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渡リ烏のオカルト日誌  作者: 黒木京也
恋呪いに立つもの
128/140

失われた時を暴いて

 泣いている女の子がいる。

 怖い。怖い。と泣きじゃくりながらお座敷に座り込む小さな女の子が。

 状況が異常だった。

 何故なら女の子の周りを取り囲むのは……。古い箪笥に茶釜と能面。唐笠や絵皿。柄杓に行灯。掛軸に三味線だったのである。

 いわゆる骨董品。古き良き日本の伝統文化を連想させるそれらは……皆一様に目玉があり、更には軋みを上げながら浮遊していて。その近くには、映画で見るような人魂が飛びかっていた。


「やだやだやだぁー!」


 と、女の子は叫ぶ。すると空飛ぶ骨董品達は、総じて驚いたかのようにブルッと震え……やがて、ガシャガシャと喧しい音を立てて畳に落ちていく。

 私はそれを俯瞰的に。そう天井から覗き見ながら……震えていた。夢なんだと思う。私の身体もまた、宙をフワフワと漂っていたのだ。

 まるで、幽霊みたいに。


 ホラーは嫌いだ。

 怪談や怖い話なんて聞きたくもない。

 そういうオカルト番組が放送されてたらすぐにチャンネルを切り替えるし、以前デパートのお化け屋敷に入る羽目になった時は、中の幽霊たち。もとい仮装した人らを物理で全滅させてしまったことすらある。

 どうしてそんなに? と聞かれても、理由はわからない。ただ、生理的に無理なんだ。そう、思っていた。

 だが……。


「綾!? 綾! しっかりして! 綾っ!」


 狼狽した誰かの声がする。声変わりを迎えていない、甲高い少年のそれが座敷に響き渡り……。そこで私ははじめて、骨董品らの中心に、女の子以外の誰かいるのに気がついた。

 ドタバタとした足音が聞こえる。「どうした!?」と、慌てたような声は、何故か聞き覚えがあった。

 いささか若いように思えるが、彼の……幼馴染みのお父さんの声だ。

 ということは……。


「しん、なの?」


 恐る恐る問いかける。答える者は誰もいない。ただ、とうとう気を失ってしまった少女を泣きそうな顔で抱き抱えているのは、間違いなく小さい頃の彼で……。その腕の中にいたのは、幼い頃の私だった。


 場面が暗転する。


 見覚えがある和室。彼のおばあちゃんの家だ。

 幼い彼と、彼のお父さんが膝を向き合わせていた。


「本当だよ! あの箪笥や下駄のお化け達、友達なんだ! 綾と一緒に遊ぼうと思って……!」

「……っ、辰、お願いだ。嘘をつかないでくれ。幽霊なんかいないんだ。悪戯の度が過ぎただけだって言ってくれ……!」

「嘘なんかついてない! 悪戯だってするつもりなかった! 本当だよ! 僕は……!」

「辰っ!」


 声を大きくしていく二人の顔は、どちらも辛そうだった。

 彼は必死に、頑として否定を受け入れず。

 彼のお父さんは、何処か畏れるように。息子の口から否定が出る事を祈っているみたいだった。


「わかった。悪気があった訳じゃないんだね。幽霊は……ごめんよ。お父さんにはわからない。けど……綾ちゃんが怖い思いをしたのは変わりない。そうだろう?」


 言い聞かせるようにそう言う彼のお父さん。それに対して彼は傷ついたような顔をしながらも、私の事情が出てきた時、ビクリと身を強ばらせた。


「ちゃんと彼女の目が覚めたらまず謝るんだ。出来るよね?」

「……うん。お父さん、僕……」

「幽霊のお話は……あまりしてはいけないよ。辰と同じくらいの子は、怖がるだろう。辰も、辛いだろう」

「………………うん」


 ほんの一瞬だけ、彼の目に諦感が宿り。多分それに気づいた彼のお父さんは、苦しそうに顔を歪めて……。すぐに表情を、元の優しいものへ戻した。


「綾ちゃんの、看病してあげよう。大丈夫。あの子は優しいから。きっと仲直りできるよ」

「……うん」


 貼り付いた笑顔を彼は浮かべている。

 それを見た私は、胸が締め付けられるようで……。同時に、思い出す。

 この後に起こるのは、彼の絶望だ。

 こうして回想するまで〝忘れていた〟そう。私は忘れていたのだ。この奇妙な恐怖体験を。

 故に彼は私に謝らず。いや、謝れなかった。それは、私の中に封じられた恐怖の根源を紐解くに等しいから。


 あれが何だったのか、私にはわからない。

 けど、そんな私でもわかることがある。彼は多分……。


 ※


 心地よいお香の匂いに包まれながら、私はゆっくりと目を開けた。知らない天井がそこにあり、同時に身体を暖かい何かが覆っている。これは……お布団らしい。


「やぁ、目が覚めたか」


 ちょっとだけハスキーな女の子の声。寝惚け眼を横に向けると、壁に寄りかかるようにして足を投げ出し、ペタンと畳に座っている女の子がいた。


「……誰?」

「名前は…………。〝魔子(マコ)〟そう皆は呼ぶよ」


 見た目からしては多分、高校生くらい。

 ちょっとだけクセがある、茶髪のストレートロング。黒い少し大きめな半袖Tシャツには、『童貞殺す』と、白い文字でプリントされている。正直Tシャツ単体だと凄くダサい。筈なのに、このギャルっぽい、それでいて華やかな顔立ちの女の子が着ると、何だかかっこよく見えてしまう。

 下はデニムのショートパンツのみ。靴下も何もはいておらず、健康的な生足を惜しげもなく晒している。

 そして……。何よりも目を引くのは、顔だ。綺麗な顔立ちの上に、黒いファッション用の眼帯が付けられていた。


「……えっと、ここは?」

「店の中だよ。覚えてない? アンタ、あたしを見て気絶したんだよ」


 失礼な奴だ。と、マコちゃんは邪悪に笑う。明らかに楽しんでいる顔だった。


「貴女を見てって、どうして……――っ!」


 そこまで考えて、不意に記憶が甦る。そうだ、明らかにおかしな化け物が急に私に飛び付いてきて……。


「って、ちょっと待って。貴女、が?」

「あ、やべ。バラしちゃダメだっけ。まぁいいか。そうだよ。アタシは……悪魔なのさ」


 ……ごめん、意味わかんない。


「あ、悪女よね? 聞き間違いよね?」

「ちげーよ。格下げすんなし。悪魔。デビル。OK?」

「そ、そんな。まさか……。だってどうみても人間で……」

「また変身してみるかい?」


 コンマ二秒で私はお布団の中に籠城した。

 途端にマコちゃんの笑い声が響き渡り、「冗談冗談。出てきてくれよ」という声で、長崎の出島もかくやに首だけ開国する。


「……もうやだ。この一日だけで驚きすぎよ」

「だろうね。しかも低級とはいえ神様に悪戯されたときた。……何かこの響きエロくね?」

「知らないわよ」


 でも一番驚いているのは、こうして目の前の自称悪魔と会話していることだろうか。

 姿が人間だからか。麻痺してきてしまったのか。正直わからない。ただ……。


「……夢、じゃないのね」


 眠って、目覚めても、私の身体はメリーのままだった。

 これは現実。夢だったらよかったのにな。と、思いつつ、何故かホッとしている私がいて……。その途端、すぐ傍でゴクリと唾を飲む音が聞こえた。マコちゃんだった。

 美味しいケーキでも目の当たりにしたみたいな顔。私は無意識で「何よ」と、睨み付けてしまう。身体が震えているのは、気のせいじゃなかった。


「ところで……アンタさ。あの男。シン・タキザワが好きなんだろ?」

「――ふやっ!?」


 不意討ちだった。

 出会ってまだ一分も経っていないのにこうして言い当てられた驚きと、こうもストレートに想いを誰かに語られたのが久しぶりすぎて、私は気がつくと布団を撥ね飛ばすようにしてのけぞっていた。


「な、なな何を言って……」

「隠すなよ。これでも悪魔さ。人の隠し事には敏感なんだ。特にアンタみたいな極上の魂の持ち主には、ね」

「ご、極上?」


 意味がわからなくて私が震えていると、マコちゃんはニタリとした笑いを崩さずに、のそのそと膝立ちになる。


「当ててやるよ。アヤ・リュウザキ。アンタさ。もしかしなくても、このまま戻らなければ……とか、思ってるんだろう?」

「なっ……違っ……!」

「嘘はつくな。わかるんだよアタシは。そりゃそうか。アンタはこのままじゃ、一生アイツに抱き締められる事はない」

「それ、は……」

「考えなかったかい? このまま、あの人形女が見つからなければ……って」


 ザクリと。心にナイフを突き立てられる。

 止めて……。止めて。私はそんなこと……。


「思った筈だ。イメージした筈だ。あの女が見つからなければ、シン・タキザワの傍には誰もいない」

「……うるさいわ」

「チャンスが、巡ってくるぞ?」

「そんなの……! 卑怯じゃない!」

「笑わせるな。恋にそんなものあるか。手に入れたもん勝ちさ」

「私が嫌だって話よ!」

「強がるなよ。愛なんてさ。本当に一握りの人間しか持ち合わせてないんだよ。目の前に欲しいものがある。取らない理由はないだろう?」

「……っ、私は……!」


 無意識に唇を噛み締める。

 否定できなかった。だって私自身、さっき起きた時、ホッとしたてしまったのだ。

 彼とまだ、一緒にいられるって……!


「アタシはあの女をそれなりに知っている。逆の立場なら迷わず奪っただろうね。そういう女さ」

「だからって……」

「悔しかったろう? 悲しかっただろう? シン・タキザワとあの女が恋人になった時、どう思った?」

「………………勝てないって、思っただけよ」

「それだけか?」

「お似合いだなぁって」

「それだけ?」

「…………っ」

 いつかの昼。病院を出てから飲んだエスプレッソを思い出す。苦くて、しょっぱかった。専用シュガーが全く仕事をしてくれなかったのを、私は今でも覚えているのだ。


「悔しかったわよ! 当たり前じゃない! 何年好きだったと思ってるのよ!」



 挑発するようなマコちゃんの煽りに、私はついに声を荒げる。するとマコちゃんは、待っていたとばかりに私に近づいた。


「ならいいじゃないか。躊躇うなよ。今でこそアイツはあの女一筋だ。だが……。果たして何年、アイツはあの女を想い続けていられるかねぇ?」


 まさに悪魔の誘惑だった。

 的確に私の負の部分をくすぐる、巧みな話術。それに私はグッと拳を握る。

 想像した。メリーがいなくなった後の彼を。

 けど、残念ながら明確な姿は浮かばなかった。

 当然だ。私はメリーと恋人として接している時の彼を、断片的にしか知らないのだから。


「アイツが、欲しい?」

「……っ」

「質問変更。欲しいと思ったことはある?」


 ノロノロと、導かれるように頷いた。するとマコちゃんは興奮したように喉を鳴らしながら、私にこう囁いた。


「協力してやるよ。アヤ・リュウザキ。神と悪魔から支援を受けてみな。アンタの望みは……きっと叶う」


 甘くて美味しい。でも毒があるジュースを勧められているような。そんな錯覚に陥った。

 私が……欲しいものは……。

 色々な記憶がフラッシュバックする。その中には、一度私が負けを認めた場面も含まれていて……。

 その瞬間、私はその場から弾けるように立ち上がった。


「どこ行くのさ」

「どこでもいいでしょ。貴女とはいたくない」

「……あらあら。フラれちゃったかぁ。残念だ」


 そのわりにはちっとも残念そうじゃないのは……気のせいではないだろう。多分、試されたのだ。間違いなく。

 私が拒絶したのを見た彼女の笑みは、ほんの少しだけ嬉しそうで。……何だか人間臭かった。女の勘でわかる。多分、彼に懐いてるのだろう。

 無言で和室の襖を開ける。その先には、昭和の香りが漂う、炬燵のある居間があり、深雪さんがのんびりと座っていた。


「……辰ちゃんは、本棚の方よ」

「ありがとうございます」


 会ってこい。そういうことなのだろう。私も、何だかそんな気がして、黙ってそこを通り抜ける。

 ここの空気は何故だか慣れない。こんな言い方をするのも変だけど、本来は人が訪れる場所じゃないのかもしれない。

 そこでふと、マコちゃんが悪魔なら、深雪さんはなんなのだろう? と考えた。部屋で猫同然に悪魔を放し飼いにしている辺り、ただの人間ではあるまい。

 それを認識した時、にわかに身体が震えだす。さっき視た夢を思い出したのだ。

 きっとあれは、かつて本当にあったこと。根拠はないけれど、そんな確信があって。

 なら、彼は……?


「……たとえどんなのでも、辰ちゃんは辰ちゃんよ」


 少しだけ躊躇いがちに、深雪さんが言う。

 それに返事はせずに、後ろ手に引き戸を閉め、住居スペースを後にする。

 わかりきっている事を言うなと言ってやりたかった。けど、そんな無駄口を叩く前に、私は無性に彼に会いたかった。

 知らなかったことをたくさん知って。同時に、この身体になってから目を背けていたことに向き合う時が来たのだろう。

 違和感はあった。

 ただ、それを認めたら、私達は今以上に離れてしまうのではないか。そんな風に考えて、とても怖かったのだ。

 でも……。


 本棚にたどり着く。彼は……いた。ぼんやりと、木製の脚立の上に座り、祈るように目を閉じていた。

 それが何故だか泣いているかのように見えて。その時私は初めて、彼の気持ちを考えた。


 ある日突然、恋人が別人になって。

 本人は行方知らずになり。

 更には元に戻る保証もない。


 私以上にパニックになっていた。あるいは消耗していたのは彼の方だと、どうして私は気づいてあげられなかったのか。

 こんな魔窟に私を連れて来なければいけない事が、どれだけ彼のトラウマを刺激していたのか。

 そう考えたら、僅かでも悪魔の誘惑に屈しそうになったのが恥ずかしくなった。


「……辰」


 精一杯優しく、大好きな彼の名前を呼ぶ。

 すると彼はゆっくりと目を開けてこちらを見た



 ※



 幼い頃のトラウマ的な体験は、長く尾を引くことが多いらしい。

 僕にとっては昔メリーの前で打ち明けた話。綾に幽霊を見せてしまった、かの事件が該当するだろう。

 当時の僕が夢みた、仲良くみんなで遊ぶという幻想は打ち砕かれた。恐怖で倒れた綾。消えた付喪神達。それはあの日の僕に多大なショックを与えたと同時に、その後のオカルトに対するスタイルが確立された瞬間でもあった。

 特に……自分はきっと、普通の人とは違うのだ。その考えを決定的なものにしたは父さんとの会話だった。

 事件があった家の座敷でことのあらましを語る僕の話を、父さんは真剣に聞き。その上で、あの人は僕を信じないことを選んだ。

 それは、父さんの祈りも含まれていたのかもしれない。思えばあの事件より前の僕は、幼稚園のキャンプで幽霊がいると騒ぐわ、フラッと消えてはあり得ないことを口走る……。親という立場から見れば問題しかない子どもだった。

 きっと父さんは、ここで必死に僕を普通の子どもに戻そうとしたのだろう。だって、僕は今でもはっきり覚えているのだ。僕の言葉を否定する父さんは……少しだけ震えていて。そして、とても辛そうな顔をしていた。

 万人全てが受け入れる主張はない。他者の否定を受け止めることを知るには、僕は幼すぎた。だからそれを見ながらも、僕は自分の主張を決して曲げなかった。

 あの時の僕は悲しみの方が勝っていて。どうして信じてくれないんだと、心の中で叫んでいた。

 父さんは、最後まで僕から目をそらさなかった。

 ただ、否定は無理と悟ったのか。いいや、もしかしたら、僕の中にある弱味や後ろめたさをしっかりと見据えてくれていたのかも。

 だから父さんは、ちゃんと綾の目が覚めたら謝るように。そう僕に言い聞かせた。

 そして、幽霊の話はあまり他の人にはしてはいけない……とも。完全に禁止しなかったのは、父さん自身の迷いもあったのだろう。

 それでもその時の僕は、暗い穴に一人取り残された気分だった 。

 ……この後は、いつかに僕が語った通り。この日以来、僕はオカルトの事を人に話すのは止めた。綾に関しては、もう二度と怖いおもいをさせないよう、徹底的に隠し続ける。そのつもりだった。

 けど、こうして彼女が僕らの行く世界を知ってしまった以上、もう今まで通りではいられない。


『綾ちゃん自身が狙ってやった訳ではないと思うわ。もしかしたら、黒幕からすれば綾ちゃんがメリーちゃんのところへ行くのは予想外だった可能性が高い』


 深雪さんは、そう話していた。そうなると、綾がどうしてメリーのところに来たのか。それが問題になる。

 原因は痴情のもつれ的な恋愛沙汰。そう明言されたら……。鈍感とメリーにさんざん罵られた僕でも、見えてくるものがある。

 ただ、それでもまだ確実なことは言えなくて……。

 まとまりきらぬ思考のまま、魔子を見て気絶した綾を深雪さんらに任せ、僕は暗夜空洞の店内にて、ぼんやりと天井を見上げていた。

 背にした本棚がやけに冷たく感じる。そうして佇んだまま、どれくらいの時間が経っただろうか?

 静かに目を閉じる。呼吸を整えて、遠くから聞こえてくる足音に耳をすました。

 それは少しずつこちらに近づいてきて。やがて、僕の立つ場所から数メートルの位置で静止した。


「……辰」


 彼女と同じ声で、僕の名が呼ばれる。メリーじゃない、メリーがいる。その魂は僕の幼馴染みのもので……。

 その時、僕は見える筈もない姿を幻視した。涼やかな目元が印象的な、黒髪の女性がそこにいる。彼女は声をかけようとする僕を手で遮りながら、真っ直ぐこちらに顔を向けた。


「……夢をみたの。私は空に浮かんでて。小さい頃の辰が、骨董品と友達で……でも、そんな記憶、私にはなかった」


 思わず目を見開いてしまう。それと同時に納得する。心こそ別人でも、この状況で僕の相棒が何の仕事もしないまま沈黙している訳がなかったのだ。素敵な脳細胞と視神経が作用した、オカルトの手がかりを手繰り寄せる力。それは僕の覚悟に背中を押してくれるような、……容赦なくも頼もしい幻視だった。


「ねぇ……辰。教えて? 隠してること、あるんでしょう? 貴方のこと。私、ちゃんと知りたいの。もう、忘れたりしないから……」


 綾の身体が小刻み震えているのが見えた。恐らく彼女も知ったのだ。僕がいる世界が、日常から外れていることを。非日常を恐れる彼女が、この話題について話すことにどれほど勇気を振り絞ったのか。それを思えば僕は心が締め付けられそうになり……。


「本当の貴方を、私に見せて?」


 故にだからこそ、その想いに応えない訳にはいかなかった。

 トラウマや罪の一つや二つくらい。喜んで告白しよう。


「僕はね……幽霊が視えるんだ。――荒唐無稽な話だろう?」


 それは、メリーに話した僕の失敗談。綾は怖がりながらも、僕の言葉にしっかりと耳を傾けてくれた。

 ただ、やはり怖いものは怖いらしく。彼女は話の前半部分だけで結構な冷や汗を流していた。

 思わず無理に理解はしなくてもいいと言おうとしたが、彼女は必死に首を振り拒絶する。元は無関係な筈だった。けど今はもう違う。彼女はそう主張して、こちらに踏み込んできてくれた。

「……知ってる人、いるの?」

「数えるくらいしか。両親や幼稚園の先生とかには小さい頃に話して……まぁ、信じては貰えなかった。その後に一騒動あって、それ以来は極力隠し続けてたし」

「……その一騒動って」

「君の想像通りだよ」


 綾がホラーをダメになった原因。そして僕がホラーを追う理由。彼女に秘密にしていたことを、僕は余すことなく話し続けた。

 話が進むにつれて綾の顔がどんどん青ざめていく。何度も心の中で謝り倒しながら僕が全てを晒し出せば、綾は痛みに耐えるような表情で僕の手を両手で包み込んだ。


「……辰は、辰だもん。お化けが視えたって、私の幼馴染みにはかわりないもの。だから……」


 か細い声を絞り出す幼馴染み。その目尻には涙がたまっていた。


「綾……、泣かないで」


 優しく目元に指を当てる。彼女に泣かれてしまうのは本当に弱い。そして……情けなく、不甲斐ないことに、その原因はいつも僕なのだ。

 怖くても頑張ると、彼女は何度も頷いた。

 心当たりがあるんだろう。それだけ変な世界歩んできたのだから。なら……もう遠慮するな。綾は僕を真っ直ぐ見つめたまま、そう言ってくれた。


「貴方の行く世界に、私も連れてって」


 同時に僕の胸を刺し貫くのは、いつもと似ているようで異なる青紫の視線だった。

 少しだけ潤んだ瞳……それは否応なしに僕へ向けた彼女の想いを自覚させる。

 メリーの姿が見えない訳だ。その静かな熱さは綾だけのもの。どんなに姿が違っても、魂は変わらない。

 故にこうして見ると、改めて思うのだ。

 本当に彼女は真っ直ぐで……綺麗な女性(ひと)。こんな素敵な子が幼馴染みで、こうして慕って貰えるだなんて、一人の男として僕はなんて幸せ者なのだろうか。

 だからこそ、このままでいる訳にはいかなかった。

 僕は本当の彼女と向き合わなければならない。そのために……。


 ※


「助けてください」


 いつかのように恥も外聞もなく、僕は深雪さんに頼み込んだ。

 黒幕が綾の身体を乗っ取っている以上、この事件はとにかく早く解決しなければならない。ならば彼女以外の適任を僕は考えられなかった。

それに対して、深雪さんはその場においては「いいですよ」と答えた。あくまで綾がそばにいたからだろう。

 彼女は一度綾を客間に待機させ、今は店の入り口にて買い出しを頼む口実で僕と向かい合っていた。


「二度あることは三度ある。とはいいますが……。予感がしますねぇ」


 絶対三度では済まなそうです。と、深雪さんは苦笑いしていた。カーテンのような前髪から覗く緑色の瞳は、まるで品定めをするかのように僕に向けられている。

 助ける見返りが物語。とはもういくまい。あの時は今までの縁により、大サービスしてもらった結果だろうから。


『……辰ちゃん』


 名前を呼ばれて顔を上げる。目の前にいる深雪さんの姿が変質していた。

 羊の角と女房装束。髪には雅な花簪を刺した艶姿は、いつかに僕が見た、恐らくは深雪さんの本当の姿だった。


『〝何かを変えることのできる人間がいるとすれば、その人はきっと……大事なものを捨てることができる人だ〟』

「……進撃の巨人。ですかね」

『ええ。辰ちゃんは……メリーちゃんや綾ちゃんの為に、何かを捨てることは出来るかしら?』


 試すような視線が僕に絡み付く。嘘や誤魔化しは許さない。そんな気配をひしひしと感じながら、僕は深雪さんを見つめ返した。


「考えは変わりません。皆で笑えない未来なら、僕は頷けない。それでも……いよいよ命を掛けなければ二人を助けられないなら、多分、僕は捧げてしまうのでしょうね」


 ただ、そこに至るまで必死に抗うだろう。それこそ死力を尽くして。


「メリーや綾が不幸になるのは認められない。僕を最初から勘定に入れないのも論外だ。それで泣く人を、僕はもう知っている。だから……本当にギリギリまで、何だってやります」

『わりと凄い強欲でリスキーなことを言ってるの、気づいてます?』


 無表情なまま僕を見ながら、深雪さんはそう呟く。それに対して僕は拳を握りしめながら、静かに頷いた。


『彼女達が不幸にならず、貴方の命が奪われないなら何でもやる。そう言うのね?』

「はい」

『幽霊千体を無理矢理成仏させろと言われたら?』

「腕はしばらくダメになるでしょうが、やりましょう」

『私のおつかいで、辰ちゃんも知らない怖ーい場所に行くことになっても?』

「……行きましょう」

『目玉か(キモ)、半分寄越せと言われても?』

「…………それで二人を助けてくれるなら」

『……簡単に捨てちゃうものを、私が欲しがるとでも?』

「どれもこれも……、簡単に捨ててる訳ないです」


 繰り返される質問に、僕は己の心を語る。自分でも、声が硬くなっているのがわかる。

 痩せ我慢しているのは見透かされているのだろう。深雪さんの目が猫のように細められていた。それを睨みながら、僕は恐怖を抑えて歯を食い縛る。

 恐ろしくても、引くわけにはいかない。当然目玉や肝なんて言われたら怖いに決まっている。僕だって人間だ。深雪さんが冗談で言っていないことも感じ取れたからだ。

 けど……覚悟を決めないとも、僕は言わなかった。


「簡単なわけない。それを全部やったとしたら、二人が悲しむでしょう。けど、それでもこのままでいい訳がない。リスクは百も承知です。無茶苦茶なことを言ってるのもわかってます。でも……僕にはもう、貴女に価値を示す方法はそれくらいしか思い付かない……!」


 声が尻すぼみになっていく。すると、不意にポンと頭に手が乗せられた。

 高めの体温が髪を撫でる。目線の先では、深雪さんが優しく笑っていた。


『大切なものや、欲しいものの為に強欲になる。その為なら代償だって厭わない』


 まるで鬼みたいね。

 そう深雪さんは言いながら、僕の頭から手を離す。

 先程までの超然とした雰囲気は消失し、そこにはいつものお茶目なお姉さんが佇んでいた。


『リスクは、背負って貰います。何回も無償で助けることは、〝私の性質上は不可能なので〟』


 悪しからず。そう深雪さんはウインクしながら、そっと己の胸に手を当てた。


『だから辰ちゃん。これは試練と心得なさい。メリーちゃんと綾ちゃん。その両方を助けたい。その為に私の力を借りたいというのなら……。辰ちゃん。私を捩じ伏せてみせなさい』

「……深雪さんを?」


 思わず聞き返す。はっきり言おう。無理であると。だが、そんな僕の空気を読み取ったのか、深雪さんは違う違う~と口を尖らせながら、トントンと指でこめかみをつついた。


「冴えないわねぇ。らしくないですよ? 押し倒せとかそんな野蛮な事はいいません。怪奇相手にそんなことが出来るのは、一部の超人だけですから」


 俵藤太とか渡辺綱とかね。と、呟きながら、深雪さんは両手を広げた。


「昔からそう。怪奇を倒し、屈服させるのは人の知恵。正体を暴くことは、その怪奇を弱らせることに繋がるわ。けど、〝私の場合はそうではない〟」


 だからこれが貴方の越えるべき試練に繋がる。そう付け足して、深雪さんはそのまま僕を真っ直ぐに見た。澄んだ深緑色の瞳が、まるで翡翠のように輝いて。

 

「辰ちゃん。私の正体を当ててみて。出来ないのならば……貴方は私のものになってもらいます」


 間違いなく本気の声色で、彼女はそう宣った。

深雪さんのキャラクターマテリアルを一時的に非公開にしました。

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