謎解きはパンケーキの後で
駅と暗夜空洞の丁度中間に位置するカフェテリアにて、僕は注文したコーヒーを前にしたまま、途方に暮れていた。思考をさいているのは、つい数分前の出来事について。
深雪さんの正体を見破ってみせよ。
そのミッションを遂行すべく、先程から知恵や記憶を絞り出しているのだが……考えれば考える程に、僕は頭が痛くなりそうだった。
『今ここですぐに当ててとはいいません。なので……急で悪いんだけど辰ちゃんは、外に出てて?』
曰く、事件の真実を更に深く知るために、綾からもう少し話を聞きたいらしい。ただ、その為には僕がいては不都合な点があるとのことだ。
正直、課せられた難題を解く時間も欲しかったし、〝その辺については大体想像がつくので〟僕は買い出しという名目で、素直にそれに従った。
もっとも綾の身体が乗っ取られている以上、あまり時間はかけられない。だからこそ、この僅かな猶予の中で、僕は深雪さんの正体に当たりをつけねばならない。のだけれども。
正直に言おう。あの人一体何者だ? という感想しか生まれてこなかった。
深雪さんについて、今まであったことを思い出せる限りで並べてみると、その得体の知れなさは理解してもらえることだろう。
女房装束。
羊。
天帝に使えていたらしい。
物凄い力を持っている。
……すぐに思い出せるのは以上。他にも何かあったし、深雪さんもちょくちょく正体に関する話はしていた筈とは思うのだが、さすがに常日頃の些細なことまでは覚えていない。
というかこれ、ほとんどノーヒントも同然だった。
勿論、部屋に帰って記録したデータベースをひっくり返せばもっと情報は出てくるのだろうが、調べるのと往復の移動時間だけで軽く一時間以上かかってしまうのは目に見えている。
そもそも頭に残っていなかった印象の弱い事実を知ったところで、彼女の正体を暴けるとは思えなかった。
「……OK、落ち着け僕」
自己暗示のようにそう呟きながら、僕はもう一度思考しながら、スマートフォンのディスプレイに指を滑らせた。
近場に図書館の類いはないので、資料を調べるのは不可能。いいや、こちらも前提条件からして、時間が壁になるだろう。
黒幕の目的もまた、暗夜空洞で綾が話していたことを照合すれば、おおよその検討はつく。なればこそ、綾の身も心も守る為には、全てを迅速に進めなければいけないのだ。
という訳で、限定的な手段しか取れない現状で、最もお手軽かつスピーディーな方法として僕が頼ったのはインターネットだった。きっと有名な検索エンジン先生なら大丈夫……。と、思っていたのが数秒前。大先生は、謎の美女妖怪(暫定)に対して、完全に白旗をあげていた。
実体がある以上、深雪さんが妖怪か力を持った神様の類いなのは間違いない。加えて女房装束からして、該当しそうな時代は絞られる。
だが、その頃に女房装束に身を包み、羊の化身で、天帝に使えていた妖怪や神様なんてものは、全くヒットしなかったのである。
そもそも、天帝という存在が広範囲すぎるのだ。全てを考慮してしまうと、今度は彼女が本当に日本由来の存在なのかすら危うくなってしまう始末。
それでも、その時代由来で天帝という単語に引っ掛かったものはあったのだが……。それはいわゆる民間信仰で、登場する存在も三匹の虫。やることも告げ口に近いことで、どうにも深雪さんのイメージに合わなかった。
解析不可能。正体不明。
そんな単語が頭の中で飛びかっていき、僕は無意識に下唇を噛み締めた。
このままでは、メリーと綾を助ける前に、僕が深雪さんに捕まってしまう。それだけは避けねばならないのに……!
「お待たせいたしましたぁん。こちらデザートにございまぁす」
心が静かに絶望で侵食されていくのを感じたその時だ。不意に間延びしたテノールの声がすぐそばでして。続けてコトリという音を立て、僕の前に大きめのお皿が置かれる。上に乗せられているのは、注文した覚えのないパンケーキ。僕が思わずぎょっとしながら、声のした方に顔を向けると、そこにいた人物は「サービスよ」と言って微笑んだ。
「あの、どうして……?」
「ボウヤ、ずいぶんと思い詰めてたみたいだったから……。ついお節介を焼きたくなっちゃって」
悩み事かしら? そう言ってそこにいた人物は、スタッフのエプロンを着けたまま、堂々と僕の相席に陣取った。
「しがないカフェの店長だけれども……貴方さえいいのなら、話くらい聞けるわよ? こう見えてあたし、浅草のママンって呼ばれてみたかったりするの」
「……浅草の、ママン……?」
呼ばれてみたいだけなのか。という返答を辛うじて呑み込みながら、僕は店長さんをまじまじと見る。
ほりの深い顔立ちに、茶髪を刈り上げた、お洒落なボウズ頭の……〝男性〟だった。
「……マ、マン?」
「オウ、テメェ。なんか文句あんのかコラ?」
急に野太くなった声に僕が必死で首を横に振れば、自称ママンな店長さんは再び「ウフフ」と笑いながら、僕に話を促した。
お店はいいのかな? と思いながら僕が周りを見渡すが、朝のラッシュ時を過ぎ、お昼には絶妙に早い時間だからだろうか。他のお客さんの影は殆どない。
加えて、カウンターにはもう一人。アルバイトと思われる高校生くらいの女の子が「またですか」といった様子でこちらを見ながら肩を竦めていた。
問題はないらしかった。けれども、僕が抱える案件を果たして一般人に話していいものか。
「……凄い人が、いるんです。その人から、ちょっとした試験を課せられてまして」
霊能者にありがちな迷いを抱えながらも、その時の僕は、もう藁でもオネェにでもすがりたい気分だったのだろう。
気がつけば、明確なオカルト的概要を隠した上で、僕は店長さんに事情を打ち明けていた。
私の秘密を暴いてみせろ。そんなことを言われたこと。
自分が持ちうるその人の情報を集めて調べてみたが、まるで分からなかったこと。
このままでは僕にとってはまずいことが起こること。
肝心な部分は話さない、フワフワした、掴み所のない謎めいた相談であったことだろう。だが、店長さんは深く問い詰めることもなく、笑い飛ばすこともせず、黙って耳を傾けてくれた。
「その人、女の人?」
「……ええ」
「貴方が得ていた情報は、その人の全て……って訳ではないでしょうね。でも、真実かしら?」
「そう、だと思います。けど……」
確証すら、今はない。目に見えるだけが真実とは限らないし、僕は現に、彼女に関して全てを覚えていたとは言いがたいのだ。
「そ。ミステリアスな女性なのねぇ。今の時代、凄い人であるなら、それこそ名前を検索するだけで出てきそうなものだけど」
「一昔前に活躍した人なんです。僕も彼女の本名を知ってるわけじゃなくて。だからよけいに分からなくて」
一昔というか、千年以上前の話だが、それは言わない方がいいだろう。すると店長さんは、フウムと顎の下に手を当てながら、しばし考え込む。その最中、さりげなくもう片方の手でパンケーキの方を指差しながら、「食べなさいな」と僕に促した。
なにかを口にする気分ではなかったのだが、「こういう時は糖分よ」と、相棒なら言うだろうから、今はそれに習うことにする。
厚めに焼かれたふわふわな小麦色の生地。その上にソフトクリームと、綺麗にカットされたバナナが乗せられて、チョコレートソースがたっぷりとかけられていた。
一口サイズにナイフで切り分けて口に運ぶと、温かいパンケーキと冷たいソフトクリームがじゅわりと調和して、優しい甘さが僕の口の中へ広がっていく。美味しい。そう漏らさずとも、顔に出ていたのだろう。あっという間に完食した僕へ店長さんはとても嬉しそうに微笑みながら、グッと親指を立てた。
「自信作なの。月によってトッピングを変えるのよ」
「てことは、十二種類も?」
「そんな難しくはないわ。特に気合いを入れるのはクリスマスとハロウィン辺りで、他は結構ありきたりなものだし」
「へぇ……」
でも、確かにカフェのメニューが特に美味しいのはその辺の時期だ。いわばイベントシーズン。当然、日本はそれに対して活気づいていたし、僕らだって……。
「…………ん?」
そこでふと、僕は引っ掛かりを覚えた。クリスマス。ハロウィン。このシーズンに起きた事件の中で、深雪さんがある意味で大きく関わった出来事を思い出したのだ。確か、あの時は……。
〝あの騒動〟の記憶を思い起こす。そうだ。ひたすらにメリーが強すぎるインパクトを発するわ、色々と初体験やらがあったせいで完全に忘れていた。元を辿れば、アレは深雪さんが原因だったではないか。そしてその結末は……。
「過去に偉業を成した人なら、同じジャンルで名を残している人はいないの? その人個人を調べられないなら、関係のありそうな同好の者から逆算してみるのも手じゃないかしら?」
「逆算……。偉業……」
深雪さんは凄まじい力を有している。間違いなく、その辺の雑な神様や悪魔すらコロッとやっつけてしまえる位には。それだけの人が全くの無名なんてあり得ない。加えて……。
「そうだ。そうだよ……!」
記憶というのは不思議なもので、取っ掛かりさえ見つければ芋弦式に想起されるもの。僕もまた、例外ではなかった。忘れかけていたこと。確信を得られる発言がされた事件を次々と思い出していた。
キーワードが追加された。これならば詰めれる。確実に……!
「――っ、あの! ありがとうございました!」
「…………え、ウソ。マジで? 解決?」
「はい! 間違いなく!」
また来ます! そう言って僕は店長さんに千円札を手渡し、お釣りも貰わずに店を飛び出した。
暗夜空洞へと全速力。――と、いきたいが、その前に僕は道の途中で立ち止まり、検索エンジンを起動する。
該当しそうな人物や妖怪を思い浮かべるが、僕の中でのイメージが一番近い存在は、一人しかいなかった。
「……ビンゴ」
思わずそう呟いてしまう。
嫌がらせレベルで、酷い難題だった。何故ならば、僕が思い出したキーワードがあっても、すぐに彼女の正体へはたどり着けない。
昔の彼女に関わっていた、とある存在を本当に深くまで調べなければ、彼女については断定出来ない。
それほどまでに深雪さんそのもの正体は一般では認知度が低く。その反面、彼女自身の強大な力が納得出来るだけの背景があった。
深雪さんの正体に関する情報を大きく得られた案件は主に二つ。
一つは、いつかに決着をつけた、ドッペルゲンガーの因縁物語。そしてもう一つは……。僕とメリーが恋人として初めて迎えたクリスマス。その時に起きた危険すぎる怪奇の事件。これが解決した折りに、僕は彼女の過去の情報らしきものを、ある人物から告げられていた。
それらに追加して、ほんのついさっき。深雪さんは僕を暗夜空洞から出す前に、とびっきりのヒントを出してくれていたのである。
手掛かりが全て出揃った時、僕は少しの脱力感を覚えて、その場で大きく深呼吸する。
確信も持てた。これでほぼ間違いなく、深雪さんの協力は取り付けられるだろう。
後は……。
再び暗夜空洞へ向けて走り出そうとした矢先、ポケットにしまい込んだばかりのスマートフォンが鳴動した。
どうやら誰かが電話をかけてきているらしい。
こんな時に! と思ってしまったのが、その時の素直な気持ちだった。だが、そんな焦燥じみた心情は、ディスプレイに表示された名前を見た途端、即座に吹き飛んだ。
電話の相手は、『田中結衣』僕と綾の共通した友人にして……今まさに、綾を乗っ取った誰かと一緒にいるであろう人物だったのである。
「も、もしもし!?」
「――っ、滝沢くん? よかった、出てくれて……」
つい上擦った声で電話にでると、スピーカーの向こうからは、同じように切羽詰まったかのような懐かしい声がした。
それを聞いた時、僕は物凄い嫌な予感が胸をよぎり……。次に彼女が発するであろう言葉が、何となくわかってしまった。
「今、暇かい? いや、すまない。用事があってもいい。無理矢理にでも空けて欲しいんだ。頼む、助けに来てくれ! 綾が、変なんだ……!」
それは、恐れていた事態が現実になった瞬間で。同時に僕の推測が当たってしまったことも意味している。
明らかになった黒幕の目的は。〝綾の身体を使った〟恋愛成就だ。
それは、相手個人の視点では恐れるものや失うものも何もない。綾の気持ちすら踏みにじるような、最低最悪の所業だった。




