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渡リ烏のオカルト日誌  作者: 黒木京也
富士樹海の蜘蛛夫婦
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消え行く同行者の元へ

 樹海は想像以上に神秘的かつ、美しく。それでいて妖しくて、霊的にも凄まじい場所だった。

 聖域を思わせる荘厳な森の空気と、墓場を思わせる陰鬱な雰囲気。それが見事に混在しているのだ。

 まさに秘境。そしてそこは確かに死に取り囲まれた魔境だった。

 当たり前だが……いる。

 この場では僕とメリーしか感じられないけれど、気配がそこら中に立ち込めていた。弱く薄れた念幾重も折り重なり。さながら波打ち際で漂うウミウシのように、そこへ存在している。

 呼吸するだけで、呑まれそうだった。


「……私、メリーさん。今、樹海の中にいるの」

「昨今のメリーさんは、迷子になるパターンもあるらしいよ。樹海から出れなくて涙目になりそうだ」

「……自殺を考える人の背後に立ち、怖がらせて逃げ出させるとか」

「天使だね」

「その後自宅に戻った人に電話をかけるの。死にたいんじゃなかったの? 今から迎えに行くね……って」

「死神だった」

「貴方的に……私は?」

「パートナーで、そうだね。女神とかどう?」

「あら、嬉しいわ」


 他愛なき話題やジョークを相棒とキャッチボールする。この場ではそれが救いになりうる。ただ、森自体に神聖な気でも混じっているのか、プラスマイナスゼロで、どうにもソワソワする。

 こういう場合、それを振り切るように手を結ぶのが僕らだが……。今日はあいにく、そうはいかなかった。


「色々な解釈できて楽しいわよね。特に一昔前の都市伝説って」

「ルイカは楽しくない。てか、おねーさん。何か辰に近くない?」

「ルイカちゃん、彼はメリーさんの相棒(バディ)なの。後ろや隣に立つのは日常なのよ?」

「キモい。電波系?」

「き、キモ……!?」


 流石にそこまで言われた事はなかったのか。メリーは顔をひきつらせている。相手は小さな子だから大人の対応をしてるが、多分内心では涙目に違いない。

 そんなルイカちゃんは食事の時も僕にべったりで、今も手を繋いで樹海を散策中だった。両手に花だと、ちょっと僕が歩きにくいので、本日のメリーはただ僕の右隣に寄り添うように歩いていた。「こっちの手がいじけちゃってるわ」と、悪戯っぽく舌を出していたのが、何だか印象的だった。

 そして……。


「き、教授ぅ~。何かこれ……遊歩道から外れてませんか?」

「うん、そうだよ」

「だ、大丈夫何ですよねぇ?」

「まぁ、私からはぐれなければ問題はないだろう」

「……腕組んじゃダメです?」

「小さな子ならともかく、大人ではリスクがある。両手は自由にしているほうがいい」

「リスクぅ?」

「只でさえ樹海は足場が悪いからね。っと、秋山君、そこは冷えた溶岩だ。滑るから気をつけて」

「……っ、へーい」


 少し前では、雄一だけ修羅場だった。教授のとなりに立つ、ショートヘアーに、スラリと背が高い女性、笠原(かさはら)友梨(ゆり)さん。雄一が淡い想いを抱く相手だが、とうの彼女は明らかに山木教授にご執心だった。その雄一はといえば、友梨さんの隣に陣取って必死に足並みを揃えているが……。一向に相手にされていなかった。

 唯一の救いというべきなのは、教授が今のところ友梨さんにそこまで関心を向けているようには見えないことだろうか。

 あくまでも見た目はだけど。腹のそこなんて簡単に見えるものではない。特にあそこまで歳を重ねた人ならなおのこと。

 時々雄一が助けを求めるようにこちらをみるが、残念ながら子どもの足並みに合わせる以上、僕らは少し遅れぎみ。

 しかも教授本人に「ルイカを頼むよ」なんて言われた始末である。

 やむを得ず「ごめん、援軍無理」とアイコンタクト。雄一もわかってくれたのか「ですよね~」と泣き笑い。許せ友よ。そして教授も言ってたが、本当に足場が悪い。子どもの脚にはキツいだろうし、スカートの下にジャージをはいているとはいえ、柔肌に傷がつく可能性がある。妹がいるお兄ちゃんとしては見過ごせないのだ。


「大丈夫? ルイカちゃん?」

「もち。ルイカも結構歩き慣れてるんだよ? 遅いのはまだ足が短いからだもん。将来きっとそこのお姉さんよりナイスバディになるよ?」

「そ、そっかぁ……」


 本当に何でこの子はこんなにメリーに冷たいのか。そう思いながらメリーの方を伺えば、彼女は苦笑いしながら。そっと僕に耳打ちする。


「小さくても、女なのよ。歳なんて関係ないわ」


 フワリと香ったハチミツの香りにドキリとしたのは……僕だけの秘密……の筈だったが、ルイカちゃんはふくれながら僕の横腹に頭突きしてくる。メリーの言うとおりならば、女の勘というやつか。


「辰。そこのお姉さんとルイカどっち好き?」

「うぇ? い、いやぁ……どっちも……」

「どっちもはダメ!」

「おぉう……ルイカちゃん。ほら、それってお父さんとお母さんどっちが好き的な……」

「ルイカとお姉さんどっちも女だもん」

「いや、うーむ」


 ぐいぐい来るなぁなんて思う。最近の女の子ってこんな感じなのだろうか? 妹のララも、大概マセてたけどさ。

 ヘルプとメリーに目配せするが、メリーは何故か楽しげに「私もお手上げ~」といったジェスチャーをする。

 さて、いつもは頼れる相棒はいまいちやる気を出してくれない。つまりここでは僕の口先だけが突破口を開く鍵に……。なんて思ったその時だ。


「ヒィィイイ!」


 という甲高い絶叫が、少し前から轟いた。

 友梨さんの悲鳴だった。

 続けて雄一の慌てたような声。そして、木々が大袈裟にガサガサと音を立てるような音がして……。

 僕がそこで前方に目を向けた瞬間に、メリーが慌ててルイカちゃんの方へ回り、彼女を抱き寄せる気配がした。


「――っ!」


 そこからはまるで条件反射のように身体が動いた。メリーとルイカちゃんを背に隠すように立ち塞がる。だが、耳にしたざわめきは、どうやら僕らとは逆の方へと遠ざかって行ったらしい。

 後に残るは静寂のみ。僕はそこでようやく、前方に何があるか把握した。


「……メリー。そのまま」

「ええ。……勿論よ」


 僕に背を向けて屈み込んだメリーは、ルイカちゃんの視界を隠すようにして彼女を抱き寄せている。

 背中ごしに頷き合い、僕はゆっくりと雄一達の方へ歩み寄る。


「し、辰……」


 上擦った声で僕の名を呼ぶ雄一は、怯え、困惑した表情で座り込んでいる。その胸には顔を埋めるようにして、友梨さんがピタリとへばりつき、ガタガタと震えていた。

 状況がこんなじゃなかったら「やったね雄一!」となる所だったが、流石の僕もそこまで人でなしじゃない。

 そう……。二人の少し前に女性の死体が横たわっているなんて状況で……。そんなタチの悪い台詞など吐ける筈がないではないか。


「大丈夫? 二人とも」

「あ、ああ……俺は…………わりぃ。やっぱ無理だ。けどそれより……」


 友梨ちゃんが……と、雄一は心配そうに胸の中にいる女性を気遣う。彼女はまだ……立てなそうだ。何より……。


「ちょっと待ってくれ……! 冗談きついよ……」


 そこで僕は更に、深刻な事態が起きていることに気がついて、無意識に悪態を漏らしていた。

 僕らの中で、唯一無二の案内役。教授の姿が……煙のように消えていたのである。


 ※


「誰か……いたの。死体の傍に。男の人だったと思うわ」


 死体が視界に入らない、少し離れた位置まで移動した僕ら四人は、ようやく幾ばくか落ち着いた友梨さんから話を聞いていた。倒木に腰掛け、隣に座った雄一にピタリとくっついたまま、彼女は何とか声を絞り出す。顔からは完全に血の気が引き、蝋人形のように真っ白だった。


「……俺は、友梨ちゃんに気を取られちまって、はっきりとは……。けど、確かに誰かいたんだと思う。走り去って行く影が翻って……教授が弾かれたみたいにそいつを追っかけていったのを見た」

「……成る程ね。友梨さん、服装は?」

「……ごめんね。滝沢君。わかんないよぉ……」


 弱々しくそう呟いて、友梨さんは再び雄一の腕をぎゅぎゅ~っと抱き寄せる。だいぶ冷静さを取り戻しているらしい雄一は、顔が真っ赤っかだった。

 僕のすぐ傍にいたルイカちゃんが、ププッと吹き出した。死体がいる事実に取り乱しもせず、それどころかどことなく、彼女は淡々としていた。図太い性格なのか。あるいは……。


「辰……これからどうするよ? 来た道、戻るか?」


 恐る恐るそう問いかける雄一に、僕は少し考えてから首を横に振る。


「ダメだ。教授の案内で遊歩道から外れてから、僕らは彼についてくので精一杯だったんだ。かなり曲がりくねったルートだった記憶もあるし……危険すぎるよ」

「じ、じゃあ……」

「この場で待とう。スマホは幸いな事に圏外じゃないみたいだし。お昼くらいまでここで待とう。雄一。友梨さん。一先ずスマホの電源切っておいて」

「電源を?」

「僕ら今……遭難と言っても過言じゃないし」


 僕がそう言うと、雄一は「あっ」と息を飲みつつ、慌てスマホを操作する。こういう時、使える端末は多い方がいい。その場に全員留まるなら、電池は節約しておいた方が無難だろう。そして……。

 さっきから通話中にしている自分のスマホを眺める。樹海に入る前に、僕らは緊急時に備えて電話番号を交換していた。今かけているのは、勿論教授の番号なのだが……。

 そこから呼び出しコールが更に数回繰り返され、やがてそれは受話器のむこうで留守番メッセージの録音に切り替わる。

 あのじいさん、電話無視までやってのけるとは……。

 取り敢えず「教授~。貴方が消えたから、僕ら遭難なうで~す」と、オブラートに包んだ文句を叩き込んでおく。

 現地に案内相手を放り出して音沙汰無しとは、酷いガイドがいたものだ。


「……朝早く来てて、ある意味で助かったよ。一先ずお昼くらいまでここで待ってみよう。誰も通らないか、教授が戻って来なかったら、助けを呼ぼう」

「お、おう。そう……だな」


 自分に言い聞かせるように頷く雄一。彼はどうにか大丈夫そうだ。後は……。ちょっとした事情で今も死体やその周辺とかを調べている、我が相棒と合流しよう。


「ゴメン、メリーのとこ行ってくる。雄一。悪いけどルイカちゃんと友梨さんをお願い」

「あ、ああ……――なぁ、待ってくれ。辰」


 ここにいて。と言えば不満げな顔を見せたルイカちゃんの手を無理矢理雄一に繋がせて、僕が歩きだそうとすると、不意に背後から雄一に呼び止められる。

 何事だろうかと僕が振り向けば、雄一は真剣な。それでいて何処と無く畏怖を含んだ表情で僕を見上げていた。


「お前も、メリーさんも……なんかこう……冷静すぎないか? 慣れてるっていうか……全然平気そうっていうか……」


 雄一は迷うかのように、メリーが今まさにいるであろう死体の方角と、僕の方に視線を泳がせる。

 そこで僕は、次に彼が口にしそうな言葉を予想できてしまっていた。


「お前ら……その、一体何者なんだ?」


 自分でも奇妙な問いかけをしていると自覚しているのだろう。遠慮がちにこちらを伺う雄一を見ていたら、何故か申し訳ない気持ちが込み上げて。だから僕は、こういう時に用意しているテンプレートを口にした。


「何者でもないよ。ホラーネタとか都市伝説が大好きな、ただのオカルト研究サークルさ」


 死体が平気なのもそのせいだよ。それだけ言い残し、僕はその場を後にした。

 死体を見るのが初めてではない……なんて情報は必要ない。彼らにとっては非日常。けど、僕らにとっては日常に限りなく近い領域だ。ましてや……


 死体の傍にご本人様の幽霊がふわふわと浮いていたのだなんて、知らない方がいいに決まってる。


 ※


 現場に戻ると、メリーが静かに手を併せていた。幽霊の気配は既にない。どうやら成仏したらしい。


「やぁ、相棒。何か話は聞けたかい?」


 僕が彼女に近寄りながらそう問いかければ、彼女は神妙な顔で首を横に振った。


「ダメだったわ。最初からこっちの問いかけに反応がないまま。迷いや未練なんて彼女にはなかったのよ。予想外に苦しくて、ビックリしただけだと思うわ」


 そう言ってメリーが指差す先には、木に括られた、首吊り用に輪っかを作ったロープと、踏み台がわりにしたであろう岩石がある。改めて死体を確認すれば、成る程。二十代後半くらいの少しパーマがかかった茶髪の女性の首もとには、明らかにロープのによる……たしか索条痕といったか。それがくっきりかつ生々しく残されていた。


「…………変だね」

「…………ええ、私もそう思うわ」


 短くお互いの疑念を交換する。

 ビックリして幽霊になったが、すぐに成仏した。実例に遭遇するのは初めてだが、解せないことがあるのだ。

 彼女は死んだ。それも多分、比較的最近。流石に死体を触って体温を確かめる勇気は僕らには無いけども……下手すれば僕らがここへ訪れる数分前辺りに首吊り自殺をしている筈である。

 なのに、彼女はこうして地面に横たわっていた。即ちそれは……。


「誰かが何らかの目的で彼女を降ろしていた。……私達、もしかしたらその現場に居合わせていたのかもしれないわね」


 少しだけ唇を震わせながら、メリーはそう呟く。

 僕もまた……それには同意見だった。けど……。一体何の為にそんな事を……。


「ああああああああぁぁ!」

「いやぁあああぁあぁあ!」


 その時だ。いやにデジャブを感じる都合二人分の大絶叫がすぐ近くであがり、僕らの思考は断裂した。

 雄一と友梨さんの声。そして――。


「やぁああぁだぁあぁあっ!」


 死体を見た時ですらケロッとしていたあの、ルイカちゃんが、なんと恐怖に顔を歪ませながら、物凄い勢いで此方に突進してきたのである。


「ル、ルイカちゃん? どうし……げぼぉ!?」


 手加減無しのタックルを身体で受け止める。膝が砕けそうになるが何とか気合いで耐え、涙で滲む視界の中で僕はノロノロとルイカちゃんを抱き締める。

 小さな身体が冗談のように震えていた。ただごとではないのは明白だった。


「ルイカちゃん? 落ち着いて! 何が……」

「オバケェ!」


 シンプルに叫ばれた脅威に、僕らは思わず顔を見合わせる。

 霊感が無くても、視えてしまうことはたまにある。特にそれは、恐怖する人が多ければ連鎖もしやすいもの。だが、こんなタイミングで? それはあまりにも出来すぎな……。


「蜘蛛が……! 人よりおっきい蜘蛛がいたのぉ!」


 …………はい?

 


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