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渡リ烏のオカルト日誌  作者: 黒木京也
第一章 オカルティック・ホテル
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ホテル・ウッドピア

 渋谷の『ウッドピア』は、ごくごく普通の駅近なホテルだった。

 名前からして鬱蒼とした郊外の林の中や、あるいは屋上や壁面を緑化したような場所を想像したのだが、そんな要素は一つもない。十階建てで鉄筋コンクリートの少し高台に立地させた外観は、いかにもビジネスホテルという空気を醸し出していた。

 エントランスから入ってすぐのロビーは薄暗く、大理石の床に、真紅の絨毯がひかれている。目の前に受付フロント。左側はエントランス側まで奥行きがある、広めの食堂らしく、真ん中にアクアリウムが安置されていた。外へ向かう方にはガラス張りのテラス席がいくつか用意されていて、大通りを一望出来るようになっている。夜になればそこそこ雰囲気は良さそうだ。

 逆に右側には、あまりスペースは取られていない。ちょっとした談話スペースといった具合にローテーブルを挟んだ、一人掛けの革張りソファーチェアが何組か置かれているのみ。

 そこでは丁度ビジネスマンらしき二人が資料を広げながら商談を交わしていた。

 一通り見回した僕は、安堵で胸を撫で下ろす。変に考えすぎだよな。たまたま名前が一致しただけ。そもそも件の行方不明事件だって、何年も前のことではないか。そう考えたら急に馬鹿馬鹿しくなり、僕はそのままチェックインを済ますべく、フロントへと歩きだし……そこに先客がいるのに気がついた。


「此方がルームキーになります。番号は6011でございます。何かございましたら、フロントまで何なりとお申し付け下さい」

「ありがとうございます」


 特徴的な亜麻色の髪。そこにいたのは紛れもなく、さっき電車の中にいた、お人形みたいな女の子だった。

 どうしてこんな所に? と、首を傾げた僕の横を、女の子はすり抜けるようにして通り過ぎる。仄かに香る蜂蜜みたいな甘い匂いを残して、彼女はフロント横のエレベーターへ向かっていく。

 手には年季が入った旅行鞄。それを見た僕は、自分の状況を省みて何となく想像がついた。

 奇妙な縁もあったものだ。


「すいません、予約した滝沢ですけど……」

「ようこそ御越しくださいました。滝沢様……はい、承っております。少々お待ち下さい――此方がルームキーになります。番号は6012です」


 まぁ、だからどうという話でもない。こちとら長旅で疲れ気味だ。詰め込みをやるほど杜撰な受験勉強をしてきたつもりもない。明日に備えてさっさと一休みしようか。そう思いかけたところで、些細な事実に気がついた。


「……あれ、隣?」


 本当に、奇妙な縁である。

 苦笑いもそこそこに、内藤と名札を付けた、少し小太りな燕尾服のホテルマンから鍵を受け取ると、僕もエレベーターの前に向かっていく。さっきの女の子は、まだそこで待っていた。

 ホールにたどり着けば、丁度ランプが点灯し、重々しい音と共にエレベーターが開かれて……。


『……タスケ、テ。……タスケテ』


 か細い、涙ぐんだ声が聞こえてきた。


「……っ」

「……?」


 それは果たして偶然だったのか。僕は声の主を探して左を見て。隣にいた女の子は右を見た。

 交差する視線が、聞き間違いではないことを証明している。だが、エレベーター前ホールには、僕と女の子しかいないのだ。だから僕は女の子がそういう声を発したのだと思ったし、女の子もまた、僕とは逆の思考らしかった。


『……タスケ……テ……タス……ケ……キテ、コッチニ、キテ』


 エレベーターの中だ。そう気づいた。女の子は僕から薄いライトで照された箱の中へと視線を移し、その青紫の目を鋭くする。

 そこからエレベーターに乗り込もうとする行動力は……残念ながら僕にはない。女の子も同じらしかった。

 チン。と、ベルを鳴らしたような音がする。今度は隣のエレベーターが空いたらしい。それを見た僕と女の子は、まるで示し合わせたかのようにそちらへ滑り込んだ。

 ドアが閉まり、エレベーター特有の浮遊感に身体が包まれて。それと同時に、ゾクリとした寒気が背中をなぞり、ふつふつと鳥肌が立つ。

 幽霊にも色々といるもので、先程駅で目撃した漂うだけのものと、人や周りの環境に悪影響を与えるものがいる。実際にはもう少し細かいのだけれども、概ねはそう大別されると言っていい。それを踏まえれば、あそこにいた何かは、間違いなくよろしくないものだった。

 具体的な違いをもう少し詳しく。と言われると返答に困る。今まで僕と同じように霊感を持つ存在と遭遇したことがないので、感じるからとしか言えないのだ。


「……少し、いいかしら?」


 どうにか気を落ち着かせていると、不意に横合いから話し掛けられ、僕は思わず身を強張らせる。

 誰かなど明白で、僕はからくり人形のごとくギギギ……と首をぎこちなく動かした。

 女の子の目が真っ直ぐ此方を向いている。まるで僕の一挙一動を見逃さないと言わんばかりの迫力に僕が若干気圧されていると、彼女は僕の返答も待たずにこう問い掛けた。


「不躾で申し訳ないんだけど、貴方……〝何〟?」


 的を正確に射抜くような、鋭い言葉だった。僕は少しだけ思案する。先行していた考えは、そんな偶然あり得るのか? であったから。

 故に僕は正直に「君と同じ受験生さ」という当たり障りのない返答をする。

 だが、それを聞いた彼女はますます不審なものを見るような顔で、静かに首を横に振った。


「……私、貴方に受験生だと名乗った覚えはないわよ?」

「……言われてみればそうだ」


 間違えたな。なんて思っているうちにエレベーターは六階へ。話の腰がバキバキに折れていくのを感じながら僕らは廊下に出て、鍵の示す番号を確認する。

 誤魔化すな。と、女の子の目が口ほどに語るのを見て、僕は肩を竦めながら旅行鞄を指差した。


「学校指定のサブバックとはとても思えないし、かといって特に指定のない自由な高校なら、制服である意味があまりない。そもそもこんなホテルに一人で泊まるだなんて、時期的に大学受験で遠方から来た高校生かなって当たりをつけたんだ」


 推理でも何でもない、誰にでも分かること。すると彼女はあからさまな渋面を作る。聞きたいことはそれじゃないという顔だった。


「さっき、最初のエレベーターにどうして乗らなかったの?」

「君だって乗らなかったじゃないか。視線を感じて横を見たら君がこっちを見てて、何だか変な空気になった。そうしてるうちに丁度隣のエレベーターが来て、それに乗り込んだ」

「……私が最初に貴方を見たから。みたいな言い方ね。間違いなく同時だったと思うのだけど」


 指先で自分の髪をクルクルと弄りながら、女の子は熟慮(じゅくりょ)するように目を閉じた。

 警戒し、出方を窺うような剣呑な雰囲気が立ち込める。その最中で、僕は女の子の顔に少しだけ迷うような色を見た。多分、聞くべきか否かを踏み出しあぐねているのだろう。内容が突飛かつ、非現実的なものだから。その気持ちは幸か不幸かよく分かる。なので、僕は先手を打つことにした。


「受験で、少し疲れていたのかもね。幻聴を耳にするだなんてさ」

「……幻聴?」

「そ、幻聴。きっとそうだよ。間違いない」


 僕の出す、話はこの辺で止めようという気配を感じ取ったのか、再び目を開いた女の子は、何処と無く落胆したかのように息を吐き。次の瞬間には、硬質な空気をその身に纏う。全ての事柄から興味を失ったかのような乾いた声と表情で、彼女は短く「ごめんなさい」と呟いた。


「そうね。疲れてて、ピリピリしていたみたい。どうかしてたわ。〝貴方は人間なのかしら?〟 だなんてね」

「……それはまた随分と、ぶっ飛んだ質問だね。まるで人間でないものを知っているみたいじゃないか」


 一瞬だけ覗いた彼女の試すような眼差し。それによって抑えていた好奇心が不覚にも刺激されてしまったのは、否定できない。思わず僕が負けじと踏み込めば、女の子は飄々とした嘲笑を浮かべていた。


「ええ、よく知ってるわ。だって何を隠そう、私自身がきっと人間ではないんですもの」


 歌うように彼女が告げた時、僕らは丁度自分の部屋の前に立った所だった。いつの間にかどちらからともなく歩き出していたらしい。ただし、僕自身は部屋に入るタイミングを完全に失っていた。

 心臓の鼓動が、やけに早くなっている。謎めいた言葉に、意識とは裏腹に僕自身の身体が歓喜しているかのようだった。


「……どういう意味? 人間じゃないだって? なら君こそ〝何〟なのさ」


 消え入りそうな声で問う僕を、女の子はもう一度じっと見る。「ま、いいわよね」という小さな呟きが聞こえたかと思うと、彼女は妙に芝居がかった仕草で、人差し指を唇に寄せた。


「私、メリーさん。今――貴方の隣に泊まってるの」


 そう言い残した彼女はドアを開け、滑るように自室へ消えていく。後に残された僕は……ただポカンと立ち尽くすより他になかった。


「今の、メリーさんって……え?」


 〝あの〟メリーさん? 



 ※



 エレベーターが変だっただけで、ホテルの部屋は特に問題はなかった。

 小綺麗なベットに、クローゼット。鏡付きのドレッサー。照明がオレンジ色なので狭く見えるが、間取りは七、八畳といったところだろう。風呂はユニットバス。使い慣れていなかったので最初は戸惑ったが、入り終わってしまえば快適だったと言えよう。〝風呂は命の洗濯〟とは、実に的を射ていると思う。


 時刻は夜の十時。とうの昔に夕食は済ませ、本当に軽く暗記テキストを流し読みしたが、気が滅入りそうで止めておいた。変に足掻くと土坪に嵌まりそうな気がしたのだ。


「……私は人間じゃない。ねぇ」


 部屋の照明を落とし、ベットの上に仰向けに身を横たえたまま、僕は昼間に彼女が口にした言葉を思い出していた。


 都会は少しだけ騒がしい。ホテルの中にいても大通りを行き交う車の音や人々の喧騒は聞こえてくるし、他にもテレビでも聞いたことのある歌声が何処かから流れているらしかった。

 それでも、物思いに耽る妨げにはならないのは、今が夜だからだろうか。


 メリーさん。

 それは、怪談系の有名な都市伝説『メリーさんの電話』に登場する、人形の名前である。

 何らかの事情で捨てられてしまった人形であるメリーが、持ち主の所に電話を掛けてくる。その時の口上こそ、先程女の子が口にした「私、メリーさん。今――、」というフレーズだ。

 基本的にはメリーは今いる場所を逐一報告し、徐々に持ち主のいる場所に迫ってくる。ごみ箱から街角へ。街角から貴方の家の前。そうして最後には後ろに立たれる。そんな内容の怖い話。

 近年では多少コミカルな色を付けられて語られることも多いのだが、今は置いておこう。

 僕が思うこと。それは、彼女が本物か否か――ではない。それに関しては〝答えが出ている〟

 口ぶりや、あの腹の探り合いじみたやりとり。そこから、僕は何となく、彼女の正体を確信していた。

 多分彼女は……〝僕と同じ〟なのだ。


「……なんだろね」


 いやに独り言が多いのは、柄にもなく心が踊っているからかもしれない。どうして受験なんてあるんだろう。そんなことすら思えてしまうくらいに。

 僕があの時、部屋に入りがたかったのは、恐らくもう少し彼女――、メリーと話していたかったからなのかもしれない。

 幽霊。

 怪奇。

 都市伝説。

 超常現象。

 そんなありとあらゆる非日常な存在に、僕は望む望まないに関わらず接触してきた。だが……。

 僕と同じように霊感がある〝人間〟と出逢ったのは、今日が初めてだったのだ。


「あー、ダメだ。ダメダメ」


 鼓舞するように。或いは言い聞かせるように僕は唸る。

 元来の性分から、あのエレベーターを調べたい。なんて思いがふつふつと湧き上がり始めていた。繰り返すが明日は受験。余計なことに首を突っ込むなんて、百害あって一理なしなのに。

 羊を数えようか。そう決意してからは早かった。

 古典的に見えて、これが一番眠れるのだ。幼い頃から繰り返してきたおまじないは、もはや自己催眠の領域にまで到達したと自負している。

 羊が二桁になって暫く経った頃。ようやく身体が分かりやすく眠気を訴え始めた。

 後はなるようになれ。そう思いながら僕は微睡みに落ちていった。


 ※


 実はその時、眠りに落ちる直前まであれほど騒がしかった外が水を打ったかのように静まり返っていたのだが……。この時の僕は気がつく事が出来なかった。

 最も仮に気づいたとしても、どうにもならなかっただろう。

 結論を述べるならば、〝僕ら〟が翌日ホテルから出ることはなかった。

 閉鎖されたホテル『ウッドピア』に、僕らは完全に囚われてしまったのだ。

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