One Punch Woman
「と、いう訳で、第一回。チキチキ。綾ちゃんのボディー奪還計画の、作戦会議を始めま~す!」
「わぁ~!」
「わ、わぁ~……」
女三人が、居間の炬燵を囲んでいた。正面に蜜柑を片手に深雪さん。左側にはマコちゃんが煎餅をかじりながら、ノリノリでちゃぶ台を叩いている。そしてかくいう私は、カチコチに固まりつつそれを眺めていた。
頼りの彼は、今買い出し中。この魔窟において、私はただ一人取り残されている。……いくら彼の中では信頼している人(?)達とはいえ、正直泣きそうなのは内緒である。
一体どうしてこんな状況になったのか。それは彼が私を連れて、深雪さんに交渉を持ち掛けたからだ。
内容はシンプル。「助けてください」という一言のみ。すると深雪さんは対価として電車の切符代と、物語(何の話かは謎)。そして、後でご飯を作れと彼に要求し、ちょっとだけ彼と店の奥に消えて(他にもあれこれ話したらしい)……。今にいたる。
因みにマコちゃんは「私もまぜろぉ~!」と、あの不気味な羊猫っぽい姿で彼にじゃれついて、そのまま仲間に加わった。嫉妬よりも恐怖で私が半泣きになったのは言うまでもない。
「さて、本格的な作戦を出す前に、確認しましょうか。その為に辰ちゃんを追い出し……買い出しに行かせた訳だし」
あ、そっちが本命だったんだ。と思いながら深雪さんに目を向ければ、彼女も私を見つめかえしてきた。カーテンみたいな前髪から、翡翠を思わせる深緑色の瞳が覗いている。この世のものとは思えない色彩は、やはり私には怖い。何となく、メリーの青紫色の瞳と雰囲気が似ているようで……。
「綾ちゃんは、辰ちゃんが好き。で、OKですかね? ライクではなくラブの方で」
「――はうぅっ!?」
恐怖とは別の意味で、私はその場で仰け反った。何でバレたの? 確かに分かりやすいとよく言われるけども、流石に出会ったばかりの人にまで看破されるだなんて……。
すると、私の動揺を見て取ったのか、マコちゃんがしたり顔で鼻を鳴らした。
「狼狽えるなよ。中学生かお前は。店主大丈夫だ。それでOK。ラブの方。この女、今時珍しい極上ぴゅあぴゅあソウルだよ」
「――バカにしてるでしょ!?」
「んなわけあるか。べた褒めだよ。しかも聞いて驚け。処女だ。あの人形女も大概だったが、コイツはもはや生きた化石に違いない。シーラカンスだ」
「――っ! 蹴っ飛ばす!」
「綾ちゃん抑えて抑えて。いいじゃないシーラカンスでもアンモナイトでも。貴女は貴女よ」
「――っ! ――っ!」
声にならない叫びをあげながら、ちゃぶ台をバンバン叩く。ハンカチを噛みたくなるような心情に陥る反面、ここに彼がいなくてよかったと、心の底から安堵した。
すると深雪さんは、一通り楽しんだと言わんばかりに身体を伸ばし、また煙管セットを引っ張り出した。話を戻します。そんな空気がそこへ揺蕩った。
「さて、綾ちゃんで遊ぶのはこれくらいにしまして。本題ですね。気持ちを聞いたのは、それが重要だからよ」
「私が……辰をその、好きなのが?」
「ええ」
紫煙を燻らせながら、深雪さんはゆっくりと頷いた。一方マコちゃんは、その煙を掴もうと躍起になっている。なんとなく猫みたいだった。
「遠野郷八幡宮。卯子酉神社。巽山稲荷神社。これらに共通するのは……パワースポット巡りに行ったなら、お分かりよね?」
「恋愛、成就?」
「ぴんぽ~ん」
煙管の灰を箱にトントンと落とし、深雪さんはニタリと邪悪な笑みを浮かべる。突拍子もなくそんな顔をするものだから、私はつい顔をひきつらせてしまう。笑顔が怖い。見た目が美人だから尚更に。けど、そんなことよりも重要な事実がそこにあった。
「……え、まさか、それが原因?」
それがどうして、今の状況に繋がるというのか。すると深雪さんは煙管をまるで魔法の杖みたいにフリフリしながら、私の方へひょいとかざした。
「最後に行ったパワースポットがそれなんでしょう? で、神様が悪戯した。ならもう、ほぼ確定です」
「い、いやだって、仮にも神様が……いたとして、そんな」
「アヤ・リュウザキ。勘違いしてるな? 神様イコールいい奴ら。とか思ってるだろ?」
訳もわからず目を白黒させる私にマコちゃんが助け船を出す。……ザラメの煎餅をペロペロ舐めながら。真面目なのかふざけているのかわからないが、お行儀は悪い。私がつい顔をしかめていると、彼女はしゃくりと柔らかくなった煎餅に歯を立てつつ、ピンと人差し指を天に向けた。
「聞いたこと位はあるんじゃないか? 日本には八百万の神がいるって話。当然、これだけの数がいれば、善神もいれは悪神もいる。力だってピンキリだ」
「じゃあ、私に悪戯したのは……」
「ただ問題は、格のある神様は、基本的に人間の相手をすることが殆どないの。大抵は部下となる神様に雑事は任せてるんです」
課長とか係長とかに。と、俗っぽい喩えで深雪さんがマコちゃんの説明に補足する。
「でも、それにしたって、よほど気に入られていない限り、大々的に力を貸すのは有り得ない。人の人格を入れ換えるだなんて、もっての他。つまり、たった数人相手にしょうもないありきたりな奇跡を起こしてる時点で、相手は低級な神様だって分かるのよ」
「へ、へぇ……」
その辺の事情はよく分からないが、そうだと納得するより他になさそうだった。
というか、ここまでバッサリ言えるなんて、深雪さんは何者なんだろうか? ……まさか凄い神様とか? いやいや。そんなのが炬燵に足突っ込みながら蜜柑を食べたり、電車の切符代を彼にたかったりはしないだろう。……多分。
「と、ともかく……。その低俗な神様が相手だとして……どうするんですか? てか、恋愛成就がどうして入れ替わりなんか……」
余計な思考を追い出して、私は深雪さんに問いかける。
すると彼女は私の顔をじっと見つめながら、含み笑いを浮かべた。
「入れ替わりは……多分〝貴女側にも心当たりがあるんじゃなくて〟? それはまぁ、後に考察するとして。方法ね。まぁあるわよん」
そう言って深雪さんは握り拳を作り、パチン! と、自分の掌に打ちつけた。
「まずは、私と辰ちゃんが、神様をボコボコにします。それと同時進行で、綾ちゃんが入れ替わった相手をボコボコに懲らしめて、身体から追い出しちゃえば……さっくり解決よ!」
思わず頭痛が引き起こされそうな解決策に、私は自分の額に手を当てる。熱はない。聞き間違いではないらしい。
「……脳筋すぎません?」
私が率直な感想を述べれば、深雪さんは何を言うといった顔で肩を竦めた。
「綾ちゃん。ちょーっと呑気すぎるわよ? 案件が単純。かつスピード解決したいなら、問答無用の力業が一番なの。だいたい、考えてご覧なさい? この事件は、恋愛成就が目的なのよ? つまり黒幕は今頃……」
そう深雪さんが言いかけた時、不意に居間の引き戸が乱暴に開けられた。そこには……。息を荒げて、顔面蒼白になった彼が立っていた。
「あら、辰ちゃんおかえ……」
「すぐに! すぐに出発を!」
「あ、あらん?」
意味ありげな妖しい笑みを浮かべる深雪さんが、彼の余裕のない態度でテンポを崩される。彼がこんなに取り乱すのも珍しい。そう感じて、ちょっとした新鮮さを味わっていると、彼の顔が凄い早さでこっちに向けられた。「立って。早く」そんな迫力がビリビリと伝わってくる。一体何が……。
「田中さんから、助けを求める電話がきた」
「――っ、結衣ちゃんから!?」
朝から新幹線に乗ったなら、もう今頃は江ノ島を楽しんでいることだろう。そこには偽物の私もいて、彼女とも接している筈。そんな結衣ちゃんが、電話…… しかも、彼に助力を頼む?
……猛烈に嫌な予感がした。案の定、彼もまた、「落ち着いて聞いておくれよ」と、不吉すぎる前置きをした。
「田中さんが見た光景を率直に伝えるなら……今の君は、サークルの新倉先輩に……その、普段の君からは想像できないくらいの猛アプローチを仕掛けてる、らしい」
それを聞いた瞬間。私の中で何かが弾けた。
同時に、どうして辰があんなにも慌ていたのかを、今更ながらようやく悟った。
当たり前だが、今の私が私ではないだなんて、気づける人はいないだろう。つまり、中の人は好き放題のやりたい放題。かつ、おとがめもないときた。
……………………え? 酷くない? 私も実は入れ替わりたての頃はメリーの身体で彼に甘えまくってやろうと思ってしまったけど。
いや、それにしたって……。
「あ、あの。……因みに具体的にはどんなことを?」
私が恐る恐る尋ねると、彼は苦虫を噛み締めたかのような顔になる。待って怖い。聞いといてアレだけど、すっごく怖い。
そんな私の内心の震えは、彼の発した続きの言葉で、容易く絶望に染め上げられた。
そんなの……そんなの……!
「深雪さん」
気がつけば、自分でもびっくりするくらい低い声が出た。すると、深雪さんは頬をひくつかせながら「な、何かしら?」と口にする。私は努めて笑顔で、こう提案した。
「脳筋作戦、採用しましょう。……海が近くで、本当によかったです」
綾さん待って。君の身体! 君の身体だから! と、辰が震えながら私を止めるのが、何だか面白かった。やはり最後にものを言うのは、鍛え上げた筋肉なのだ。
※
電話の向こうで早口に事情を話す田中さんは、普段の飄々とした態度をどこかへ置き忘れてしまったかのように、大いに狼狽していた。
『普段は天然であざといから、時に周りの女すら魅了してたのにさ! ……今日は何故か養殖のあざとさなんだ。何かこう……バカな男だけ引っ掛かりそうな……現に何人かバカになってるし』
「そ、そんなに酷いの?」
『酷いよ! 信じられるか? あの綾が! あ・の・綾が! 男に媚び媚びの声色で新倉に話しかけ! 腕は組むわ、肩に頭は乗せるわ……極めつけはあの美乳をむにゅむにゅふにふにと……!』
「ス、ストップ! 田中さん落ち着いて! 落ち着こう!」
『落ち着け!? 何で君はそんなに冷静なんだよ! クソッ、この旅行散々だ! ドタキャンは三人! 綾は変! 空気は微妙! そして君は冷血ときた! 恋人が出来たらそれか! 幼なじみがどうなろうと……』
「そんな訳ないだろう!? 出来るならいますぐにでも、そのラッキーマンを海に叩き落としてやりたいくらいだ!」
勿論ただの八つ当たりだとはわかっているけども、その新倉さんにラリアットをかましたくなったのは否定できなかった。
可愛い妹分が(この扱いを多分綾は嫌がるのだろうけど)、誰かの奸計で、いいように弄ばれているのだ。冷静でいられる訳がない。
すると、僕も動揺していることが伝わったのか、田中さんはようやく幾分かの冷静さを取り戻してくれた。
『すまない、そうだね。ボクらが焦ってもマズイ。いいや、寧ろこんな相談、君にすべきじゃないとわかっているんだが……』
「綾とその新倉さんって人、普段から仲がいいの?」
田中さんから見れば、綾が男性にアプローチをかけている。普通ならそれをいちいち僕に報告する必要はない。それでもこうして電話をしてきたということは、それだけ異常な行動を綾の身体がしているのだろう。
『普段の綾は基本男女隔てなくだが、大抵は女性陣と一緒だ。でもまぁ、彼女はアレだけの器量よし。ついでに彼氏もいない。なら……わかるだろう?』
「めちゃくちゃモテるだろうね。僕の幼なじみ可愛いから」
『……滝沢君、ボクちょっと殺意の波動に目覚めそうだ』
「……今は抑えてくれ。それについては、後でほどほどに受け止めるから」
そう返答すれば、田中さんの口から『ほわぁ!?』と、驚きの声が上がる。僕の発言が予想外過ぎたのか、そのまま『ウッソだろ君? 一生気づかないと思ってた』なんて言われてしまった。
解せぬ……とは、生憎今までの行動を思い返せば言える筈もなかった。
『……失敗したかな』
少しだけ、己の鈍感さ加減に呆れていれば、田中さんがポツリとそう漏らす。どうして? と、僕が問いかけると、田中さんは躊躇いがちに『君に助けを求めたことさ』と呟いた。
『綾は、そう。昨日からおかしかったんだ。恋愛成就の神社で祈ったかと思えば、ちょっと離れて電話して、帰ったらやけ酒。で、朝起きたら妙にソワソワしてて……いざ旅行に来たらコレだ』
「…………」
昨日の電話。それを聞いた僕は、背中に重石を乗せられた気分だった。相手は……僕だ。バレンタインチョコのお礼を綾にして、メリーとのことをちょっとだけ話したのだ。それが残酷なことと気づかずに。
『何となくだけど、電話の内容は想像がつくよ。だからもしかしたら、これは綾なりに前に進もうとしているだけなのかも。……ああ、冷静に考えたら、そう思えなくもない』
それは違うと訂正したかった。今の綾は別人なのだと。けど、僕はその時、言うべきかどうかを決めあぐねており、何も言えなかった。
『ここで君が現れたら、また綾が苦しむのかもしれない』
「……それでも君から見て、今の綾はらしくなかった。だから僕に電話してきたんだろう?」
僕が確信を持ってそう言えば、田中さんは唸るように息を吐きながら、『そうだ』と答えた。苦しそうな声だった。淡々とした口調で話す女性。だが、実は物凄く友達思いなのが田中さんだ。それが全く変わっていないのが、僕は嬉しかった。
『……ああ、そうだよ。綾があんな軽率なことをするとは思えない。あっさり別の男に乗り換えちゃえるほど、綾の想いが軽くないのを、ボクは知っている。絶対に、おかしいよ……まるで中身だけ別人になったみたいだ』
正解。と、内心で拍手を送りながら僕は田中さんに尋ねる。どうすればいい? ……と。
元は偶然を装って、旅行中の一行の前に現れて、綾を引き離すつもりだった。田中さんの助力を得られるかも、確実ではなかったのである。
かなりリスキーな上に向こうの人達からの印象は最悪になるだろうが、そんなのは些末な問題だし、他に方法はなかった。けど、こうして田中さんも疑念を持ってくれてるなら……。
ボクもどうすればいいか、わからない。そう田中さんが口にした時、僕の決意は固まった。
「……田中さん。真面目に聞いて欲しいことがある。それから、頼みたいことも」
ひょっとしたら、友達が一人いなくなるかもしれない。そんなやるせない予感を抱きながら、僕は僕の話をする。
それに対する古い友人の答えは――。
※
やっぱり美人なら、全てが上手くいくんだ。
新たな身体を手に入れた私は、そう実感していた。
だってこの旅行に来てから、私の傍には、常に男の人がいて。今まで経験したことのないくらい親切にしてもらったからだ。
さりげなく車道側に立ってくれたり。向こうから積極的に話しかけてくれたり。ことある事に私の意見を聞いてくれたり。
以前の私ではごく稀にしかなかった出来事が、ずっと続いている。それは、まるで世界の中心に私がいるかのような快感だった。何より……。
先輩と、話せている! これが大きすぎた。
元より竜崎さんに夢中だった彼が、今は私だけを見てくれて。男として熱を帯びた視線を向けてくれている! 私の行動一つ一つに反応してくれている! その現状が、私は何よりも嬉しくて、知らず知らずのうちに私は大胆になっていった。
そうすればそうする程に、周りの男性陣は負けじと私に群がってくるからだ。
ああ、悪くない。
ひょっとしたら生まれて初めて、女性として扱われたかも。そう錯覚してしまいそう。
けど、ごめんなさい。貴方達に興味は……ないとも言えなくて、私はつい邪な考えを抱きつつ笑ってしまった。それすらも、周りから見れば可愛らしく。あるいは清楚に映るのだと味わいながら。
一番は先輩だけど、ひょっとしたら? そんな浮わついた気持ちになってしまうくらい、私は今楽しかった。
この身体なら何だって許される。そう思うと同時に、改めて竜崎さんの人気を思い知り……。ざまぁ見ろと悦に浸った。
美人なくせに、ありとあらゆる男からのアプローチを全て断っている、奇特な女。何でも未だに初恋を引きずっているなんて話も聞く。
はっきり言おう。気にくわなかった。
抜群の容姿も。沢山いる友達も。誰かから向けられる想いも。私が手に入れたくても手に入らなかったものだ。私からしたら彼女は持ちすぎている位なのに、それでも高望みする傲慢さが鼻についた。
だから…………呪ってやったのだ。
始まりは思いつき。けど、私の念やら想いの強さは常人より強かったらしい。
私は、ひょんなことから神様と出逢う権利を引き当てた。
それも、私が欲しかったものを全部もたらしてくれるという……破格の存在。大好きなソーシャルゲームで喩えるなら、間違いなくSS級のレア。それが私の引き起こした、呪いの正体だった。
勿論、いいことばかりではない。
サークルのメンバー……。女性陣の何名かは、まるで宇宙人でも見るかのようにこっちを見てきた。中には陰口を叩いている輩もいるだろう。
新倉先輩や、私に近寄る男に恋している奴は他にもいる。ソイツらが私を睨む時の顔ときたら……まるで発情期で気が立っている雌猫みたいだった。
同時に……竜崎さんに敵がいない理由も、今更ながら分かってしまう。
つまるところ、彼女は今まで誰のライバルでもなかったのだ。カッコいい。けど私達の恋は邪魔しない。傍にいるだけでステータスになりそうな……まるで少女漫画に出てくるような理想の友人。それが周りの女にとっての竜崎綾だったのである。
自覚してみると、胸を抉るようなものがあった。その事実はそんな浅ましい思考の奴らにすら以前の私は足元にも及ばなかったという現実を突き付けてくるようだったから。けれども、それは同時に、確かな自信を私にもたらした。
今の私は竜崎綾だ。SS級の女の子。この場にいる誰にだって負ける気はしない。
私の人生はこれから薔薇色で……。
「綾、少しいいかい?」
そこで不意に、楽しい時間に水を差された。
邪魔者は〝田中結衣〟とかいう、〝竜崎さん〟の古い友人だという、見た目的にはSか、A級の女だ。
「えっと、何?」
「二人きりで話がある。ちょっとだけボクに付き合ってくれないか?」
「…………うん、いいよ」
心底真剣な顔でそう言われたら、周りからの目もあり、断り切れなかった。
私は田中結衣に導かれるまま皆とは離れ、元来た道を戻っていく。もう少しで目的地である江ノ島神社巡りだったのが悔やまれたけど……。確信がある。新倉先輩は待ってくれているだろう。
だとしたら、そっちの方がシチュエーション的には素敵……。
「今日の綾は、何だか変だ」
そんな時、前方にいた田中結衣がそう呟いた。いつの間にか私達は街路から外れて、建物の合間をぬい、海のそばまでやって来ていた。そこはまるで、小さな隠し海岸のような場所だった。
「そ、そうかな?」
「うん。滝沢君は……もういいのかい?」
「……私が別の恋するのはダメなの?」
とぼけるように返事をすれば、返ってきたのは思いの外に悲しげな声だった。それに、思わずムッとする。すると田中結衣は頭を振りながら立ち止まり。クルリと踵を返して、私とすれ違った。そうして彼女はちょうど海岸への入り口を塞ぐかのように立つ。
しっかり話すまで帰さない。そんな気配がありありと感じられた。
「ダメじゃないさ。ただ、ちゃんと吹っ切ることが出来たのか聞きたいんだ」
祈るような声。ああ、多分こいつは心の底から、竜崎さんを心配してるのだ。そう察した時。私の中にまた醜い嫉妬が巻き起こり……。気がつけば、私はその言葉を発していた。
「ええ。そうよ。私は新倉先輩が好き。だから彼は……もういいの」
彼女の方へ向き直り、きっぱりと言いきった。すると田中結衣は「そうか……」と、ため息混じりに呟いて……。そのまま、さっきまでの気遣いを含んだ態度を一変させ、能面のような無表情を向けてきた。
まるで虫でも目にしたかのような、冷たい目線。それに私が思わず気圧されていると、彼女はどこか納得したように頷いた。
「にわかには信じられなかったが……。本当に、君は綾じゃないんだね。別の誰かが入っている。そうなんだろう? ――〝滝沢くん〟」
遠くに向けて、田中結衣が話しかける。つられて私がそちらをみると、砂浜の向こう側から人影が近づいてくるのが見えた。
知らない美青年と、外国人だろうか? どこか浮世離れした……。それこそ、お人形さんみたいなSS級の女の子が連れだって歩いてきて……。
「……ウソ」
その瞬間、私は唐突に理解した。この身体だからだろうか。
あの人形女の中には……。どういうわけか竜崎綾がいる。そう分かってしまったのだ。
「……返して貰うわよ。私の身体」
聴くものを平伏させられそうな低い声。その宣言を耳にした刹那、私は半ば反射的に行動を起こしていた。
「お、追い返して! 神様ぁ!」
「――っ!」
声を張り上げて、私はソレを呼ぶ。直後。私の背後に形容しがたい気配が立ち上る。
すると竜崎さんが入った人形女は、その存在に恐怖したのか、分かりやすく身体を震え上がらせた。
そうだ。怖がれ。どうしてそんな女に入っているのかは知らないが、このお方が、あんたを身体から追い出した元凶だ。ただの大学生がどうこう出来るわけ――。
その時だ。傍らにいた青年が、まるで竜崎さんを庇うように立ち塞がる。その指には……紙? だろうか。妙な字が書きなぐられた、お札にも見える何かが挟まれていて……。
「急々(きゅうきゅう)――如律令!」
朗々たる声で、呪文が読み上げられる。その瞬間、何もない所から人影が現出した。
身に纏うのは女房装束。その出で立ちに似合う長い黒髪は風に靡き、妖しく揺らめいていた。
頭の横には、山羊か羊だろうか? カールした獣の角を生やしている。
神秘的で、美しい。明らかに人外の女がそこに立っていた。
『こうして〝使われる〟のは、久しぶりね……』
感慨深げに女は笑うと、そのままこちらへ向けて優雅にお辞儀をする。堂々たる完璧な所作。だが、私はそこに……素人目でも、わかる、あり得ない程の格の違いを見た。
なんだ、アレは? 一体――。
その答えは、すぐにもたらされた。
『では、いってみましょうか。安倍晴明、十二天将が一角――、大裳! 推して参る!』
結論から言えば、一秒ももたなかった。
私の神様はあっけなく、ワンパンチで江ノ島の海に沈んだのだ。




