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渡リ烏のオカルト日誌  作者: 黒木京也
第三章 霧手浦の腕無し少女
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エピローグ:電車は巡る

 思いっきり僕の手が狙われていた。いや、そもそも、僕が視ていたものすら、まやかしだったという事実に僕の身は強張り、少しの震えが走る。

 考えれば考える程、あの少女の意図が透けて見えるようだった。

 声を聞きづらくしていたのは、油断させるためか、あわよくば無意識に相手が返事をしてしまうのを待ち構えていただろう。

 だが、メリーの乱入で計画は頓挫。仕方なく、どうやって知ったのかは分からないがあの幽霊は僕の幼馴染みに化けた。そうすれば、僕は間違いなく止まるとわかっていて。

 僕を最初から最後まで視ていた。あの幽霊は、もしかしたら深層にある、僕の恐怖を引っ張り出したのかもしれない。

 だとしたら、あのまま近づいたり、少しでも。そう、例えば、「うん……?」とでも呟いてしまっていたら……。

 

 背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。結構な危機一髪。僕は霊と触れ合えるのだ。そんな腕は、向こうから見たら喉から手が出るくらい欲しかったに違いない。


 状況を把握し、顔をひきつらせていると、メリーは己の手を感慨深げに撫でていた。


「霧手浦。手が霧のように雲散霧消するのか。はたまた霧が斬りに転じるのか。いいえ、もしかしたら霧の向こうにいるのが誰か分からない。黄昏の語源みたいなものだったのかも。どのみち物騒な駅名だななんて思ったけど……まさか本当に手を探す幽霊達に逢うなんてね」

「達? じゃあ、周囲には……」

「ええ、どっちかの腕がない、さっきも言ったけど、グチャグチャになった人間のような霊。それが私達の周りには集まっていたわ」


 手を探す。それは、失った自分の腕の変わりか。はたまた自分の手を引いてくれる存在か。真意は分からないけれど。

 哀しげに去っていく少女の姿が脳裏から離れない。恨めしげに僕の手を見ていた。嫉妬か羨望か。どちらにしろ、増幅した感情はよくないものになる。あのワンピースの少女は、言い方は悪いが、まさしく悪霊だったのだろう。

 どんな手を使ってでも、僕を陥れようとしたのだ。


「……改札が出口じゃないって言ってたよね? あれは何故?」

「え? ああ、あれね。正直、私も最初は出口だと思ったわ。でも……そうね。貴方が立ち止まり、変な動きして、私は冷静になって。そしたら……まぁ、危ない入り口だって気づいたの」


 芽生えた疑問を口にすれば、メリーは肩を竦めながら指を鳴らす。


「ねぇ、辰。思い出して。改札の向こうには何が見えてた? どんな音がしてた?」

「え? ……そりゃあ出口の気配が……」


 ……あれ? 待て。思い出せない。まるで記憶に霧がかかったみたいに。辛うじて覚えているのは、踏切の音と……。


「そう、あの先はきっと踏切と線路。それは確かに出口であり、入り口でもあった。……あの世へのね」

「……罠、だった?」

「間違いなく。多分あそこにいた幽霊達は、直接は手を下せないのね。何らかの間接的な要因がないと、事が起こせないタイプ。口は災いの元やら、ちょっとした行動を悪意にすり替える。そんな感じ」


 霊の探知に長けたメリーならではの推論は、僕の胸にストンと入り込んでくるようだった。あの場で彼女が強い意志を示したのも、下手な行動をしなければ、危害はくわえられない。そう察したからだろう。


「じゃあ、メリーが僕の両手を塞いだのは……追い払うため?」

「賭けに近かったけどね。ついでに出来るか知らないけど、念も飛ばしてやったわ」

「へぇ、どんな?」


 何となくな質問だった。だが、メリーはそれが予想外だったのか、少しだけ目を丸くして、誤魔化すように指を遊ばせている。

 何処か羞恥に耐えるような仕草。それが分からなくて、僕は首をかしげる。


「……メリー?」

「あう……えっと……気になる?」

「え? そりゃあ、まぁ」


 僕がそう言うと、メリーは顔を真っ赤にしたまま、そっと僕の耳元に顔を寄せる。そして……。


「あー、うー……ごめん、やっぱり、ナイショ。他意はなくて、必死だったのよ。だから口に出すには……少し恥ずかしいわ」

「え? あ、うん……わかった」


 彼女がそう言うならば、深く考えるのも、追求するのもよしておこう。僕は救われた身なのだ。


「まだ、お礼言ってなかったね。ありがとうメリー。危うく腕一本持っていかれる所だったよ」

「いいわよ。お互い無事ならよし。……で、本題よ。貴方……本当に大丈夫?」

「え? 何が?」

「……いや、だって辰。貴方――」


 凄い汗だし。震えてるわ。

 そう伝えられた時。僕は初めて、自分の手が酷い状態になっているのに気がついた。


「――っ、あー」


 怖かった……訳ではない。ただ、幼い頃のトラウマだとか、思い出したくもない事を一気に思い出した弊害か。僕の身体はどうにもお手上げ状態だった。

 メリーが心配する訳である。


「……っ、大丈……」

「またヘッドバットしてやりましょうか? 今度は前から」

「いや、本当に……う」


 睨まれた。

 嘘をつくな。誤魔化すな。彼女の目はそう暗に告げていた。

 どうしようか考えて。僕は観念する。

 今回の怪奇が、明らかに僕を狙っていたのは疑いようがない。あそこにいた幽霊達が皆腕を欲していて。その為に僕に精神攻撃を仕掛けた。結果、メリーには多大な迷惑を掛けたのだ。その理由くらいは、彼女も知る権利がある筈だ。


「……ちょっとだけ、昔話をしてもいいかな? 幽霊が視える男の子がやらかした、大失敗」


 僕がそう言えば、メリーはムクリと起き上がり、僕と膝を付き合わせて正座した。静かに頷く彼女。それを見た僕は、ゆっくりと語り始めた。

 といっても大して長い話ではないのだけど。


「幼馴染みがいるんだ。ヨチヨチ歩きの頃から一緒の妹分みたいな子なんだけど」


 実際には彼女の方が数ヵ月年上なのだが、それはいいだろう。

 お姉ちゃんだぞー! 敬えー! と宣うから頭を撫でれば、分かりやすくご機嫌になり。

 僕が行く先にちょこちょことついてきて。

 絵本を読んでいれば、私も! 私も! とくっついてくる。

 そんな感じの可愛い子。家が近所というか、お隣さんだったので、必然的によく遊んでいた。


 そう、僕が霊感に目覚めてからも。


 まず不幸だったのは、僕が何度か、非日常な存在と交流した時、たまたま彼女が傍にはいなかったことだろうか。

 故に僕の中では、そういった存在の善悪なんて当時は見分けられず、皆友達。そんな感覚だった。

 加えて、所謂悪霊と呼ばれるものにも遭遇した事がない。という、本来ならば幸福な事である筈の要素が、当時の僕にとって極端な考えを確固たるものにする、二番目の不幸な要因となってしまった。

 ここでもしも、幽霊の中には危険なものも存在する。そう気づけていたなら、僕は決して間違いなど犯さなかっただろう。

 だが、三番目の不幸――そんな間違いを回避する教訓を学ばないまま、僕は行動を起こしてしまった。


 当時の僕は、大真面目にこう思ったのだ。

 こんな楽しい事を僕だけ独り占めにするのは勿体ない。幼馴染みの綾ちゃんにも教えて上げよう。きっと楽しいに違いない……と。


 僕は、月に二回ほどある、今は亡き祖父母の家へお泊まりに行く日に、幼馴染みも一緒に行こうとお誘いした。

 祖父母の家には骨董品が沢山あって、僕はそこに取り付いている幽霊……否。今にして思えば付喪神という奴か。その子達と友達だった。彼ら彼女らにも、今度は幼馴染みを新しい友達として連れて来る。そう告げていて、彼らも楽しみにしてくれていた。……悪意なき本当の友達であったことが、また仇になるとは思わずに。


 薄暗い奥座敷で、ひっそりと、だが、彼らだけが分かるようどんちゃん騒ぎしている所へ僕が来た。僕は興味を示し、彼らと遊び楽しんだ。だから幼馴染みもまた、騒ぎ飛び回れば一緒に遊んでくれる。皆そう思っていた。

 四番目の不幸。それは、その付喪神達もまた、視える存在と会ったのは、僕が初めてだったこと。だから皆、あの時は大喜びで〝歓迎した〟


 唐笠がステップを踏み。茶釜がカポカポとお湯を沸かし。三味線が奏でて、下駄はそれに合わせてカランコロンと小気味よい音を鳴らす。お面達は飛び回り。お茶碗や杓はピョンピョン跳ね、小さい桐箪笥は引き出しを軋ませた。

 ……因みに彼ら彼女ら。皆それぞれ口や目などがまばらながら付いていて。そんなお遊技場と化した座敷には、人魂が飛び交っていた。

 僕はといえば、それが霊感のない幼馴染みにもちゃんと見えるように霊的な干渉をした。結果……。


 彼女は大泣きした。ヤダヤダヤダと踞り、怖い怖いと叫び続けた。……当たり前である。

 悲鳴は家中に響き渡り、何事かと駆けつけた祖父母や両親が見たのは、気を失った幼馴染みと、オロオロと立ち竦む僕。そして……。座敷中に散らばった、骨董品の数々だったという。


「…………付喪神と友達って辺りが凄いわね。存在は知ってたけど」


 顔をひきつらせながら、メリーがそんな感想を述べる。それに対して僕は曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。


「その後は、盛大に怒られた。当然だね。しかもそれに追加で事情を正直に話したんだけど……信じては貰えなかった」

「真っ正直に話したのね」

「当時は純粋だったんだよ。良くも悪くも」


 今は知らないが。そう心で付け加える。


「続けるよ。目が覚めた幼馴染みは、事を全く覚えていなかった。ただ、あれ以来かな。彼女はホラー全般が、極端にダメになってしまった」

「ある意味で、当然の帰結だったと」

「うん、そうだね。でも、事はそれだけじゃ終わらなかった。その日の夜かな。枕に立たれたって言うべきか。付喪神達がやってきたんだ。僕に……お別れを告げに」


 当時を振り返れば、彼ら彼女らも相当なショックを受けたのだろう。またしても後から知ったことだが、付喪神とは、大事に使われた道具に宿るらしい。人間が大好きだからこそ、拒絶された事が著しく彼らを傷付けた。


 ありがとう。楽しかった。

 告げられた言葉は、これだけだった。

 その翌日。僕は(かまど)にくべられ、燃やされている、彼らが宿っていた骨董品を目の当たりにすることになる。

 祖父母達は、古くなったのをいつまでも取っておくのは可哀想だ。座敷で遊んでて、お前達が怪我するのも忍びない。そう言っていたが、僕は半分も聞こえてはいなかった。

 灰になった燃えカスを握り締め、僕は泣いた。普段あまり泣かない子だったらしいので、皆ビックリしていたらしい。

 それでも幼馴染みが起きてくる前に泣き止んだのは、昨日泣かせてしまった彼女の前では、泣くべきではない。子どもながらにそう思ったからか。

 だが、落ち込んでいるのは伝わったらしく、彼女は首をかしげながら問うてきた。「どうしたの?」……と。



「言える訳がなかったよ。本当の事を言えば、また泣かせるかもしれない。それが怖かった。けど、大人に相談は出来なかった。信じてもらえないって、悟ってしまったから」


 行き場のない思いは、まるで火傷のように疼き続けた。

 その日からだ。僕の中で、霊感がないなら、そういったものに関わるべきではないし、関わらせないべきだ。そんな考えが生まれたのは。特に幼馴染みには、二度と怖い思いはさせたくない。ぐったりして、動かなくなった彼女を見た時、僕は冗談抜きに「綾ちゃんが死んじゃった!」そう勘違いする位には衝撃を受けた。

 だからこそ僕は、自分の体質をもう誰にも話さないと決意したのだ。

 だが、それと同時に芽生えたのが、もう一つの想いだった。以来僕は、目の前の女性に出会うまで、一人で探索を続けていった。全ては……。


「探索には、一杯理由があるんだ。オカルトが好き。好奇心から。どうしてそんな存在があるか解き明かしたい。僕はどうして、こんな体質を得たのか。そして……」

「付喪神達との友情を、否定しないため……かしら?」

「そう、だね。結局僕は、どっちも捨てれなかったんだ」


 あのまま、霊感も何もかも、無かったことにすることも出来ただろう。

 でも、幽霊が視えるのも、それらとの関わりを持とうとしていたのも、紛れもない僕だから。他の誰かが否定しても、僕だけはそれを自ら消すのは嫌だった。それは、彼ら彼女らに感じていた友情をもみ消してしまう事に繋がるようで。それが、寂しかったのだ。

 だって、そうでなければ、他の誰が彼らを覚えていておけるのか。

 あの時の、痛みは、忘れてはならない。そう思ったから、僕は今も関わり続ける。



 話し終えた後、部屋には沈黙が流れていた。

 結局、あの駅で取り乱した辺り、僕の中ではこの出来事はまだ消化しきれていなかったらしい。どうしようかこの空気。

 何て思っていたら、不意にそっと。さっきの駅で僕を守ってくれた時のように、メリーが僕の手を包み込んだ。

 彼女の顔を見る。宝石を思わせる青紫の瞳は、潤んだような。慈しむような、不思議な光を放っていた。


「その体質で酷い目にあって、尚、オカルトを追うのね……」


 私と、同じだわ。


 いつかのホテルでもう一度会えた時のような楽しげな表情でメリーが笑う。

 僕が目をしばたかせる前で、メリーは人差し指を口に当てる。


「じゃあ、私からも秘密の話。捨てられたメリーさんの人形に自分を重ねた、ある女の子のお話よ」


 どうしてメリーがその話をしようと思い立ったのか、僕には分からなかった。

 彼女なりの考えがあり、歩み寄ってくれたのだ。そう思うより他になかった。少なくとも、ホイホイ軽く話していい内容ではなかったのは確かだ。

 お互いのトラウマや、さりげなく思っていた事を引きずり出し合った夜。後に残ったのは結局、今日の怪奇の振り返りだけ。

 その過程で、メリーがふと、提案を持ちかけた。


 正式に、サークルの名前を決めないか。そんな話を。


 後に壮絶な話し合いの末、最後はじゃんけん三回勝負にまでもつれ込むだなんて、想像もしなかったのではあるけれど。

 


 ※


 お腹も空いたし、ガストかサイゼリアにでも行って、残りはそこで検証しよう。そんな形で方針を決めて、僕らは靴を片手に玄関へ向かう。

 こうして、見知らぬ駅へ降り立つ怪異との遭遇は幕を閉じた。

 遭遇して即エスケープなんていう、何とも言えない幕切れではあるが、現実なんてそんなもの。

 どこぞの寺生まれみたいに、「破~!」の一喝で妙な光弾を出し、お化けを撃退できたら苦労はしないのである。


 だから、この話はこれ以上語ることはない。

 そう……たとえ……。



「あら、今電車、止まってるみたいね」

「止まってる? 人身事故でも起きたのかい?」


 僕の問いに、メリーがスマホを片手に小さく頷く。電車の怪異との遭遇の後に事故なんて、ゾッとしないな。何て事を口にすると、メリーは少しだけ物憂げに溜め息をついた。


「運転見合わせ、凄く長引いてるみたい。……私帰れるかしら?」

「長引いてる? 何でまた?」


 首をかしげる僕に、メリーはひょいと、スマホのディスプレイをこちらにかざす。そこに記された事故現場を見た時……僕は今度こそ背筋が凍り付くのを感じた。

 そう。もう語ることはない。たとえどんなに今日出逢った怪異と関係がありそうでも、もう今の僕らは調べる術がないのだから。

 メリーの青紫の瞳が、畏怖を含んで揺らめいた。血色のいい唇が、少しだけ震えている。


「知ってる? 人身事故で運転見合せが異様に長引く時ってね。事故にあった人の〝大きめな断片〟が、見つからない時なんですって。……一体何処が見つからないのかしら?」


 事故現場は、山手線日暮里駅。

 僕らが怪異と遭遇した場所だった。


「……ちょっと、嫌な想像しちゃったわ」


 メリーが呟く。


「あの駅は、腕ばかりだったじゃない? だったら……脚とか、頭とかはあるのかな……。それぞれどの駅が対応してるのかしら? なんて」


 部位事の駅をぐるりと回る。最後には、何も残らない。

 そうして狩る側に回り、そして……。


 結局その日。メリーは帰ることが出来なかった。

 電車がうねる音だけが、夜の街に響く。時折響く汽笛が、無くしたものを探す誰かの悲鳴に聞こえたのは……気のせいだと思いたかった。

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