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渡リ烏のオカルト日誌  作者: 黒木京也
恋呪いに立つもの
133/140

意志の力

 やってられるかコンチクショウ!

 それが今の私の心境だった。

 ここにいたるまでの物語は、つい数分前にまで遡る。

 ようやく身体泥棒を追い詰めたと思ったら、何だか微妙に歪んだ一本背負いを幼なじみが叩き込まれて、彼は一時リタイア。

 完全に硬直した私達の横を通り抜けた偽の私を唖然と見送ったのが、まずは第一の不覚。

 そこで続けて、彼を助けようと動いてしまったのが第二の不覚だった。


「ダメだ! 綾! 今は追うんだ! 逃がしたらヤバイだろあれ!」


 そこで鋭く結衣ちゃんが叫んでくれなかったら、私は更に時間を浪費するという愚をおかしていたことだろう。

 波打ち際だ。彼なら大丈夫。そう判断し、私はそのまま偽物の影を追いかけた。

 我が身体ながら素早い。考えてみたら徒競走は毎年一位だったし、リレーは毎回アンカーだった。そこにはちょっとした青春のスパイスじみた思い出があるのだけれど、今は毛ほども役に立たないので、取り敢えず蓋をする。

 前を走る背中が曲がり角に消えたのを捉えた時、私は思わず下唇を噛んだ。マズイ、これでは追いきれない。

 木を隠すなら森の中。観光客に紛れた偽の私の姿は、私が同じ角を曲がった時には煙のように消失していた。


「くっ……何処に……っ!」


 お店の中に逃げ込んだ?

 それとも、別の路地に入った?

 あるいは馬鹿正直に江ノ島を目指した?

 いいや。もしかしたら案外近くにいて、私が動いた瞬間に別の場所に行くかも……。

 頭の中で何通りもの行動パターンを考えるが、結局どれもありそうでなし。最適解を導き出すことは出来なかった。

 なんてこと。こんなところで最後には運に頼るなんて……。


『江ノ島よ。そっちに向かったわ』


 その時だ。ふと背後から懐かしい声が聞こえてくる。それは忘れようもない……。


『振り返っちゃだめ。今の私を見たら、間違いなく貴女はショートするわ。ナビするから、後ろを見ずに走って』


 ガチンと私の身体が固まる。その時、幼なじみに脳筋(失礼な!)と称された私の思考がある仮説を弾き出した。

 間違いなく、背後にいるのはメリー。けど、何だろうか。言い方は変だが、人っぽい気配がしない。

 身体は私。

 私の身体は向こう。

 つまり背後にいる彼女は今……。あ、これアカンやつだ。


「OK。絶対私の前に立たないで。もうこれ以上の非日常はたくさんよ」

『了解~。フフッ。私、メリーさん。今、珍しく誰かの後ろにいるの。なんてね』


 思考を放棄。よく分からないジョークを聞き流しつつ、私は再び走り出す。

 いた。遠くで様子を伺いつつ、慎重に江ノ島の中へ入ろうとしていた偽物は、突進してくる私を見るや、ぎょっとした顔をしながらも、慌てスタートダッシュを切る。

 だが、もう遅い。完全に捉えた。この距離ならば、もう見失うまい。問題はこの身体の体力がもつかどうかだが……。その心配はなさそうだ。思いの外、メリーの身体は走りやすい。ただし……それは手足が滑らかに動くという一点のみ。問題は……。


「重っ! ちょ、重い! メリー! おっぱいが! このおっぱいめちゃくちゃ重い!」

『……人の身体でおっぱい連呼するの止めてくれないかしら』


 クソっ! 縮め! 縮んで彼にガッカリされちまえ! と内心で叫んだのはここだけのお話。

 その後はただひたすら追いかけて追いかけた。

 道中で大学のサークル仲間達が驚いてこちらを見てきたが、全て無視。時折小賢しくも木の後ろなどに隠れようともしていたが、それは全て背後霊と化したメリーが見つけ出す。

 もはや逃げられない。偽物もそう悟ったのだろう。最終的に彼女が対峙の場所として選んだのは、なんの因果か。事の元凶とも言われていた恋愛スポットだった。

『恋人の丘』

たしか『龍恋の鐘』とかいう吊り鐘があった所だ。その広場に今は人影がない。立っているのはどちらも、恋愛では敗北している女だというのが、最高に皮肉が効いていた。


「追い詰めたわ」

「……違う。私が追い詰めさせてやったのよ!」


 蹴りが飛んで来る。速いけど、読みやすい軌道。それを片手で受け、反撃に転じようとするも相手はすぐに逃げる。相手も遅い。だが、やはりこの身体にも速さと筋肉が足りなかった。

 何よりも……。大問題は、このままでは決めきれないことだった。

 まず、人が来れば終わりだ。喧嘩なんかすぐに止められて、そのままなあなあにされたら偽物の心を折るどころではない。

 だが、仮にここで気絶させたところで、今度は彼がいないと偽物を身体から追い出せないのである。


「メリー! メリー! なんか出来ないの? 辰と同じで霊能者なんでしょう?」

『ごめんなさい、私探知担当なの』

「ガッデム!」


 ダメじゃないか! それならどうすれば……。

 脅威になりえない攻撃をすべて受け流し続ける。相手も最初は勝ち誇っていたが、徐々に全部凌がれているのを察したのか、その顔に焦りが見えてきていた。


「ちょっと! 倒れなさいよ!」

「無茶言わないで。貴女こそ身体返してよ!」

「嫌よ! せっかく……せっかくあの身体からおさらば出来たのに! ようやく、色んな人から見てもらえるようになったのにっ……!」

「そんなの虚しいだけじゃない!」

「黙れぇ! アンタに何が分かるのよ!」


 気がつけば、せめぎ合いの中で対話が生まれる。ただしそれは、どうしようもない感情のぶつけ合いに過ぎなかったけれども。


「美人に生まれたアンタなんかに! 生まれつき男にチヤホヤされながら育った奴に! アタシの気持ちがわかるもんか!」

「何を……!」


 反論しようとしたところに、蹴りが飛んで来る。必死にガードしながら相手を見る。〝私の〟顔は……醜い嫉妬に歪んでいた。


「団子みたいな鼻も! そばかすまみれの顔も! 寸胴な体型も! みんなみんな昔から嫌いだったのよ! 綺麗になりたいって思って何が悪いのよ!」

「――っ、そんな強い気持ちがあるなら……!」

「けど! 努力してもどうにもならないことがあるの! 端から見たら大したものじゃなくても、アタシには相当だったの! けどダメだった! 生まれつきの勝ち組には、どうやっても勝てない! なら……そいつらを呪って何が悪いのよ!」


 重い呪詛が私にのし掛かる。相手の拳を初めて受け損ない、私の腕が衝撃と共にビリビリと痛み疼いた。


「いいじゃない。竜崎さん美人だもの。さんざんいい思いしてきたんでしょう? なら、アタシにも分けてよ。アタシはずっと報われなかったんだから、それくらいは許される……」

『黙りなさい寄生虫』


 横槍を入れてきたのは、メリーだった。後ろを振り向こうにも、そうしたら攻撃を受けるので顔を見ることは叶わない。けど……声色からして怒っているのが明白だった。


「……オイ、お前」

『貴女の意図したのは、〝綾がああなることでしょう?〟残念ね当てが外れて。それで、お言葉ですけど。狂ってる奴の言葉に耳を貸せるほど、こっちは暇じゃないのよ』

「……狂ってる? アタシが?」

『否定は出来ないでしょう? あんなことしたんだもの』


 え、どんなこと? と聞くのはやめておいた。どうせ理解の範疇外になるのは明白だ。私は目の前の偽物を止めるのに全力を捧げよう。仮にこのままメリーが止めてくれるなら願ったりかったり。

 多分無理そうだけど。だってメリーの声でわかってしまう。アイツ、相手を煽る気満々だ。


『どんな手を使ってでも。その強さは否定はしないわ。方法はどうあれね。けど、その道を選んだなら、今のうちに甘さは捨てなさい。でないとどっかの誰かさんみたいに、ただのはた迷惑な怪物に成り下がるわよ?』

「電波ちゃんかしら? 意味わかんないこと言ってんじゃないわよ。……貴女も美人ねぇ。じゃあきっとアタシの気持ちだって……」

『ええ。わからないわ』


 凄い。言いきりやがったよコイツ。

 私が内心で若干引いていると、偽物もその返答が予想外だったのか、目を大きく見開いていた。


「……酷い女。性格悪いでしょ?」

『否定はしないわ。けど、仕方ないじゃない。私は貴女じゃないもの』

「は? 何当たり前のことを……」

『ええ。そう。当たり前よ。〝貴女にはわからないでしょうね〟苦労なく生きている? 知らないわ。貴女のノミみたいにスケールの小さい嫉妬だって、心底どうでもいいの。大切な友達ならいざ知らず、構ってられないのよ。貴女なんかに』

「て、め……」


 ねぇ、わかってる? 貴女が煽ってアレが怒っても、その拳や蹴りは私に飛んで来るんですが? いや、やられる気はしないけどさ。


『気持ちは自由よ。嫉妬しようが羨もうがね。呪ったっていい。楽して勝ちを拾えるのを夢想したっていい。けど、実行に移した以上それが成功するかしないかは、もう貴女次第』

「そんな説教が聞きたいわけじゃない!」

『お生憎さま。私だって出来るなら貴女とは会話もしたくないの。こちとら貴女のせいで今日の予定は潰れ、目覚めは最悪。幻視(ヴィジョン)で理不尽なのも視るわ……。とにかく大変だったんだから』

「意味わからないわよ! そんなのアタシが知るか!」

『……外道さん。野望を挫かれた時、その敗北を甘んじて受け入れる覚悟を……貴女はするべきだったわね。それが出来ないなら、いくら美人さんになろうが、中身は醜いまま。恋なんか実る筈がなかったのよ』


 遠くから、足音が聞こえてくる。少し慌てたような。あるいは全てを投げ出すような全力疾走の気配。

 大好きな気配を察した時、私は自然に顔が綻んだ。

 そうだよね。海に落とされたくらいで、止まる貴方じゃないよね。


「――っ! ぐぅぅう!」


 うなり声を上げながら、単調な攻撃がくる。

 全てが驚くほどに軽かった。それを捌きながら、私は彼女が何をやりたかったのかを考えた。恋を実らせたい。始まりはそれだけの筈だったのだ。けど、どこで間違えてしまったのだろう?

 失敗することは……考えなかったに違いない。恋は盲目だとはよく言ったもの。

 今は名も分からぬ。けど、確実に私の知り合いであろう誰かさん。貴女は私を美人さんだと言ってくれた。嫉妬やいろんな感情はあれど、プラスの評価なのは間違いない。けど……。

 だからと言って、それでも本当に全てがうまくいくとは限らない。それを彼女は想像だにしなかったのだろう。


 そんな悟り的なものを経て、今に至る。

 背後からは、ラブコメディチックな甘いやり取りが聞こえてくる。口が知らずのうちにへの字に曲がっていた。

 そこでふと、相手と目が合う。そこで……偽物が、全てを察したのがわかった。


「アンタは……」


 ちょっとムカッときた。さんざん人の身体で好き放題して、貴女は美人だからと見も蓋もない言葉をぶつけられ、いざこうなれば同族とでも言うかのように囲いこもうとする。

 そこでふと、今回の旅行はドタキャンが多かったと、結衣ちゃんは言っていたのを思い出した。これが、万が一バレた時に犯人を絞らせないために偽物が弄したカモフラージュだったとしたら?

 覚悟というより、意志の問題なのかも。私はそんなことを思った。

 成功したらザマーミロ。失敗したら私のせい。仮にどちらに転んでも、被害は私の身体に。

 ……怒りが再燃する。美人だから苦労したことない? 今お前に苦労させられた挙げ句、恋人の丘なんてベタベタな場所で、初恋の人と恋敵がイチャイチャしているこの現状。

 それをお前はどう思うのか? 不幸だと嘆き、呪うのか? 冗談じゃない。人を貶めるのも大概にしろ。


「綾おまたせ! いつでもOKだ!」

「遅いわよ! 人の背後でイチャイチャイチャイチャしやがってもぉ! いいのね? もうボコッていいのよね? このフラストレーション、全力で解き放っていいのよね?」

「あ、ああ。でも一応君の身体だからほどほどに……」

「よぉし! ぶっ殺す!」


 待っていたと身体が歓喜する。

 でも一応彼が言うとおり殴る蹴るはやめておこう。私の身体だし。だから……。

 うん、そうだね。ここは絞め落とそう。


「えっ……ぎぃ……!?」


 ステップも軽やかに相手の背後にまわり、腕で喉を絞める。勿論壊さないよう加減して。動けないなら、辰だって干渉(?)とやらもやりやすいだろう。


「辰、これでいい?」

「流石すぎて言葉も出ないよ」


 一瞬で相手を封じ、彼に目配せ。ビックリしたのか、ちょっと引かれてるのが悲しい。絞め技をかけるはしたない姿なんて、本当は貴方に見られたくなかったのに。

 やはり高速で制圧できるローキックが最強だ。メリーのフワフワ女神ボディだと成功率が微妙だからやらないけど。

 辰と、半透明なメリーが近づいてくる。これで終わり……。


「待って! 待ってよ! ねぇ、竜崎さん! 貴女、本当にそれでいいの? この身体に戻ったら、貴女は幸せになれないのよ?」

「…………は?」


 半狂乱になって声を絞り出す偽物。私は思わず技を緩めてしまい……。自分でも驚くくらい、低い声を出していた。


「よく考えて! その身体なら、貴女の幼なじみと添い遂げられる! 私もこのまま! 誰も損なんかしないじゃない!」


『え~私は~?』と、メリーが明らかな棒読みでそんな言葉を漏らすが、偽物には聞こえていないらしい。


「私も貴女も! 幸せになりたかった! 誰かを羨んでいた! だからこの入れ替わりは成立したの! このままじゃ不幸しかない! ね!? だってそうでしょう? その男が欲しいなら、考え直して!」


 唾を飛ばしながら力説する偽物は気づいていない。辰が心の底から同情の表情を浮かべて、メリーが軽蔑の眼差しを向けているのを。私? そりゃあ当然……。


『いい加減にして。貴女は……』

「私の幸せを渇望し、羨む気持ちに関しては、予想外だった。そうでしょう?」


 メリーの言葉を遮り、私が答えを口にする。ドクンと相手の心臓が跳ね上がるのがわかった。やはり、図星か。ならばもう、やることは決まったらしい。

 相手を解放する。訳がわからないといった顔の偽物の正面に私は立つ。視線を逸らさず、まっすぐに彼女を見つめると、彼女はたちまち目を泳がせた。


「おかしいのよ。それが入れ替わりの条件なら……メリーが巻き込まれる筈がない。コレが他の女を羨むタマだと思うの?」

『確かに羨む人はいないけど、もうちょっと言い方……』

「黙ってメリー。まだ私のターンよ」

『アッハイ』


 えーん。とわざとらしく辰の肩に乗っかるメリーをよそに、私は思考を巡らせる。

 偽物は私を羨んでいて、私もメリーを羨んでいた。だからここに入れ替わりは成立し、私は多分メリーの方に向かったのだとしたら……。ここでメリーの憧れは発揮されず、フワフワ漂ってるのは私でなければ説明がつかない。だからこそ、偽物が言う理論は成立しないのだ。


「美人なら全てうまくいく。きっと貴女は、私が誰かを羨んでいるなんて思わなかったのね。だからこの一方的かつ強制の入れ替わりでフワフワ漂うのは私になる筈で……。そうすれば貴女は、誰にも邪魔されずに計画を実行できた筈だった。違う?」


 なんというか、陰湿でえげつない作戦だなぁと思うけども。


「――っ、確かに! 最初はそうだったわ! けど、今の現状を見て! 生きてるのは竜崎さんよ! 貴女が強く拒めば、これから彼と生きていくことだって……」

「……ねぇ。どうして私が貴女を離したのか、わかる?」

「……え?」


 ポカンとする彼女の前で、私は腰を落とし、静かに構えをとる。「あっ……」という小さな何かを察する呟きが聞こえて、彼の気配が遠ざかるのを感じたが、それも今は気にしなかった。

 軽蔑はない。同情もない。私はただ、激おこなだけである。


「構えなさい」

「……へ?」

「構えろといったの。そのネチネチした性根を叩き直してあげるわ。ついでに……私の煩悩退散にも付き合いなさい」

「ぼん、のう?」


 もうわからないと目を白黒させる偽物。それを見つめたまま、私は静かに血が沸騰させる。

 殴る蹴るは止めるつもりだった。けど……今回の騒動の一端には、多少ながら私も関わっているのを再認識したから。

 だって私もまた、入れ替わりたての頃、チラッとながら思ってしまったのだ。『ずっとこのままだったら、もしかして……』と。その気持ちの根本が利用されたから、こんなややこしいことになったのだ。

 認めよう。確かに私は、お前と同じだった。けど、それは過去の話。この辺で、〝弱っちい私〟を叩きのめすことにしよう。

 そりゃあ後ろのバカップルを見て多少ぐぬぬとは思うさ。けれど……。私はお前のように意志をねじ曲げてまで手に入れようとは思わない。

 人形遊びは小学生の時に卒業したのだ。

 口を開けて棚からぼた餅を待つだけでは、与えられる幸せに限りがあると、初恋で身を持って学んだのだ。

 そして……やっぱり彼が好きって気持ちもやっぱりあって……。伝えなかったことを後悔していたことを、今回の騒動で確かに知ったのだ。


「――喝ッ!」


 大きく息を吸い、気合いと共に声を上げる。

 まずは平手打ち。バッチン! という凄まじい音と一緒に、偽物の顔が面白いくらいにしなった。


「――痛っ!」

「ええ! 辰が好きよ! 一緒にいたいし、愛してるわ! けど! どうにもならないのだってわかってるのよ! 貴女はそれが不幸だと思うの!?」

「――っ、当たり前よ!」


 バチンと返しに顔を叩かれて、目の前に火花が散る。なんだよ。やり返す根性はあるんじゃないか。それだけの気持ちがあるなら……なんで……!


「アンタは不憫なやつよ! どーせ告白したら困らせちゃうとか思って身を引いたクチでしょう? 不幸よ不幸! 超不幸! なら、巡ってきたチャンスを活かしなさいよ!」

「だからって、私じゃないなら意味がないっ!」

「可哀想なやつね! それが無理ってわかってるのに! 幸せになりたくないの!?」

「なりたいに決まってるわよ!」


 ビンタの応酬が続く。痛いのに笑えてきた。

 今ならば、色々と素直になれる気がする。そういう意味では、この場を設けてくれたコイツに感謝だ。最も……それでも苛立ちとかが勝る訳だが。


「意味わかんない! ならなんでそんなに怒ってるのよ!」

「ムカつくから!」

「アンタも大概酷い女だわ!」

「やかましいわよ! 私が怒ってる理由もわからないくせに!」

「あぁ!? じゃあ言ってみなさいよ! どーせその男が手に入らない八つ当たり……!」

「貴女が幸せについて、何一つわかってないからよ! 他人の皮をかぶってまで、自分を殺す方がよっぽど不幸だわ!」

「――っ、ぐ……」


 偽物の目に、涙が溜まる。それを拭うように、私は張り手をお見舞いした。


「私を勝手に……不幸だと決めつけるな……! 私の幸せは、私が決めるのよ! 返して、よ! 私の大好きな人の幸せ……!」


 気がつくと私と偽物は膝をつきあわせて涙を流しながら、お互いに見つめ合っていた。


「返して……よ。私の幸せも、貴女の幸せも……自分の中にしかないんだから……!」


 ただ心をぶつけるように懇願する。偽物は、下唇を噛み締めながら俯いて。


「私だって……私だってぇ……」


 静かな慟哭が響き渡る。やがてその身体はスローモーションのように前のめりに倒れていく。それはまるで糸が切れた人形のようで……。


「あ、れ……?」


 そこで唐突に、辺りが一気に冷たくなり、視界が静かに暗くなっていく。

 何だ、これは? 一体……?

 眠気が沸き上がる最後に感じたのは私達の間に彼が割って入り、優しくどちらも支えてくれたこと。そして。


「……お疲れ様。ホント、君はドンドン素敵な女性(ひと)になっていくというか……」


 綾はやっぱり凄いなぁ。

 そんな優しくて残酷な言葉が、私の胸をきゅうっと締め付けた。

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