裏エピローグ: 恋の決着
「と、いう訳で。二週間くらいお世話になりまーす」
色んなゴタゴタが片付いたその日の夜。
キャリーバックを片手に玄関で敬礼ポーズを取っているのは、我が愛すべき幼なじみだった。大学の友人らとの旅行を終えた彼女は、そのまま服屋さん等にも寄ったらしく、大きな紙袋を二つにスーパーの袋まで携えている。
僕はちょっとだけびっくりしたが、綾ならば二週間くらい滞在しても問題ないだろう。なんて軽い気持ちで「OK」と親指を立てた。
……メリーに踵で爪先を踏づけられる、数秒前の出来事である。
「ふぐぅ」と、悶える僕を無慈悲にも放置して、メリーと綾が対峙する。何故だか……睨み合っていた。
「…………滞在期間長くないかしら?」
「あら、いいでしょ? せっかくの春休みだもの」
「ご両親が心配するわよ?」
「この幼馴染み、年に二回しか帰ってこないのよ? 部屋にお邪魔するくらい問題ないわ」
「わざわざ服まで買って? 貸してあげたのに」
「やだメリーったら……。そんなにおっぱいでマウント取りたいの?」
「……お生憎さま。取るのも取られるのも私は彼氏限定なの」
「……はいはい、お熱いねー。じゃあそれだけラブラブなら妹分が。い・も・う・と! 分がお泊まりするくらい問題ないよね?」
「……むぅ」
メリーはちょっとだけ面白くなさげに唇を尖らせて。綾は勝ち誇ったかのように胸を張る。この僅かなやり取りだけで何故か凄まじく交差する火花を見た気がしたが……。気のせいだと思うことにした。
当然。僕の意見が聞かれもしないのだって気にしてはいけない。
なにせ綾とメリーだ。僕が勝てるわけないのである。
「まぁ、荷物もあるし上がりなよ。おじさんとおばさんも知ってるんでしょ?」
「うん。辰に宜しく~だって。お父さんは何故か声が震えてたけど」
「あー、うん。そっかぁ」
どれくらい震えていたのか容易に想像がついて、思わず苦笑いする。超がつくくらい綾を溺愛しているおじさんのことだ。今回の旅行だって内心では相当心配していたことだろう。
そこから更に延長で二週間ときた。最悪、十円ハゲくらいは出来ているかもしれない。
……後で和菓子でも綾に持たせよう。
「ごはんは……食べてきたわよね? まぁ小腹が空いてるなら何か作るけど」
「食べたけど……せっかくだしお酒とおつまみを買ってきたわ。それと、お世話になるから、後でお米や食材も献上します」
「よかろう、褒めてつかわす」
「ははーっ」
僕が内心でおじさんに合掌している傍らで、見た目麗しい女の子二人はコントみたいなやり取りを繰り広げていた。
この二人は仲がいいんだか悪いんだか未だに掴みきれない。げに女の子とは神秘の生き物である。
そんな会話もそこそこに連れ立ってリビングへ。
綾のコートや荷物を預ってから、僕らは部屋のテーブルを囲むようにして思い思いの位置に腰掛けた。
しばし訪れる謎の沈黙。そこから、一気にへにゃりと気が抜けたかのように笑いあった。
無事に事件は解決。今はただそれを喜んだ。
バタバタしていて、三人でこうして語らうのは江ノ島で綾やメリーが身体を取り戻して以来だったのである。
「綾は、身体はもうなんともない?」
「平気よ。辰こそ風邪は? あと一応、メリーも」
問題がなかったことに安堵しつつ、僕もヒラヒラと手を振って見せて、ほぼ回復したことをアピールする。一方メリーはというと、湿布の貼られた頬を指さした。頬っぺがまだ微妙に痛い。声に出さずとも、そんな悪態が聞こえてくるようだった。もっとも、そこまで深刻ではないと綾もメリーもわかってはいるのだろう。苦笑いする二人に、剣呑な気配は皆無だった。
「それは私と入れかわってた人に言ってやって。あと私も痛いから、お揃いね」
「もうちょっと可愛いげがあるお揃いがよかったわー」
「全くよ」
飲も。と綾が買ってきたお酒の入りのビニール袋が掲げられる。中には果実酒の瓶がいくつかと各種チーズや生ハムが入っていた。
「缶酎ハイとかビールでよかったのに。わりと高かったんじゃないかい?」
「美味しいから大丈夫よ。迷惑かけたのは事実だし。それに……」
一拍おき、まるで迷いを振り払うかのように深呼吸。綾の目が、真っ直ぐ。それでいて微妙に揺らぎながら僕らに向けられていた。
「……僕らが、怖い?」
少しだけ迷ってから、綾は静かに頷いて……。すぐに膨れっ面になる。
「でも、離れてなんかやらないわ。嘘はつきたくないから正直に言ったけど……辰やメリーと友達でいたいのも本当だもん」
それに怖いって言ってもちょっとだけよちょっとだけ! と付け足しながら、綾は豪快に一升瓶の栓を抜く。
グラスにサクランボの香りが満ちた時、僕の心もまた、フワフワするような暖かな感慨が広がっていく。
多分僕は安心したのだ。
田中さんといい、僕は本当に友達に恵まれてるらしい。心なしかメリーも嬉しそうにしている。
今回は色々と精神が削られる案件だったが、終わりよければ全て良し。尚、これから深雪さんから課せられるであろう協力の対価については……今は考えないことにする。
「……怖いなぁ」
「なんの話?」
「……後で相談する」
「深刻?」
「かもしれない」
思わず出た一人言にメリーが反応する。深雪さんへの援護要請は状況が状況だったので怒られはしないだろうが、心配をかけるのが少し申し訳なかった。
もっとも、そんな不安が一気にに吹き飛ぶ出来事がこの後に起きるだなんて……。この時の僕は知るよしもなかった。
カチンとガラスが擦れ合う小気味よい音が部屋に響く。
そういえば、晩酌は久しぶりだなぁ。なんて思っていると、不意に綾が僕に手招きして。
「ああ、そうだわ。然り気無く騒動中に言っちゃってたけど……辰、好きよ。愛してるわ」
「え? うん。ありが――」
………………んん?
その瞬間、僕の思考が停止して、隣のメリーは盛大に噎せた。
愛しの恋人の口から「げふっ!?」なんて声を聞く機会はなかなかないのではあるが、それに気を取られる余裕はない。
僕は今、不思議な感慨に胸を焼かれながら、突然の爆弾発言をした幼なじみに目を向けた。
「あ、綾……?」
「ずっと。ずっと好きでした。私と…………私の、傍にいて欲しいです」
頬が紅潮しているのはお酒のせいではないだろう。まだ一口しか飲んでいないし、そもそも彼女はお酒にめっぽう強いのだ。
何より……。
落ち着いて深呼吸をする。
綾は目を少しだけ潤ませながら、まるで祈るように胸の前で指を組んでいた。
どうしてこのタイミングで?
本当にそれでいいのか?
僕の口からそんな言葉が漏れかけて、慌てぐっと堪えた。
それは綾に対してあまりにも失礼だ。
ひしひしと想いが伝わってくる。彼女はどこまでも真剣だった。
だからこそ。僕もまた、真剣に答えなければならなかった。
「……ありがとう。君にそう言ってもらえて、凄く嬉しい」
思い返せば、彼女とはとても長い付き合いだ。
よちよち歩きの頃から一緒で。そのまま高校を卒業するまで、僕の隣には綾がいた。
けど、不思議なことに恋愛的な意味で彼女を見たことは一度もない。
「僕も、君のことが大好きだよ。とても大切に思ってる」
小さい頃に彼女にトラウマを植え付けてしまった負い目から。
家族のように距離が近すぎたが故に。
そして……いつかの初恋を経た僕は、恋をする自分に想像がつかなかった。
大学生になって……メリーに出会うまでは。
「……でも、ごめんなさい。僕は君と友達になることは出来ても。傍にずっと一緒にいることは、出来ないんだ」
傍にいたい人は。いて欲しい人はもういるから。
口にしなくとも、それは伝わったのだろう。綾の顔が一瞬だけ泣きそうに歪み。やがて彼女は拗ねたようにため息をついた。
「知ってたけどね。……てか、ちょっと悔しいんだけど。もっと驚いてくれると思ってたのに」
「驚いてるよ。君の気持ちを知ったのは……最近だけど」
こんな風にあっさり言われるとは思わなかったんだ。僕がそう言って何とも微妙な顔をしていると、綾は悪戯っぽく笑った。
「そんな顔しないでよ。困らせたい訳じゃないし、気を使って欲しくもない」
「それは、わかってるけど……」
かといって、ここでそのまま今まで通りの僕でいていいものなのか。そんなこちらの考えを見透かしていたのか、綾は目にも止まらぬ速さで僕にデコピンをかました。
「…………痛い」
「蹴りじゃないだけ、ありがたいでしょ?」
「凄いや。確かにって思ってしまった」
僕がようやく笑顔になれば、綾もまた、楽しそうに顔をほころばせた。
「大好き。それは変わらないわ。振り向いてくれないのだってわかってる。けど、覚えてて欲しかったの。それだけ」
だから、いつもの幼なじみに戻ろう。
そう綾は僕に伝えて……。
「と言っても、ぶっちゃけ……まだ微妙に未練あるけどね。いきなりスッパリ忘れるのとか無理」
「お、おぉう……」
自らぶち壊しにした。ペロリと舌を出す姿がお茶目で可愛らしい。
そのまま綾はメリーに目を向けて。「そういうことだから」と宣戦布告した。
「……なによ、メリー。何か言わないの?」
「言う理由がないわね」
辰が迷惑そうなら話は別だけど。と、メリーは付け足しながらグラスを傾ける。気持ちや想いに待ったをかける権利なんて、誰も持ち合わせてはいない。彼女はそう言いたいのだろう。
もっとも、綾は解せぬという様子だったけれども。
「余裕ねぇ」
「余裕ですとも。だいたい、誘惑されて彼がコロッと落ちちゃうなら、所詮その程度の絆だったのよ」
「辰を信じてると?」
「そうよ。そりゃあベタベタされたら面白くないのは事実だけど……」
スルリとメリーの手が伸びてきて僕の腕を絡めとる。服ごしで暴力的に柔らかい桃源郷が押し付けられ、僕に向ける綾の目が、物凄くジットリとしたものになる。
何鼻の下伸ばしてんのよ……! という声が聞こえて来そうだった。
なお実際にどうだったのかは……ご想像におまかせする。
ただ、メリーの笑顔が楽しげに花開いていたことだけは……確かな事実だった。
「……ね? ご覧のとおり、誰かに取られる気は微塵もしないの」
「やってられるかコンチクショウ!」
綾は降参というようにわざとらしく口を尖らせて。そのままメリーのグラスに追加のお酒を注いでいく。
飲め! 潰れろ! なんて罵声を受け流しながら、メリーもまた綾にお酌する。
カチンとグラスが合わさる頃には、二人とも幸せそうに顔を綻ばせていた。
決着はついたのだろう。そんな二人を見ながらちょっとだけホッとした。
僕は結構な幸せものだ。
少しボタンをかけ違えれば、ドロッドロの修羅場になりかねない僕らの関係性に友情が生まれているのは、この二人が何だかんだで仲がいいからで……。
「あ、そうだ。メリー、どうでもいい話だけど、辰のキスって凄く激しいのね。ビックリしちゃったわ。どーでもいい話だけど」
「…………………………は?」
な、仲が……いい……。
第二の爆弾が投下された瞬間に、僕の腕は桃源郷から遠ざかり。ミシリと、関節が極められた。
「あと……ベッドではシェリーって呼ばせるなんて、案外可愛いとこあるのね。あ、これもどーでもいい話だったわー」
「…………ほほぅ?」
かけちゃいけない方向へ負荷がかけられ、僕の腕が悲鳴を上げる。
震え始めた身体を必死に抑えながら隣を見ると、怪奇や深雪さんが可愛らしくなるような恐怖がそこにいた。
というか、僕の恋人だった。
「べ、弁明の機会を要求するっ!」
「許可するわ。でも先に確認よ。…………ナニしてたの?」
「深く愛されてる実感を得たわ」
「……………………へぇ」
「綾ぁ! 止めてぇ! これ以上話を拗らせないでぇ!」
必死に釈明をしようとすると、綾が更なる油を注ぐ。
我が妹分よ、そんな誤解を与える言い回しにしなくてもいいじゃないか!
キスだけです! でも寝起きだったし、中身が綾だなんて知らなかったんです!
「私達の人に言えない秘密については?」
「……その、眠る君が女神みたいで、つい……。で、でもそれがきっかけで中身も看破出来て……」
「結果、私は今辱しめられていると?」
「ご、ごめん! でもこれで誤解は……」
「でもキスしたのは腹立つからお仕置きはするわ」
「ですよねー!」
アームロックが対面式のヘッドロックに変わる。
メリーにされるとか、ただのご褒美になる?
とんでもない。痛みと窒息の危機が同時に訪れて、わりと洒落にならなかった。
まさに天国と地獄。そんな僕の耳には、楽しげな綾の笑い声だけが響いていた。
※
「死因、メリーのおっぱいになるところだったわね」
「男として誇るべきか恥じるべきか……」
夜もふけていき、いい感じにお酒が回ってきた頃。
変わらぬポジションで僕と綾は何杯目かのグラスを傾けていた。
「……ねぇ」
メリーは僕の膝に頭を乗せて、一足先に夢の中。それをちょっとだけ羨ましそうに眺めながら、綾が僕に話しかける。上気した頬のまま、甘えるような声で彼女は僕とメリーを交互に見た。
「…………どこも、いなくならないで。他愛ないことで、またこうやって騒ぎたいの」
「…………っ」
思わず綾の方を見る。どうして。と問えば、彼女は目を潤ませながら「怖いのはオカルトだけじゃないの」と呟いた。
「貴方とメリーがいつか本当に消えちゃうんじゃないか。怪奇? と対峙してきた話を聞いてたら、そんな嫌な予感がして……」
綾はそう言ってテーブルに顎を乗せる。目が少しだけトロンとしていた。
「まだ、好きなんだからね。……ちょっとずつ、思い出にだってきっと出来るの。でも……二人がいなくなるのは……」
耐えられないよ。
か細い懇願の声。それを境に静かな寝息がたつ。あどけない幼馴染みの寝顔を眺めながら……自問自答を繰り返していた。
どうして、うん。と即答できなかったのか。
昔からそうだ。僕は100%確約できないことには頷かないから。
それでも彼女は安心させてあげるべきではないのか。
僕自身の解答を、僕は即座に否定する。
言えるわけないじゃないか。
何度もそうなりかけたことがある。そんなifが沢山あった僕らが……安心して。だなんて、綾に軽々しく言えるわけない。
怪奇を調べるのは好きだ。けど僕らは前ほど自分から探しに行くことはなくなってきている。
互いが大切になったから。それがもしかしたら、僕らに唯一残された、人間らしい感情かもしれないから。
「……いけない」
この考えは毒だと振り払う。
ちょっと疲れが出たのかもしれない。もう遅いし寝るとしよう。
綾とメリーはこのままベッドに運んで。僕は……今日はソファーにでも……。
その時だ。
誰もいない部屋に、インターフォンの音が鳴り響いた。
「…………え?」
思わず時計を確認する。
夜中の0時40分。お客さんが現れるにはあまりにも不自然な時間だった。
居留守を決め込むか。一瞬だけそんな考えが浮かぶが、インターフォンは僕がここにいるのをわかっているかのようになり続けた。
その間隔は次第に短くなっていき、仕舞いには猛烈な連打になっていく。
「……どちらさま?」
無意識に声を低くしながらマイクごしに応答する。だが、返事はない。かわりに……。奇妙な「う……う……うぅ……」という唸り声のような息遣いが聞こえてきた。
「どちらさま?」
同じ質問をもう一度。返ってくるのは唸り声だった。
このまま無視してしまおうか。
いや、そうすればまた、チャイムの嵐が起こるだろう。
玄関に来い。向こうにいる何かはそう言っているのだ。
チラリと後方を見る。メリーと綾はぐっすりと眠っていた。
相棒を起こすか一瞬だけ迷うが、僕はゆっくりと玄関へ向かう。
ただのいたずらならそれでよし。怪奇ならば……。部屋に入り込んでくることはほぼ不可能だから、姿を確認した後に対処法を考えよう。必然的に、メリーにはそこで相談に乗ってもらうことになる。
彼女を起こすのは、その時でも遅くないだろう。
玄関にたどり着く。僕は深呼吸してからドアにつけられた覗き穴で外を確認し……。そのまま。金縛りにあったかのように動けなくなった。
そこには何者かが幽鬼のように佇んでいる。黒とベージュ色の民族調ポンチョを身に纏い、頭や顔は同じ模様と色のフードですっぽりと隠されていた。
黒いグローブをはめた手には、刃渡り12センチはあろうかという大振りのサバイバルナイフが握られている。
それが手慣れた様子でくるくると指の中で弄ばれてる様は、どことなく猫の爪とぎを連想した。
「……っ」
誰だ。と声を上げる勇気はない。
ただわかるのは、確かな害意があることと、その闇に覆われたフードの下から、覗き穴ごしに僕の目を見ていたことで……。
それを認識した次の瞬間。
その何者かは勢いよくドアに張り付いて、覗き穴からこちらを睨み付けた。
「――っぐ!」
息が詰まり、思わずその場から飛び退きたい衝動を何とか抑える。
確認せねばならなかった。
人ならば怖いが、警察を呼ぶ。
だが逆に、これが怪奇なら……隙を見せる訳にはいかない。
そして……。
「…………そのまま聞け。伯奇の宿主」
獣が威嚇するような男性の声がドアの向こう側からした。
耳慣れない単語に僕が首を傾げていると、何者かは「ジョウ……いや、今は深雪か。奴の使いだ」と口にした。
「……深雪さんの?」
「ああ。俺は安倍晴明、十二天将が一角――、白虎』
今世の伯奇よ。麗しの妖よ。どうかお目通りを願いたい。
そう語る何者かの目は……星のように鈍く光る、銀色だった。




