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渡リ烏のオカルト日誌  作者: 黒木京也
富士樹海の蜘蛛夫婦
119/140

訳あり夫婦のご自宅へ

 遠坂さんの案内で、僕らは樹海の奥へ奥へと歩みを進めていた。

 僕とメリーでルイカちゃんを真ん中に挟み込むような形で歩く道すがら、メリーは勿論、僕もまた、感覚を研ぎ澄ませていた。

 それは、胸の奥にずしりと落ちてくるような不安となって、僕らを苛んでいた。

 樹海だからと言ったら変な話だが、幽霊はいる。けど、何故だろうか。どことなく、その幽霊達が僕らを遠巻きに眺めているような気がするのだ。

 まるで、恐ろしいものでも見るかのように。


「大丈夫ですか?」


 時折遠坂さんが立ち止まり、僕らの方へ気遣わしげに振り返る。それに僕が相槌をうつ傍らで、メリーは終始無言で彼を見つめ続けていた。

 メリーのあの目は……知っている。警戒し、疑っている時だ。

 この場では遠坂さんについていくしかないとはいえ、彼女もまた、彼に少しのキナ臭さを感じているのだろう。

 そこから更に数分。僕らは黙々と脚を動かす。

 既に何時間も経ったような錯覚を覚えていた。蜘蛛の神様についての手がかりはない。問いかけようとすると、「奴が出たなら、今は時間が惜しいです。とにかくはやく住居に」と急かすようにはぐらかされてしまったのだ。

 それでもめげずに「友達が連れ去られたんです!」と食い下がれば、彼は物凄く哀しげな顔で「ごめんなさい……でも、今は何も出来ないんです」とだけ呟いていた。メリーがスマホは持ってないのかと援護射撃してくれたが、それにも無言で首を横に振るだけだった。


「お待たせ。着きました」


 やがて僕らは開けた場所にたどり着いた。

 すぐに目についたのは、広場の中央にある、仰々しい石造りの台座だ。多分キャンプファイアー用なのだろう。ただ、長いこと使われていないのか、表面に真新しい焦げ目はなく、枯れ葉がパラパラと乗っかっていた。

 そこから五十メートル程離れた東西南北それぞれに、少し大きめのコテージが建てられている。位置する場所には絶妙に高低差があり、さながら小さな集落を思わせた。まさに大自然の中にあるキャンプ場。そんな喩えがしっくりくるようだった。


「こっちです」


 僕ら三人がその場で立ち止まり、周りの風景に目を奪われていると、少し離れた場所から遠坂さんが僕らを手招きする。それに慌てついていくと、不意にメリーが口を開いた。


「ここ、遠坂くん以外にも誰か住んでるの?」

「……うん、一応。……よくわかったね?」

「ロッジよ。今私達が向かってる所。あれを北と仮定するなら、そこと東側の二つ。そこだけしっかり雑草とかが処理されてるもの」


 そう言うメリーに、遠坂さんは少しだけ驚いたように目をしばたかせた。言われてみるままにロッジを見比べてみると、成る程。確かに二棟だけ手入れに違いがあるようだ。


「……〝彼女〟は、今外出中なんだ。多分夜までには帰ってくるだろうから……その時に紹介するよ」


 動揺が、少しだけみて取れたのは気のせいだろうか? メリーの視線から逃れるように遠坂さんは木で組まれた粗末な段差を登っていく。

 木造のロッジは、近くでみると想像以上に大きかった。

玄関先がちょっと広めのベランダになっていて、そこにキャンプ用のテーブルと椅子が四つ組まれている。その一角に……。黒いセーラー服に身を包んだ、女の子が一人座っていた。

 腰ほどまで伸びた艶やかな黒髪を風に靡かせながら、こちらをじっと見つめるその姿は、まるで一枚の絵画を思わせた。

 美しい少女だった。

 美人さんはメリーや幼なじみの綾で見慣れていたが、そこにいる女の子もまた、一目見れば忘れない。神秘的な雰囲気を発する美少女だった。


「……ただいま」


 遠坂さんがそういうと、女の子は嬉しそうに立ち上がる。少し訂正。こちらではなく、彼女は遠坂さんしか目に入っていないようだった。その証拠に、彼女は来訪者たる僕らには一別もせず、一直線に遠坂さんの胸に飛び込んで行ったのだ。


「……レイ、遅い。すぐもどるっていってたのに」

「いや、一時間もここ離れてないからね?」

「……ながい」

「……僕だって自由な時間が欲しいと主張する」

「だめ」


 ……何か、もの凄いイチャイチャが始まった。女の子は遠坂さんの胸板にペッタリはりついたまま、グリグリと額を押し付けて、しまいには首筋に顔を埋めてから、そのままねだるように顎を突き出した。


「あの、お客さんいるから……」

「……ん」

「待ってホントに。実は昔の知り合い――っ」

「はむっ……あむ」


 まるで獲物に襲い掛かる蛇のように女の子の両腕が遠坂さんの首に回される。

 咄嗟に僕がルイカちゃんの目を塞げば、流れるようにメリーが耳を塞いでくれた。

 近年稀にみる素晴らしい連携プレー。さすがは相棒だとしみじみすることで、僕は目の前の光景から現実逃避した。


「辰? 見えないよ~。お姉さんも。よく聞こえない~っ」

「ダメ、見ちゃ行けません」

「ちょっと……ルイカちゃんには、早いわね」


 不満げな声でじたばたするルイカちゃんを窘める。

 さて、どうすればいいんだろう。そんな気持ちで、僕がメリーを見れば、メリーは物凄く真剣な顔で思案していた。


「昔の知り合いが女子高生と駆け落ちして、明らかにいかがわしいこともしてると思われるんだけど……これって通報すべきかしら?」

「……えっと」


 流石に僕の知り合いにそんな事をしている人はいないので反応に困る。

 目の前からは、チュッ。チュッ。チュピ……。というリップ音。それは次第に激しさを増していき、遠坂さんの口からくぐもった声が漏れ始めた。

 思いっきりディープキスを始めた二人だが、遠坂さんは今も必死に女の子を引き剥がそうともがいていた。

 駆け落ちした恋人というより、蟷螂とそれに食べられてる獲物にしか見えないのは僕だけだろうか?

 結局、女の子の口擊はそこからしばらく続き、遠坂さんが解放されるまで僕らは手持ちぶさただった。



 ※



 招き入れられたロッジの中は綺麗に掃除されており、電気や水道を始めとしたライフラインはしっかりと整えられていた。

 唯一気になるのは何故か冷蔵庫が二つあるくらい。

 他は綺麗なテーブルとくつろげる二対のソファー。高級のペンションも顔負けなお洒落な内装は個人的にとても心が惹かれるようだった。


「お見苦しいものをお見せしました。これはお詫びということで」


 遠坂さんはしょんぼりとそう言いながら、ソファーに座る僕らをコーヒーでおもてなしした。

 キッチンにて科学の実験器具じみた装置でテキパキと作業する姿は洗練されており、幽霊めいた陰鬱な表情がいくらか和らいで見えた。上品な豆の香りが鼻腔をくすぐった時、なんとなく綾を思い出す。彼女もまたコーヒーが大好きだし、プロのバリスタ顔負けなくらいコーヒーを淹れるのが上手いのだ。


「ありがとうございます。凄い美味しそうだ」

「頂くわ。ありがと」

「……ルイカ、コーヒー飲めない」


 ソファーに並んで座る僕らの三者三様の反応に、遠坂さんはマドラーと各種調味料を取りに行きながら、曖昧な表情で微笑んだ。


「あいにく、コーヒーか紅茶しかないんだ。練乳と蜂蜜とお砂糖で、とびっきり甘く出来るけど……」

「飲むっ! 全部入れて!」

「……ルイカちゃん、歯磨きちゃんとするのよ?」

「お姉さん、ちょっと口うるさい」

「虫歯になったお口で、将来好きな男の子にキスするの?」

「…………ちゃんと磨くもん」


 そんなおませなやり取りを尻目に、遠坂さんはルイカちゃん専用ブレンドを完成させ、僕らとは向かい側のソファーに座る。その膝の上に、さっきの女の子が頭を乗せるのが見えたが、もう気にしない方がいいのだろう。本当に女の子は僕らがいないかのように振る舞うのだ。一応、ここに入る前にほんの一瞬だけ僕らに目を向けたが、それっきりだった。


「気を悪くしないで。ちょっとした事情というか、こういう反応しか出来ない娘なんだ」


 困ったように肩を竦める遠坂さんは、遠慮がちに女の子の髪を撫でる。すると女の子は幸せそうに目を細め、彼の手首に口付けした。


「恋人さんなの?」


 マグカップにフーッフーッと息を吹きかけながら、ルイカちゃんがそう訪ねる。すると遠坂さんは何と言ったらいいかわからない顔で「…………一応、奥さんってことになるのかなぁ」と呟いた。

 駆け落ち。しかも女子高生のお嫁さんって、何だかドラマじみてると思ったが、口には出さなかった。もっと気になることがあったからだ。


「……あの、そろそろ蜘蛛について教えてくれませんか?」


 僕の質問に、遠坂さんの表情が強ばった。しばらく彼は目を閉じたまま無言を貫いて。やがて言葉を選ぶように口を開いた。


「あれは……」


 だが、不幸なことにまたしても、僕は情報を得ることが叶わなかった。不意にガンガンガン! と、乱暴にロッジの窓が叩かれたのである。

 僕ら三人がビクッとする中、遠坂さんは無言で立ち上がり、音の方へと歩いていく。そこには……。


「ひっ――!」


 ルイカちゃんが身を縮こまらせて、僕の腕にすがりつく。僕もまた、身体が金縛りにでもあったかのように動けなかった。

 蜘蛛だ。窓の外に……あの大蜘蛛がいる。

 べたりと窓に八脚をはりつけて、ギラギラした八つの目をこちらに向けていた。


「っ、とうさかさ――」

「静かに!」


 どうして不用意に近づくんだ! という僕の叫びを、遠坂さんは鋭い声で封殺する。

 そのまま彼は窓のそばまで歩みより、ガラスごしに正面から大蜘蛛と対峙した。

 ギシリと、窓枠が軋みをあげる。信じがたいことに遠坂さんはそこに腕を付き、まるで恫喝するように蜘蛛の傍へ顔を近づけた。


「……僕の客人だ」


 有無を言わせぬ遠坂さんの声。すると、蜘蛛は鋏のような顎をガチャンガチャンとならしながら、ゆっくりと窓から離れていく。のそのそとした緩慢な動作で蜘蛛が完全に見えなくなったのを確認すると、遠坂さんは慎重に踵を返し、こちらに戻ってくる。


「今日はもう、ここから出ない方がいい。明日の朝には……樹海の出口まで送るから」


 誰もが反論出来なかった。浮かんだ疑問は星の数ほどあれど、その全てが恐怖の前で捩じ伏せられていたのである。

 だが、そんな中でメリーだけは震えながらも遠坂さんを睨み付けていた。その目には、今度こそ完全な不信感が滲み出ている。


「明日、本当に無事にここを出られるの? 根拠は?」


 メリーの問いかけに遠坂さんは目を伏せて、首を横に振る。

 その仕草にルイカちゃんが泣きそうな顔で、とうとうあんなに邪険にしていたメリーの腕まで抱え込み始めた。

 嫌な沈黙が流れる中、遠坂さんは本当に、苦しげな渋面を作りながら「信じてくれ」とだけ答えた。


「あれは……今なら君たちを帰してくれる筈だ。だから……信じてくれ。命までは取られないから」


 僕は片時も目をそらさずに、遠坂さんを観察していた。嘘をついているようには見えなかった。

 頭がこんがらがっていくのが自分でもわかる。考えれば考えるほどドツボに嵌まっていくようだ。

 視線を外す。女の子が、ムクリとソファーから起き上がり、不満気な顔でメリーと遠坂さんを交互に睨んでいた。

 可愛らしい嫉妬……その筈だ。一瞬だけ輝きの消えた瞳に、ドロリとした殺意が垣間見えたのは……気のせいだったと思いたい。


 かくして、僕らは樹海の中に囚われた。

 今日味わった恐ろしさが、まだ序の口だったとは知るよしもなく。

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