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渡リ烏のオカルト日誌  作者: 黒木京也
鬼達のレゾンデートル
114/140

裏エピローグ:存在理由

 我輩は鬼である。名前など元々ないが、皆は我輩の髪を見て、椿(つばき)と呼ぶ。

 何年前か二月の節分。日本の地にて、我輩は生まれた。この時期は邪気が発しやすく。我輩をはじめとした鬼の出生率……もとい、出現率は高い。

 そして同時に……。


「鬼は~外!」

「ぐわぁあああああ!」


「鰯の頭置くか」

「ぎゃあぁああ!」


「柊をほい」

「ひぃいいい! あんぎゃぁたああ!」


 死亡率も高い。笑えないレベルで高い。

 豆をぶつけられ、身体がバターみたいに溶ける奴。

 鰯の香りで発狂死する奴。

 柊に目を串刺しにされ、そのまま脳味噌生け花になる奴。

 主な死因はその辺だ。


「コーヒー、苦旨い」


 駅前から程よく離れた、人通りが少ない街角のベンチ。そこに腰掛けながら、我輩は人からちょろまかした小銭で購入した、ジョージアの缶コーヒーを傾ける。

 元は豆でも、こいつは素晴らしい。この時期に売り出される福豆みたいに清純な気が込められているわけでもない。どちらかと言えば、我輩達が好む、死人に近い香り。コレが道端にあるカラクリの中に売っているのだ。

 人間って凄い。昔から生きる鬼が見たら、人はやはり侮れぬと、しみじみする所だろうか。我輩は平成生まれだから、イマイチピンとこないけど。

 耳に届くは、同胞の断末魔。

 昔のように闇が濃くないこの時代。鬼の平均寿命は長くないと、それなりに年をくった他の鬼に聞いた事がある。

 昔と違って鬼の逃げ場がないばかりか、各地で行われる節分で、鬼は結構な割合で死ぬ。それが原因だ。

 実は我々にも見えない邪気が漂うから、鬼は己の本能のままに人に近づく。で、返り討ちにあう。

 ならば節分以外でと言えばそれまでだが、歯痒いことにこの国の人は、結構な頻度で厄払いやら邪気避けをする。意図的だったり、本人達が気づかぬままライフスタイルに取り入れられていたり。その形は様々だが、ともかく言えることは、鬼はもう、人間を襲うほど力もなく。人間もまた、鬼とは触れ合えず、見ることもかなわない。


 中には鬼といった存在に触れられたり、その存在を感知出来たりする人間もいるかもしれないが、結局は少数派。力もそこまで強くはないだろう。

 年寄り連中が懐かしむように語る、我々と真っ向から勝負できる人間は、もう地上には残されていないのだ。


「……あ」


 コーヒーがなくなった。手に残るは、冷たくも虚しさを覚える、スチール缶の感触のみ。それをじっと見つめながら、我輩はため息をつき……。


「やっほ。椿(つばき)! 相変わらず辛気くさい顔だね!」

「……梅姫(うめひめ)か。相変わらず煩い奴だ」

「んだとコラ?」

「喧嘩なら買うぞ?」


 不意にカランコロンと下駄を小粋に鳴らしながら、そいつは現れた。

 ひとしきり悪口と(がん)を飛ばしあうのは、鬼同士の挨拶のようなもの。それを終えてようやく、我輩は古い幼馴染みとも言える女を見る。

 黒絹のような長い髪。角は頭頂に横一対。小さいのがちょいと乗っかるようにある。細身な体躯を彩るは、紫陽花が艶やかに描かれた水色の和服。丈は少々短めな上に、フリフリとしたフリルまで着いている。現代かぶれめ。と、再度罵りたくなるが、リアルファイトに発展しかねないので、我輩は口をつぐんだ。


「椿は毎年が如く、節分は動かずかい?」

「退治されるのは、本能が抑えられぬ若い連中か、何年か生き延びて、油断してる奴らだ。我輩はやることをやるまでは死にたくないからね。こうして動かず。適度な邪気だけ頂くさ」

「死体を啄む鴉みたいな奴ね」

「節分に物見遊山する狂人には言われたくないな。この時期に鬼は、気が大きくなって死ぬか、路地裏で震えるかだ。鴉で結構」

「アイアム、オーガ。ノット、ヒューマン」

「南蛮女め」

「南蛮とか古いねぇ。若年寄が」


 スチール缶が、手の中で潰れる。ケタケタ嘲笑を浮かべる梅姫を我輩は睨み……。そこで初めて、彼女が手に何かを持っているのに気がついた。


「何だそれは?」

「んあ? ああ、これ? お土産だよ~」


 いいでしょう? いいでしょう? と、梅姫はこれ見よがしに見せびらかす。

 小綺麗なハンカチでくるまれた何かからは、実に食欲をそそる香りが漂ってくる。煮込まれた馬鈴薯と玉葱。ニンジンに……肉汁。これは、豚肉か。それと白滝。


「……肉じゃがか? お前料理なんて……土産?」

「当ったり~! そう、持たせてくれたの! 来年もまたおいでって!」

「……誰が?」

「人間!」

「…………は?」


 よっぽど我輩は酷い顔をしていたらしい。梅姫はピョンピョン跳ねながらも、珍しいものを見た。と、言わんばかりにまじまじと此方に目を向けた。


「い、いや、お前……人間の部屋に? 本能に負けたか? よく死ななかったな。それとも、豆や鰯、柊がない家でもあったのか?」

「本能は……恵方巻で抑えられたけど、好奇心には完敗さ。あ、鰯と柊は片付けてくれたよ? 豆もあったし。しかもね! 一緒にご飯食べたんだ!」

「……意味がわからん」


 信じがたい事実に、我輩は開いた口が塞がらない。土産も持たせたのだとしたら、その二人、恐らくは数少ない存在。視える人間なのだろう。

 ……だが、部屋に招くか普通? 我輩達は鬼である。腐っても鬼であるのに。


「一応、私が襲ってきた時の為に、豆は肌身離さなかったけどさ。……今思えば、私も浮かれてたんだね。人間に存在を認識して貰えたのが嬉しくて、話すのも楽しくて……」

「おいおいおい……」


 つまり話を整理すれば、こいつは節分に人の部屋に上がり込み、一緒に飯を食ってきたと。……ある意味貴重な体験ではあるが……。


「……豆を投げつけられる前に殴り殺せば……襲えばよかったじゃないか」

「野蛮な奴だなぁ。……いや、私もそんな下心があったのは否定しないけど、結局ダメだったよ。だって……」


 私達が見える人間で、かつ私達に歩み寄る人間なんて……そうそういないじゃん? と、まるで恋する少女のように、梅姫は屈託なく笑った。我輩は唖然としたまま、その顔を見つめるより他になかった。


「色んな話を聞けたよ。じいさん連中からは聞けない、人間視点で語られる、この国に伝わる鬼物語。泣いた赤鬼の話に、帽子をかぶった鬼。島を引いてきた鬼。涙無しには語れんよ。鬼だけど」

「……ホントに世間話しかしなかったのか。呆れた鬼と人間だ」

「あ、豆まき一緒にしたよ。知ってる? 今は鬼と最後に和解する豆まきもあるんだって!」

「……はぁ!? 豆まきって……お前っ……!」

「ああ、私は逃げる役ね。そいつら曰く、鬼と和解がありなら、鬼と共闘もありなんじゃないかって?」

「三人集まればなんとやらというが、アホが三人集まるとそうなるか」

「……夢がないなぁ、もぉ~」


 どこかでまた、誰かの断末魔が響く。鬼は外。元より外にいる我輩達を更に追いやるのか。と、文句を言いたくなる。

 鬼は邪気。故に駆逐。邪な考えをもつのは、何も鬼に限った話ではないのに、この傲慢さは弱くもズル賢い人間らしい。


「……椿は、人間が嫌い?」

「好きな鬼などいるのか?」

「いや、あんまりいないかな。倒錯した愛を持つ奴はいるだろうけどね。私を倒せる人間が愛しい~だとか、私を畏れる人間が可愛い~だとか」

「それは友愛というより狂愛だ」

「でも、突き詰めたら私達と人間の関係性って、愛だと思うんだ」

「……梅姫。阿呆だとは前々から思っていたが、とうとうド阿呆に成り果てたか」

「私は真面目だよ!」


 頬を膨らませながら、梅姫は両手をブンブン振り回す。平成ウン十年生きた女がやるには、少々痛々しい。鬼としては我輩も彼女も、まだ若いどころか子どもな方ではあるけれど。

 我輩が聞かせてみろ。といった顔をすると、梅姫は貰った肉じゃがを宝物のように撫でながら、ポツリポツリと語り始めた。


「闇は薄れていく。時代と一緒にね。でも、完全になくなったわけじゃあない。鬼と和解する。あるいは共闘する豆まき。あんたは……、椿はどう思った?」

「……鬼も落ちぶれたなと思ったよ」


 正直な感想を述べる。すると梅姫は、何処と無く寂しげに微笑んだ。


「時代はどんどん変わっていって、私達の身の振り方も、変わってくる。私はね。あれらが鬼の新しい生き方の一つにも思えたよ」

「人間に歩み寄る気か」

「元から歩み寄ってたろう? 私達は。畏れさせるか、親しませるか。その違いだよ」

「人を襲い、怯えさせてこその鬼だ。マスコットに成り下がるのか?」


 蔑みの目を向ける我輩に、梅姫は無表情なまま頭を振る。黒髪がふわりと靡き、その奥……。金色の瞳がスッと縮まった。


「節分が忘れ去られるまで待って。待って。それから人間を襲う。そんな壮大すぎて成功するか分からない可能性に賭ける。どっかの誰かさんが脳内で立てた計画よりは、ずっと現実的だと思うけどな」

「鬼の誇りは失わない。だから我輩は死なん。節分を乗り越えれば、我輩達鬼を脅かすものはない」

「誇りって何さ。そもそもデフォルトで人を脅かせない平成生まれが何を言うのよ。現代っ子が侍気取るのより痛々しいわ」

「大体、歩み寄って無事にすむ筈がない! 全部が和解を謳う訳ではないだろう。酒呑童子への騙し討ちの話、知らぬわけではあるまい!」

「あれはでっち上げだよ?」

「それでも、あれが語り継がれているのがいい例だ! 人間はそういう生き物なのだぞ!?」

「あり? 椿、もしかして心配してくれてる?」

「……っ、違う!」


 柄にもなく取り乱してしまう。知り合いが物言わぬ骸に変わる想像が先走り、我輩は気がつけば声を荒げていた。

 それを楽しげに眺めながら、梅姫はくくくと笑う。


「ま、いいや。私とあんたの意見が合ったことなんてないしね。取り敢えずこれ! 肉じゃがですぜ。温めてから寄越してくれたんだ。一緒に食べよ」

「いや、我輩は……」

「食~べ~よ~!」

「……一口だけだ」


 結局半々になったのは内緒である。人間が作ったものなどと思っていたが、思いの外美味であったことを付け足しておこう。


「来年は椿も行こうね! 一緒に豆まきしよ! ダブルダークヒーローよ!」といいながら、梅姫は笑っていた。

 鬼なのに人間臭いとはこれいかに等と思ったが、それは言わない約束なのだろう。

 少しだけなら付き合ってやろうと思っていた辺り、我輩も時代の波に流されているのかもしれないが。



 ※



 それから一年が経った。

 我輩は鬼である。人間は嫌い。何故ならば、人間を襲うのが鬼だからだ。では何故人間を襲うのか。それを言われると弱い。

 別に人間を襲わねば生きていけない。という事はない。ただ、襲い、野蛮な狼藉を働くのは、我輩達の本能だ。つまるところ、梅姫のような例が特殊だったのか、時代の最先端を行っていたのか。イマイチ判断がつかなかった。

 鬼のあり方は、昔と変わってきている。それは否定すまい。だが、それでも劇的に変わったという訳ではない。

 梅姫のような存在が少数派であることは疑いようもなく。故にこのような結末は、いつか訪れるものだと、我輩は心の何処かで思っていたのだ。


 目の前で、ぐったりと地面に倒れ伏す友を、我輩はただ見つめていることしか出来なくて。何故か滲む視界に首を傾げていれば、我輩に気づいた梅姫は、静かにこちらに目を向けた。


「ドジっちゃった。流れ弾ならぬ、流れ豆よ」

「……ド阿呆だと思っていたが、世紀末級の阿呆だったか」

「喩えが分かりにくいわ。……ごめんね。一緒に……あの二人のとこ、案内しようと思ってたのに」

「……無理か。我輩がこっそり用意した鍋の材料はどうなる。盗んでくるのに苦労したのだぞ?」

「アハハ……何よ。ブーブー言いながら、ちゃんと一緒に行ってくれる気だったんじゃん」


 勿論嘘だ。こう言えば元気が出るか。そう思ったが、無駄だったようだ。梅姫の身体が、静かに消えていく。

 豆という読みは、転じて魔滅(まめ)。彼女の存在は既に滅びを迎えていた。


「……何か言い残すことはあるか」

「……あの二人。肉じゃがくれた人間の家を教えるわ」

「我輩は行かんぞ。お前がいないなら……行かんぞ」

「ん。知ってるよシャイボーイ。だから……。ね、その辺に豆落ちてるよね?」


 言われるままに、辺りを見渡す。彼女が倒れたすぐそこに。僅ながら豆が散らばっていた。まさか、ぶつけられた後に拾い集めて、ここまで持ってきたのだろうか?

 あるぞ。と、伝えれば、拾って。と注文が入った。


「もう、私を滅した豆だから。椿が触っても大丈夫な筈よ。それを……これに」


 手渡されたのは、いつかの肉じゃが入りのタッパーと、小綺麗なハンカチだった。


「返さなきゃだから。それに豆入れて、行けなくてゴメンって、伝えて欲しい。喋りたくないなら……手紙入れて、投げ込んでくれればいいから」

「……向こうが覚えてるかわからんぞ」

「覚えてるよ。きっと……。そういう人間達だ」

「……そもそも、何故に豆を送る」


 人に豆を渡す鬼など、自殺願望があるとしか思えない。そう言えば梅姫は、お堅いなぁ。と苦笑いする。


「豆撒きのあと、人は豆をどうするか知ってる?」

「年の数か。あるいは、年の数字を思いながら喰らうのだろう? 豆を喰う神経はわからんが」

「そう。鬼を……魔を滅した豆を食べる。福豆とかいうじゃん? 勝手な解釈だけど、それって私達が滅されることで生まれる……幸福なのかなって……」

「鬼が幸せを運び、福をもたらすと? 共闘とやらをほざいた時も思ったが、ファンタジーだ」

「ロマンって言いなよ……。これも一つの愛かもしれないわ」


 その愛に殉じるのか。そんな我輩の目を見たまま、今や下半身は完全に消失した状態で、梅姫は、にひひ。と、歯を見せた。


「私は滅されるから、もう一緒に邪気は払えなくても、福を内に放り込まなきゃ」

「……ダークヒーローだからか?」

「あはっ、わかってきたじゃん」

「お前がわかりやすいだけだ」


 精一杯の皮肉も流される。思えば、コイツに口喧嘩で勝てた試しは一度もないことを思い出した。


「……だから、出来るならあの二人の元に行きたいわ。私を驚かせて、楽しませてくれたあの二人のとこへ」


 消失は胸まで達している。もはや幾ばくの猶予もない。残された我輩に出来ることは……。


「わかった。我輩が……必ずや届けよう」

「……ありがと。ああ、椿。陰鬱だけど同胞思いな私のお友達……。ホントに、ありがとう」


 最後の最期まで鬼らしく毒を吐きながら、梅姫は静かに言葉を紡ぐ。

 彼女を喜ばせた人間二人。その居場所と名は……。


 ※


 とあるマンションの一室。そこは窓こそ閉められていたが、まるで誰かを待ちわびるかのように、夜にも関わらずカーテンが開けられていた。

 遠目でそれを確認した時、我輩は成る程な。と、一人納得した。現代風に言うならば、所謂霊感を持った人間なのだろう。鬼が見えるというのだから、極上の。

 その二人は、普通の人間にはなさそうである、妙な空気を身に纏っていた。

 あれならば何かありそうだ。と、勘ぐり、普通の鬼は近づけまい。野外や鬼の領域ならばまだしも、人の営む〝家〟や〝部屋〟とは、ある種の結界だ。普通の人間ならば我輩達も躊躇なく押し入るが、彼処へ行くには勇気がいる。梅姫も、招かれたのか、押し掛けたのかはわからんが、よく入り込んだものだ。


「……今は、そんなの関係ないか」


 我輩は、約束を果たすだけだ。大きく振りかぶり、我輩は息を吸い込んで――。


「鬼は(ここ)。――福はぁあ! 内ぃい!」


 ハンカチでくるんだ豆入りタッパーを、その部屋目掛けて豪速球した。

 コントロールには自信がある。絶妙に窓の縁に命中したそれは、確かな衝撃と音を中へ届けたことだろう。

 うっすらとだが狼狽える男女の声がするが、まぁ気にすまい。

 窓を開け、ベランダに二人の人間が出てくる。盟友曰く、虚ろな雰囲気の美青年と、お人形のような美女とのこと。特徴も一致するので、あの二人で間違いはなさそうだ。


「……確かに届けたぞ。友よ」


 夜の帷にそれだけ呟いて、我輩はその場を後にした。僅かに芽生えた達成感に身を委ねながら。

 背後で「あれ? これって……」という声が聞こえてくる。それだけで我輩は、何だか救われたような気分になれたのだ。


 ※


「……コーヒー、苦じょっぱい」


 大好きな筈のジョージアは、今宵は妙な味がした。雨など降っていないのに、我輩の頬が湿っていたのである。

 梅姫のあんちくしょうは、毎年節分と、後は季節の節目節目に近況報告を交換していた、唯一の相手だった。

 平成の鬼は群れをなさない。だが、昔のように徒党を組んでいた種の記憶は、確かに残っていて。

 そこで初めて、我輩は切ないのだと気がついた。


「……ああ、死んだのか。友よ」


 雨など降っていなかった。これは……涙で、喪失で。そうしたら、不意に梅姫との問答を思い出した。


「時代は、変わり行く……か。では我輩は、何のために」


 確かに色んな人への歩みよりがあるのだろう。皮肉にも、友が死んだことで、我輩は自身の〝鬼〟を自覚した。

 節分の……豆まき。そこにあるのは親しみ。あるいは邪気に伴う鬼の本能だ。どのみち、多くの鬼がこの日に散る理由がようやくわかった。

 誰かを。同胞をすぐそばで喪う哀しみか。

 あるいは鬼の本懐が遂げられることがないという、永遠の虚しさか。

 はたまた、人と鬼でも仲良くやれるやも知れぬという、アイツの言葉を借りるならば、ロマン溢れる幻想か。

 

 どれに転がるかは分からない。故に誰かに邪気と幸せをぶつけたいのだ。天の邪鬼に鬼という字が入るのはこういう事か。など、柄にもない哲学じみた思考が走り。我輩はついにその場で、腹を抱えて笑いだした。


 誰かの断末魔が聞こえる。

 同時に我輩は、覚悟を決めた。

 長年逃げていた道に区切りを着け、鬼の本懐を遂げる覚悟を。


 友は、鬼として。彼女なりの信念を貫いた。では、我輩は? このまま何年も腐り続けるのか。下らんプライドを掲げ、勝てる戦が来るまで待つのが、鬼がやることか? ――否。

 酒呑童子は人と戦った。鬼はここに在り。そう示したからこそ、鬼達はこんなのでも絶えることなく存在し、故に人は豆をまく。

 そう、我輩は示したかったのだ……! かの英雄のように。

 我輩は鬼であると……!


 何処かで父親が、鬼の面を被る。

 家という結界に鬼がいる。その瞬間、我輩達は人の家に入り込めるのだ。


「おおぉ……! おおおおおおおおおおぉっ!!」


 全てを拭い去るように雄叫びを上げながら、我輩は人の家に向かって走り出す。小さな娘子が、豆を掴むのが見えた。柔らかそうな肉だ。かぶりつけたなら、さぞかし旨いだろう!


「我輩に……寄越せぇええぇ!」


 大口を開けながら、腕を伸ばす。当然ながら、娘子には見えていまい。故に無垢なまま。穢れ無きそれが宙を舞うだけで、魔は祓われて、福が来る。

 もしかしたら歩み寄ることでも、福は生まれるのかもしれない。だが、そんな戦い方が出来るのはきっと、我輩の盟友のような、勇気ある尊い存在だけだろう。

 だから臆病な我輩は、ありきたりな鬼と同じく。愚直に対象へ突進する。

 豆が飛んできた。福を願い。誰かの為に飛んでくる。避けはしない。それこそが鬼が遂げるべき、鬼にだけ許された生涯一つの善行であり、唯一無二の存在理由(レゾンデートル)


 さぁ、頃合いだ。叫べ!



「鬼はぁ、外! 福はぁ、内!」



 パラッパラッパラッと、豆が弾ける音がした。


 ※


 メリーがむくりとソファーから起き上がった時、その瞳は悲しげに揺らめいていた。


「梅姫を……視たんだね」


 そう尋ねると、メリーは小さく頷いた。

 タッパーに入れられた、ほんの少しの豆と、添えられた手紙。

『ダークヒーローの親友より』と書かれたそれには梅姫の死と最後の願いが記されていた。僕がそれをメリーに教えれば、彼女は何処か物悲しそうにため息をつきながら、静かに視えた幻視の内容を語り始める。

 それは、二人いた平成生まれな鬼達の結末だった。


「……肉じゃがとか、お鍋とか。食べきれない量になっちゃったわね」

「そう、だね」


 手紙を畳み、僕はぼんやりと窓を見た。

 改めて思い出す。彼女は鬼。そして今日は節分だ。ここへ来る途中に死んでしまう可能性も、低くはなかったということを。

 かといって、そこら辺に鬼が生まれるから、こちらが探すのも難しい。

 そもそも彼女も言っていたではないか。危険は承知の上だった……と。

 だからこれは、いつか必ず訪れる結末だ。頭ではわかっていたけれど……。それでも今は、胸が張り裂けそうだった

 

 沈黙が続く。

 そんな中、僕らは同時に提案した。


「……豆まき」

「……しましょうか」


 人間が大好きだった彼女と、人間が嫌いでも、彼女の理想に敬意を払った彼。その弔いには、やはり豆まきが相応しいだろうから。

 いつもやるように手を繋ぎ、二人揃って豆を手にする。

 パラパラパラッと乾いた音が響き始めた。

 声を合わせて外へ内へ。鬼に言わせりゃ風変わりな人間二人で、祈るように豆を撒く。


「鬼は外。福は内」

「鬼は外。福は内」


 節分の断末魔は、今も聞こえていた。

 霊能者あるある。……知り合った怪奇の存在がひっそりと消えていく。これを体験するのは、果たして何度目か。

 梅姫曰く、闇が薄れたこの時代。そういう類いに一度出会えても、次また再会できる可能性は、その実かなり低い。深雪さんや魔子みたいな例の方が、珍しいのである。


「……〝おににだっていろいろあるのにな。にんげんもいろいろいるみたいに〟」

「〝あの人はきっとかみさまだったんだわ〟……色んな解釈があるけれど、やっぱり節分って切ないわ」

「……その心は?」


 とある絵本の一節を思い出し、なんとなく僕が口ずさめば、メリーはそれに答えながら、静かに目を伏せた。


「だって……鬼は毎年のように豆をぶつけられても、人と関わるのを止めないのよ? まるで、僕らを覚えていて。忘れないでって、叫ぶみたいに」


 存在証明が退治される事だなんて……切ないじゃない。

 憂いの表情を浮かべたまま、メリーは最後の豆を外へと撒いた。


 鬼が走り、豆が飛び交う二月の夜。

 忘れないよと心に刻みながら、僕らは住む世界が違う二人の(ヒーロー)を悼んでいた。

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