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渡リ烏のオカルト日誌  作者: 黒木京也
恋呪いに立つもの
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恋敵テレパシー

 両手に花……否、両膝に花な状態だった。

 あの後、ほぼ同時に地面に崩れ落ちたメリーと綾を抱き止めて、僕は手近なベンチに移動した。

 スヤスヤと眠り続ける二人を眺めていると、騒動が一段落したことを実感し、全身から力が抜けるようである……のだが。


「さ……寒い……」


 それと同時に、僕はわりと洒落にならない危機にも直面していた。必死だったのですっかり忘れていたが、今は二月。真冬である。

 しかもつい先ほど僕は海に背負い投げされた後であり、その身はずぶ濡れ。既に服の一部はパキパキと固まり始め、歯がカチカチと音を鳴らしている。

 このままでは凍死まっしぐら。かといって眠り姫二人をここに置いていく訳にもいかないときた。

 頼りになる深雪さんは仕事を終えた途端『定時なので』というジョークを残して帰宅済み。……あれ、ヤバいぞこれ。と思い始めていると、すぐそばでコンクリートを踏みしめる音を耳にした。


『今回はことごとく締まらないなぁ、シン・タキザワ』


 そこには暖かそうなファーコートに身を包んだ、ギャル系の女性――、魔子が肩を竦めながら立っていた。

 片手には無地の紙袋。ずいと差し出されたので中を覗き込むと、新品の着替え一式が詰め込まれていた。


「そのままだと死んじゃうだろう? お前が海に叩き込まれた瞬間に、ダッシュで買いにいってやったんだ。ありがたく思いな」

「あ、ありがとう……」


 僕がおずおずとそれを受けとると、魔子はニンマリと口で三日月を作る。「悪魔は貸しを作る機会は見逃さないのさ」という笑えない一言が耳に入ったが、それに関してはもう仕方がないものと受け入れた。

 深雪さんも含めて、今回はスピード解決の代償として、随分と迷惑をかけてしまった。それこそ、彼女がわざわざ用意してくれた簡易な調伏などが最たる例だ。

 いずれちょっとした仕事を依頼されるかもしれない。だからこそ、魔子からの要求にも何とかして応えてあげたいところだ。

 優しいものであることを願おう。お菓子とかその辺の。


『二人はあたしが見といてやるよ。トイレ見つけてさっさと着替え……あ、ここでストリップしてもいいぞ?』

「誰得だよ。通報されるよ」


 苦笑いを浮かべながら、メリーと綾、二人の頭を持ち上げて、そっと膝から外す。急に角度が変わったからか、二人が窮屈そうに眉を歪めていたが、まだ起きる気配はなさそうだった。


『これにて、一件落着でいいんかなぁ?』


 ベンチのそばにしゃがみ、ぷにぷにと綾の胸を指でつつく魔子。それをお止めなさいと窘めながら僕はぼんやりと、江ノ島から見える海を見た。

 日がゆっくりと傾いてきている。ここから見る夕焼けはきっと綺麗なんだろうなと感じながら、僕は無意識のうちに握り拳を作っていた。

 今回は不幸な事故だった。それこそいくつもの偶然やらも絡んでいる。解決策もシンプルだ。けど……。僕は身体が冷えているという要因を差し引いても、悪寒が止まらなかった。


「そうだね。事件は解決したさ。……それ〝自体〟は、ね」


 あったかもしれない未来予想図を重い描き、僕はひそかに身を震わせる。相棒と幼なじみの安全は確保した。〝奴〟も一度散々な目にあったのだ。こちらに手を出してはこないと思いたいが……。


「……悪魔の助力は入り用かい? 格安サービスやってるよ?」


 僕の態度から何かを察したのか、魔子が悪どい営業マンのような表情で手を擦り合わせる。無駄に似合っていて思わず和んでしまいながらも、僕は首を横に振る。


「いいや。さすがに新幹線の切符を用意する為だけには使いたくない……かな」


 正直、今はそんなことよりもメリーと綾が起きたらこの後どうするかを考えるべきだろう。

 綾は旅行中に奇妙な行動を取り、挙げ句は江ノ島で猛ダッシュ。その後をメリー(中身は違うけど)と僕が猛追跡する図をバッチリ綾の学友に見られてしまっているわけで。


「これ、こっそり三人で帰っちゃダメかなぁ……」


 田中さんが多少誤魔化してくれると言ってはいたけれど、とてつもなく面倒くさいことになる未来しか見えなかった。

 取り敢えず今は着替えを終えて、来るべき刻を待つことにする。

 かくして、精神的にはとても長い間奔走していたように思えた一日限りの入れ替わり騒動は終結した。圧縮を重ねた濃すぎる怪奇譚。僕らがそれに最後の落とし前をつけに行くのは……もう少し先のお話だ。


 ※


 ヒヤリとした感触が僕の額に押し当てられて、思わずきゅっと眉間に皺が寄る。

 つい今しがた貼り付けられた、熱冷まし用の冷却シートに身体を強張らせたのは一瞬で。あとはじわじわと広がっていくような心地よさが仰向けに寝転んだ僕にもたらされた。


「ね、気持ちいい?」


 ベッドのすぐそばに腰を下ろし、しっとりとした空気を滲ませながらメリーは囁く。どうしてそんなに顔を近づけて言う必要があるのか。という疑問は飲み込んだ。心臓の拍動が少し早い。こうして思い出話に花を咲かせた後ですら、さっき風邪を理由に中断した接吻(キス)の余韻を鎮めるには至らなかったのだろう。理性を崩した方が負け。そんなせめぎ合いは、不意に飛び込んできた電子音にてようやく終止符がうたれた。

 枕元に置かれたスマートフォンのランプがチカチカ点滅している。トークアプリにメッセージと、写真が届いていた。

 ホカホカの白米に細くカットした味付け海苔が乗せられていて、そこへ銀色に輝く稚魚の群れがところ狭しと敷き詰められている。鎌倉や江ノ島の名物料理、生シラス丼。それを満面の笑みでこちらに向ける綾の姿がそこにあった。


「ヤバくない? 僕の幼なじみ可愛いすぎない? 天使でしょこれ」

「100万点の笑顔よね。素材がいいのを差し引いても、女の子と丼ものってこんなに映えるのね」


 多分田中さん辺りに撮って貰ったのだろう。「今から食べちゃいまーす♪ 風邪、大丈夫?」というメッセージを見ていると、僕も思わず頬が綻んでしまう。

 結局あの後、意識を取り戻した綾は田中さんを含めた学友の人達と合流した。僕らはともかく、綾は今後も彼ら彼女らと関わっていく。誤解やらその他諸々をしっかり清算する必要があったのである。

 彼女自身がしっかりと日常に帰りたかったというのもあるのだろう。たった一日とはいえ、綾は別世界を知り、その中で僕の秘密に触れた。

 自分の中でもう一度整理して、落ち着きたい。彼女は僕の手を握りながらそう言ったのだ。

 尚、事の原因は自分と瓜二つな従姉妹が暴走し、綾を縛り上げて部屋に放置。勝手に旅行に参加した。という理由で押し通したらしい。

 そんな雑なごまかしで大丈夫かと思ったけど、日頃の人徳の賜物か。あっさり皆信じてくれたようだ。同時にそれは、偽綾の行動がいかに普段の綾からかけ離れていたのかも浮き彫りにしていた。

 本当に、取り返しのつかないことになる前にスピード解決出来て良かったと思う。

 因みにサークル旅行が終わったら、綾は他の人とは帰らずに、そのまま僕の部屋に数日滞在するとのこと。なんというか、春休み万歳である。


「……そういえば、綾がメリーに憑依できたのって、やっぱり君が警戒してなかったからなのかな?」


 ふとそこで、僕は最後まで謎だった現象を思い出す。イタコのミクちゃんのような特殊な例は除き、僕達のような霊能者が、そうそう身体を乗っ取られることはない。それは、低俗な神様の仕業であろうと一緒の筈。深雪さんは、綾が相手だからという結論を出していたが、結局のところはどうなのだろうか?

 僕が疑問を投げ掛けると、メリーは少しだけ考えてから、やがて困ったように両手をあげた。


「結局わからないのよね。入れ替わりの瞬間は覚えてないし、あの日は貴方に抱かれたまま、ぐっすりだったもの。浮遊した意識を自覚した頃には、私は幽体離脱した状況だったけど……」

「仮に君の元に飛んできたの綾じゃなかったらどうだったかな?」

「確証はないけど、きっと入れ替わりは成立しなかったでしょうね」


 理論としてはだいぶフワフワしていても、メリー本人は確信を持っているようだった。


「遠く離れた兄弟姉妹が。あるいは親しい友人同士が、お互いの凶事を察知しあう。そんな例を聞いたことはない? 今回は、それに近い作用が起きたと個人的には考えているわ」

「テレパシー……ってやつ?」


 あるいは、正規の意味からは離れるが、所謂以心伝心とでも言うべきか。

 綾がメリーの方に行くのは、黒幕には予定外だったように見えた。このことから、綾はメリーを羨ましく思う以外にも無意識でメリーに助けを求めていたのかもしれない。そうしてメリーもまた、それに応じたのではないだろうか。


「平行世界から来た私の話を思い出して。綾を狙ったはいいものの、さっぱり隙が見当たらなかったって言ってたわ。あくまであれは肉体面での話だった。けど、私が思うにあの子って多分、先天的に物凄く危機回避能力が高いんだと思うの」

「霊感とはまた別で、感覚が鋭いと?」

「そういうこと」


 たとえifでも考えたくはないのだが、僕らの推測が当たっているなら、もし綾がメリーと入れ替わることが出来なければ、彼女は死亡していた可能性が高い。

 常人が霊体になったとしたら、多くの人間はその事実に耐えられないからだ。

 魂が一時的に抜けているとか、幽体離脱なんて自己認識が出来るのは、僕達のような霊能者だけ。大抵の人は自分は死んだのだと悟り、やがてその人物は肉体に戻ることが不可能になるくらいに、生きた存在から逸脱していく。

 幽霊が悪霊に変貌するのとはまた少し違う魂の変質。これが起きてしまえば、もうその人の肉体は死んだも同然になってしまうのだ。

 だからこそ、綾がはるばるメリーのところまでほぼ無傷で飛んできたことは入れ替わりが起きたことを差し引いても幸運だった。というか、考えれば考える程に綾の身体が生存の為に最適な反射を弾き出したように見えてしまう。


「でも、こうなると、テレパシー説弱くないかい? 綾の反射凄いってだけで、君も身内に対する甘さ的なので弾き飛ばされちゃった可能性もあるし……」


 メリーと綾の仲がいいのは確かだけれど、そこまで強い繋がりがあるかと言われたらそうではない気がするのだ。

 だが、僕がそう言って首を傾げていると、メリーは意味深げな笑みを見せて、そっと指を胸に当てた。


「繋がりが弱い? とんでもないわ。私と綾の間には、絶対に動かない共通認識があるもの。下手したらどんなものよりも深くて、激しい……ドロドロなのにサラサラしたものがね」


 最初は何を言っているのかわからなかった。だが、次第にそれが示す意味を考えたら、僕はようやく、この事件の核を垣間見た気がした。


「……なるほど」

「あら、ここで気づかないのが私とお付き合いする前の貴方だったのに」

「人は成長するものだぜ、相棒」


 わりと本気でビックリした顔になるメリーに何故か目が合わせられなくて、僕はいそいそと彼女に背を向ける。どんな反応をすべきかわからなかったとも言う。正直、気づいたと同時に戸惑っていたりもするのだ。

 だって僕にとって彼女は長らく、可愛い幼なじみだったから。

 そう、メリーと綾の共通点。それは……。


「同じ男性(ひと)を愛したから。プラスにもマイナスにも振り切れる、とびっきり深くて重い繋がりよ。テレパシーくらい起こせちゃうと思うのよ」


 嬉しさと、複雑さが入り交じった顔でメリーは締めくくる。解釈と呼ぶには根拠はない。けど、何故だろう。僕にはもう、それが答えにしか思えなかった。

 結局、神様の悪意ある悪戯は、僕の相棒や幼なじみを翻弄はしても、不幸には出来なかったのである。

 そう、黒幕が想定していたのとは裏腹に。


「……いつ、殴り込もうかしら?」

「……そうだねぇ」


 綾に関する謎を解き終えた後、まるで明日の献立を考えるかのようにメリーが呟く。それに対する僕の答えもまた、気軽なものだった。


「綾がうちに来るのが明日の夜だから、それまでには終わらせたいな。明日の朝には発とうか」

「身体は大丈夫なの?」

「多分、明日には平気だと思う。深雪さんには……」

「私から連絡入れておくわ。貴方はもう寝て。いいわね?」

「ラジャー」


 僕らが交わすのは最後の幕引きに関する相談だった。

 繰り返すが騒動は終わった。けれど、もう一つ、放置しちゃいけない問題が残っている。未だにニュースになってないならなおさらだ。

 神様は死んでいない。多分まだ、彼が生まれたであろう場所にいる。そして僕らの予想では……。

 そこに〝偽綾の死体〟も横たわっている筈である。 


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