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渡リ烏のオカルト日誌  作者: 黒木京也
第三章 霧手浦の腕無し少女
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引き込む魔性

 伸びてくる片腕。僕はそれをぼんやりと眺めていた。手を貸す? 何か困り事でもあるのだろうか……?

 そんな風に思ったその刹那、不意に背後からパタパタと慌ただしい足音が聞こえてくる。かと思うと、次の瞬間――。僕は誰かに襟首をむんずと掴まれてた。


「へ……? は……?」

 

 突然の事態に僕は目を白黒させ、背後を振り返る。そこには、顔を強ばらせ、明らかに切羽詰まった雰囲気を隠しもしない、メリーが立っていた。


「あ、メリー! よかった、無事合流でき……」


 言葉は、最後まで続かなかった。安堵の溜め息をつく暇もなく、メリーは僕の手を強く引き、小走りに来た道を戻り始めた。

 あまりの急展開に思考がついていかず、僕は前を見据えたメリーの横顔を見る。彼女の白い肌を、一筋の汗が伝っていた。


「ちょ、どうし……」

「いいから走って! はやく!」

「いや、待って、あの子が……」


 思わず自販機の方に視線を向ける。だが、さっきの腕無し少女の姿はそこになく……。


『ねぇ……どこいくの? ……い。……だい。……貴方の……よ!』


 かわりに、僕らのすぐ後ろから、カシャカシャと何故か金属の擦れるような音を立てながら、件の少女が追走していた。

 霞がかかっているというか、溺れながら言葉を話そうとしているというか。コポコポとした意味をなさぬ言葉が、僕らの足音と一緒にホームを反響する。

 俯かれていた少女が顔を上げて……。咄嗟に僕は、「見てはいけない!」と、直感した。

 虚ろな眼窩の奥に、隠しきれない激情が見えたのだ。見つめれば、引き込まれる。そんな気がした。メリーが走って逃げた理由が、今ならば分かる。これはきっと……よくない存在だ。


『……して。……ねぇ、……いよぉ……』


 すすり泣く声が、耳にこびりつく。直後、「あっ!」という短い悲鳴がして、何かが倒れる音がした。振り返る事は……止めておいた。


「見て、改札よ!」

「……っ、何でホームに直接?」


 そんな疑問を口にするも、深くは考えない。こういう空間に現れた特異なものは、大抵出口の鍵か、その他の二択なのだ。

 意識を集中する。僕でも分かる位に間違いない。あれは、何らかの楔。恐らくは外に繋がっている。


「……きっと出口だ! あの周辺から、そんな気配がする! 多分くぐるかすればいい!」


 僕が声を張り上げると同時に、どこからか、踏切の遮断機が降りる時の、独特の音楽が聞こえてきた。現実に近い場所だからなのか。はたまたこの駅の踏切があるのか。いや、細かいことは二の次だ。今は外に……。


『痛いっ! 痛い痛い痛いっ! 辰、助けて! 辰!』


 その時だ。背後から、〝聞き覚えのある〟悲鳴が聞こえた。

 身体が、無意識に急ブレーキをかけた。「きゃ!」と、メリーがたたらを踏み、お互いの体重が腕にかかる。何とか体勢を立て直し、転ぶことは免れたメリーは、困惑したような視線を此方に向けた。そんな目を向けられている僕はといえば、恐らくではあるが、メリー以上に混乱していた。何故ならば……。


『辰、しん……怖い。こわいよぉ……! やだやだやだぁ……!』


 あどけない、幼女の涙声。それが僕をその場に縫い付けたかのように動けなくしていた。

 その嘆きを覚えている。

 忘れられる訳がないのだ。

〝泣き顔をもう見たくない〟そう願っていた。だってそれは、僕にとってはトラウマにも等しい出来事だったから。


「あ……や……?」


 見るな。と、自分自身に言った筈なのに、僕は振り向いてしまう。

 そこには、泣きじゃくり、〝あの時〟と同じように全てを拒絶するかのごとく踞る、少女の姿。

 記憶の奥底に今もある、幼馴染みの小さな頃の姿があった。


「……なん、で。っ、ダメだ! ここにいちゃ――!」

「ちょ、辰!?」


 駆け寄ろうとする僕の手をメリーが掴む。痛いくらいに力を込められたそれを振り払うべく、僕もまた、彼女の手首を押さえ付けた。


「下がって、メリー! 行かないと……! 僕が――!」

「行くって、何処に? まさか、〝アレ〟のとこ!?」

「アレじゃないっ! 綾だ! 僕の、幼馴染みが!」

「待って。待って! 落ち着きなさい! 何を言って……」

「いいから離してよ! ダメなんだ! 彼女だけは巻き込んじゃいけないんだ!」


 身体がドンドン熱くなる。フラッシュバックするように、当時の情景が次々と想起されていく。

 悲鳴と、動かなくなった彼女。

 困惑する、非日常達。

 父さん達の怒号。

 燃やされる、骨董品達。

 そうして彼女は――。


 僕の全身を泡立つような寒けが包んだ瞬間、僕と幼馴染みの少女の目が合った。


『イヤッ、イヤァアア! ヤダッ! 怖いっ! 怖いよ! 辰! 来て! こっちにきてよぉ!』


 甲高い悲鳴が響き渡る。泣き叫びながら、僕に手を伸ばす幼馴染み。その仕草が、涙が、僕の焦りをひたすらに加速させた。もう、形振りなんて構ってられない。早く傍に行かないと――!


「っ、ごめん、メリー!」

「あっ、きゃ!」


 メリーの手を振り払う。

 そのまま僕は一目散に少女の元へ走る。


『辰……』


 泣きじゃくっていた少女の顔が、片手に隠れた。涙をぬぐうような仕草をし、そして――。



『……チョウダイ?』


 直後、彼女の顔に歪んだ笑みが張り付けられ。同時に、シャコン。という金属が擦れるような音がした。その瞬間、僕の身体は再び背後から何者かに捕まれて……。


「一回……落ち着けって言ってるでしょうがぁ!」


 後頭部から、ガゴンという音が響く。拳で殴られた訳ではない。もっと大きい何かがぶつけられた衝撃と痛みに思考が断裂した。

 背後の力の主は止まらない。そのまま休む暇を与えずに、僕の身体はそれによって後ろに引き倒された。

 尻餅をつく形で、固い床に座らせられる。目を白黒させていたら、今度はバチンと、両頬が叩かれ、気がつけば、目の前にメリーの顔が大写しになる。


「え、あ……?」

「こっちを見なさい」


 すぐに幼馴染みの方へ向けようとする視線が、メリーによって無理矢理矯正される。

 目を逸らそうにも、それを目の前にいる相手が許してはくれなかった。


「メ、リー……」

「……っ、お願い、辰。私を視て。私だけを。他は考えちゃダメ」

「え、あ?」


 意図が分からず、僕が変な声を出す。

 メリーは僕と幼馴染みの間に入る形で、僕に馬乗りになっていた。

 そして、その背後には……。


『…………』


 無言で佇む、幼馴染みの姿が。だが、その姿はさっきまでの幼女のものではなく、成長した姿。かと思えば更に形を変えて、一番最初に見たみすぼらしい少女へなって。また小さな幼馴染みに。断続的かつ不安定な姿の変動は、壊れた映写機を思わせて。

 そこで僕は初めて、記憶にある幼馴染みの姿にすら片腕がないことに気がついた。


『……だい。……ねぇ……。……貴方の……、……に、ち……い』


 メリーではなく、僕に何かを話そうとしているのだけはわかった。背後の改札機の先は、やけにざわついていて、ただでさえ聞き取りにくかった声が更に酷いことになっていた。

 少女が近づいてくる。ヒタ……ヒタ……。と、一歩ごとに周りの空気が下がっていくような錯覚を感じていた。

「もう少しはっきりと」何を思ったか、僕の頭にそんな言葉が浮かぶ。対話が通じない訳ではないのだ。なら、話を……。

 それは、後から考えれば考える程に、完全に泣き叫んだ幼馴染みの姿に囚われていて。正常な判断力を失っていたと言えよう。

 その時だ。不意に身体に軽い衝撃が走った。


「……は? ちょ、メリー?」


 思わず困惑した声が漏れる。メリーが突然僕の胸元に身体を密着させ、僕の両手を、ぎゅっと握りしめたのである。

 謎めいた行動に、意図を問おうとするが、当のメリーはそのまま少女をじっと睨み付け、動かない。

 十分。二十分にも思える無言の対峙。

 やがて、再び先に動いたのは少女の方だった。

 何処と無く苦々しげな表情で踵を返し、腕無しの少女は、暗闇へ。地下鉄のホームの奥へと消えていった。


「…………かな? ……の、……」


 キョロキョロと辺りを見渡しながら歩む少女の呟き。これだけ離れても、僕の耳にはそれがこびりついて離れなかった。

 繋いだ両手の感触を確かめながら、メリーを見る。彼女は少女が完全に消えるまで、険しい表情を崩さなかった。


「ここ、まるで詐欺師の巣窟ね。……後ろの改札は、出口じゃないし」


 呟くように、メリーが言う。え? と、僕が目を丸くすれば、ホームの暗がりの至るところからざわめきが起きる。メリーは僕の手を握ったまま、ぐるりと周囲を睨み付け、低い声で言い放った。


「さっさと出してくれるかしら? 〝貴方達〟にあげられるのも。貸せるのも。私達は何一つないのよ」


 ギリリ。という、歯軋りや、憎々しげな舌打ちが周囲から響く。ゾワゾワとした嫌な感じが今更ながら身体を這い回り始めた。


 いつからだ? いつから囲まれて……。

 僕が戦慄するその前で、メリーはイライラしたように叫んだ。


「あげないわよ! 絶対にダメ! 何度も言わせないで!」


 それが合図だった。周りの気配がビクンとおののいたかと思えば、急速に遠退いていく。

 そのまま周りの電気が一つ。また一つと明るい光を放ち始め、視界一杯を白く包み込んで……。


『いいじゃない。一つくらい』


 再び、僕の胸の内を抉る涙声が、そんな悪態を紡いでいた。



 ※



 不思議な存在との遭遇は、唐突に始まり、唐突に終わる。

 今回もそうだったらしい。甘いハチミツのような香りと、柔らかな感触に包まれて目を開けると、薄水色のシルクのような生地が目の前にあり……。そういえば今日のメリーも似たような色のブラウスを来ていた気がする。身体も、ほどよい固さなものの上に横たえているらしい。……ベットの上だろうか?


「おはよ」

「……んぁ?」


 頭のすぐ上から、聞き慣れた声がする。後頭部に誰かの手が添えられていて、そこで僕は初めて、誰かに抱かれたまま眠っていた事に気づく。

 ……まずは深呼吸。あ、メリーの匂いだ。……違う、そうじゃない。現実逃避している場合ではない。


「……何かホントに……迷惑かけて、ごめん」

「私もさっき起きたとこなのよね。だから私が引き寄せたのか、貴方が私にダイブしたのか。その辺は謎よ」


 まず魅惑の谷間から顔を脱出させ、いそいそと距離を取りながら、第一に謝罪する。被害者メリーは横になったまま、そっぽを向き、綺麗な亜麻色の髪を指でクルクル弄んでいる。心なしか頬に赤みがさしていた。色白だから余計に目立ち、何だか僕もくすぐったい。けど、直後、先程見知らぬ駅で見た光景を思い出し、急速に気が沈んでいく。

 アレを見た時、本当に頭が真っ白になってしまったのが、僕はその場で泣きたくなるくらいにやりきれなかった。


「……貴方があんなに取り乱すとは思わなかった。いつも飄々としてるし」

「……うん。自分でも穴があったら入りたい。逆に、僕も驚いた。あんなに激しい君は初めて見た」

「そう、ね。柄にもなく焦ってたって言ったら、信じる?」


 だって、本当に危ないと思ったから。

 メリーは身体を横たえ動かぬまま、そう呟いた。

 僕は相変わらず、その傍らで正座をしていた。


「……気がついたらここにいたわね」

「よくある話だよね。変なのに巻き込まれて、気がついたら部屋にいる。電車にいる。原っぱで倒れてた」

「成る程。じゃあ、あの女の子。あるいは周りにいた幽霊達もかしら? ある意味分岐点であり、あの存在しない駅の主だった……。と」

「その可能性が高い。後で一応調べてみよう。多分『霧手浦』なんて駅は無いだろうさ」


 百パーセント、ね。と言う僕に、メリーは同調するように頷いて。すぐに確認するように自分の手を眺めた。


「いつかのホテルみたいに、夢……ではないわよね?」

「僕ら大学行って、山手線乗ったじゃないか。眠り続けたにしても、それはありえない。だって……」


 ぐるりと周囲を見渡す。見慣れた天井。覚えのある家具。


「ここ、僕の部屋だもん。夢だったなら僕は昨夜から、招いた覚えのない君と、ベッドで惰眠を貪っていた事になる」

「なにそれ怖い。洒落にならないわ」


 僕の方が怖い。知らぬまに友達を招いて熟睡なんて、怪奇を通り越して軽いホラーだ。

 そんな事を考えていると、メリーは物珍しいのか、キョロキョロと辺りを見回していた。


「……何気に初めてな辰の部屋だけど、まさかこんな形で乗り込むとはね。……って、うわ、ごめんなさい。しかも土足だわ」

「あ、僕もだ。気づかなかったな」


 互いに靴を脱ぎ、苦笑い。本当に身一つで飛ばされたのかは分からないけど、今日もまた、不思議な体験だった。そんな感想を抱いていたら、不意にメリーが、チョンチョン。と、僕を指でつついてきて。


「……ねぇ、大丈夫? 身体、何ともない?」


 そんな事を聞いてきた。心の奥がギシリと軋むが、それには蓋をして、わざとらしく首をかしげると、メリーは静かにため息をついて。「大丈夫じゃあなさそうね。あと、案の定、貴方には聞こえてなかくて、視えてなかったみたい」そう呟いて。


「ちょうだい。そっちの手を。私にちょうだい」


 指を指すのは僕の左腕。妖しく淫靡な光をもって、メリーの目が細められる。

 思わず沈黙する僕。それを見たメリーは、力なく微笑むと、ちょんちょん。と、己のスカートを指差した。


「女の子のポケット。何かが入っていたわ。鋏かナイフか。それとも他の何かかしらね? 金属音がしてたし」

「……今の、あの子が言ってた事?」


 白いワンピースの姿を変える腕無しの少女を思いだしながら、僕が問う。するとメリーは神妙な顔で頷く事で肯定した。


「消えていく最後に呟いていたわ。『どこにあるのかな? 私の、手……』って。本当に聞こえなかったの? 私には、貴方の手を狙うあの子達の声が、一字一句、はっきり聞こえていたわ。というか……」


 メリーは遠慮がちに深呼吸して。


「幼馴染みって、言ってたわよね? 本当に? 私からは、貴方が辛うじて人間の形を保った、グチャグチャな女の子に手を伸ばしているようにしか見えなかったんだけど……」


 その告白は、僕の血の気を引かせるには充分すぎた。

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