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渡リ烏のオカルト日誌  作者: 黒木京也
恋呪いに立つもの
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メリーさんの消失

 その日は、ごくありふれた一日の始まりだった。


 素敵な朝の始まり方とは。そう聞かれたら、どのようなものを想像するだろうか。

 僕ならば、目覚まし時計の介入なしに朝の日差しで目を覚ますこと。と、答えるだろう。

 寝不足にも寝過ぎにもならない適度な覚醒は、それだけで身体を爽やかにするものだ。

 加えてそこが休日だったならば。きっと心は穏やかになるに違いない。

 更に。そんな満ち足りた瞬間を一人で迎えなかったとしたらどうだろう? 起き抜け一番に見るのが、大好きな恋人の顔だったなら……。それはまさに、最高に幸福な朝とは言えないだろうか。

 何を隠そう今の僕がそうだった。

 寝惚け眼に映るのは、ほんのりと赤みを浴びた顔で僕のを見つめてくるメリーの姿。

 一糸纏わぬ裸身がカーテンの隙間から射す陽光に照らされて、シミ一つない白い肌をより美しく強調していた。

 ウェーブのかかった亜麻色のセミロングヘアはたわわに実った乳房を覆い隠している。その絶妙な塩梅が醸し出す色気は、いっそ神々しくもあり、僕は頭の奥がダメな方に熱くなるのを感じた。

 女神みたいだ。そんな感想を頭に浮かべた時、不意に僕は昨晩の熱や柔らかさを思い出す。


 昨日は恋人となってからの初めてのバレンタイン。クリスマスがわりとオカルト騒動のおかげで予定の半分以上が潰れてしまった反動か。全く邪魔が入らなかった……もとい部屋から出なかった僕らは、柄にもなくはしゃいでいたんだと思う。

 お付き合いする前……つまりは去年に「バレンタインは、男の子からが主流らしいわよ」と、唆された時があった。あの時は何も用意していなかった僕であったが、今年はしっかりと作ってきたのである。

 当のメリーはまさか貰えるとは思っていなかったらしく。とても嬉しそうなのが印象的だった。

 フォンダンショコラとチョコレートカップケーキを交換し、至福のティータイムを楽しんで。その後は借りてきた映画を観たり。美味しい夕食と味を覚えたばかりなお酒を楽しんだりと、チョコレートみたいな一時を過ごす。

 そこから先は少々甘味と刺激が強すぎて、二人揃って歯止めがきかなくなったりもしたが……。それは仕方がない。

 互いの身体がガナッシュのように蕩けていく錯覚に陥る程、その夜は濃厚で情熱的だった。

 生クリームみたいに好きの気持ちを何度もかき混ぜ合わせ、全てが終わった頃にはほとんど気絶するように眠りについて……今に至る。

 身体の芯にまだ残る、心地よい倦怠感。そんな中で夢の世界へ旅立つ直前に囁かれた言葉を思い出した僕は……。


 彼女への愛しさが止まらなくなっていた。

 思い出してそうなってしまうくらい、彼女の殺し文句は反則だったのである。

 故に、朝からわりと本気でキスしてしまったのを誰が責められようか。


「え……? んっ――」


 顎の下を優しく指で上げて、唇を重ねる。寝起きの僕がいきなりそんな暴挙に出たせいか、彼女はビックリしたように目を見開いていた。

 触れ合う肌が熱い。メリーの中にも確かな火が残っているのを感じて、僕はひたすらに彼女を攻める。

 狼狽したような声をあげるメリーは、身を捩り、僕から逃れようとしていた。

 基本ありとあらゆる事に動じない彼女だが……。わりとこういうことで僕が不意討ち気味で大胆になると、結構あたふたするのを知っている。……勿論、それは長くは続かないのが通例ではあるけれど。


「ぷはっ、ま、待って。待ってぇ……んぅ……」


 いっぱいいっぱいになっている時の声がひたすらに可愛らしい。

 でも、今日は何だかいつもより冷静になるまでの復帰が遅いような気もする。寝起きだからだろうか? 彼女ならそろそろ反撃してきかねないのに。

 ちょっとだけ好奇心が鎌首をもたげ、メリーの顔がみたくなった僕はそっと唇を離す。銀色の滴が架け橋になって二人の口を繋いでいた。それを親指で優しく拭い取れば、メリーは僕の胸板にしがみついたまま、浅く息を乱していた。


「あ、う……」


 もしかしなくても、僕の中に芽生えた情欲に気付いたのか、メリーは潤んだ瞳を泳がせながら、紅に頬を染めた顔で、腕の中から僕を見上げてくる。

 その破壊力を目の当たりにした時。ヤバイなぁと、自分の中で警報がなる。引き寄せれば彼女の身体がビクリと跳ね上がり、それが何だか面白い。

 だって、君が悪いのだ。あんな台詞を吐いておいて。いざ朝起きてみたら、凄く熱い視線で見つめてくるなんて。

 そんなに僕を狂わせて楽しいのだろうか。だから――。


「おはよう、〝シェリー〟」


 それは僕と彼女だけしか知らない秘密の合図。

 するとメリーは、ボフン! とこれまでにないくらい顔を真っ赤にして。酸素を求める金魚みたいに口をパクパクさせる。

 ……その瞬間。僕ははじめて違和感を覚えた。後にこれは、もっとはやく気づけと自分で大反省した案件になるのだが、今それは別のお話。

 現状を支配しているのは、目の前にいる恋人が出す、あまりにもらしくない態度だった。

 おかしい。いくら寝起きで、結構いつも以上に大胆な行動に走っていたとはいえ……。あのメリーがずっとアワアワしている?

 直感というべきか。それとも虫の知らせというべきか。案の定、決定的な反応はすぐにきた。

 メリーの口がみるみるうちに叫びの形になり、そして――。


「ピ……」

「……ピ?」

「ピギャアアァアアアァァアアア!!」


 つんざくような悲鳴が響き渡る。さらに追い討ちをかけるかのようにメリーは滅茶苦茶に手を振り回し、僕はあえなくベッドから締め出されてしまった。

 カッコウに巣から突き落とされる卵になった気分で、僕は背中の痛みにしばし悶絶する。だが、それがかえって僕を冷静にさせてくれた。心が、最大限に警戒せよと騒いでいる。

 その最中に「ガン!」という硬いものに何かがぶつかる音がして、苦痛に呻く声が耳に入ってくるが、すでに僕にとってそんなもの興味から外れていた。


「……え? てか、待って。〝シェリー〟……? ――っ!? な、なんじゃこりゃあぁ!?」


 募る不信感に拍車をかけるかのように、ベッドにいる存在は絶叫を上げた。それを聞いた時、僕の中で疑惑は確信へと変わっていき……幸せな熱が、急速に氷結していく。

 信じがたいことだが、そこにいるのはメリーじゃない。彼女の姿をした……誰かなのだ。


「お風呂入ってくるっ!」


 誰かはそう言って、脱兎のごとく寝室から逃げ出した。取り残された僕はノロノロと起き上がり……。しばらくの間、その場でぼんやりと座りこんでいた。

 胸を占めるのは強烈な不安感だった。

 いつからだ? 昨日の夜はあり得ない。多分僕らが眠ってから。だけど……そうだとしたら、おかしいことが多すぎる。

 僕とメリーが一緒にいて。ましてやここは僕の部屋だ。コウトのような例外中の例外が起こらない限り、眠っていたとはいえ、こういった異変や侵入に僕らが両方とも気づかないなんてありえるのだろうか?

 いや、それ以前に……。


「メリー……?」


 名前を呼びながら、僕は部屋を見渡す。いくつもの可能性や推測を考慮しながら、僕は見えないものをみるように目を細めるが……結果は変わらなかった。突きつけられた事実に、僕は嘘であって欲しいと願いながら、両肩を抱く。

 酷く、寒かった。同時に、おやすみの前に彼女が「幸せ……」と呟きながら口にした言葉が、僕の中でリフレインする。


『辰、おやすみなさい。……また明日も、いっぱい愛してね』


 疑いもなく、そんな幸せが続くものだと信じていた。

 けどその〝オカルト〟は、唐突に僕らに牙を剥いた。後から回想すれば、あらかじめ起きることが決定していた出来事だったのだが、今の僕にはそんなの知るよしもなく。


「どこに行っちゃったんだよ、相棒……」


 2月15日。バレンタイン翌日の朝。

 ある日突然、恋人であり相棒である女性は、何の前触れもなく僕の前から姿を消したのである。

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