インターミッション
日常回です。肩の力を抜いてどうぞ
何だかんだで、大学は受かっていた。
これにて晴れて春より上京し、独り暮らしになることが決まったことになる。
といっても合格してから向こうに行くまでそれなりに日数があったり、身辺整理に挨拶周りなど、地味にやることが多かったのだが、特にヤマもオチもないので、そこまでの経緯はダイジェストもかくやに簡単に語ろうかと思う。
まず両親は喜んで、それでいてほんの少し名残惜しそうだった。
「気がつけばフラッといなくなる放浪息子が上京とか、お父さん嫌な予感しかしないんだが」
「一週間……とは言わないわ。月一回位は電話しなさい……いや、ダメだ。アンタに電話任せたら次にかかって来るの半年後だ。私らがする」
……不安そう。という方が正しいかもしれない。
可愛い子には旅をさせろと言うけど、お前は何度も自ら旅に出たから腹立つ。と、よく愚痴られていたものだから、もう僕の帰宅時間気にしなくていいんだよと伝えたら、何故か二人からチョップが飛んできた。解せぬ。
小学四年生の妹はいつも通りだった。「彼女出来たらララちゃんに連絡ヨロ。あ、お隣の綾お姉ちゃんとくっついたって報告でもOKよ」といった具合に兄をおちょくる平常運行。
でもそんな妹は、夜になると両親の目を盗んで、こっそり僕の部屋にやってくる。幼稚園の頃のように僕のベッドに潜り込む為だ。
無言で引っ付いてくるのが正直可愛過ぎて、顔をこねくり回したら何故かガチ泣きされ、慌てふためいたのは僕だけの秘密だ。
高校の卒業式はごく普通に終わりを迎えた。広く浅くな人付き合いをしていた僕ではあるが、決して友人と呼べる人がいなかったわけではない。
幼馴染みと親しくしていた五人の仲間達で少し遅くまで遊び、またいつか会おう。と約束して別れた。
僕を除けば六人のうち一人は地元に。一人は遠方に就職。
残る四人は二人が違う大学ながら地元と同県に。もう二人が北海道へと進学が決まっている。
見事にバラバラだなぁと皆で笑い合っていたのが、妙に印象深かった。
その帰り道。何故か周りからの猛烈プッシュされ、僕は幼馴染みと一緒に並んで歩いていた。どうせ家はすぐ近くだから方向は同じなのだが、友人らは「絶対に一緒に帰れよ!? 絶対だかんな!」「寄り道厳禁だぜ!」「ただし二人で朝帰りは許可するわ!」「頑張れ竜崎さん! 超頑張れ!」「……辰君、ボクらの綾を泣かせてくれるなよ?」と、大騒ぎ。幼少から今まで続く男女の幼馴染みが珍しいのか、昔から変な悪ノリが多くて困りものだ。もう何度否定してもこの調子なので、今はもう放っといている。
「春には、お互い大学生ね」
「うん。何だかようやくここまで来たって感じ」
「……東京と、地元。辰とこんなに離れるの、初めてかも」
「あー、そう言えば僕ら、幼稚園から一緒かぁ」
「違うわ。ハイハイしてる赤ちゃんの時からよ」
三月とはいえ、まだ寒い。僕も幼馴染みも、マフラー装備のコートとオーバー姿。傍らの彼女は、吐く息を白くしながら、肩まではある濡れ羽色のロングヘアを揺らし、物憂げに夜空を見上げている。僕もそれに習って上を向いて歩けば、真ん丸になれそうでなれていない月が、ポツンと浮かんでいた。
沈黙が続く中、か細い声で話を切り出したのは彼女からだった。
「……また、皆で集まれるわよね?」
「……うん、きっとね」
「ウソ。そんなこと思ってないくせに。ああ、これでもう全員で集まっては会うことはないんだろうなぁ……なんて思ってたんでしょ?」
「いや、そんなことはないよ?」
「……わかるもん。伊達に十八年も幼馴染みやってないもん」
「ほ、ホントにそんな事は……」
ごめんなさい。ちょっと思ってました。
でも実際、皆多忙になるのは目に見えているんだよなぁ……と、考えてたら、不意に幼馴染みは立ち止まり。そのまま僕のコートの裾を摘まんで俯いてしまう。僕はというと、動くに動けなくて、かといってどんな言葉をかければいいか分からずに。それどころか、いつもは凛々しい和風美人な彼女が、いつになくしおらしいから、若干戸惑っていた。
「……寂しい、よ」
痛みを堪えるような声だった。家が隣同士だからか、性別なんて関係なく、僕らは良き友人だった。クールで恥ずかしがり屋さんな彼女は、同い年だけど僕にとってもう一人の妹みたいな存在なのである。
だから……。
「私、ね。ずっと昔から辰が……辰のこと……」
「大丈夫。いなくなったりしない。約束する」
両親。妹、学校の先生、友人たち。
繰り返しになるが、共通するのはやっぱり「失踪するなよ? 行方不明になるなよ?」で。そんなに信用ないのかと聞けば、妙に味のある顔を向けられた。
納得いかないけども、幼馴染みの彼女まで口ごもりながら言う辺り、もうそのイメージはどうあっても払拭できないらしい。
だから僕はただ、安心させるために。いつも彼女を宥める時のように、そっと頭を撫でてあげた。
柔らかな。絶対に指通りのいい髪を弄りたくなるが、そこは耐える。ナデナデは幼馴染みという免罪符があるから可能なだけで、女性の髪を不躾に触るのは宜しくない。
呆気にとられ、次に膨れっ面。だがしばらく経つとそこから「にへー」と、擬音が出そうな勢いで、嬉しそうに破顔する彼女を見てると、髪を触るくらい大丈夫じゃないかなぁと思わなくもないが、そこは紳士になった。
「お盆と正月は戻るよ。土産話を沢山持ってくるさ」
「絶対ね。忙しいが理由で帰ってこないの、無しよ?」
「了解。綾も元気でね」
「……うん」
微かに「これだけ鈍感で我が道を行くなら大丈夫か」なんて言葉が聞こえてきたが……彼女がご機嫌だから気にしないことにした。
しかし我が幼馴染みよ。頭ナデナデでコロッと言いくるめられる辺り、ちょっとチョロすぎはしないだろうか。お兄さん少し心配だ。
「いなくならない……ね」
少しだけ足取りが軽くなった幼馴染みに聞こえないよう、独白する。
フラフラするのを止めるとは言っていないんだよなぁ。は、口に出す必要はないだろう。ちゃんと帰ればいい話だ。
後にそういう問題でもないし、色んな意味で違うのだと幼馴染みが激怒するのは……また別のお話である。
※
時は流れて四月。
斯くして、僕は大学生になった。巨大な国際フォーラムを使った入学式に圧倒されたり、無駄に長い学長の演説にウトウトした後、僕はスーツを着たまま、近くの喫茶店に入っていく。
コーヒーの香りに胸を踊らせながら、僕は店内を見回して……テラス席へ繋がるガラス戸近くに、待ち合わせ相手の姿を見る。テーブル席に腰掛けたその女性は僕が初めて電車で見つけた時と同じように、のんびりと読書に勤しんでいた。
違うのは、制服ではなく、タイトスカートのスーツを着込んでいる事だろうか。
手にしている本は『義眼殺人事件』
アール・スタンリー・ガードナーが手掛けた、ペリー・メイスンシリーズの一編だった。
「世界一有名な探偵の次は、弁護士かい?」
「ええ、今メイスンとドレイク探偵が、掃除のおじさんに変装したとこよ。……そういえば、あの日に電車内で見かけたって言ってたわね」
その女性、メリーは、現れた僕に笑顔を向けながら、小さく手招きする。促されるままに対面に座れば、メリーは小説に栞を挟み、傍らの鞄に放り込んだ。そのまま少しだけ戸惑ったように見つめ合っていたが、やがてどちらからともなく吹き出してしまった。
妙な緊張は、それだけで霧散した。
「久しぶり。また会えて嬉しいよ」
「私もよ。でも、何でかしらね。お互いに大丈夫じゃないかって、確信はあったわ」
再会を喜び合いながら、僕らは離れていた時間を埋めるように語らった。電話と、実際に面と向かうのでは、随分違うことを実感しながら、僕らはこれからの大学に想いを馳せた。
そんな会話の最中。不意にメリーは「あ、そうだ」と、指を鳴らした。
「ねぇ、辰。貴方、サークルの類いには、入るつもり?」
急な質問に、僕は少し面食らいながらも静かに肩を竦める。案内の冊子を見たが、正直興味を惹かれるのはなかった。が本音だった。
サークル活動も大学生活の醍醐味だが、そこまで情熱を向けたいものが、てんで見当たらない。故に本分たる勉学に励みながら、ちょくちょく小旅行にでも行けたらいいのでは? そんな考えに至りつつあった。
僕がそう述べれば、「まぁ、そうでしょうね。私も残念ながら……」と、暗に彼女も全滅した事を示唆している。だが、何故だろうか。心なしか憂いが晴れたとばかりに、メリーの顔は明るかった。
「嬉しそう? だね」
「まぁ、ね。これで貴方が何らかのサークルに所属するのを決めてたなら、遠慮しようと思ってたし」
そう言いながら、メリーはコホンと咳払いをすると、僕の顔を真っ直ぐ見つめ……。
「ねぇ、辰。もし貴方がよかったらだけど……私と相棒を組まない? オカルト研究サークルの」
敢えて詩的な表現にするならば、全ての始まりの言葉を。少しだけ緊張したような、はにかんだ表情で口にした。




