プロローグ 〜夢で忍び寄るもの〜
とてもとても昔の話をしよう
当時の〝私〟は、病に倒れた村娘の元に身を寄せていた。僕らは互いに支え合い、ささやかながらも幸せに過ごしていて……。
いいや、事実をねじ曲げるのはよしておこう。
彼女は確かに優しかったが、幸せだったのは私の方だけだった。
私は古くより存在する怪奇の一角だ。
だから当時も怪奇らしく、その娘に取り憑いて過ごしていた。他の村人が病と思っていたのは、実のところ私が原因だったのである。……彼女は最期までそれに気づくことはなく。私も真実を語りはしなかったけれど。
離れたくなかったのだ。
彼女の傍は居心地がよくて、ご飯も美味しくて。何よりも人並外れて美しく可憐な彼女の容姿は、醜い怪奇や無骨な人間としか関わりがなかった私にとって、この上なく新鮮だったのである。
故に私はその村娘に肩入れし、いつしか彼女への憧れを抱くようになっていた。……それが悲劇に繋がるなんて思いもせずに。
誓ってもいいが、傷付けるつもりはなかったのだ。私はただ彼女の周りを漂って。時々〝つまみ喰い〟する程度で満足であり、幸せだったのだから。
多少身体は弱くなっても命にまではかかわらないだろう。そう、勝手に思っていた。
けれども、その時は知るよしもなかったが、怪奇である私と人間である彼女では、魂の強度や形のあり方が違いすぎた。
今世の言葉でいう霊感や霊力。つまり私を受け止め、認識する力が、彼女には致命的に不足していたのである。
そのような相手に私のような存在が無理矢理近づいたらどうなるか。結果はすぐにもたらされた。彼女は醒めない眠りに堕ちてしまい、最終的に〝奴ら〟が乗り込んできた。
私は彼女を誑かした怪奇として退治され、悲劇は幕を引かれる……その筈だった。
今にして思えば、それが最善の結末だった。だがどんな運命の悪戯か。彼女は救われたが、私もまた生き延びてしまった。というか、生き延びる理由が出来てしまった。その代償として私は災厄と呼ぶべき存在に目をつけられることになる。
『……シ…………ル』
そんな地獄へ叩き落とされてから幾星霜。いつしか胸の奥底へ抱くようになった呪詛がある。
始まりは千年以上前。私はずっと〝奴〟から逃げ続けてきた。
ある時は武家の御曹司に。またある時は山奥の僧侶。江戸の豪商。狼に喩えられた男達。ギターを手にした夢追い人。果てはただの獣にまで身を潜ませて逃げ続けた。
『……シテ……ヤル』
全ては贖罪……いいや。意地だった。この身は怪奇ではあるが、その姿は彼女そのものだった。今もなお消えない憧れと言えば少々大げさだが、どのみち僕はもうこの身を変化させることは望まない。傷付けるなどもっての外だ。だというのに、奴は僕をつけ狙い続けた。あまつさえ、あの下衆はこの身を……。
許すわけにはいかない。故に私はただ時を待っていた。
待ち望んでいた『 』は手に入った。奴もまた、私を見つけた。後は……〝奴〟を彼処に引きずりこむだけだ。そうしたら、私は今度こそ奴を――。
※
夢の中だ。
そう察したのは、僕が夜空を浮遊していたからだった。
『怖い話をしよう。面白い話でもいいよ? そういうの君は大好きだし、いっぱい体験してきたでしょう?』
そんな囁きが僕の耳をくすぐった。聞いたことが無い筈なのに、何故だか懐かしい。そんな印象を抱く声。
男性か、女性か。子どもか大人か。人か怪異か。
判断しにくい曖昧なもの。
けどなんとなく、その人? は僕の真後ろを漂っているのだけはわかった。
『さぁ、どれにする?』
君の初恋のお話。図書館にいた幽霊のお姉さんと交わした、一夏のアヴァンチュールか。
君の冒険譚の一つ。口裂け女の子どもと体験した、夜のオムニバスか。
君と相棒の活躍劇。雪深い地にて起きた悲劇を暴くエセミステリーか。
君の少し未来の物語。河童に魅入られた少年の背中を、優しく押してあげるハートフルな一幕か。
異なる道を歩んだ、別世界での君のエピソード。怪異専門の殺し屋になった君の……危険な夜のお仕事か。
『……あと五つくらい語る時間が欲しいけど、今はこれくらいにしよう。残りは君の相棒から聞きたいからね。さぁ……』
どれがいい?
沈黙は許さない。そんな無言の圧を感じる。
そこで僕はふと、寝入る前に何をしていたのか。誰と会っていたのかを思い出せなくなっているのに気がついた。
夢だ。夢の中なのだと、思う。けど、それが本当に夢なのだと、誰が証明出来るだろうか?
僕が体験してきたことだって、まるで夢物語のようなものばかりだというのに。
「僕は……」
語らなければならない。多分ここはそういう所なのだ。
霧がかかったかのような思考に違和感を覚えながら、僕はゆっくりと口を開いた。
そして――。




