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渡リ烏のオカルト日誌  作者: 黒木京也
富士樹海の蜘蛛夫婦
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薄れる意識の奥へ

 日が落ちて、夜がやってくる。

 僕ら三人には、遠坂さんの部屋が宿泊場所としてあてがわれた。

 元々私室は二つしかないらしく、もう片方はあの女の子の部屋らしい。……果たしてあの様子では、普段おとなしく部屋で寝ているのか甚だ疑問だが。


「どう、思う?」


 明かりを小さくした、薄暗い部屋の中。僕らは壁がわからメリー、ルイカちゃん、僕といった具合に川の字でベッドに身を横たえていた。

 元が一人用らしく、三人で入るにはかなりくっつく必要があったのだが、その辺はやむなしと割り切った。

 というか、僕は最初は床で寝る予定だったのを、ルイカちゃんが却下したのである。

 両手で僕とメリーの腕をがっちりホールドする彼女は唇を噛み締め、無言で一緒に寝ろと訴えてきていた。

 祖父である教授は行方不明で、あんな化け物蜘蛛に追いかけまわされたのだ。無理もない反応だった。


「それは遠坂くんについて? それとも、あの不可解な蜘蛛について?」

「……両方」


 すやすやと寝息を立てるルイカちゃんを優しく撫でながら、メリーはさりげなく戸口に目を向けた。

 意図を察した僕は、ルイカちゃんを起こさないようにそっとベッドから這い出すと、部屋の扉を少しだけ開ける。

 廊下は……否、ロッジの中は完全に暗闇で閉ざされていた。 誰かがいる気配はない。遠坂くんと女の子が消えた部屋も、不気味なくらい静かだった。


「……オールグリーン」

「了解。帰還せよ」


 場を緩めるべくちょっとしたジョークを交えてから、扉を閉め直してベッドに戻る。寝惚けたルイカちゃんが引っ付いてくる。不安げにこしこしと額を擦り付けてくる姿が、少しだけ妹のララにだぶってみえた。


「メリー?」

「え? あ、うん。なんでも。貴方……いい匂いするのよね」


 何故かメリーがルイカちゃんを見つめている。それがなんだか欲しい玩具を我慢している子どもに見えたのは……多分都合のいい解釈だろう。

 いい匂いは昔ララや綾にも言われたことがあるが、自分ではよくわからない。だいたい、それを言ったらメリーの匂いだって反則だと思う。魅惑でたまに僕がくらくらしているのを、多分彼女は知らないのだ。今だって……。

 途端に謎の恥ずかしさを感じて、僕は顔を伏せた。


「……辰?」

「なんでもない。話を戻そう。蜘蛛の話だけど、奴は……」

「知性がある?」

「やっぱり君もそう思った?」


 最初におかしいと感じたのは、対峙して僕が写真を撮ろうとした時だ。

 あの時メリーは、蜘蛛の前に躍り出ていなかった。少し離れたところで電話をしようとしただけだ。にもかかわらず、蜘蛛はすぐ目の前で妙な行動を取る僕を無視して、メリーに向かっていった。動物の本能はいまいちわからないが、明らかにおかしい事はよくわかる。

 まるでメリーの電話を阻止しつつ、僕に撮影される位置から移動したかのように見えたのだ。

 何より……奴が消えてから、僕らのスマートフォンがなくなってしまったこと。いくら騒ぎに巻き込まれたからとはいえ、二人分の端末がこうも都合よく消失するだなんて考えにくい。


「蜘蛛が持っていったのかしら?」

「それが一番正解に近そうだ。それに、奴は遠坂さんの声にも反応した。十中八九、こっちの会話を理解していると考えていい。そうなると……」

「一番嫌なのは、あの蜘蛛と遠坂くんがグルだった時……ね」


 その通り。思い出してみると教授が消える直前に、あの近くでは男性が目撃されている。教授がそれを追っていった結果、僕らは取り残され、そこに狙ったように現れた蜘蛛。そいつは樹海の奥までついてきて……。一連の流れが、どうにもシナリオじみた不自然さがあるのは、絶対に僕らの気のせいではないだろう。


「目的がわからないわ」

「積極的に襲ってくるタイプじゃないのかも。道を外れさえしなければ、富士樹海は人気の観光スポットでもあるんだし。人を度々拐っているなら、目撃証言や通報がないのはおかしい」

「たしかに。この辺で神様って呼ばれてるなら、情報が全くないのはむしろ不自然だわ。ネットで噂になってもいい筈よ」


 こうなると、ますます遠坂さんまで怪しくなってくる。

 どうして彼はこんなところで女子高生と住んでいる? あんな化け物を相手にして、あの落ち着きぶりは何だ?


「別の視点から考えてみましょう。仮に誰もここに巨大蜘蛛がいるのを知らないとして。どうしてそんなことがあり得たのか。私達は何故襲われたのか」

「……実は誰にも見つけられたくないとか?」


 例えば、あの後に教授が見てはいけないものを見てしまい、関係者である僕らにも……。そんな推測が生まれた時。思わず背筋が寒くなり、僕らは顔を見合わせた。


「口封じするなら、僕らを明日送り届けるなんて言わないんじゃないかな……なんて」

「一人一人食べたいから、ここに留めてる。も、あり得そうだわ」


 黙ってたらどんどん嫌な方へ想像が行きそうだった。かといって、眠るのは少し怖いのも事実である。いっそ夜通し起きてようかと思いかけたとき。ふと、袖口が引っ張られた。いつの間にか、ルイカちゃんが目を覚ましていた。


「ルイカちゃん?」

「と、トイレェ……」


 硬質だった場の空気が、一瞬で柔らかくなる。思わず苦笑いしながら起き上がれば、ルイカちゃんは僕らの手をしっかり握りしめていた。

 遠坂さんはトイレとかは自由に使っていいと言っていたので、一応足音を立てないように部屋を出る。あらかじめ受け取っていた電池式のランタンに明かりを灯して、真っ暗で短めな廊下を進む。トイレはリビングの端にあった。


「そこ、そこいてね?」


 念を押すルイカちゃんに笑顔で頷いて、僕らはリビングの一角で待機する。すると突然、メリーが何かを思い出したかのように動き出した。


「メリー?」


 どうしたの? と聞くより早く、彼女は唇に指を当てて静かに。のジェスチャーをする。そして僕が見守る前で音もなく、冷蔵庫に近づいた。


「気になってたのよ。どうして冷蔵庫が二つあるのか。しかも今日一日、こっちの方は一度も開けられてない」


 こんなの、調べてくださいって言っているようなものよね。そう言ってメリーは慎重に冷蔵庫の扉を開けていく。


「メ、メリー? さすがにマズイ……」

「ビンゴよ」

「……え?」


 低く鋭いメリーの声がする。何が? と問う時間も惜しい僕は小走りするようにメリーの傍に行き、恐る恐る冷蔵庫の中を覗き込んだ。


「これ……」

「……血、よね? 多分」


 そこにあったのは、カレーのパウチを思わせる多量の袋やラベルの剥がされたペットボトルだった。どれも赤や赤黒い液体が詰められており、冷蔵庫いっぱいに敷き詰められている様はどことなく無機質で。僕は昔見た防災倉庫の食料品置き場を連想した。


「……なんで、こんなものが?」

「貧血気味……には見えなかったわね」


 早鐘をうつ心臓を必死に押さえながら扉を閉めて、僕らはもといた位置まで引き返す。丁度トイレからルイカちゃんが出て来たのを見た時、僕らは真剣にこの後どうすべきか悩んだ。


 間違いなく、ここは……遠坂さんはおかしい。

 だが、こんな夜更けに樹海を歩くのはまさに自殺行為だ。だから最善はここで夜を明かすことなのだけど……。


「見たんですね」


 それ以前に、安全な所なんてあるのだろうか? なんて思いかけた時、闇の向こうから抑揚のない声がした。


「……朝まで待っていてて下さいって言ったのに」


 咎めるような目をこちらに向けながら、遠坂さんがそこに立っていた。傍らには、あの女の子も一緒だった。


「……無事に帰してくれる気、あったんです?」


 後ろにメリーとルイカちゃんを隠そうとするが、それを見越したように相棒は僕の隣に並び立つ。仕方がないのでそのままで遠坂さんに質問すれば、彼は勿論と言わんばかりに頷いた。


「元々、君達を襲う理由はなかった。〝狙っていたのは一人だけ〟でも、彼を捕らえる以上は一緒に来ている君たちをそのままには出来なかった」


 彼? と、僕らが首を傾げれば、遠坂さんは肩を竦めただけで何も語らない。すると、メリーがすぐ隣で唸るようなうめき声を出した。額に浮かぶ汗を見た時、僕は彼女の脳細胞と視神経が、目の前にいる謎めいた二人組を捕らえたのを察した。


「そう……。ようやくわかったわ。貴方からは、ずっと嫌な感じはしていたの。こんな空気の人だったかしら? って思ってたけど」

「……なんの話だい?」


 少しだけ僕に身を預けてくれたメリーをしっかり支える。向こうは多分、何が起きているか分からないのだろう。


「遠坂くん。それにその娘も。人間じゃなかったのね……」


 メリーの言葉に、今度こそ遠坂さんは絶句したようだった。一方女の子は変わらぬポーカーフェイスでこちらを見るのみ。その対比が今はただ不吉なもののように感じた。


「そうだね。僕はもう、人間じゃない。こうして君らを襲う算段を立てている以上、それは否定しない」


 指揮棒(タクト)を振るうように、遠坂さんが手を動かす。すると、ロッジの扉が音もなく開かれて……。外から、のそのそとあの巨大蜘蛛が現れた。

 腹を床に引きずらせながら、八本の脚が不気味に蠢く。大顎は獲物を前にして歓喜するかのごとく、パカリと開かれていた。

 背後でルイカちゃんが声にならない悲鳴をあげている。僕は全身の震えと恐怖を押さえ込むので精一杯だった。


「黙って眠ってくれていたら。話ははやかったんだ。そうしたら君らは苦痛もなく、外へ帰れたのに」

「この状況で眠れるとでも思ったのかい?」

「……それもそうか」


 乾いた笑みを浮かべながら、遠坂さんは一歩僕らに近づいた。それは、傍にいた巨大蜘蛛も同様だった。

 絶体絶命。その四文字が頭を過る。


「……僕らを、殺すの?」


 無意識に出た問いかけに、遠坂さんは首を横に振る。


「言っただろう? 狙いはただ一人だって。だから君らは……ちょっと記憶を失って、家に帰って貰うだけだよ」


 朗々とした声がこだまして。ゆらりと遠坂さんの背後に六本の鉤爪が揺らめいた。蜘蛛の脚だ。そう認識したら、それは霞のように消えてしまう。それに気をとられていたからだろうか。一瞬で間合いを詰めてきた遠坂さんに、僕はあっさり捕まって……。


「ぐっ……!?」


 首筋に、ぞぶりと何かが突き立てられた。それが遠坂さんに噛みつかれた痛みだと気づいた時には、僕の意識には既に暗雲が立ち込み始めていた。


「なに、……を……!」


 した? と、聞く暇もない。

 ただ、脳内に響くようなバキンという音がして。僕の身体は重力に従い、膝から崩れ落ちた。


『ごめんね。今日あったことは忘れてくれ。……いつもなら血をもらうけど、それもしない。アイツ以外は無事に帰すから。安心しておやすみ』


 有無を言わせぬ命令がのしかかり。

 それっきり、僕は気を失った。

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