相棒はバッタもん
大学生活の一番最初。すなわち四月は、あっという間に過ぎたと感じる人が大半らしい。
激変した生活に慣れる為や、思いの外やることが多くて……等が主な理由だろうか。僕もそうだった。
大学は予想以上にフリーダムかつ混沌としており、そこにはつい最近まで高校生をやっていた人間では想像もつかない世界が広がっていた。
当たり前ながら、全ては自己責任。時間割りの決め方も、どんな道を進むかも。どう学び、楽しむかも一人一人違う。担任の先生なんて概念はなく、クラスもない。あったとしても殆んどは名目上だ。
ゼミというものは存在するが、それだって学部や学科内に沢山あり、所属が決まる年も、雰囲気や方針。人数もまるで違う。
故に大学生は、講義以外の時間は基本は一人で。時間さえ合えば、志や進む道が似通ってる人。あるいはサークルや部活の仲間と一緒にいる事が多くなる。
だからだろうか。必然的に僕とメリーは行動を共にしていて、気がつけばそれが当たり前になっていた。
お互い一人暮らしで、フットワークが軽いのも関係していたのかもしれない。
けど一番はやはり、入学式を切っ掛けに立ち上げたオカルト研究サークルにあるのだろう。
僕もメリーも、一番興味があるのがオカルトで、それでいて双方が有する体質の事も知っている。やりたいことや好きなことが一致しているならいっそ手を組もう。そんな提案が始まりで、僕らは晴れて相棒となった。
そこからは……本当に色々あった。
新しい発見があり。初めて経験する出来事がたくさんあった。双方の更なる秘密やトラウマを発掘しあったり、よく分からぬ名前が付けがたい感情に翻弄されながら、僕らは過ごしていた。
その最中、僕らの関係をあれこれ詮索してくる人も、中には存在した。
友人……とは、間違いなく言える。知り合ってからの期間こそは短いが、濃さが凄まじすぎて、何だかずっと昔からの付き合いと錯覚してしまう。とは、共通した弁だ。
恋人……ではない。結構な数の人にそう思われたが、そんな関係ではない。けど、近しさを感じているのは事実で、口には出さないし、言ったとしてさりげなくだけど、僕から見れば今まで会った女の子の中で、メリーは一番に魅力的だった。
でも、こういった関係の例はあくまでもありふれたもの。結局、肩を並べて。時に背中を預け合い、オカルトを追えればそれでいい。
だからこそ、相棒という言葉がしっくりくるのである。
そんな僕らがこれから語る、いくつもの物語に名前を付けるならば……。
『怪奇譚のスクラップ帳』か、『オカルト日誌』と言ったところか。
大学時代、人生でも五本の指に入るくらい充実していて。最も死や危険と隣り合わせで。そして、最も鮮烈に生きていた頃の物語。
趣味により相棒と共に立ち上げた、〝表向きは〟鷹匠大学に存在しないオカルト研究会、その名も『渡リ烏倶楽部』
そこで奔走した、摩訶不思議な日々をクリップしたものだ。
興味があれば、夜更かしのお供にでも利用してくれれば幸いである。
※
あれはそう、大学生活のスタートからはや三ヶ月。七月第一週の出来事だった。
「あんたの通ってた小学校ね。今度改装されるんだって」
本日の講義が終わり、そのままサークルへ行こうとした矢先。不意にスマートフォンが鳴動した。
ディスプレイを覗けば、そこには『母さん』の三文字がある。何の変鉄もない平日に電話がかかってきたので、何事かと出てみれば、そんな内容の報告だった。
「……えっと、へぇ?」
「淡白ね~。全面改装よ? 全面改装。まるっと変わるの。大事件じゃないの。あんたが通ってた時はオンボロだったのにねぇ……」
どの辺が大事件なのだろうと、コメントしたら負けだろうか? 正直母校とはいえ小学校が改装しようが改造されようが、それほど興味はない。
もしかして、何となく電話したくなったという理由なのでは。そんな推測が頭に浮かぶ。
僕としては多分相棒を待たせているので、さっさと会話を切り上げたいのだが……。
「あ、オンボロといえばね。D校舎。あれは完全に取り壊されるそうよ?」
「……え?」
そんな折、耳にした懐かしい名前が、僕の思考を暫し停止させた。
脳裏に、いつかの記憶がフラッシュバックのように流れていく。
浮かぶのは廃墟も同然な風景と、そこにあったもの。そして、憤怒の表情を浮かべる先生の顔。
もう十年は前の出来事だったのに、鮮明に思い出せる辺り、僕にとっても衝撃的なものだったらしい。沈黙した僕を、興味が引けたと捉えたのか、母さんはクスクス笑いながらも、懐かしむように話を続けていく。
「覚えてる? 立ち入り禁止だった旧校舎。あんたってば何回もそこに入り込んでは……何先生だったかしら? その人に怒られてばっかりで……」
「中道先生ね。覚えてるよ。三年、四年生の時の担任だった。……いやぁ、入るな。って言われたら、入りたくなるのが僕なもので」
「それが原因でお呼ばれしたお母さんに何か一言は?」
「あの時は本当にすいませんでした」
「よろしい。でね、スーパーでそんなお話を聞いてたら、何だかあんたの顔が浮かんでさぁ……」
そのまま、他愛ない話の花が咲く。といっても「放浪癖が酷すぎた」だの。「何回補導された事か……」といった母さんの愚痴が大半だったのだけど。
結局最後は「すぐ電話切ろうとするなんて、可愛くない息子め」という、もう何度か聞いたかわからない、母さんお決まりの悪態を最後に、親子の会話は終了した。
どうやら本当に、何となくかけてきただけだったらしい。気紛れな人というか、暇な人というか。
相変わらずだと漏らしつつ、僕はスマホをポケットに仕舞い込み、腕時計を見る。時刻は十六時四十分。
「……げ」
そんな声が漏れた。
昔の思い出とかもあり、ついつい話し込んでしまっていたらしい。約束の時間から三十分オーバー。
こりゃいかんと少し早足になる。が、それと同時に思い出したかのようにスマホが再び震えだし……。
『十二号館。1223教室にいます。あと、購買のシフォンケーキが食べたいわ』
ディスプレイにそんなメッセージが浮かび上がる。メリーからだった。
時に待ち。時に待たされな関係の僕と相棒だが、流石に今回は連絡も無しなので、少し罪悪感がある。電話してたから連絡できないのは当然? いいや。言い訳はよろしくない。故に……。
『遅れてごめん。ちょっと色々あって。今ならドリンクもつくよ?』
少しの出費はあれど、それは仕方がないと受け止めて。今日も僕は、サークルへと向かう。
果たして、今日はどんな怪奇に想いを馳せようか。そう考えながら。
※
約束の教室に入ると、メリーは机に向かったまま、読書に勤しんでいた。窓からこぼれたオレンジの日が、彼女の亜麻色の髪を照らしている。
肩ほどまでの緩めにウェーブがかかったそれは、彼女の白い肌とも合間って、絶妙な美しさを醸し出していた。「お人形さんみたい」と、彼女を評する声を聞いたことがあるが、成る程。実に的を射ていると思う。
青紫の瞳は宝石みたいに綺麗だし、彼女の雰囲気自体が、何処と無く浮世離れしているのは否めない。でも……。
静かに、メリーの方へ足を運ぶ。僕の到着に気づいたらしいメリーは、本に栞を挟むと、悪戯っぽく微笑んで。
「私、メリーさん。今、貴方を待ちぼうけなの。……ハニーカフェオレ。買ってきてくれた?」
「ドリンクがつくとは言ったけどさ。まさかラウンジカフェの飲み物を要求されるとは思わなかったよ。これ350円もするなんて……ぼったくりが過ぎる」
「あら、その分美味しいのよ?」
遅れてごめん。と言う僕に、問題ないわ。と返しながら、メリーはお詫びの品々を受けとった。嬉しそうにカップへとストローを通し、幸せそうに味わうその笑顔が眩しかった。
人形みたいといえども、彼女は決して無機質である訳ではない。
かの有名な都市伝説、『メリーさんの電話』に出てくる謎の少女にあやかって、口癖のように口上を述べ、自ら『メリー』と名乗る。なんてお茶目なとこもあったりするのだ。
因みに、自ら名乗るという点から察して貰えるだろうが、何を隠そうこのメリーさん。偽物である。
……偽物である。
僕も事実を知ったときは、分かってはいたのに苦笑いが漏れたのを覚えている。
その正体は、ただの女子大生。
名前だって、メリーなんて欠片も関係がない。シェリーで始まり、やたら長い挙げ句、途中で日本姓も入るという、色んな意味で壮大な名前なのだが、当の本人は誰に対しても本名では名乗らない。ので、一応本名を知る僕も、それについては閉口しよう。
彼女が、何故メリーを語るのか。その理由もまた、今は語る必要もない。
そんなどうでもいい事を考えながら、ふと閉じられた本に目を向ける。バーナード・ショーの『ピグマリオン』だった
本の内容はさておき、タイトルの元を思い出し、僕は吹き出しそうになるのを堪えた。人形みたいという彼女の評価を考察している所でこんなタイトルの本を読んでいるだなんて、出来すぎだと思う。
「……〝君が一番影響を受けた本はなんだい?〟」
「……〝銀行の預金通帳よ〟。……バーナード・ショーって、中々にユーモアがある人よね」
「〝ドンキホーテは読書によって紳士になった。そして読んだ内容を信じたために狂人となった〟とも言ってるからね。そこで影響を受けた本なんて口にしたら、自分が狂人だって言ってしまうようなものだよ」
僕の答えに、メリーはそういうもんかしら? などと呟きながら、シフォンケーキにフォークを刺す。僕はというと、その間にメリーと対面するように椅子を引っ張ってきて、ゆったりとそれに腰掛けた。
「……貴方は私にスリッパを持ってきて欲しい? それとも、逆に私に持っていきたいかしら?」
「バーナードを尊重するなら、持っていきたいにするべきなんだろうね」
「私としては、映画の結末を推すわ。尽くす女的な」
「ピグマリオンが原作なんだっけ? 『マイ・フェア・レディ』……君、オードリー・ヘプバーン好きだよね」
「そうね。彼女の明るくて前向きな言葉は、どれも素敵だと思うわ」
貴方達、検索エンジンでも付いてるの? と、知り合いの先輩に評されたやりとりは、僕らがよくやるコミュニケーションの一つだ。
カチリとパズルがはまり込むかのような、把握し合えた喜びが面白くて、いつしか僕らの間で形式化した言葉遊び的なもの。
友人が肩を組み、ライバルが拳を合わせ、恋人がキスするようなものよね。と、メリーは喩えた事があり、僕もそれを気に入っている。
因みに滅多にないが噛み合わなかった場合、もれなくわからなかった方がもう一人によって盛大に煽られるのはご愛敬だ。閑話休題。
そんな中で、ひょい。と、シフォンケーキの一口分が僕の口元に運ばれて来たので、遠慮なく頂いて。僕らは今日はどうしようか話し合う。
オカルト研究サークルらしく、大学内の心霊スポット(あくまで噂)を回るか。はたまたちょっと遠出してみるか。
「君のお化けレーダーは?」
「残念ながら、本日は反応なしよ。夏だし、暑いし。そういうのが栄える季節なのに、無反応なんて逆に珍しいわ」
トントンと、自分のこめかみを叩きながら、そう告げるメリー。
フム。弱った。そうなると僕らは、ここでシフォンケーキを食べながら悪戯に時間を潰し続ける事になりかねない。どうしたものか。
「そういえば、今日どうしたの? 遅れてくるにしても、音沙汰無しなんて珍しいじゃない。また変なのにでも巻き込まれた?」
「いや、巻き込まれたっていうか……」
そんな事を問うてくるメリーに、僕は言葉を濁す。どうでもいい内容の電話が掛かってきただけで、彼女が期待するようなものは何もない。けど……。
その時僕は、ふと思ったのだ。あの日の体験は、ただ一人を除いて、誰にも語っていないという事実に。
「ねぇ、メリー。メリーは小学校に通ってたんだよね?」
「……私を何だと思ってるのよ。一応外国の血は入ってるけど、育ちは日本よ? 通ってたに決まってるじゃない」
呆れたようにそう返すメリーに、ですよねー。なんて言いながら、僕はチラリと窓から外を見る。空はまだ明るい。夏だからだろう。
そう、僕があの体験をしたのも、丁度こんな風に天気がよくて。夏特有の空気が濃い、暑い日の事だった。
「じゃあさ。七不思議的な事って、君の学校にはあった?」
僕の問いに、メリーの目がスッと細まる。好奇心に満ち満ちつつも、ちょっとおっかなビックリな表情だ。
「覚えている限りでは、ノーよ。変なのはいたけどね。え、何? 今日は学校の七不思議でも追うのかしら?」
「いや、そうしたいのは山々なんだけど……。僕ら大学生だろう? 七不思議を追って小学校に侵入なんてしたら、しょっぴかれちゃうよ。だから……」
目を閉じる。思い出したのはつい先程。だけど、昨日の事のように思える出来事だ。
「今日は学校の怪談を語らないかい?」
だから、自分の中で鮮明なうちに話しておこう。そんな気紛れに近いきっかけだった。
勿論、せっかくオカルトサークルを立ち上げているのだ。怪談ネタがあるなら、出さない理由はないのだけれども。
「それは……貴方が遅れてきた事に、関係があるの?」
「直接は関係ないけど、まぁ、それがきっかけで思い出した話。むかーしむかし。僕が小学生だった頃に起きた事件だよ」
僕がそう答えると、メリーはハニーカフェオレの最後の一口を飲み干して、目を爛々と輝かせながら、両の手で頬杖をつく。青紫の瞳が、僕と。僕の手に向けられていた。
「いいわ。今日は私の感覚は休眠中みたいだし、聞かせて頂戴。貴方の手で何に触れて。何を見たの?」
期待するような声色で、メリーは僕に話を促す。僕はそれを合図として、語り始めた。
はじめて遭遇したのは、遡ること九年前の放課後だ。
「あれは……そうだね。きっと旧校舎に閉じ込められた幽霊だったんだ」




