夢の欠片 其の一
「僕……何かやらかしたかな?」
深夜の一時頃……ベッドの上でのこと。メリーがちょっと……ねちっこかった。
例えば肩とか鎖骨、手などに歯形を残す。服を着た時にギリギリ見えない位置にキスマークを付ける。いつものニ割増しで積極的になる……他色々。
不満はあるが理由が理不尽だから言いたくない。辺りが正解な気がする。僕が悪いなら相棒は遠慮なく言ってくる筈だし、悪くなくても彼女本人が嫌だと感じていたなら、やっぱり言葉にしてくれるのがメリーだ。にもかかわらずこういった露骨な手段に訴えてくるのは、つまりそういうこと。
恋人として交際を始める前に本人も自己申告していたのだが、思いの外メリーはヤキモチ焼きだったりする。
故に嫉妬だとか、口にしたくないモヤモヤを抱えている時の彼女は……情熱的なのはいつも通りだが、ちょっと湿度が高くなるというべきか。結構ネチネチしているのだ。
因みにこれを本人に言ったら、「ブーメランって知ってるかしら?」だとか「絶対に貴方の方がエロいし、ねちっこいから」なんて意見を賜った。どっちもどっちだったのかもしれない。
兎に角。そんなねばねばした彼女も確かに最高であるのだが、だからといってそのまま放置はよろしくない。なので事が終わってのんびりしている最中に、僕は彼女にそう聞いてみたのだ。
「…………別に。貴方は特に何もしてないわ」
僕の胸板に頬を寄せ、半身に抱きつく形でくつろいでいるメリーは、とても含みのある声でそう言った。
うん、何かあるんだね。それだけはわかった。でも理由がさっぱり思い浮かばない。
なので今日一日を簡単に振り返ってみる。
今日は大学の学園祭だった。メリーとのんびり楽しんで回り、学内で何故か作られていたビアガーデンで乾杯し、美味しいものを沢山頂き、大満足して帰ってきた筈だった。……他にあったことと言えば……。
「……もしかして、野村さん……だっけ? 彼女のことを気にしてるの?」
「あ、それはないわ。全然ない」
「うん、自分で聞いといてアレだけど、それはないと思ってたよ」
いつものように二人で行動していたのだが、一応誰とも関わらなかった訳ではない。大学内の友人に会えば挨拶だってしていたし、知り合いがお店を出しているなら、そこに顔を出すくらいはしていた。
ただ、彼女、野村道子さんだけは、ちょっと予想外というべきか、手を焼いたというべきか……。
「高校の頃の同級生さんなんでしょ?」
「名乗られてもしばらく思い出せなかったのは、正直悪かったと思ってるよ」
「でも貴方、本当はちゃんと思い出してなかったわよね?」
「……当たり」
突然辰くんと声をかけられたから振り向いたら、知らない女性がいて。高校時代の同級生を名乗ってきたのだが、僕は結局最後まで彼女を思い出すことはなかったのである。
ただ、高校の名前は間違いなく通っていた所なので、同級生ではあったのだろう。僕の経歴を調べていたストーカー……ではない筈だ。
そんな彼女はいきなり僕の手を引き、一緒に回りましょうと強引に連れ出そうとしてきた。すぐ隣にメリーがいるのに。
ある意味でこれが一番恐ろしかった。メリーから発せられた無言の圧だとか、周りからくる好奇の視線だとかがとても痛かったのを覚えている。
だが、元より僕だってホイホイついていく気はない。丁重にお断りしたのだが……。その後の彼女がまた凄かった。
『ごめんなさい、辰くんは……私の初恋だったから、また会えて嬉しくて……もうすぐ私、死ぬの。だから最後に思い出が欲しくて……』
もうどこから突っ込めばいいのか分からなかった。ある意味でホラーな存在がそこにいた。
ここで色々な質問を彼女にすると、よりドツボにハマりそうだったので、僕は「そうですか。ご自愛くださいね」とだけ言い残し、メリーを連れてそそくさとその場を離れたのだ。
……他にどうしろと言うのだろうか。適切な対応が出来る人がいたならぜひ代わってほしかった。
「逆ナンパにしても、もう少し誘い方ってものがあると思うんだ」
「もうすぐ死ぬ人間が、何故通ってもいない大学の学園祭にいるの? って話になるものね。多分ヤケクソだったのよ。あるいはナンパをつかさどる妖怪か何かだったに違いないわ」
「いや、どんな妖怪だよ」
嫌な形で思い出にはなったのは確かだ。インパクトも凄かった。だが、こうして振り返ってみても感じるが、この出来事に対してメリーがモヤモヤする要素はあまりないだろう。
メリーと野村さんを比べても僕からしたら100対0でメリーの勝ち。彼女だってそれはわかっているだろうに。
「……え、待ってくれ。なら尚更に君がモヤモヤしてる原因がわからないんだけど」
「……何で私がモヤモヤしてるのが確定してるのよ」
「してないの?」
「……してないと言えなくもない、かもしれないわ」
いつも以上に遠回しな言い方だが、取り敢えず引っかかる程度のなにかはあるのだろう。だが悲しいかな。僕はそれがまるで分からなかった。
「……“初恋に勝って人生に失敗するのはよくある例で、初恋は破れるほうがいいという説もある”らしいわね。私はまさにこの言葉の通りだったけど」
「……三島由紀夫、『熱血冷血』かな。確か君の場合は……学校の先生だっけ?」
「カッコいいなって思ったけど、本当に思っただけだったわ。ある意味で初恋をこうして潰してくれて感謝すべきかもしれないわね」
「初恋を呪いか何かみたいに言うのやめなよ。……ちょっと真理をついてる気もするけど」
あまりいい思い出ではないみたいだから詳しく聞いたことはない。断片的な情報だと、当時髪の色とかでイジメられていたメリーを助けると言ってくれたのに、結局見て見ぬふりをした酷い教師だったとか。
結果、メリーは恋に……もとい他人に期待をするのを辞めたらしい。彼女いわく灰色の青春とやらは、そこから始まったのだとか。
「……ん? 初恋?」
「………っ」
がぶりと、僕の胸に歯が立てられる。あまり痛みはない、照れとか色んな感情が入り混じった甘噛みは、僕のひらめきを確信に変えるのには充分すぎた。
「……えっと。勘違いだったら恥ずかしいんだけど、もしかして僕の初恋が気になってたり?」
「……貴方のような勘のいい彼氏はムカつくわ」
「鋼の錬金術師かな? うん、嫌いだよ。とは言えない彼女に僕はメロメロだ」
「……男の人の乳首って、二つあるし。別に噛みちぎっても構わないかしら?」
「お、落ち着け相棒。話せばわかるはずだ」
こんな態度にいじらしさとか愛しさを感じる辺り、僕も大概べた惚れなのだろう。そういえば、かれこれメリーとは相棒として三年目の付き合いではあるが、詳しく話したことはなかった気がする。
「幽霊のお姉さんだったってのは聞いていたのよね。でも細かいエピソードまでは知らないなって思って」
「そうだ思い出した。受験のお疲れ様会で、ファミレスに行った時だったよね。渋谷のホテル事件の後に……」
色んな話をした筈だが、僕の初恋が幽霊だった話に合わせて、メリーの苦い初恋物語が出かけて……何か微妙な空気になり、あの時はそれ以上掘り下げるのを止めたのだ。
「当時は良くも悪くも、貴方は私の観察対象だったから……初恋とか聞いても大して惹かれなかったのよね」
「……アレは僕も話題の振り方を間違えてたかもしれない」
「恋と聞いて、私も無意識に身を硬くしていたんでしょうね。貴方が空気を読んでくれてよかったわ」
当時を思い出してお互いに笑い合う。互いに性格に難ありだったお陰で滲み出した距離感が今は懐かしかった。
「それで? どんな感じだったの?」
「ん〜? 何が?」
「……イジワルしないで」
側面から抱きついていたメリーが僕にのしかかるようにして覆いかぶさってくる。柔らかな唇が僕の耳に寄せられて、はむはむと可愛らしく弄くり回された。
「教えて? ……ね? いいでしょう?」
「わかった。わかったから、そんなに誘惑しないでくれよ」
甘い囁やきに加えて舌まで入ってきたので、僕はたまらず白旗を上げる。まだ互いに熱が残っている状態でのこれは少々心臓に悪い。
どうにか引き剥がせば、メリーは勝ち誇ったような微笑みを浮かべていた。取り敢えず後で報復しよう。
「嫉妬深い君にとっては、面白い話じゃないかもしれないよ?」
「でも気になるものは気になるのよ。貴方が。ア・ナ・タ・が! ……明確に恋してただなんて、ちょっとした大事件じゃない」
「僕を何だと思ってるのさ」
「……問題です。恋した貴方は難攻不落。片想い中の私は心の中で、何回貴方を蹴り飛ばしたでしょうか?」
「なんかごめん」
でも嘘偽りなく宣言するなら、僕にとってメリーは昔からは特別だった。それはそれで大事件なのではあるが……言うのはまた別の機会にしようと思う。
メリーは既に聞く体制に入っていて、宝石みたいな青紫色の瞳が好奇心で輝いていた。
そこでふと、“あの人”の瞳もまた、綺麗なスミレ色だったことを思い出す。
『エリザベス・テイラーとお揃いなんだよ!』
あの人はそう言って胸を張っていたのを覚えている。当時の僕は女優さんなんて知らなかったので、ただ首を傾げるばかりだった。
懐かしくて。甘くて苦い記憶だ。
「“初恋とは少しばかりの愚かさと、あり余る好奇心のことだ”……当時の僕に関しては、逆だったけどね」
「ジョージ・バーナード・ショーかしら? 逆ってことは……」
「少しの好奇心が先にきて、溢れんばかりに愚かだったんだ。幼かったからって言い訳は出来るけど……今にして思うと結構危なかった」
何てことのないエピソードだ。自分の霊能者としての力を今ほど理解していなかったばかりか、ちょっと失敗もしてしまった直後の出来事。
長い間一人ぼっちでさ迷っていた少女の霊と、僕は故郷の図書館で邂逅した。
今から語るのは、僕が初恋を体験し……そして、人間を止めようとした時のお話だ。