平安ゴーストバスターズ
猶予はない。だからこそすぐに出立しようとする僕と綾を制止したのは、他ならぬ深雪さんだった。
彼女曰く、自分との約束を先に果たせ。つまり、深雪さんの正体を今ここで答えにしろと僕に要求した。
「それは……その、行きの電車の中ではダメですか? なんというかその、名前だけポンッと」
「ちょっと。さすがにそれは深雪さん泣くわよ? ……冗談はさておき。これは大事なことよ。名を明かす。何かの秘密を語る。これは場所だって重要なファクターになるの」
「……そういうもんですか?」
「分かりやすい例をあげるなら、そうね。プロポーズとか。電車の中でいきなり前触れもなく告げられるのと、しっかり準備して、場所を選んで行われるもの。好みや万人の感性に差はあれど、喜んでもらえる可能性が高いのはまぎれもなく後者よね?」
僕に言っても分からないと判断したのか、深雪さんは横目で綾に問いかける。綾はというと、何を想像したのか、ちょっとだけ頬を赤らめながら、夢見がちにコクコク頷いた。
「言霊というものがあります。声は、言葉は力を持っている。私達や辰ちゃんのような外れた存在にとって、それは常人以上に強い意味をもつものよ。だからこそ、暗夜空洞で……私の領域で貴方が私を暴くことこそ……」
「深雪さんが、僕達に協力するための力になる?」
「理解が早くて助かります」
僕の答えに深雪さんは満足気に口角を歪めて……そのまま。瞬きの刹那に彼女は変化した。
何度か見た、女房装束と羊の角。それは深雪さんが本腰を入れて何かを成す時の姿だった。
「……っ」
『……久方ぶりに畏怖を向けられると心地よいわね。遥か昔に変質した私ですけども、腐ってもこの身は人外ですから』
濃密な気配が、その場を支配していた。
絶対的な威圧感。寄るものに死を運ぶ……あるいは平伏を強要するかのような力が深雪さんから放たれている。だけれども……。
息を飲み、多分本人も無意識でカタカタ震えている綾の横で、僕は深雪さんの……。カーテンのような前髪の隙間から覗く、翡翠の瞳に目を奪われていた。
いつもより深みを増した色と輝きのそこには……気高さがあった。
ああ、綺麗だ。ぼんやりと。本当に何の気なしにそう思いながら、僕は呼吸を整える。ここから先は、僕の言霊だけが頼りだった。古来より、きっと深雪さんが全盛期だったころより行われていたであろう、人間と怪奇のせめぎ合い。きっと彼女のような存在に挑む者は、みんなこういう気持ちだったのだろう。
大切な何かの為に、普通ならば届かぬ相手と対峙する。その美しさに呑まれなかった人だけが、チャンスを勝ち取ることが出来るのだ。
『約束は、覚えてるかしら?』
「僕が貴女の正体にたどり着けなかったなら、僕は貴女のものに」
『結構。では、辰ちゃん。答えを聞かせて』
そんなの聞いてない! と、綾が憤慨する気配がすぐ傍でするが、そちらに目線を向け、取り繕う余裕が僕にはなかった。足は縫い付けられたかのように座敷の畳を踏み締めたまま動けなくなっている。テーブルを挟んで向こう側でお行儀よく正座する深雪さんは、尋常ではないオーラを放ちながらも物腰柔らかく。ニコニコしながら僕を見上げていた。
端から見たら僕が詰め寄っているような図だというのに……。僕は今、巨大な掌の上で遊ばれている錯覚に陥っていた。
「……貴女の正体に、多分僕はたどり着いている」
気をしっかり持て。そう言い聞かせながら、僕は口を開く。ヒントは、その実何気ない日常の中に、僅かながら潜まされていた。ただ、その一つ一つは異様に小さく、なおかつ普通に考えても大元にたどり着きがたい、細すぎる道だった。
「ただ、それを知った時に僕が思ったのは、そんなことあり得るのか? でした」
『おや、そんなに不自然な存在でした? 私?』
「そりゃあ……普通は考え付かないでしょう? 〝平安時代に活躍した陰陽師の式神〟が、今も現代にこうして生きてるだなんて」
僕の出した答えに、深雪さんはとても楽しげに目を細めた。
陰陽師。それは、古代日本における官職であり、独自の思想に基づいた技を持って職にあたる技術者を指す。天文学、暦学、易学などに通じ、占術など方術や祭祀を司るとされた彼らの活躍は、飛鳥時代〝陰陽五行思想〟という固有の思想が広まった頃から少しずつ勢力をのばしはじめ、平安時代に入った最終的には政治の中枢にまで密かに食い込んでいたという。
平安時代といえば、怨霊の存在がまことしやかに恐れられていた頃。それらを鎮めるとされた御霊信仰が広まり、悪霊退散のために呪術によるより強力な恩恵を求める風潮が広まっていた当時、陰陽師の有り様はもはや宗教を通り越して神格化されていたらしい。
時代柄か、平安の世は公家同士の政争がはげしく、その中で陰陽師同士の呪術が飛び交うなんてことはよく見られた話。
正式な国に召し抱えられた陰陽師や地方から成り上がった、所謂ヤミ陰陽師なんて輩も現れて、政府の裏で暗躍したりしなかったりしたという。
ざっくりながらこう説明すれば、いかにも胡散臭い話だ。だが、信じがたいが吉凶の占いや悪霊を払うことがある程度重要視されていたのが当時であり、そんな世相では陰陽師達が力を得るのは必然だったのだろう。
因みに式神とは、その陰陽師達が従えたとも、術として使用していたともされる、鬼や神様の類いを指す。それらを陰陽師達は意のままに操り、悪霊退治や拠点の守護。家事や雑事を任せていたとされ、中には実体を持つものもいたという。
深雪さんもまた、強い力をもった、実体のある怪奇だ。この条件には充分に当てはまるだろう。
『平安時代と断定、するんですね? 一応陰陽師は、明治時代まで隆盛を誇っていたとお聞きしますが?』
「怪奇は例外なく、その容姿や要素に主張するものがあれば、決まってそれは生まれた時代に依存します。かの口裂け女が現れた1970年代。その時の弱点はポマードでした。当時はヘアワックスなんて名前はありませんでしたから。一方で江戸時代に現れたとされる口裂け女は遊女の姿であり、弱点らしい類いのものは見つかっていないのだとか。ついでに僕が小さい頃に見た口裂け女は、現代っ子だったんでしょうね。ポマードと言われても、いまいちピンと来ていなかった様子でした」
これだけでも、江戸時代の口裂け女。昭和の口裂け女。平成の口裂け女がいることになる。
一見すると同じだが、彼女達の生まれは違う。事実、僕が出逢った口裂け女は固有の名前を持っていたし、江戸の口裂け女は、正体が狐だ。という説すらあるからだ。
これを踏まえれば、深雪さんの正体とされる〝式神〟も、そのままではどの時代のものか分からなくなるものだが……。
「平安時代の、女房装束。流石にそれを意味なく着込むとは思えない。怪奇が正体を現す時は、身に纏う衣すら重要なものな筈」
『なるほど。それで私が平安の怪奇だとたどり着いたと』
「あと、喩えとか。貴女が引き合いに出すのは、結構平安由来が多い。俵藤太とか渡辺綱。それに……鬼。彼らの伝承もまた発祥の殆どは同じです」
身近な例は現代に生きる鬼であり、今は亡き僕らの友人、梅姫の一件だ。彼女が受け継いでいた酒呑童子と茨木童子の物語だって平安時代の出来事である。それほどに、鬼と平安時代は密接に関わっている。
「今思い返すと、深雪さんの言動は鬼を見たことがあるような感じでしたから……ここまでで間違いは?」
探るような僕の目線を『慌てないの』というかのように深雪さんは遮る。そのまま彼女は女房装束を指でなぞりながら……。流れるように親指と人差し指で丸を作り、僕にウインクした。
『お見事。でもそれは、あくまでも私が平安出身ってだけよ。当時、あの平安にどれだけの怪奇に鬼。魑魅魍魎の怨霊がいたのか……。それを想像できない辰ちゃんじゃないでしょう? 私が式神だと。どうして確定できるのかしら?』
「深雪さん。その前に、貴女が平安時代ゆかりだというのは、正解で宜しいですか?」
「ええ、そう言ったわよ?」
「なら……僕はもう、貴女の正体に確信が持てました」
「…………へぇ?」
妖艶な流し目が僕に絡み付くが、それに対する畏怖はもうない。認めた。それは同時に、僕の勝利を揺るぎないものにしてくれたのだ。
聞きましょう。そう態度で示す深雪さんに、僕は唇を舌で濡らしつつ。彼女の秘密に手をかけた。
「羊の角。これがずっと謎でした。変化ではない、大切な部分だというのは分かっていましたけど、どんなに調べても平安時代に羊の怪奇はいなかった」
では角があるから鬼か? そう思ったが、これもダメ。『何回も無償で助けることは、私の性質上は不可能なので』そう彼女は語っていた。梅姫のような現代っ子ならともかく、当時の鬼が人を助けるとは思えない。かつ、いつかに彼女に漏らした、天帝に仕えたというのがネックになる。天帝由来の怪奇ならば『しょうけら』というものがいるが、これは虫なので除外。
「色んな条件を照らし合わせてみても、深雪さんにたどり着くものはない。そんな時、ふと気づいたんです。貴女程の強い存在なら、下地からよりは逆に有名どころから見つけた方が早いのではないか……。と」
本当に、浅草のママン(自称&願望)さんには感謝だ。それを踏まえた上で、平安時代のオカルト案件におけるビッグネームを僕は調べた。
深雪さんがどちらかといえば怪奇より。かつ生存しているので、源頼光らのようなそれを狩る武士達の傍にいたとは考えにくい。どちらかといえば、さまざまな視点で怪奇を視ていた人物との方が関わりが深そうだ。
故に……。
「安倍晴明。多分知らない人の方が少ない、陰陽師の名前です。深雪さんは彼の式神だった」
『……私が強い。だから安倍晴明とイコールで結びつけるのは、少し乱暴じゃないかしら?』
「ええ、普通ならばそうだし、そこで調べるまではいかないでしょうね。けど、彼について調べたら興味深いものが引き上げられて……同時に、色々と思い出しました。……〝玄さん〟のこととか」
クリスマスのサキュバス騒動。それが終息した後日、深雪さんの知古だという人物が、暗夜空洞を訪れていた。
彼は僕にこう言ったのだ。
『青年、深雪に付き合うのは苦労するだろうが、頑張れよ。我ら十二の同胞の中でも、指折りの変人だが、それでいて善神でもある。悪いようにはされないさ』
「……安倍晴明は、陰陽師の中でも特異な存在です。その一つが、彼の従えた式神達には、名前があったこと。その集団の名前は、〝十二天将〟僕にはこれが、偶然の一致とは思えない」
『まだ弱いわ。十二という数字を引き合いにする存在はそれなりにいるし、それだけで式神と結論付けちゃうのは、少し早とちりではなくて?』
「いいえ、深雪さんを式神だと結論付ける根拠はもう一つあります」
『……どんなものかしら?』
言葉を突き立てていく。その度に、深雪さんの威圧が消えていくのが分かって、それに呼応するかのように彼女の身体は震えだしていた。正体にたどり着かれたのが怖い? 否。そこそこ付き合いが長いからわかる。これは……歓喜だ。彼女は今、興奮したように息を荒げていた。ちょっと怖いのは内緒だ。
「貴女は僕を送り出しながらこう言った。〝怪奇を倒し、屈服させるのは人の知恵。正体を暴くことは、その怪奇を弱らせることに繋がる。けど、私の場合はそうではない〟……と。深雪さんの時代背景と普通の怪奇の性質を照らし合わせれば、この発言はおかしいんです」
平安で怪奇を倒すとは、退治のこと。なのに深雪さんは不思議な言い回しをした。しかも、正体を暴くことが本来の怪奇とは真逆の作用をもたらすという、特異な性質をもカミングアウトしている。
これは式神の特性について指していたのだ。式神とは使われる側であり、呪術的な側面が強い。当然、使役する陰陽師は式神については知り尽くしている必要がある。そうでなければ、より十全に使うことは出来まい。
そして、最後に。式神は一般的に、神様や鬼神を調伏つまりは精神的に下すことで作られるとされている。これらの点から見れば、深雪さんが無償で助けることは出来ないといった意味も見えてくる。
総じて深雪さんは僕にこう言いたいのだ。
『私を使いたいなら、正体を暴き、式神として屈服させてみよ』
「羊と天帝。善神。ここまでのキーワードすべてに一致する式神が、十二天将の中に存在するんです。十二の式神で、天帝に仕えたという記述があるのはただ一人。また、十二天将はそれぞれ司る方位がある。それを日本でいう十二支に置き換えれば……その天帝に仕えたという天将が位置する方角は……未の方角。即ち羊」
『…………善神は?』
「その天将がそう呼ばれてるとされていますが、もう一つ。陰陽道に陰陽五行思想。つまり、十二の式神達にも陰陽があり。そして……占いの関係ですかね。吉凶の性質をそれぞれを分担する形で司っていたんです」
静かに息を吸う。さぁ、これが答えだ。
「五行で言えば土神にして。吉凶においては吉将。四時の善神とも呼ばれ、天帝に仕える文官であったとされるもの。安倍晴明の十二天将、大裳。平安時代最強の勢力が一角。それが……貴女の正体です」
どうですか? そう僕が視線を彼女に向けると、深雪さんはフルフルと震えながら、僕の方を見た。
『辰ちゃん。あの、ちょっと抱き締めて舐め回しちゃダメかしら?』
「いや、なんでそうなりますか」
思わず膝から力が抜けそうになり、ギリギリ踏みとどまる。だが、それは胸の中で一気に安堵の気持ちが広まると共に、少なくない達成感を僕にもたらした。
深雪さんがいつものお茶目お姉さんに戻ったこと。それはつまり、示した答えが正解だったことの証明だった。
『良くできました。ならばこの大裳。今日一日は全身全霊をもって貴方に尽くしましょう。ちょっと勘違いした神様をケチョンケチョンにしてやりますよ~』
かくして、ようやく準備は整った。残るは江ノ島にて黒幕を懲らしめて。そうしたら……。




