中で、辰は私の小指の関節を軽く引っ掻いた。
ちょっとした、ハンドサイン。当然ながら、亜稀さんは気づいていない。
そっと、辰の人差し指をなぞれば、もう言葉は要らなかった。
浮かんだ疑惑は二人きりになったら話すとして。
今は文哉さんが現れるのを待ち、その悲劇を止めるのに集中しよう。




