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渡リ烏のオカルト日誌  作者: 黒木京也
第二章 D校舎の秘密
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裏エピローグ: 彼方より

「いあ! いあ! はすたーぁ! いあ! いあ! はすたぁ!」


 それは、かのD校舎の秘密を引きずり出してから、数日経った日のことだ。

 アルバイト先である古書店に顔を出し、入り口から本棚だらけの店内を奥へ進んでいくと、そこの女店主さんが、謎の呪文を唱えながら、閑古鳥が鳴く店内を躍り狂っていた。

 あまりの惨状に僕はしばし言葉を失い、薄暗い店の天井を見上げる。現実逃避もそこそこに、深呼吸。意を決して前を向けば、店主が踊っている以外はいつものバイト先だった。

 彼女がいつも座しているカウンターには、本人が嗜む長煙管と灰皿が定位置にあり、今日はそれに加えて栓が抜かれたボトルと愛用のロックグラスが置かれていた。グラスの中にはに丸く砕いた溶けかけの氷塊だけが残されている。氷の具合から一杯だけ飲んだようだ。

 昼間なのに出来上がっている……。訳ではないだろう。彼女はお酒にはめっぽう強い。ザルを通り越して網を取っ払った、ただの枠なのである。


「……何してるんですか、深雪さん」

「あ。辰ちゃん、いらっしゃあい。待ってましたよ」


 振り向いた彼女の口元だけが綻んだ。一本だけカチューシャのように編み込みが入った、腰まで届こうかという綺麗な黒髪は、目元を覆い隠し、表情をしっかりと伺うことは難しい。ゆったりした服装と、紺色のストールという出で立ちに加えて、今は酒でほんのりと紅潮しているが、普段は血管が透けて見えそうなくらいの白い肌。儚げな若奥様か、深窓の令嬢然とした雰囲気だ。……あくまで見た目はだが。


 古書店『暗夜(あんや)空洞(くうどう)』の店長、黒部(くろべ)深雪(みゆき)。年齢不詳。独身。僕のバイト先での上司さんだ。


 因みに暗夜空洞は、古本屋がメインではあるけれど、他に骨董品屋や質屋など、色々な業務を兼用している。深雪さん曰く、知る存在こそ知る店の裏の顔。という奴らしい。

 僕の呆れたような視線に気づいた深雪さんは、少しだけ照れくさそうに頬を書きながら、そっと手にしていた文庫本を僕に見せる。タイトルは『ラブクラフト全集』その第三巻だった。

 酷いタイミングもあったものである。


「辰ちゃんもやる? 一人クトゥルフ神話ごっこ」

「やりませんよ。タイムリーすぎて笑えないです」

「あら、それは残念」


 深雪さんはそう呟くなり、僕に棚の掃除と、一部の商品を倉庫にしまう作業を命じて、そのままわざとらしい千鳥足でカウンターに戻る。お気に入りのロッキングチェアに腰掛けて、ギシリ。ギシリと揺られながら彼女はカウンターに放置していたボトルを傾け、ロックグラスに注ぎ入れた。それを尻目に僕は店の隅にある掃除用具入れから羽箒を引っ張りだし、まるで迷宮のような本棚を手早く掃いていく。三列目。カウンター前に辿り着くと、深雪さんはまだお酒を飲んでいた。

 何の気なしに、ボトルのラベルを見る。記されていたのは『MEAD』中道先生が飲んでいたものと同じ。偶然と片付けるには、出来すぎだった。


「……辰ちゃん?」


 思わず羽箒を取り落とした僕を、深雪さんは訝しげな顔で眺める。何でもないです。そう言うのは簡単だが、僕は暫く考えて、そのお酒、クトゥルフに関係あるんですか。とだけ聞いてみた。

 すると途端に、深雪さんははニタリ。と、不気味な笑みを浮かべた。カーテンのような前髪の間から、エメラルドを思わせる深緑色の瞳が覗いている。


「ええ。酒蔵から今朝引っ張り出したんです。あーんな不思議な事件が起きたら、尚更ね」

「不思議な事件?」

「辰ちゃん知らない? こっから遠い。遠い田舎の話だけどね。白鯨小学校って所の旧校舎から立て続けに白骨死体が発見されて、更にそこの教員が変死。ニュースじゃ話題持ちきりですよ?」

「……ああ」


 知ってるもなにも、それはまさに僕とメリーが関わった案件だった。


「しかもね。その死に方が、その筋にいる好事家には生唾ものでね。黒いタールが部屋中を汚してたとか、蜂蜜酒が部屋にはあったとか……ネットの隠れた雑談サイトでは、ショゴスが出たんじゃないか。いや、なら何で蜂蜜酒だよって大騒ぎよ。これで〝石笛〟でもあれば完璧だったんですけどねぇ」

「石、笛」


 そんな騒ぎになっているのか。そう思いながら聞き流そうとした矢先に、その言葉が針のように僕を刺す。最後まで、中道先生が肌から離さなかったもの。それがどんな関係があるというのか。

 僕の反応を見て取ったのだろう。深雪さんはおもむろにロックグラスを脇にどけ、長煙管を手に持った。


「……白鯨小学校って、確か辰ちゃんの出身県ですよね? あれれ~? そういえばさっき、タイムリーすぎて笑えない。とか言ってましたね~?」

「……っ」

「アルバイト代、弾みますよ?」

「いつも通り、僕らが話していただとか、関わったというのは、内密に」

「まいどあり。情報オープンにしてくれたら、もっとサービスしますのに」

 まぁ、私は話を聞けるだけで満足ですけど。そう言いながら、深雪さんは煙管に火を点けた。ここ本屋なのに。と言うのは、もう諦めている。


 そのまま僕は、簡単に事の流れやら事情を話す。


 彼女は、ある理由から僕やメリーの事を〝ある程度〟知っている存在なので問題はない。

 ファーストコンタクトはゴールデンウィーク。

 メリーとサークル活動中にここに迷い込み、あるゴタゴタに巻き込まれたのが縁の始まり。以来僕はここに近づけないメリーの分も含めた、とある負債の為、度々ここで労働力になっている。

 詳しい話は、今は関係ないので割愛しよう。

 今回の事件の全てを話終えた後、深雪さんはしばらく口元に手を当てたまま、やがてまたニタリ。と、いつもの不気味な笑みを浮かべ、そっと前髪を弄る。


「おやおや。本当にそんなのと遭遇してたのね。辰ちゃん、私みたいな存在とまで交流持っちゃうから、まさかとは思ってたけど。貴方達やっぱり引き寄せる素質でもあるのかしらね?」

「……それは少しだけ思います。でも、今はそういうのじゃ」

「はいはい。蜂蜜酒と、石笛ですね。辰ちゃん、クトゥルフはそこまで明るくないかしら?」

「一部かかわる書物の名前を知ってるだけ。かじる程度すらおこがましいかも」

「了解。じゃあ、諸々の背景は自分で調べて? そっちの方が辰ちゃんも楽しいでしょうし」


 ハマると深いわよー。と、深雪さんは笑いながら、紫煙を燻らせ、椅子を揺らした。


「ざっくり言いましょうか。多分先生は、貴方と会った後……逃げようとしたのよ。警察に自首とかもウソっぱち。だって考えてみて。旧校舎が取り壊されるのと、自分の罪を告白するのは全く関係がないじゃないですか。彼は単に、貴方にあの地から去って欲しかった。貴方が真実に辿り着いたかどうか。それを知り、尚更決意は固まったのでしょうね。旧校舎が壊されて、ショゴスが完全に解き放たれる前に彼は……」


 クルリと煙管を回すようにして、灰皿に灰を落とし、深雪さんはその名を告げた。


「〝バイアクヘー〟を召喚し、ショゴスの手が届かない、遥か彼方へ逃げようとしたのかもしれません」

「バイ……何です?」

「バイアクヘー。うーん、専門用語ばかり並べちゃうと困るだろうから、後でじっくり調べてくださいな。確かうちの本棚にもクトゥルフは一杯あるから」


 苦笑するように肩を竦めながら深雪さんは再び煙管に口をつける。


「バイアクヘーは、クトゥルフ神話に登場する、邪神に仕えているとされる生き物でね。数あるクトゥルフの生物の中でも、比較的召喚が簡単だと言われてるの」


 色々細かいとこを省けば、蜂蜜酒をクイッと飲んで、呪文を唱えて石笛を吹く。これだけです。と付け加えながら、深雪さんは隣のボトルを指で弄る。

 僕はというと、背中を冷や汗で濡らしながら、上司を見ることしか出来なかった。


「まさかさっきのって……」

「あ、大丈夫。触りだけだし、あと石笛ないですし。……話を戻しましょうか。このバイアクヘーという怪物は人語を理解し、召喚した相手の魂を預かって、遠くへ飛んで行けるとされているんです」

「……魂を?」


 いまいち想像しがたいという顔をした僕に、深雪さんはクスクスと笑いながら、「これは人によって解釈が別れますが……」そう言いながら彼女はまた一冊、文庫本を取り出す。やたら長いタイトルのライトノベル。異世界でから始まり、やっていることをそのままタイトルにした、ある意味でシンプルかつインパクトあるものだった。

 小説のジャンルで、所謂異世界転生もの。近年人気があるそのジャンルは文字通り、別世界に転生し、一から人生をやり直すという内容だ。


「私は個人的に、こういった事に近いことをしてくれるのではないか。そう考えています。まぁ、十中八九まともな場所には連れていかれないでしょうけど」

「……異世界に?」

「ええ。あるいは、平行世界に。劣等感や、罪。自身の空虚さを捨て去って、新しいキラキラした自分になる。もしかしたら中道先生も、そんな事を期待したのかもね――精神崩壊した状態で」


 メリーの推論を採用し、深雪さんは嘲笑を浮かべた。

 あり得ない。僕がそう思いかけていた矢先の否定に、深雪さんは然りというように頷いた。


「そもそも、クトゥルフの生物を希望にすがる時点で狂ってるんですよ。普通に考えれば、クトゥルフで簡単に召喚できるだなんて、その時点で地雷なのがわかりきっている」

「……でも結局、召喚は成功しなかった」


 先生は、ショゴスの餌食になったのだ。これが仮に成功していたなら、一体どうなって……。


「さぁ、それはわかりませんよ?」

「……え?」


 胃に重石を入れられたかのような、嫌な予感がする。僕が恐る恐る深雪さんを見ると、彼女は笑っていた。


「言ったでしょう? 魂を預かるって。肉体はどうなるのやら」

「……どうなるって」


 どうなるんだ?


 僕がそう頭に思い浮かべた時、不意にポケットのスマホが鳴動した。

 トークアプリの通知。相手はメリーだった。


『バイトお疲れ様。ニュース、見て』


 シンプルにそれだけ。僕は逸る気持ちを抑えて、深雪さんに許可を取り、カウンター横にさりげなく置いてある、小さめな古テレビを点けた。

 丁度報道されていたのは、件の事件の進展で……。


「……そんな」


 小さな嘆きの声が漏れる。

 ニュースの内容は、中道先生の遺体が、安置所から忽然と姿を消したというものだった。


 ※


 結局、この事件は最後の最後まで謎のまま幕を下ろすことになる。

 中道先生はショゴスに殺されたのか。バイアクヘーに魂を抜き取られたのか。はたまた、その両方に挟まれる形で責め苦を受けたのか。大穴で異界へ辿り着けたのか。因みにメリーはやっぱり容赦なく、三番目の予想を推していた。


 全ては闇の中。神ならぬ、邪神のみぞ知る結末で、これ以上は僕から語るべきものは何もない。


 だから最後に。後から調べた事をここに記して、今回の怪奇譚の締めとすることにしよう。


 バイアクヘーは魂を預かる。その際に肉体も一応保管はしてはくれるらしい。

 それが再び動き出す日が来るかは、甚だ疑問だが。何故ならば、その肉体が保管される場所は――『無名都市』

 地図には載らぬ、砂漠のどこかにあるとされる、クトゥルフ神話に出てくる架空の土地。

 つまるところ、中道先生はあの形容しがたい邪悪な者共と関わった時点で……尽く詰みだったのだ。

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