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渡リ烏のオカルト日誌  作者: 黒木京也
第一章 オカルティック・ホテル
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渋谷の牢獄

「……なんだよ、これ……!」


 そんな声が思わず漏れた。

 翌朝。予定通りに起床して食事を摂り、意気揚々と出発しようとした矢先――。僕は理不尽に遭遇していた。

 目の前にそびえるは壁。それもただの壁ではない。元は出入口であったホテルのエントランス。そのガラス戸が、どういう訳か壁に変質していた……という意味不明なものだった。

 出られない。遅刻。浪人。という嫌すぎる単語が僕の脳内を駆け巡り、即座に頭を振ってマイナスな考えを振り払う。

 落ち着け。と、何度も唱えてから、僕は改めて前を見る。やはりそこに出口など見えはしなかった。

 念のため〝いつもみたいに意識を集中させ〟ながら、そっと壁に触れてみたり、軽く拳で小突いてみるも、反応は無し。

 外の音が聞こえはしないかと耳を当ててみれば、驚くべき事に無音。完全なる静寂を感じた時。僕はあることに気付き思わず身震いした。

 いつの間にか外の音ばかりではなく、ホテルの中までも静まり返っていたのだ。ここに来るまでに、ロビーや食堂はそれなりに人がいた筈だったのに。


「……どうしよう」


 ヘナヘナと座り込みそうになるのを必死に堪え、腕時計を確認する。それなりに年季の入った祖父からの贈り物は、秒針を動かすことなく、完全に沈黙していた。

 ならばとポケットからスマートフォンを取り出すが、これもアウト。満タンにバッテリーを充電していたそれは、画面を真っ暗にしたまま。電源ボタンを押しても、そこに明かりが灯ることはない。


 ああ、ダメっぽい。


 そう心の中で呟いたら、後はもう笑うしかなかった。時間がわからない。情報も集められない。一応そんな状況でも普段ならばまだなんとかなる。だが、肝心の試験に間に合わないようでは、もう負けたも同然だった。

 意味のわからない状況に放り込まれて、それを一時間足らずで解決してみせろだなんて、無茶にも程がある。

 算盤そろばんで弾き出すかのように結論が組み上げられ、僕は盛大にため息を吐いた。……両親になんて言おう? 放浪癖があるのは知ってくれているけど、こんな大事な時期にやらかすなんて、夢にも思うまい。勿論僕だって不本意だが。


 暫く立ち往生し、混乱する思考を両手で頬を叩くことで強制遮断する。深呼吸を何回かすれば、乱れた心はある程度の平静を取り戻した。突飛な事象に出会ってばかりいると、知らず知らずのうちに気持ちの切り替えが得意になる。今だけは、そんな自分の能天気さに救われた。

 先ずは出よう。で、カプセルホテルみたいな代わりの宿を探す。あくまでダメそうなのは初日のみ。そこだってまだ第二希望の大学だ。まだ慌てる時間じゃない。

 ゆっくりと歩き出す。一度ロビーに行ってみよう。そう思い、念のため極力足音を立てないようにして僕は来た道を戻る。相変わらずしんとしたホテルはゾワゾワするような、嫌な感じで満たされていた。ロビーに繋がる透明な自動ドアの先は朝だというのに、殆んどの照明は落とされている。ここにも人の気配は皆無だった。


「……オーケー。行こう」


 独り言で平常心を保ちつつ、常に思考を回し続ける。

 一歩進めば、自動ドアが鈍い音を立てて開かれた。電気が死んでいる。という訳では無さそうだ。

 どうしようか。ここはやはり受け付けに……。


「あら、貴方も閉じ込められていたのね」

「わひゃあ!?」


 不意に横合いから声がして、僕は思わず変な悲鳴をあげてしまう。

 大きくジャンプして後退しながら、話し掛けられた方を見ると、暗がりの一角から、誰かが歩み寄ってくる所だった。

 ロビーは完全な暗闇ではなく、申し訳程度の小さな電球と、非常口を示す看板ライトがが光源になっていて、すぐ近くならば辛うじて見える程度の明るさはある。そこへユラリと、まるで幽鬼のように、人形じみた美貌の女の子が佇んでいた。


「……メリー、さん?」

「……おはよう。今ここに降りてきたんだけど……もしかしなくても、出口はなかったのね?」


 何で分かったの? と、聞くのも野暮だ。外に出ようとしていた僕が戻ってきた。それだけで察したのだろう。


「一応聞くけど、スマホか携帯の類いは動く?」

「使い物にならないわ。ただ、水道は潰れていなかった。ホテルとしての機能は最低限残されているみたい。だからどうしたって話だけど」


 腕組みをしながら、メリーさんはやれやれと言うように目を伏せる。「なんなのかしらね。この現象」と呟く彼女を僕は改めて正面から見据えた。

 この状況で単独行動をする意味はない。必然的に同行を求める形にはなるが、その前にどうしても確認しなければならなかった。


「歩きながら話そう。ダメ元で受け付けに行ってみるつもりだったんだ」


 そう言う僕にメリーさんは小さく頷き、僕らは微妙に離れた位置をキープしつつ、連れだって歩く。どちらかが妙な行動をすればすぐに飛び退ける、絶妙な距離だった。

 視界の端では、大小様々ないくつもの銀色で半透明なものが、忙しく、自由奔放に飛び交っているが、今はそれから無理矢理目をそらす。


「安っぽいホラー映画みたいな展開ね」


 辿り着いた目的地で、メリーさんは疲れたようにそう呟いた。それに関しては、僕も全面的に同意する。

 白い証明で照らされたカウンターには……燕尾服を思わせるスーツを着た、白骨死体が鎮座していた。

 髪の毛はボサボサながら僅かに残されている。空洞になった眼窩は何も写す事はなく、そもそも骨の形だけで人相などを想像するのは無理な話だ。

 けれども僕は、不思議と自然にそこにいる骸骨の生前がありありと頭に思い浮かんできた。服装と内藤という名札には、嫌になるくらい見覚えがあったのだ。

 そこにある死体は昨日と今日。僕に鍵を渡し、出立の際には鍵を預かってくれた、男性のホテルマンで間違いなかった。


「……気づいてた?」

「ホテルに入る前って事かしら? いいえ。恥ずかしながら、〝おかしいって感じた〟のは部屋を出ようとした瞬間よ」


 霊感があるからといって、すべての幽霊を捕捉できる訳ではない。気配を隠すのが上手な幽霊もいれば、存在が弱すぎて知覚できない幽霊もいる。今回は前者だろう。彼女が部屋を出て。丁度僕が入り口にたどり着いた時、このホテルに何かが起きたのだ。


「おかしいって、周りが?」

「気配が。よ」


 僕の質問に、彼女はもはや隠すつもりが無いような口調で答えた。自分の推測が確信に変わるのを感じながら、僕はメリーさんの方へ向き直る。彼女もまた、僕の方へ顔を向けていた。一呼吸置き、僕はさっきから考えていた事を口にする。


「妙な話をしてもいいかな?」

「……昨日の質問に、正直に答えてくれる気になったとか?」

「まぁ、大体そんなとこ。カミングアウトさせてもらうと……僕、幽霊が視えるんだ」


 これを〝人間〟相手に口にしたのは、果たして何年ぶりか。

 実はこう見えて、結構勇気を出してたりもする。

 すると、それを聞いたメリーさんは、一瞬だけ目を見開き、そのまま「フフフ……」と肩を震わせた。


「少し大袈裟だけど、人生でこんなに驚いたのは初めてよ。これで試験が台無しでなければ、もっと素敵だったのに」


 そう言ってメリーさんは、コホンと咳払い。そして。


「じゃあ私からも。実を言うとね。私も幽霊、視えるのよ」


 お揃いね。と、メリーさんがおどけたように笑った時、僕の中でパズルが嵌まり込んだような。くすぐったくて暖かな気持ちが広がっていく。

 この感情は、歓喜だった。

 僕は生まれて初めて、自分の霊感を。語る世界を誰かに認めて貰えたのだ。


「じゃあ、ここに溢れているのも、君には視えてる?」

「勿論。こんなにカオスな光景は初めて視たわ」


 振り返り、誰もいないホテルのロビーに目を向ける。

 狐に狸。猪に鹿。熊や狼、シマウマにリス。他にも多種多様な動物霊達が、自由気ままに動き回っていた。

 それらをメリーさんは、ふんわりした亜麻色の髪をかき上げて楽しげに眺めている。並外れて美しい容姿や神秘的な青紫の瞳も手伝って、その様子は一枚の絵画を連想させた。


「動物園みたい」


 思った事を二人で口にし、僕らはどちらからともなく吹き出した。互いに視ているものに違いはなし。それが今、証明された。こんな状況なのにそれが無性に面白かったのだ。

 浮かれていたともいえる。だってこれは生まれて初めて体感した、世界の共有だったから。故に……。


 背後から。

 丁度白骨死体があった場所から「ガゴン」と、何かが蠢くような音がした時。僕らは一瞬で現実に引き戻された。

 

 

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