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渡リ烏のオカルト日誌  作者: 黒木京也
富士樹海の蜘蛛夫婦
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神様の領域へ

 この世には、人智を越えた存在が確かに存在する事を僕達はよく知っている。

 幽霊だったり、超常現象に都市伝説がそれに当てはまるだろう。

 同時にそういった存在を知覚できる人間が少ないこともよく知っている。だから、ルイカちゃんが叫んだ『蜘蛛のお化け』という言葉に、僕らは今日一番に驚き。そして畏れを抱いていた。

 霊感のないルイカちゃん。そして恐らくではあるが悲鳴をあげていた雄一や友梨さんにも、それは視えていたのだろう。

 ここでただ巨大な蜘蛛が出てきただけだったのならば、ただの笑い話で済むのだけど……。


「雄、一……?」


 残念ながら、事態はそんな単純な方には転んでくれなかった。

 僕がさっきまで雄一達がいた場所にたどり着く。そこにいた存在を見た時、僕の思考はたちまち凍りついた。

 蜘蛛だ。牛程はあろうかという大きさの蜘蛛が、折り重なるようにして気絶している雄一と友梨さんの上で、ずんぐりとした腹を震わせていたのである。


「――っ、あ……!」


 あまりにも非常識な存在と対面したことで、僕は声も出せぬまま、まるで金縛りにでもあったかのようにその場で立ち尽くしていた。

 なんだ、これは?

 ようやく回り始めた頭で、まず最初に考えたのがそれだった。

 褐色の身体に、緑色の八目。生憎と虫には詳しくないので、パッと名前は思い浮かばないが、この状況で名前(そんなもの)に一体なんの意味があるだろうか。

 まず大きさがおかしい。この時点で、絶対に普通の蜘蛛ではないのは明白だった。

 考えられるのは……。


「辰? どうし――」

「来るな! メリー! 本当にいる!」


 ルイカちゃんを連れ、遅れてこちらに向かってきた相棒を、反射的に制止する。僕と蜘蛛との距離は五メートル強。向こうがどれ程の速さで動けるのかは分からないけれど、女の子二人を奴の傍に近付けたくはなかったのだ。


「この場から離れて。あと……警察に連絡を」

「……混乱は避けて、遭難なう。だけで、いいわよね?」

「勿論だ」


 十語らずとも理解してくれる相棒に感謝しながら、僕は蜘蛛とのにらみ合いを続ける。

 肌を刺すような威圧感に晒されながら、僕はジリジリと、メリー達が下がる方とは逆へと足を動かす。少しでもこちらに注意を向けてくれたならばそれでいい。そして頼むから、襲ってはくるな。

 そんな祈るような気持ちで、僕は然り気無く蜘蛛の足元へ目を向けた。

 ここからは、雄一と友梨さんに目立った外傷は見受けられない。だが、それはあくまでも今のところは……だ。害意がないならば、蜘蛛が二人の上に陣取る必要はないのだから。

 視界の端で、メリーがスマートフォンを取り出すのが見える。そこでふと、この存在を裏付ける証拠がないことに気がついた。


 いけるか……?


 そっとポケットに手を入れる。蜘蛛を刺激しないように取り出したスマートフォンを背中に隠し、素早く指を動かす。

 機種の特性か、ボタン一つでカメラが起動してしまうのは便利な反面たまに鬱陶しい。常日頃からそう思っていたけれど、今回ばかりは感謝した。

 スマートフォンをそっと足の影から出して、レンズを蜘蛛に向ける。これでどうにか写真を……。

 と、思った次の瞬間。蜘蛛が動いた。カシャンと、鋏のような口を鳴らした蜘蛛は巨体に似合わぬ素早さで跳躍し、僕を飛び越えてメリーとルイカちゃんの方まで一気に肉薄する。


「――っ!?」

「ヒッ!」


 メリーが息を飲み、ルイカちゃんが短い悲鳴をあげる。そのまま蜘蛛は強烈なタックルをメリーにぶちかまし、彼女の身体がフワリと不自然に浮かび上がった。


「うっ、おおぉお!」


 身体は勝手に動いていた。落ち葉や苔、細かい岩が絨毯のように敷き詰められた樹海の地面というのも忘れて、僕は走り、スライディングするようにして、メリーの下へ滑り込む。

 間一髪で間に合った。代償として背中の肉が抉られて、ついでに上から勢いよくプレスされるが、そんなの今は気にならなかった。

「ルイカちゃん! 逃げ――!」

 呼吸困難もなんのその。メリーを、ルイカちゃんを守らなきゃ。それだけが頭を先行し、僕は身体の上にいるメリーを抱き寄せながらも、必死に顔をあげ……直後、すぐ横を風が通り抜けた。

 霞みかけた視界が辛うじて捉えたのは、小走りで元いた方へ戻っていく蜘蛛の姿。さっきまで奴が飛び込んでいった場所には、呆然としたルイカちゃんが、ペタリと地面に座り込んでいるだけだった。


「し、辰? ごめ……っ、ねぇ大丈夫?」

「え、あ、うん。……なんとか」


 破天荒な蜘蛛の行動に頭がついていかない中、メリーが慌てて僕の上から飛び退いて、ペチペチと軽めに頬を叩いてくる。

 樹海は、静寂に包まれていた。


「……蜘蛛、は?」

「あっちにいた、お兄ちゃんとお姉さん……連れていかれちゃった……」


 唯一最後まで蜘蛛を見ていたであろうルイカちゃんが、涙声で教えてくれる。それを聞いた時、僕は静かに血の気が引いていくのを感じた。

 教授は行方知らず。

 友人とその知り合いは、化け物に連れ去られる。

 事態はもはや、僕らの手には余るものになりつつあった。


「警察に、連絡出来た?」

「ごめん、さっき体当たりされたから、まだなの。今から……え?」


 僕の問いにメリーは思い出したかのように立ち上がり、そのまま固まってしまう。


「メリー?」

「……ないわ」

「……え?」


 猛烈に嫌な予感を覚えながらも僕が聞き返せば、メリーは顔を青ざめさせたまま、左右に首を振った。


「スマートフォン。体当たりされた時に落としたんだけど……何処にも見当たらないの」

「……マジで?」


 どこか少し離れた所に転がっているのでは? そんな望みを抱きながら、僕らは周囲を捜索する。けれども、彼女のスマートフォンは影も形もない。それどころか……。


「……厄日だ」


 仕方がないので、僕のスマートフォンで助けを呼ぼう。そう思い立ったところで、僕らは更なる絶望に遭遇した。

 僕のスマートフォンも、なくなってしまっていたのである。

 恐らくはスライディングした時に取り落としたのだろう。


「…………どうしよう」

「…………かなり、凄く。マズイわよね?」


 ここまでの状況が色々な意味で酷すぎて、僕は思わずメリーと顔を見合わせた。

 どうすべきか。何が最善か? 放っておくとどんどん悪い方に考えてしまいそうになる。

 まずは落ち着こう。そんな意味を込めて彼女を見れば、メリーは小さく頷いて、思考を整理するように唇に指を当てた。

 刹那のアイコンタクト。

 それは思っていた以上にざわめいていた心を鎮めてくれた。

 すると……。


「辰……。ねぇ辰……誰か、いるぅ……!」


 不意に袖口が引っ張られる。ルイカちゃんだった。

 予想だにしない報告にぎょっとしながらも、僕はルイカちゃんが指差す方に視線を向ける。蜘蛛が消えた方角とは反対方向の茂みから、確かに誰かが歩いてきていた。


「……人?」

「だと、思うわよ」


 奇妙な気配しないし。と、言いながら、メリーは然り気無くルイカちゃんを背後に隠す。

 彼女がそう言うならば、今僕らに近寄ってきているのは、人間ということになる。もっとも、それが安心に繋がるかと言われたら別問題だけれども。

 そもそも、車を停めた休憩所には、僕ら以外では一台しか停まっていなかった筈。教授曰く自殺者っぽい車だ。ここで仮に、僕らが見た被害新しい死体が、駐車場にあった車の持ち主だとしたら……。こんな遊歩道から外れた樹海の中、今まさに近づいてきているあの人は、何者なのかという話になる。

 勿論、それは向こうから見たこちらも同じなのだろうけど。

 改めて前を見る。様々な推測が頭を過っていた。

 単なる旅行者か。

 あるいは、死に場所を求めている自殺願望者か。

 現地に集落があるとも聞くから、地元の人かも。

 一番酷いパターンは、僕らと同じく相手も遭難しているというケースだろう。

 人影が近づいてくる。どうやら若い青年らしかった。

 年齢は、恐らく僕らと同じくらい。

 こう言ったら失礼だが、印象が薄いというか、特徴らしい特徴が見受けられない顔をしていた。それでいて、どこか暗い瞳だけが、唯一目を引くようだった。

 服装は丈が膝裏まであろうかという、カーキ色のフード付きジャケット。その下には、白を基調とした、何らかのロゴ入りのTシャツを着こみ、黒いジーンズを穿いている。あと、よ~く見てみると、ジャケットやジーンズの裾はボロボロにほつれていた。普通ならばみっともないと思いそうなものだが、青年がそれを着ると、妙に様になっている。多分、雰囲気のせいだろう。虚ろさすら感じられる、彼の暗い目もあいまって、その姿は幽霊を思わせた。

 旅行者ではない。樹海を歩くにしては、装備が軽装過ぎる。僕らは一人一つ。リュックサックを背負ってここに来ているが、青年は着の身着のままだった。

 また、彼の足取りはしっかりしているし、そこには疲労を感じさせない。服も裾はともかく、布地は汚れていないので、遭難者でもなさそうだ。

 そして……。しっかりその表情が見える距離まで近づいた時、僕の中では自殺者の線も消えていた。

 彼はまるでこちらの存在を確認するかのように、僕らを一人一人、まじまじと眺めたからである。

 となると……。


「すいません、もしかして、地元の人ですか?」


 意を決して話し掛ける。すると青年は目を少しだけ泳がせてから「ええ、一応は」と答えた。陰鬱な、モゴモゴした声。何となく、人と話すのが苦手そうな雰囲気を醸し出していた。


「そちらは……ハイキング中、ですかね? 余計なお世話かもしれませんが、ここは……」

「……遠坂(とうさか)、くん?」


 多分、警告を口にしようとしたのだろう。だがそれは、僕の隣で息を飲む気配と共に漏れた言葉で中断された。

 メリーだ。

 彼女は珍しく口をあんぐりと開けて驚いていた。


「…………メリー、さん?」


 少しの間をおいて、青年もまた静かに彼女が語る名前を呼ぶ。彼もまた予想外だったらしく、落ち着かない様子で頭を掻いている。そんな中で僕はといえば、全くついていけていなかった。


「え、知り合い?」


 まさかの展開に僕が目を白黒させていると、メリーはコクンと頷く事で肯定する。


「同じ学部なの。講義で一緒だったりもして、グループを組んだ事もあるわ。でも……どうしてこんなところに?」


 そう言って、訝しげな表情を隠しもせずに、メリーは首を傾げる。青年――。遠坂さんは、曖昧な表情で肩を竦めるだけだった。


 ※


 一先ずお互いに話さねば何もわからないので、僕らと遠坂さんは事情を伝え会うことにした。

 先ずは相手側。

 遠坂(とうさか)黎真(れいしん)さん。僕らと同じ鷹匠大学に通う大学生……〝だった〟人である。

 一身上の都合で、現在は大学を中退しているとのこと。

 同じ学部なのにメリーはそれを知らなかったらしく(というか、彼が休んでいても大して気にも留めなかったらしい)、彼女は再三驚いていたが、遠坂さん曰く、大学を辞めてからまだ一ヶ月も経っていないそうだ。

 今は樹海内の集落……からはかなり離れた場所にある、個人持ちの旧キャンプ場を譲り受け、そこで自給自足の生活しているらしい。アウトドア派だ……。と、思わず憧憬の眼差しを向けると、彼は困ったような顔で笑っていた。


 次に、僕らは自分達の事情を話す。

 樹海探索ツアーに来る経緯。

 死体を見つけた矢先に起きた、案内役の消失。

 そして……信じがたい巨大な蜘蛛に襲われて、同行者二人が連れ去られたばかりか、連絡手段も断たれてしまったこと。

 普通の人が聞けば、特に最後のくだりは信じがたい話だろう。だが、遠坂さんはそれに対して薄ら笑いすら浮かべることなく、黙って僕らの話に耳を傾けてくれた。


「一先ず、ここを出て、警察に連絡しようかと思うんです。蜘蛛は信じてもらえないかもしれないけど、行方不明者が三人出てる事にはかわりない」

「遠坂くん、ここに住んでいるんでしょう? なら、遊歩道に戻れたりしないかしら?」

「じぃじ……どこに行ったかわからないの。お願い、ユーレイのお兄さん」


 もはや、頼みの綱は目の前の青年しかいなかった。ルイカちゃんがかなり失礼な呼び方をしていたが、遠坂さんは大して気分を害した様子はなく、ただ、思案するように目を閉じて。

 やがて彼は小さく首を横に振った。


「蜘蛛が出てるなら……今から遊歩道まで引き返すのは危険だよ。ここからなら、〝僕ら〟の隠れ家が近いから……一旦そっちに避難した方がいい」


 少しだけメリーと目配せし、彼が口にした言葉を反芻する。

 素早くメリーの手が然り気無く自分の喉を掻く。ちょっとしたハンドサイン。『一先ず話を聞こう』それと、〝裏の意味〟が一つだけ。

 一先ず僕が話を切り出す事にしよう。


「あの、遠坂さん。蜘蛛が出てるならって……知ってるんですか? あの大蜘蛛を」


 僕がそう問いかければ、遠坂さんはまた目を泳がせてから、「ああ、知ってる」と、唸るようにそう言って。僕とメリー。そしてルイカちゃんをもう一度見渡してから、そっと内緒話をするように口元に人差し指を持ってきた。


「僕も最初に聞いて、見た時は驚いたんだけど……。今はもう、そういうものなんだって納得するようにしてる。アレは……この地に何百年も棲んでいる、蜘蛛の神様らしいんだ」


 神妙な顔で、遠坂さんはそう言った。

 すると、不意にメリーが怯えたような仕草をみせて、僕の腕をにすがり付く。

 大袈裟に震えながら彼女は僕の手に自分のを重ねて……。

 僕の小指へ、僅かに爪を立てた。



 

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