冬の桜と人面犬《前編》
お酒が美味しい。
それを真の意味で感じたことが、僕はまだ無いのだと思う。
身の回りを見てみると、成人前から飲んでいて、今もほぼ毎日飲むというウワバミもいれば。
全く飲めない人。
程々な人等本当に色々いる。
そんな中で僕はといえば、成人してから半年も経っていない事もあり、限界を試したことはついぞないのが現状だ。
だから、自分や幼馴染のお父さんが一日の終わりにとても美味しそうに飲むビールだとか、時々彼らが口にしていた楽しいお酒の意味については……。なかなか想像出来なかった。
……あの事件に遭遇するまでは。
今から語るは、とある死者の後日談。
その最中に僕が彼……。いや、〝彼ら〟から学んだ、ちょっとした哲学のお話だ。
※
それは、サキュバス的なクリスマスや冬休みを経て。春休みが間近に迫った、とある日の大学帰りだった。
その日僕はふとした思い立ちで学内のコンビニへ寄り、ホカホカの肉まんを買い込んだ。
最近電撃的にアイドルデビューを果たした知り合い。もといミクちゃんが、CMで肉まんを美味しそうに頬張っていたのが、全ての元凶である。
メシテロならぬおやつテロ。それを甘んじて受け、こうもあっさりと踊らされている自分に苦笑いしながら、帰道にある桜並木まで駆り出した僕は、適当なベンチに陣取っていた。
風が頬を撫で、その心地よさに目を細める。まだまだ先な春を待ちわびる、侘しげな桜を眺めつつ、またメリーと花見に行くのもいいなぁ。なんて考えていたその時だ。
「ほっといてくれよ」
すぐ傍から、哀しげな声を耳にした。
何奴。と、声がした方に目を向けるが、誰もいない。
気のせいか? 最初はそう思った。大学のレポートが続いたせいで疲れていたのかな。釈然としないままにそう結論付けて、僕はコンビニの袋に手を突っ込み……。
「構わないでくれ」
再び同じ声が耳に届く。悲哀を感じるというか、聞いているこっちの気が滅入りそうになる、鬱々しい声質だった。
構わないで欲しいなら声出さなきゃいいのに。そんな冷たい意見を頭に思い浮かべながら、僕は辺りを見回した。
やはり近くには、人っ子一人いない。静寂に満たされた中、土手と川。そして葉桜だけが僕の視界に入ってくる。やはり近くには誰もいなくて……。
「……んん?」
いや、撤回しよう。いつからそこにいたのかはわからないが、確かに生き物はいた。
犬がいる。桜の木の下にてこちらに背を向けて、お座りしていた。無駄に哀愁を帯びた背中で。
「…………わんっ!」
いやまさか。そんなことを考えながら、僕はありきたりな対応をしてみる。聞こえているなら何らかの反応を……。
「……なんだよ、ほっといてくれ」
「……そのまさかだった~」
振り向いた犬が、嗄れた声で口をきく。
その顔は獣のそれではなく。どこからどう見ても犬耳が生えた、中年のオッサンだった。
「おい」
「……なんでしょう?」
もしかしなくても、都市伝説に出てくる人面犬というやつだろうか? ……こんな辺鄙な所に?
なんて思いながら互いに出方を伺っていたら、意外にも先に口火を切ったのは人面犬の方だった。
「お前、まさかオレが見えるのか?」
「……視えますね。一応」
僕がそう答えると、人面犬は何故かニヤリと不気味な笑みを浮かべながら、こちらに向き直った。
大きさは柴犬ほど。可愛い尻尾が左右にフリフリ振られている。だが、繰り返すが顔はオッサンだ。誰得だよ。なんて感想は、敢えて口にしなかった。
「時に若者よ。名前は何だ?」
一字一句、言われたままにゆっくりと名乗れば、人面犬は噛み締めるようにして読み返し、にやけながらオッサンの顔で犬らしく舌を出す。小さい子が見たら大泣きすること請け合いだった。
「辰と書いてシンか。カッコいい名前だな」
「そりゃどうも。……人面犬さんは、この辺に住んでるの?」
「新堂ポチ=剛。俺の名だ」
「……新堂さんは、この辺に?」
名前ェ……! と、突っ込みたいけど、そこはぐっと堪えた。そんな僕の問いに、新堂さんは首を横に振る。
「いいや。普段は……ここから少しだけ離れた場所で暮らしていた……筈だ」
「筈って……じゃあ、散歩?」
「犬イコール散歩の風潮はよくない。暇潰しじゃないのだ。犬には死活問題だ」
「あ、うん。何かごめん。じゃあ……ご飯でも探しに来た?」
「……散歩だよ。宛のない暇潰しさ」
オイ、死活問題どうした。見事なまでの手のひら……否、肉球返しに僕が顔をひきつらせていると、新堂さんは実にシニカルな笑みを浮かべながら、犬らしからぬため息をついた。
「……わからないのだ。俺は犬だったのか。人だったのか。覚えていない。気がついたらこんな身体でなぁ。自分が何処から来たのか思い出せんのだ」
「……っ」
少しだけ身体が強張るのが分かった。予想外な重々しい話の切り出しに、僕はどう反応したらいいかわからない。新堂さんはそんな僕に構わず、鬱々とした様子を崩さずに、話し続けていた。
「記憶が、混ざりあっている。人の……しがない作業員だった俺。畳ばりの部屋。ドックフードの無駄にいい香りに、痛み。ああ、痛みだ。頭を強くぶつけたような痛みがあって。口の中に鉄の味が広がって……。どの記憶が本当なのか……わからない」
へにゃりと。耳と尾を下ろす新堂さん。その姿は、落ち込んだ犬にも、家庭に行き場がないお父さんにも見えた。
「気が狂いそうになり、俺は一度全力で走り回った。記憶にあるゆかりの地を訪ねてみたが……。そこには何もない。道行く人に近づいてみても、誰も俺を認識してはくれなかった」
のそのそと、新堂さんが近付いてくる。ニヤニヤ笑いを張り付けたまま。嬉しいから笑っているのだろう。だが、やはりその非日常な融合は、どことなく不気味だった。
「……若者よ。頼みがある」
「僕に出来る範囲なら」
淀みなくそう返せば、新堂さんは尻尾を振った。
「何もそんな大それた事を頼もうって訳じゃない。そのコンビニの袋……中身は肉まんか? 一つ俺にくださいな」
「……別に人面犬のお供はいらないよ?」
「桃太郎か? 俺も大学生のお供なんかしないさ。そもそもそれは吉備団子じゃない。仮に俺とお前が鬼に挑んでも、勝てるわけないだろう」
鬼がこの世にいるかはともかく。と締めくくった新堂さんに、僕も同意の意味を込めて肩を竦めた。
片や犬プラスオッサン。もう片方はしがない大学生。何かが出来るとは思えない。こうして世間話をするのが関の山だ。
あと、鬼といえば去年の節分を思い出す。ちょっとした縁で食卓を囲んだ、いかにも現代っ子といった感じだった鬼の女の子。元気にしているだろうか。
「じゃあ半分こで」
「全部寄越せ」
「嫌だよ。僕だって食べたいんだ」
「お前はリア充の臭いがするぞ。いいではないか。美味しい思いしてるんだろう? どーせ恋人にした女の乳を肉まんの如くハムハムと……」
「……」
「マジか貴様。死ね。爆ぜろ」
「肉まんあげないよ?」
「ほ、欲しいワン」
白くて暖かいそれを、半分に割る。食欲をそそる香りが鼻を突き抜けると共に、ホカホカとした湯気が立ち上った。
新堂さんはそれを見るなり、涎をダラダラ溢れさせた。
「……どーぞ」
「お前今、汚ねぇなって思ったろう?」
「普通の犬がやったら可愛いんだろうけどね」
「正直な野郎だな。フラれろ。イケメンだからといって調子に乗りやがって」
「……やっぱり一人で食べようかな」
「ごめんなさい俺が悪かったぁ!」
一応ビニール袋をお皿がわりに地面に置いてやれば、新堂さんは恨みがましい視線をこちらに向けながらも、嬉しそうに肉まんにかぶりついた。
オッサンが地面に這いつくばって肉まんを犬喰いする様は、何故だか涙を誘うようだった。
「愚痴に付き合え、若者よ」
「……どーぞ」
「お前今、めんどくせーって思ったろう?」
「噛みつく前に御馳走様くらいは言おうか」
「……旨かった。誰かと何かを喰うのは久しぶりだ。……ありがとう」
御馳走様。そう言って、新堂さんは頭を垂れた。
「愚痴を聞いてはくれまいか?」
「……まぁ、かなり珍しいからいいよ」
人面犬の愚痴なんて、一生に一度も聞かないのが普通だろうから。そう僕が返せば、新堂さんはニヤニヤと笑う。目に少しの悲しみと寂しさが垣間見えたのは、多分気のせいではないだろう。
「……俺は、何なのだ?」
半分になった肉まんを僕が頬張るその傍らで、新堂さんはぽつりぽつりと語り始めた。
「怖いのだ。犬の本能と、人間の理性が同時にある己自身が。電柱を見れば催し。女や雌犬の尻を見て興奮し、ドックフードや残飯が余裕でイケる日もあれば、ビールと枝豆が欲しくなる夜もある」
半々なのか。そんな感想が漏れた。
正直、どう反応すればいいか困っていたのもある。人面犬の苦悩というものが、僕には想像しがたいのだ。
自分が何なのかという、哲学じみた事を考える。これは無いわけではない。けれども、流石に人以外になった経験は持ち合わせていなかった。
「……自分がわからないから、怖い?」
「そうだ。俺は……何故、こんな。せめて理解者がいれば……ハッ!」
そこで新堂さんは、稲妻に撃たれたかのようにこっちを見た。
……嫌な予感が加速した。
「若者よ、ものは相談……」
「ごめん、僕の部屋、ペットダメなんだ」
「まだ何も言ってないっ! まだ何も言ってないっ!」
大体間違ってない返答だけれども! そう叫ぶ新堂さんに、僕は改めて目を向ける。
今更だけど、人面犬だ。正直に言ってしまえば、流石に飼う気にはなれなかった。
「これが犬耳が生えた少女ならば飼うのだろう? 貴様のような若者は!」
「いや、少女でもオッサンでも僕はナシだから。それを連れて歩いてみなよ。僕ただの変態じゃないか」
「俺は人には見えないだろう!」
「いや、それでも……うん、ない」
仮に飼うとしよう。寿命は? 食事は? 全てが人並みなら、平均の男性くらい生きる可能性はある。流石に、何十年も添い遂げるのは、オッサンだろうが少女だろうが、ちょっとごめん被りたい。
「だいたい、僕に飼われたとして、新堂さん幸せなの? 僕がどんな人間かもわからないのに」
ぐうの音も出ない新堂さん。目が泳いでいる辺り、やはり目先の避難所に転がり込むような感覚だったらしい。……結構ふてぶてしい人だったのだろうか。
「仕方ないではないか……!」
無言の対峙の末、新堂さんは悔しげに項垂れた。慟哭に近い苦しげな声が絞り出される。犬の身体をブルリと震えさせて、新堂さんはその場に伏せた。
「話せる相手がいない。俺はこれから……ずっと一人or一匹だ。若者よ。君にすがるしかないではないか」
「それにしたって方法があるだろうに。急に飼っては無理だよ」
「ではどうすれば俺のご主人様になってくれるのだ?」
「やめろご主人様とか言うな」
友達になってとか、たまに話し相手になって。じゃあダメなのか。そう僕が問えば、新堂さんは歯軋りする。
「家が欲しいのだ。冷暖房があれば尚よし。というか、さ迷い歩くのがもううんざりでな」
「……てか、今気づいた。新堂さん、人には見えないくせに、何で肉まん食べれるのさ」
「そんなの俺が知るか」
「ですよねー」
……好奇心は刺激されるけど、関わるのは厄介そうだからもう帰ろうか。
そんな気分になってきた。だが、どうにも少し引っ掛かるものがあり、僕はほんの少しだけ本気を出してみた。
じっと人面犬を見つめる。物語としては、都市伝説の類いから産まれたものだったはず。間違えても、人と犬の間ではない。存在そのものがオカルトなそいつは、実験動物だったとも、人の念が犬と合体したとも言われていた筈だ。
「お、おい。若者よ。その……見つめすぎだ。俺はそんな趣味はないぞ? い、いや。もしご主人様になってくれるなら……が、頑張るが……」
「口を閉じててくれ鳥肌が立つ」
「アッハイ」
集中。集中。と、脳内で三回唱える。
まがりなりにも僕だって霊能者なのだ。
だから、こうしてしっかり見れば、それなりに相手の存在が、霊的なものかそうでないものかは……。
「……あ~」
ある程度ならばわかってしまう。その上で述べるならば、新堂さんはクロだった。
「新堂さん、その……自分の事、知りたいんですよね?」
どうするか悩んだ末に、僕は真実を打ち明けることにした。さ迷っている霊である事には変わりなく。かつ、このように異形な形をとってしまっている。こういう類いは自覚がないだけで、少し危険なのだ。
人か。あるいは獣だったものが、本来の姿からかけ離れるとは、そこに有り得ない要素が付け加えられる事だ。
獣の本能が宿った人間か。
人間の知恵を宿した獣か。
どちらも兼ね備えるとは一見便利に見えるが、その実、お互いの常識からはどちらも微妙に弾き出されてしまうことを意味する。
獣が人間のフリをした所で、社会に溶け込めるか。
人間が獣じみた精神を得たとして、野生で生きていけるか。
例外はあるかもしれないが、答えは限りなくノーである。
ましてや、ここにいるのは犬で、人で、霊だ。人間らしい親しみを込めたまま、犬がじゃれつく感覚で、生ける者に取り憑きかねない。だから……しっかり伝える事が大事だろう。
「貴方、もう死んでます」
「なん……だと……?」
僕の宣告に、新堂さんは唖然とした顔で此方を見上げながら、掠れた声を漏らした。
「周りには見えなくて、僕には見える訳です。いや、人面犬ってだけで大概オカルティックですけど。僕……いわば視える輩でして」
「嘘……だろ……?」
「残念ながら本当です。死んで、ます」
「そんな……」
僕がため息混じりにもう一度告げれば、新堂さんはふらつきながらも天を仰いだ。
冬の空は灰色で、それがまた、容赦ない肌寒さをつれてくるようだった。
「まるで安っぽいホラーだな」
「一応私見ですが、霊体本来の原形を留めてないなら、貴方の中には相当な負の念があることが予想されます」
「念……?」
「簡単に言えば、生きている人間に、多少なりとも悪影響を与えるかもしれないです」
この辺ならば、桜並木に、舗装された道に、土手と川。マンホールらしきものもある。どれも不幸な事故が起こりうるロケーションと言えるだろう。
「俺に消えろと……いうのか? 自分が何なのかもわからないのに」
「そこですよね。貴方は念の出所を忘れている。これはあまりにも強すぎて記憶に蓋をされているのかも」
「思い出したら大惨事……か」
「パニックになった犬は……危険ですよね」
「パニックになったオッサンも始末に負えんだろう。何をするかわからんぞ?」
「パニックになったオッサンが犬の真似……」
「逆ならば可愛らしいだろうに。これは酷い」
寒空の下で男二人分のため息がエコーする。
けれど、その実そこまで悲観はしていなかった。取り乱して暴れられる可能性も無きにしもあらずだったのだ。この辺は、年の功というやつだろうか。紳士的なオッサンで助かった。
沈黙が流れる。話を戻したのは、またもや新堂さんだった。
「なぁ、若者よ。君は俗に言う成仏か。それを促せたりするのか?」
神妙な顔のまま、流れる川を見つめつつ、新堂さんが問いかける。僕は少しだけ迷った後で、小さく頷いた。
「けど、それは相手が本心からこの世に未練を無くした時に限ります。無理矢理は……かなり難しい上に双方共にかなりの痛みを伴います」
「具体的にどうやるんだ? 強引な方」
「手で殴ります」
「……は?」
「……手で殴ります」
嘘みたいな、本当の話だ。新堂さんはといえば、やはり顔をひきつらせていた。
「お、おぅ。それは……痛いかもしれないな」
「かもしれないじゃなくて、痛いんです。相手も、僕も」
前に成仏までいかずとも、霊を追い払った時なんて、五本指全部を突き指した位だ。しばらく箸も持てなくなったのは、苦々しい思い出である。
「何かこう、映画や小説の陰陽師みたいに術的なものでスタイリッシュに解決出来んのか?」
「それが出来たら、僕は今頃大学行かないで別の商売始めてますよ」
もっとも、現代にそんな凄い能力者なんて存在しないだろうけど。いたら逆に見てみたいくらいだ。
僕がそう言えば、新堂さんは何とも曖昧な表情のまま、うんうんと唸り始めた。
「……どうしても、消えねばダメか?」
「僕は正義の味方ではないので。貴方が逃げるなら追いませんし、拒絶するならそのままです。ただ、危険を振り撒きかねない存在にはなりかねないですよ……と、伝えたいだけです」
「そう、か」
新堂さんは身を翻し、僕に背を向ける。そのまま花もない桜を見上げ始めた。
迷っているのだろうか。それとも、混乱した気持ちを整理しているのか。僕にはわからなくて、ただぼんやりと哀愁に満ちた後ろ姿を見つめるしかなかった。
「なんにもない」
ポツリと、新堂さんは呟いた。
「居場所も。家族も。生き甲斐もない。悪い霊になるのは……どんな感じかな?」
「……巻き込まれた人の関係者は例外なく、傷付いて、泣いていました。時には悪霊自身も」
十九、二十年かそこらの人生を振り返り、僕が見たものを伝える。すると新堂さんは「そうか」とだけ呟いた。
「……何かに触れられない。接することが出来ないのが、こんなに辛いとは思わなかった」
普通はそれに耐えられなくて消えていく。残るのはどれもかれも、何らかの理由を拗らせた存在だ。
だからきっと、新堂さんに何もない。は、ありえない。その筈である。勿論、その何かが綺麗なものであるとは限らないけども。
僕がそう話せば、新堂さんは首だけこっちに向ける。犬の背中越しに振り返るオッサン見返り姿は、なかなかにシュールだった。
「若者よ。……もう一度、頼みがある」
「聞きましょう」
出来る範囲で。と、小さく繰り返せば、新堂さんはこちらに再び身体を向けた。
「……少しの、間でいい。いや、先延ばしにするのは悪いな。一日だけでいい。酒に付き合ってはくれまいか」
その後に、痛くない方法で成仏出来るか試してみたい。そう言った。
「……そんな事でいいんですか?」
予想とはだいぶ違った申し出に、少しだけ驚きながらそう問えば、新堂さんはうむ。と頷いた。
もっと無理難題を言われる気がしていたので、拍子抜けしたのは否めなかった。
「本音を言えば、俺が死んだ真相を知りたいが、そんなものを君に調べてもらった所で、何にもならない」
「未練になりませんか?」
「なる。だが、調べたら調べたで問題だ。そうそう簡単に答えが分かるとは思えんから、日にちはかかる。そうなれば俺は、今度は別の未練が出そうだ」
例えば? と問えば、「君だ」と、新堂さんは答えた。
「断片的ながら分かる。俺はよっぽど寂しい人生。又は犬生だったらしい。誰かと話した記憶が殆どない。幸せな記憶があったのは確かだが、それは思い出そうにも霞がかかっている」
かけがえのない存在が、一人はいたのかもな。と言いながら、新堂さんは犬っぽいくしゃみをした。
「だから多分、調べものなんて共同行動をしていたら、君に情が移りそうだ。全て終わっても、君の近くに友としていたいと思うかもしれん」
それは……未練になるだろう? と、新堂さんは僕を見る。
確かに、それなら平和的に成仏させるのが難しくなるかもしれない。しかし、情だなんてまるで犬みたいな……。犬かそういえば。
「だから……お酒ですか?」
酔ってその勢いで昇天しようと? 物凄く理解しがたい話である。すると、考えが顔に出ていたのだろうか。新堂さんはここで初めて、屈託なく笑った。
「この姿になってから、一度も飲んでいない。だから、頼むよ若者。死にゆく。いや、もう死んでるらしいが、逝く者の願いだ」
悪霊になるのも、成仏するのも。死んだ理由を探すのも怖い。だから。
「オッサンはな。酒とテンションで大抵のものは乗り切れるんだよ」
「えー……」
甚だしく疑問だったが、もう難しく考えるのは止めにした。
まぁ、いいか。人面犬とお酒を飲むなんて、多分二度とないだろう。危険そうでもなさそうだし、話の種にはなるかもしれない。えらく人は選ぶけど。
「お酒のリクエストあります?」
「ビール! ものに拘りはないぞ。ヱビスでもヱビスでも持ってくるがいい」
「高いので脚下です。麒麟かアサヒで」
「それも好きだ。問題ない」
僕が立ち上がれば、新堂さんはさっきのシリアスな空気は何処へやら。ヒャッホウ! と、己の尻尾を追い回していた。
それを横目に、僕はスマートフォンの画面をスライドする。トークアプリを開く。連絡するのは……当然ながら我が相棒にして恋人だった。
「む、何をしている若者。行くぞ。酒とツマミが俺達を待っているぞ?」
千切れんばかりに尻尾を振る新堂さん。楽しそうだなぁ何て思いながら、僕はポケットに端末をしまう。「僕の部屋で、今夜飲まない?」というお誘いを、メリーは二つ返事で了承した。
新堂さんを見た時の、彼女が驚く顔が目に浮かぶ。それが少し楽しみだった。
「ちょっと相棒兼恋人を呼びましたけど、よろしいです?」
「おい、まさか……人前でイチャついて……」
「違いますよ。彼女、僕と同じく、視える人なんです」
そう言って慣れないウインクをする僕を、新堂さんはポカンとした顔で見上げていた。
「若者よ……今更だが、君は一体……?」
最もな疑問だろう。既に視えるという事情は説明済み。だから今は本質だけお教えすることにした。
「僕ら、オカルト研究サークルに所属してるんで。だから新堂さんみたいな人? 犬? ――大歓迎なんです」
こうして改めて口にすると、我ながら、出来の悪い小説か。三流ドラマみたいで、何だか笑えてしまうのだが。それはもう今更な話だろう。