桜の下に死体あり、栗鼠の家には人骨あり
「いきなり見つかるとは思わなかったよ」
「招待状にも指令が来てるわ。『彼女を見つけて』ですって」
例によって新たに文が追加された招待状をヒラヒラと振りながら、メリーは「今まさに目の前にいるのは違うのかしらね」と、首を傾げた。
まずは手を観察してみる。言われてみれば、女の子の手だ。幽霊の類いだともよく分かる。では、招待状にある『見つけて』とは……。普通に考えれば、暫定彼女の本体だろうか。
「……メリー、何かヴィジョンは?」
「今のところ何も。どうする? 横、通り抜けてみる?」
「いっそ僕が手でも握ろうかとも思ったけど……」
「引っ張り込まれたらどうするのよ」
「それを言うなら、脚でも引かれたらどうするのさ」
「手が届かない場所を通りすぎればいいじゃない」
それは一理ある。一拍置いて、僕らは歩き出す。念のためメリーを外側にやろうとしたら、メリーはまるでフォークダンスでも踊るかのようにクルリと僕の手を引き反転。僕と謎の手の間に割り込んだ。器用に握る手を持ち替えたメリーに、僕が言いたげな視線を送れば、メリーはムッとしたように唇を尖らせた。
「幽霊に触れる貴方が近づいてどうするのよ。私がこっち。いいわね」
「……了解だ、相棒。手は離さないでおくれよ」
「引っ張られても離さないわ。安心して」
そんなやり取りをしながら、僕らは足を踏み出す。一歩。二歩。三歩。
一応謎の手を睨みながら歩いているが、相手は特に危害を加えてくる様子はない。
だが……。
「……嫌だなぁ。止めてくれないかなぁ」
そんな呟きが漏れる。
確かに、手は僕らに何もしてきはしなかった。その変わりに。彼女は動いた。まるで滑るように、腕とコンクリートの境目などお構いなしに音もなく。僕らの背後をマークするかのように。
「ええ、嫌な感じね」
くいくいと、僕の手を引きながら、メリーはアトラクションの中へと僕を誘う。そんな中で、彼女は何処と無く物珍しげな顔で、おどけるように呟いて。
「背後霊と地縛霊のハイブリットなんて。絶対生前は相当しつこいか、粘着的な気質だったんでしょうね」
「……メリーさんや。何か怒ってない?」
かと思えば欠片も容赦なくそんな評価を下す彼女は、何だか不機嫌にも見えた。恐る恐る僕がそう訪ねると、メリーは別に。とだけそっけなく答える。いまいち釈然としない顔を僕がしていると、メリーは小さくため息をつき、「貴方は幽霊に触れられるのに、肝心の念には鈍感なのね」と、何故か呆れ顔で僕を見てから、用心しなさい。と、付け足した。
「あの手……辰は絶対に触らないで。……明らかに貴方を狙ってるわ。貴方に向ける念と、私に向ける念の規模が違うもの」
軽い目眩を覚えつつ、僕はもう一度、背後の手を確認する。
成る程。確かに手はどちらかと言えば……いや、完全に僕の後ろに陣取っていた。向こうから触れてこないのは、何らかの制約があるからなのか。その辺は分からない。
「そんなに違うかい? 僕にはいまいちわからない」
「ヘタレ。……あ、違った。鈍感」
「相棒。度々出てくるその評価、結構くるものがあるんだぜ?」
主に心に。と、僕が言うより先に、メリーは繋いだ僕の手を一層強く握り締めた。
「女はね、謀り、化かすのが本質なの。油断すれば相手の術中よ。ヴィジョンはさっぱり見えやしないけど、私の勘は良好だわ。さっきから私の方にだけ敵意がヒシヒシとくるんだもの」
まるで宝物でも抱えるかのように、僕の腕を抱くメリー。
それは手の幽霊に見せつけているのか。はたまた絶対に離さないようにするためか。
「OK。じゃあ、徹底的に警戒するよ。ただ……。その持ち方は止めておくれ。色々当たるんだ」
主に君の素敵な谷間が。とは言うまい。一瞬ポカンとした顔で僕を見るメリー。しばらくして、意味を察したのだろうか。色白な頬がほんの少しだけ赤みをさして。
「……今なら、腕を動かす位は許してあげるわよ?」
「そしたら幽霊には引き込まれてなくても、別の意味で僕が引き込まれそうなんですが」
「それは不味いわ。ツアー失敗して二人ともお化けは笑えないもの」
「だろう? 大体幽霊になっちゃったらメリーのおっぱいも揉めない……。あ、僕なら大丈夫なのか。寧ろ一方的に揉み放題……」
刹那、僕の腕は桃源郷から帰還した。メリーのヘッドバットが、僕を強かに打ち据えるというおまけ付きで。
※
ツリーハウスは、やっぱりツリーハウスだった。
周りや内部を調べても調べても、目ぼしいものや怪しいものは皆無。そこにいるのは僕らと。僕の背後をストーキングしてくる、白い女の子の手だけという、奇妙な絵面であった。
時間だけが空しく過ぎていく。既に二十分はこの小さなアトラクションを歩きまわっている事になる。見つけたチェックポイントは、まだ二つ。出来るならここはサクサク彼女の本体を見つけたい所だが……。
「今恐ろしい事に気がついた。幽霊の本体って事は十中八九死体じゃないか」
「白骨死体なら一緒に見たじゃない。いつかのクトゥルフ初体験で」
ツリーハウス最上階の展望台から、トゥーンタウンを見下ろす。中々に綺麗な夜景だが、そこに人が営む活気はない。そのアンバランスさに僕が少しだけ畏怖を感じていれば、その右横でメリーがいつかの不思議な体験を口にする。
僕の故郷で起きた、不思議で恐ろしい出来事。名状しがたきもの共の影を感じたとある事件を思いだし、僕は顔をしかめた。
なるほど、白骨死体なら確かに見たことはあったのだ。我ながら凄い体験をしている。
「……何故に白骨死体?」
「腐乱死体やただの死体なら、隠さなくても臭いで分かりそうじゃない? そもそも、ツリーハウスの都市伝説から考えても、見つける本体は白骨死体である可能性が高いわ」
少しだけ、脳内検索をかける。確かツリーハウスの都市伝説は……。
「ツリーハウスには、人骨が埋まっているだっけ?」
「桜といい、日本人って木の下に何か隠すのが好きよねぇ」
ディズニーランドは海外発祥だけどね。とは言うまい。何かの下に実は……。な展開は、古今東西ホラーなお話の定番ではあるだろうから。
だが、そうなると少し問題がある。ここの地面というか遊歩道は、殆どがコンクリートなのだ。ツリーハウスの下を調べるには、いささか無理がありすぎる。
「いっそこいつをこっちが引っ張ってみるかい?」
「凄く試してみたい気もするけど……ないわー。手を繋いでる女の子の横で、別の女の子の手を取ろうとするとか、ないわー」
「僕が悪かったから、そんな蔑んだ目で見ないでくれよ」
降参というように肩を竦めれば、「そもそも本体を見つけろって時点で察しなさい。私達にホイホイついてくるこの子を引っ張っても意味ないって位わかるじゃない」なんて、もっともな言葉が飛んできた。
さて、じゃあどうしようか。ツリーハウスの壁に寄り掛かりながら、僕らは思案する。
頭を整理する意味で虚空に指をかざし、絵を描くように動かしていれば、メリーもそれに賛同した。その斜め下で、白い手も指を動かしている。……こいつ、もしかしてこっちが見えてたりはするまいな?
「整理しよう。僕らはここに辿り着くなり、白い手に出迎えられた」
「下された指令は、『彼女を見つけて』シンプルすぎるわね。しかも……よくよく考えたらこれ、ツリーハウスで見つけろとか書いてないじゃない」
「……ああ、確かに」
指で僕が某ネズミの王様の顔を描いていけば、その横でメリーがふにゃふにゃと不定形なものを描くように指を動かす。
それを横目に見ながら、僕はいよいよもって、このツアーを仕掛けてきた存在の性格の悪さを再認識した。確かにメリーの推測通りに取れなくもないのだ。ツリーハウスに本体がいないかもしれない説。
「他に幽霊が出る都市伝説は……『カリブの海賊』とかかしら?」
「有名だね。でもあれって、供養する目的で白い花を植えてるって話じゃなかったっけ? 作業中に事故死してしまった従業員を弔うためとか」
ついでに、その白い花が置かれる前はモニターに人影が映るなどの摩訶不思議な事が起こったとか起こらないとか。
「あら、そんな説もあったんだ。私が調べたのでは、人形の中に本物の幽霊が混じってて、霊感ある人なら分かる……とかよ」
「何か混じってる系多いなぁ……。行ってみるのもありだけど……」
ちらりと、白い手を盗み見る。彼女は空中絵描きに飽きたのか、今は手をプラプラさせているだけだった。
「……私は、もう少し調べてもいいと思うわ。この幽霊の本体がここにないは……まだ何とも言えないもの」
「でもさ。他に調べてないとこなんてあるかい? 何回も歩き回ったじゃないか」
指で今度はリスを描いてみる。が、空中で描くゆえに途中で輪郭がぼやけてしまう。
そこに無いものを掴もうとしているような感覚だった。……この八方塞がりかけた局面で、僕はなんて呑気な事をしているのか。我ながら可笑しくなって指を止めれば、そこにピトリ。と、メリーの人差し指がくっついた。
「……何の合図だい?」
「別に合図って訳じゃないわよ。ただ……。そうね。何となくよ」
触れ合った極小の面から、じわりと暖かさが染み込んでくる。まるで指同士でキスしているかのような錯覚を得つつ、僕は静かに思案に戻る。が、結局何か名案は思い付く事はなく。
「後考えるべくは……僕らの調べた都市伝説を照合してみるくらいか。偶然にも、それぞれ違うものを調べてきているらしいし」
「無意識で分業しちゃうなんて、私達も捨てたもんじゃないと思うの」
「それは言えてる。じゃあ、お互いに言い合うとしよう」
といっても、僕が見たのは人骨が埋まっている位だったけど。そう伝えれば、メリーは少しだけ目を見開いて、何だかバツの悪そうな顔になる。……どうしたというのだろう?
「私が見たのも、人骨が埋まっている。よ」
「……あれま。気が合うね」
「……本当ね。夫婦みたいだわ」
アッハッハ。と一頻り笑い、自然と互いの口からため息が出る。ダメじゃないか。何でよりにもよってここだけ同じものを調べているのか。
これは本格的に行き詰まって来たなぁ。何て思っていたら、メリーがおもむろに再び口を開いた。
「調べた副産物みたいなのはあったけど……これは都市伝説じゃなくて、記録みたいな話なのよね」
「記録?」
どんな? と、僕が話の続きを促せば、メリーは触れあわせていた指を離して、それをそっと唇に当て、「オフレコになってるお話よ」と、片目を閉じた。
語られた整理すると、曰く、このツリーハウスが出来たばかりの頃は、このアトラクションはただ階段を登って降りるというものではなく、大きめの滑り台がついていたらしい。
ところが、スタッフを割けないこの無人アトラクション故か、滑り台を逆から登る子どもが出たり、まだ降りきっていないのに上から滑ってきて、結果滑り台下にて激突したり。という具合に事故や怪我人が多く出てしまった為、やむ無く世界中のディズニーランドにあるツリーハウスからは、滑り台が撤去されてしまった。そんな在り来たりといえば在り来たりなお話である。
因みに、名称も以前は『チップとデールのすべり台』だったものが、現在は『チップとデールのツリーハウス』に変更になっているとか。そう、そもそもツリーハウスが脇役だったのである。
そんなこんなで滑り台の階段だけがこうして残ってしまった。それが、このアトラクションの馴れ初めであり、成れの果てなのだという。なんと言うべきか……。
「もしかしなくても、そこで事故死した女の子が、ツリーハウスにいる幽霊だ。ってベターな展開は……いや、ないね。有り得ない」
「ないわよ。滑り台で事故死して、その後どうやってツリーハウスの下に埋まるのよ」
「だよね~。あ、じゃあ案外女の子ではなく、普通の女性かも。ツリーハウスの近くで殺されて、そのまま埋められた」
「コンクリートの下に?」
「作る前に殺されて埋められて。その後にその上にツリーハウスが出来てしまったとか」
「それならまぁ、無くもないわね。結果、その幽霊がいたから、滑り台で事故が多発した……と」
推論を削り。形にしていく。ただ、これは推理ではなくあくまでも妄想だ。確固たる証拠はない。そして、これらの想像力を膨らませた所で、話は振り出しに戻る。
「仮にそれが真実だとしましょう。キーは滑り台ね。それが延びていたであろう場所が一番怪しいわ。で……」
「どこだよそれ。ってなると」
そう、あくまでそれは、滑り台があったらの話。撤去された今、それがどんな風になっていたのかわからない。
螺旋状か。ひたすら長いのか。大きめのカーブを描いていたかもしれない。でもどっちにしろ、僕らには確かめようがない。こんな時こそメリーのヴィジョンが頼みの綱だけど……。
僕の視線を受けて、メリーは静かに首を横に振る。ダメみたいだ。これはやはり、一度ここを出てみるも手だろうか。
本体がここにないなら、この手だってついてくる筈だ。逆についてこれなければ、やはり本体はこのツリーハウス周辺にある。という事になる。
「やっぱり一旦出てみよう」という僕の提案に、メリーは「こうもいい手が浮かばないなら……仕方ないわね」そう目を伏せながら頷いた。
「何かしら。モヤモヤするわ。気付けそうで気付いていないものがあるような。理不尽な悔しさがあるの。……まるで苦労して買ってきたショートケーキを、窓から投げ捨てられた気分よ」
「不思議な喩えだね。何処かで聞いたことがある気もするけど」
僕がそんなコメントを述べると、メリーはよく気づいてくれたわね。と、言わんばかりに悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「参考文献は、愛に基づく完璧な我が儘を語った女の台詞よ。ショートケーキから心変わりしても受け入れてくれて。その上でチョコレートムースかチーズケーキを買ってきてくれたなら、そうしてもらった分だけ、きちんと相手を愛するの」
「……ああ、村上春樹。『ノルウェイの森』だね。……これ、オカルトからの我が儘だったりするのかな?」
「だとしたら、今まさに私達のオカルトへの愛が試されてるのかもね」
それでダメだったら命取る。は、やりすぎだとは思うけど。
でも、僕らも僕らかもしれない。こんな状況でこうも冷静なのは、少し自分でもビックリする。現に今だって、わりとしょうもないことを考えているのだ。
二人揃って階段を降りる最中。僕はふと、後ろを振り返る。
「しかし、滑り台ね……あったら楽しそうではあるな。一度滑ってみたかったよ」
「あら、可愛い事言うのね。……滑り台で遊ぶ辰ねぇ。見てみたいって言えば、見てみたいわね」
「……本当ニ?」
少しの沈黙。
直後、「え……?」と、声が漏れたのは僕とメリーで殆ど同時だった。
立ち止まった僕らは、顔を見合わせる。
聞き慣れない声が、僕らの会話に割って入ってきた。それだけは、僕もメリーも認識していて。
「滑りたいんだよネ? お兄ちゃん。滑ってきて、いいんだよネ? お姉ちゃん?」
冷え冷えとした声が、すぐ背後からする。そして――。
メリーとは繋いでいない方の手が、突然冷たい感触で包まれた。
「う……わ……!」
咄嗟に、手を振りほどこうとする。が、それは蛇が獲物を絞め殺さんとするかのように、僕の手を掴み離さない。そして……。
「一緒ニ……行こウ? お兄ィちゃぁん……!」
数秒後。僕の身体が、物凄い力で引っ張られた。
ぐるりと反転した世界の中で、僕が最後に見たのは、まるでろくろ首のように長く伸びた件の白い手が、僕の手を握り締めている光景と……。必死で僕のもう片方の手を、自分の方へ引き寄せようとする、メリーの姿だった。




