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渡リ烏のオカルト日誌  作者: 黒木京也
恋呪いに立つもの
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浅草迷店案内

 正直な話をしてしまえば、この状況は予想していた。

 僕とメリーは、何かあった時の為にお互いの電話番号を暗記している。文明の利器だって万能じゃない。寧ろ非日常な状況に巻き込まれた時に限って欠片も役に立たないことを、僕らはだいぶ前から学んでいる。

 だからこそ、今回のような状況に陥った時、メリーならばすぐに僕に連絡を取ろうとする筈なのである。

 故にメリーが綾の身体になっていると仮定して考えると、彼女から電話がない時点で何かしらの不都合が起きているとわかってしまった。それは同時に綾の中には彼女以外の何者かがいるという、最悪な可能性が浮上してくることも意味していた。

 唯一の救いは……。綾の中にいる誰かの情報を、ある程度ならば絞り込めるくらいに引きずり出せたことだろう。

 だからこそ、僕はもう一度情報を整理する。反撃の糸口を掴むべく。

 場所はさっき電話をかけた場所から動かずに、僕は怯えてうなだれる綾を励ましつつ、問題の深淵にメスを入れていった。


「さて。僕が綾の偽物……偽綾でいいか。にした質問を思い出してみよう。彼女は多分だけど、高校卒業以降に出会った君の知人。もしくは君を一方的に知っている人物だと思う。それでいて、悪意を持って君に成りすましている」


 僕がそう言えば、綾はちょっとだけ疑わしげに眉をひそめる。そこまで絞り込めちゃうの? と顔には書かれているが、僕は少なくともこの予測……特に高校卒業以降という点には確信が持てていた。


「その前に確認したいんだけど、江ノ島旅行は本当?」

「ええ、そうね。そうよ。他大学のサークルと合同で……っ! そう、結衣ちゃん! 結衣ちゃんが一緒の筈よ! 家にいたなら、どうして……!」


 小さく頷いた綾はそこで思い出したように手を叩く。

 田中結衣。綾の古い友人であり、綾と同様に地元の大学に通っている女性だ。一緒にということはお泊まりしていたのだろうか? だとしたら、これでますます相手は僕が絞り込んだ状況下で綾をよく知っている人物であることは間違いなさそうだ。

 田中さんは聡明で、時々ゾッとするくらい勘が鋭いのである。案外、今も綾の様子がおかしいことに気づいてくれているかもしれない。……後で連絡してみよう。


「相手が君じゃない。これはわかりきっているから保留しよう。ララを弟にしちゃったこととか。君が僕にくれたバレンタインは手作りチョコじゃなかった下りとかに反応しないから、一目瞭然だ」

「ぐ……うん」


 話を続けていく。多分料理関係で綾が悔しげな顔をみせていたけれど、そこは実際に重要な部分なのでスルーして、僕は意図的にばら蒔いた嘘を回収していく。闇雲に口にしたわけではない。あれは、中にいる人間の環境を調べるためのものだ。


「まずは、偽綾は僕をそんなに知らないこと。これだけで、高校時代までの知り合いである可能性が低くなる」

「え、なんで……あ、そっか」


 高校卒業まで僕と綾は結構な頻度で一緒にいた。幼馴染みという間柄もあり、地元の友人らが男女の関係を邪推するくらいには、仲が良かったと思う。それを知っているならば……さっきの電話みたいな事務的な受け答えはしないだろうし、そもそも僕の名前すら呼ばなかったのも怪しい。

 十中八九読み方が分からなかったのだろう。自虐になるが初見で他人に名前を教えて、正しく呼んでもらえたことは一度もないのである。

 加えて料理だ。綾は料理が苦手……ではなく、極めて個性的だというのは高校までの知り合いならば誰もが知っている。

「ヤバイだろう? エプロンつけてる姿は天使なのにさ……これ、餃子らしいよ……?」と、コメントを残して保健室に運ばれた田中さんの姿は今でも脳裏に焼き付いているし、ついでにこの後「お前の幼馴染みだろ? この創作餃子なんとかしろ」という先生の一言で僕も後追いする羽目になった話は、今もよく級友らの間でネタにされているくらいだ。

 当然、手作りチョコなんて送って来るわけもない。こんな濃いエピソードを知らない点から、相手は綾が高校卒業以降に知りあった人物と見ていいのではないだろうか。


「勿論、だいぶ穿った見方だとは思うよ。けどその後に偽綾は、僕がわざと間違えたサークル情報を訂正してみせた。これは多分、偽綾が知りうる情報の中で確実なものだから、自分の信憑性を増すために、つい訂正したくなったんだろうね」

「……誘導尋問?」

「似たようなものだよ。これで当たり障りない答えを返してきたなら、全くの他人と言えたかもしれないけど」


 偽綾はそれを訂正した。それが意味するのは……。


「相手は証明してしまったんだ。自分は竜崎綾が写真サークルに入っているのを知っている人間です。ってね。ついでに、旅行があることも把握しているときた」

「……旅行の事は、両親以外には話してないわ。知っているのは、サークルメンバーと、他大学のサークルだけ」

「ああ、それだって知り合いの知り合いに伝わる事もあるだろう。けど、それはいい。問題は君の中に入った人だ」


 悪意を持ってなりすましているのは確定だ。偽綾は明らかに舞い上がっていたから。

 想像してみよう。いきなり誰かの中に入った人物が、その知人からの電話で好きな人が出来た。なんて宣言をするだろうか?

 綾の中にいる誰かは自覚しているのだ。何らかの形をもって自分が他人の身体に入り込んでいるということを。


「何が……目的なの?」

「言葉を素直に受け取るなら、君の身体を借りて意中の相手と恋仲になること……かな。もっと突き詰めれば……君の身体を乗っ取る。とか……」


 僕が推測を述べれば、比例するように綾の顔が青ざめていく。無理もない。自分が預かり知らぬところで自分の身体が好き放題に振る舞い、挙げ句は誰かと恋仲になるだなんて普通は耐えられないだろう。

 加えてこの現象は仮に解決出来たとしても、当の黒幕は何も失わないという悪辣さも兼ね備えている。

 綾の身体を傷つけるも、周りからの信頼を地に落とすことも思うがまま。それ全てが綾にのしかかってしまうのである。綾そのものを人質に取られていると言っても過言ではない。

 ギチリと、奥歯が軋みを上げた。

 時間は刻一刻と過ぎていく。こうしている間にも、綾に入った誰かが、どんな行動を起こしているのか予想もつかないのだ。メリーも心配だけれども、彼女に関してはもっと手がかりがない。ならば、絶対に何か関係がある綾の異変を追うことが最終的な解決の糸口になるだろう。


「……とにかくだ。まずは君の身体を元に戻す方法を考えようか」


 絞り出すように言葉を重ねて、僕は綾の頭に手を乗せる。心臓が痛いほどに拍動していた。今は気づかないでと願いながら、僕は彼女を安心させるように笑顔を浮かべる。

 不安を隠しきれぬまま彼女は唇を噛み締め、目を潤ませながら僕を見る。その瞬間に、僕は心の中で綾に謝罪した。 


「大丈夫。きっと大丈夫だから……泣かないで」

「…………うん」


 優しくそう諭せば、少しだけ落ち着きを取り戻したのか、綾は小さく頷いてくれた。これから僕がしようとしていることなど、知るよしもなく。

 でも、不思議なことに一度決意してしまった僕は、胸は痛んでも考えを取り下げる気にはなれなかった。

 来るべき時が来たというべきか。仮にこれで嫌われたとしても仕方がないと思っている自分がどこかにいたのである。

 認めよう。僕は今から彼女を怖がらせることになる。よりにもよって綾が一番苦手なオカルトの世界に……。その気配が濃い所へと彼女を連れていこうとしているのだから。


「……さて。それじゃあ準備しよう。いつまでも部屋にいちゃ、解決しないだろうからね」


 目指すは僕のバイト先。暗夜空洞。

 正直深雪さんに借りを作りすぎると後がとても怖いのだけれど……。スピード決着を目指すならば、どうあってもあそこに行くのが最適解となってしまう。何よりもメリーが不在の関係上、手がかりを得られないのが致命的だった。

 迷っている時間も惜しいし、僕一人で難しいのは火を見るより明らか。ついでに、関わっていそうな案件の由来が、とてつもなく危険な香りがするのも事実である。

 ならばもう……腹をくくるしかない。

 お互いに身支度をすませ、念のため綾の首にお守りをつける。

 枕元に置いていた、メリーの誕生日にプレゼントしたコインペンダント(二代目)だ。今度こそ悪いものから彼女を守ってくれますように。そう願いながら。


「元に戻すって言ってたけど、当てはあるの?」

「うん、勿論だ。取り敢えず君らが江ノ島に着く頃に。あるいは着いてから僕らも現地に行くのは勿論として。頃合いを見て田中さんにも連絡したいかな」


 玄関でブーツに履き替えながら、綾がそう訪ねてくる。それに頷きつつ、簡単な方針を説明して……僕は彼女の隣でこっそり拳を握り、開いて……干渉を開始する。

 あくまでも予想だが、メリーの身体に綾が入っているのなら……今の彼女は間違いなく視えるだろうし、下手すれば幻視(ヴィジョン)もやってのけるかもしれない。

 いつかに感想を述べたけど、都会は……東京はまさに魔都と表現するに相応しい場所だ。

 ちょっとした街角にいる幽霊ならばそこまで見分けもつかないだろうが、万が一電車や線路の近くにいる、色々とはみ出てたり、ぐちゃぐちゃな状態の霊を彼女が視てしまったなら?

 間違いなく、綾は悲鳴を上げて気絶するだろう。だから……。


「あと……君に、会わせたい人がいる。こういう訳のわからないものに詳しい人が……知り合いにいるんだ」


 僕が退けなければいけない。本来なら彼女が視なくてもよかったものをちゃんと伝えるまでは……。彼女の素敵な脳細胞と視神経を、僕の手で覆い隠そう。


 ※


 地下鉄に揺られること数分。

 目的地である浅草へたどり着いた僕達は、大きな通りから外れた、下町の路地を歩いていた。

 観光地特有の喧騒は既にない。それもその筈だ。今まさに僕らが歩む場所は、いわば日常と非日常のちょうど境目に位置している。

 まだ午前中だというのにどことなく黄昏時を思わせる不思議な郷愁さを孕む空気は、常世から外れた場所へ行かんとする人間を試す、いわば天然の結界だ。

 ここを通れるのは、僕やメリーのように視える人や怪奇の類い。そして、そういった存在に悩まされて非日常側へと天秤が傾いている人間だけ。当然ながら、人の気配などある筈もない。

 いるのは……。


「今から行くとこ……お店、なのよね?」


 いつもタライを磨いている女性の霊や、干し柿が吊るされた軒下で、ぼんやりと虚空を見つめている手足のない老人。そして……。ふわふわと小鳥のように飛ぶ、形代(かたしろ)と呼ばれる紙で出来た人形(ヒトガタ)

 それらをいつものように無視しつつ、僕は不安げに問いかけてきた綾の手を取る。

 視えてはいないようだけど念のため。霊や老人はともかく、この形代は何度も見ているが、未だによくわからない。……暗夜空洞のそばでしか見ないので、多分深雪さんの手がかかっているのだろうけど……。


「わっほぉい!」

「あっ、しまっ――いだだだだだ!」


 なんて考えていた矢先、いきなり綾に手を捻り上げられる。

 警察官もびっくりな鮮やかすぎる制圧技は、あっさりと僕を無力化した。それでも能力を途切れさせずにすんだのは、綾が一瞬で我に返り、僕を解放してくれたからに他ならない。


「……ごめんなさい」

「いや、いいよ。僕も悪かった。ついメリーにやるみたいにしちゃって」

「……ふぅん」


 たぶん、いきなり手を繋ぎだしたからびっくりさせてしまったのだろう。まさか君が幽霊を視ないようにだなんて言える訳もなく、適当な誤魔化しを口にすると、綾の目はみるみるうちにジトリとしたものになっていく。

 繰り返すが見た目は恋人なので、何だかメリーに怒られている気分になるが、ここで怯むと元もこもないので、僕はもう一度彼女に手を伸ばす。


「離れないように。後は……まぁ、他にも色々と理由はあるんだけども」


 僕が、落ち着かないんだ。偽りなくそう伝えれば、綾はしばらく僕の顔をじっと見て。やがておずおずと手を重ねてくれた。

 ふにゃりとした柔らかい感触が手に広がっていく。同時に刺すような不安が僕を苛んだ。

 メリーは……。本当に彼女は今どこにいるのだろう。そんなことを考えながら、再び曲がりくねった路地を歩き出す。綾がぼそりと何かを呟いた気もしたが、今は聞き返す気になれなかった。

 もうすぐ僕がやろうとしていること。それを考えながら一歩一歩。覚悟を踏み締めていく。……まるでギロチンにかけられる死刑囚になった気分だった。

 怖い……ああ。多分僕は怖いのだ。それでも……。

 やがて、古きよき駄菓子屋を思わせる、トタン屋根の家が見えてきた。入り口にはお洒落なカフェを思わせるアンティークの立て看板があり、その周辺にはところ狭しとばかりに、木造のオブジェや石燈籠。招き猫や狸の置物。風車に旗織物が無造作に積み上げられていた。おかげで、ただでさえ小さな出入り口が更に狭くなってしまっている。

 最初の目的地。暗夜空洞だ。




「……え、ここ?」

「うん。入るよ」


 唖然として立ち尽くす綾の手を引き、店内へと足を踏み入れる。

 古書の匂いと白檀の香りが僕らを包み込む。

 同時に、隣で綾が感嘆の声を上げるのがわかった。

 本の迷宮。あるいは本で出来た異界とも言うべき薄暗い室内はカンテラの灯りでぼんやりと照らされている。アンティークな内装が大好きな綾にはたまらない空間かもしれない。もっとも、よく見ると怪しい書物に混じって比較的新しい漫画や写真集などがバラバラに詰め込まれている本棚が多いので、雰囲気はすぐにぶち壊されてしまうのだろうけど。


「綾、どうしたの? 行くよ」

「……え、ええ」


 案の定、しばらくたてば何とも言えない表情になった綾と一緒に店の奥へ向かう。

 すると、すぐに見慣れた古めかしい会計カウンターが見え始めた。


「あら、辰ちゃん、いらっしゃあい」


 ギシリ。ギシリと、木が軋むような音がする。お気に入りのロッキングチェアに腰掛けた深雪さんが、にこやかに僕らを出迎えて……。なんだろう。心なしか、急に僕の手に圧がかけられ始めた。


「おはようございます、深雪さん。今日は……痛い!? ちょ、綾? 綾さん? 何故僕の手はこんなにも締め付けられているのでしょうか!?」

「……うるさい。この……貴方、このっ。このっ……!」


 気のせいかと思ったが、そんなことはなかった。しまいにはげしげしと脛が蹴られ始める。

 抗議をしようにも、綾からは何らかの原因で拗ねている時の空気が放出されていて……。長い付き合いだからわかる。これは自分でも理不尽だとわかっていても、止められなくて攻撃する時の顔だった。

 困ったなぁ、どうしよう? なんて思いながらひとまず深雪さんの方に目を向ける。

 彼女は……。ほんの少しだけ驚いたように、小さく口を開けていた。

 深雪さん? と、僕が呼び掛けようとすると、それよりも早く彼女はロッキングチェアから降りると、音もなく綾の方に近づくと、まるで観察するかのように綾の顎を人差し指で上向きにした。


「えっと……あの……!」


 さすがに戸惑ったらしい綾が声を漏らしても、深雪さんは目をそらさない。カーテンみたいな前髪の奥で、エメラルドを思わせる深緑色の瞳が爛々と輝いて……。やがて、その薄い唇からはいつもの飄々としたものではない、囁くような冷たい声が漏れた。


「……貴女、〝神様の悪戯〟にあったのね」


 ……今更だけど。本当に何者なんだろうか? この女店主さん。

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