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渡リ烏のオカルト日誌  作者: 黒木京也
羊達が黙る刻
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裏エピローグ:羊の皮を被る名もなき者共

 学生食堂の喧騒は、段々とまばらなものになりつつあった。

 丁度次の講義が始まったばかりの時間であり、かつお昼時ではない事も手伝ったのだろう。

 レポートはもう終わる目前。宣言通り四十分以内に。かつ思い出話に花を咲かせながらという結果を踏まえれば、我ながら上出来ではないだろうか。


「結局あれ、何だったのかしらね?」

「定義付けは……まぁ難しいよね」


 あと一息。と、軽快に指を動かしていると、メリーがポツリと呟いた。

 あれ。とは、さっきまで話していた、熊のような何かだろう。出会った怪奇は数あれど、あれが何なのかは全くもって不明だった。

 幽霊……ではないだろう。もしかしたら中身はそれに近いものなのかもしれないが、少なくともあの熊には実体があった。

 焼き肉屋で働いていたこともそうだし、実はあの後、夜が明けた後にベランダを確認したら、生々しい痕跡を発見したのだ。

 窓枠やベランダのへりにつけられた、爪で引っ掻いたような傷と、下に落ちていた黒褐色をした短めな獣の毛。

 それは、ベランダに取り付いた巨大な人喰い熊の絵面を嫌でも想像させるようで……。僕らが朝から震え上がったのは、今更説明しなくてもいいだろう。


「妖怪……でもなさそうなんだよね。熊の妖怪ってそんなに思い浮かばないし」

「なら、やっぱり貴方が言ったように怪物(モンスター)なのかしらね。流石に地球外生命体(エイリアン)まではいかないでしょうし」

「いや、怪物(モンスター)地球外生命体(エイリアン)もそんなに本質は変わらないような……。まぁいいか」


 結局、分からないことが分かった。そうとしか言えなかった。近くで僕が触り、メリーが観察すれば正体をいずれ暴けるのかもしれないが、ああいった存在がそれを許すとは思えない。

 だからきっと、深追いしないのが正しいのだろう。

 好奇心が人一倍強いと自負する僕らだが、知らない方が幸せ。というべきものがあることも、理解しているつもりだからだ。


「思い出してから気づいたけど……。人が死亡して。でも実は生きていてって事例……。私達って大分前に遭遇しているのよね。〝あの時〟はそれを繋げて考えるなんて至らなかったけど」

「……それって、富士樹海の?」

「そう。〝女郎蜘蛛の夫婦〟よ」


 懐かしい話を持ってきたものだ。

 再び去年の話になるが、十一月。樹海へのウォーキングツアーにメリーと一緒に参加した時の話である。

 なんやかんやあって、謀らずも奥地に迷いこんでしまった僕らは……。彼と彼女に出会った。

 幽霊を思わせる、暗い雰囲気を纏った青年と。夜を連想する、ただひたすらに美しい少女。

 二人はメリーの幻視(ヴィジョン)によれば、真の姿は巨大な蜘蛛なのだという。

 あの二人もまた、僕らの中では正体が掴めなかった存在であり、クリスマスの熊と同じくらいに脅威を感じた存在だったといえよう。

 ただ一つ僕らにとって救いだったのは、夫婦の片割れ。旦那さんの方が抱えたある事情だった。


「まさか君と同じ学部に、妖怪が紛れ込んでいたなんてね」

「でも行方不明になる前は、おかしな気配なんて欠片もなかった……筈なのよ」

「曖昧だね」

「冷たいかもしれないけど、彼にはそんな興味なかったもの」

「……君って信用した人以外には、結構な塩対応だ」

「失礼ね。最低限の礼節は尽くすわよ。……最低限は」

 

 ドライだなぁ。とは、口に出さなかった。それでも、そんな最低限から生じた(えにし)が、僕らの命を繋ぎ止めてくれたのも事実なのだから。

 この際だからカミングアウトしてしまえば、件の蜘蛛夫婦との邂逅もまた、例によって命の危険が伴っていた。


「僕らが勝手に妖怪認定しちゃったけど、あれも正体不明なんだよね。もし熊と同じ人喰いの怪物(モンスター)だったなら……ああ、そう考えたら本当に運が良かったのかも」

「だった。じゃないわ。多分人喰いよ。〝冷蔵庫〟……見たでしょう?」

「……うん。まさかあんなのが入ってるとは思わなかった」


 思い出しても、結構な綱渡りだったと思う。

 襲われて、気絶させられて。気がついたら樹海の入り口にポイで済んだのは奇跡に等しいだろう。一応、〝こうして僕らがあの二人を覚えている以上〟一矢報いたとは言えるのだけども……。

 やっぱり、もう一度対峙できるよと言われても、僕とメリーは全力で首を横に振るのだろう。

 感覚で分かるのだ。僕らと彼らは共に非日常に片足を突っ込んではいるが、それは似ているようで違うものだと。

 だからこの謎めいた夫婦について、今は口を閉ざそう。

 いずれ近い未来にまた回想し、語る日が来るだろうから。


「……深雪さんが言ってた通りだなぁ」

「〝辰ちゃんが知らないだけで、世界には非日常が溢れている。貴方達二人が触れているのは、そのほんの断片に過ぎないんです〟……だったかしら?」


 もしかしたら、例の怪物達以上に底知れぬ人が口にした、突き刺さるような言葉。それをメリーが肩を竦めながら呟いた所で、僕は小気味良くパソコンのエンターキーを押す。

 所要時間は三十八分。結局なんだかんだでギリギリになってしまったのはご愛嬌だ。


「よし。お待たせ」

「あら、終わり? 貴方の指が動くとこ、結構な眼福だったのに」


 パソコンを弄っていただけでこの言われようである。我が恋人ながら、手……もとい指フェチも大概にして欲しいと思う。

 お付き合いしたてということを抜きにしても――心臓に悪いのだ。


「あまり褒めないでくれるかな? 抱き締めたくなる」

「私が嬉しくて腰砕けになってもいいならどうぞ」

「お姫様抱っこでデートしたいと? 僕は構わないけど?」

「……止めておきましょう。しおらしい所は貴方にしか見せたくないわ」


 クラクラするような流し目を送られて、僕は目を逸らしながらいそいそとパソコンをしまい込む。本当になんと言うか。


「殺し文句をマシンガンみたいに乱射するの、よしてくれませんかね」

「あら、マシンガンだなんて銃刀法違反じゃない。懲役は?」

「一生離すもんか」

「……私メリーさん。残念ながら、結構前から貴方の虜なの」


 エヘヘと笑うのは反則である。切実に。


「……ハチミツで出来た底無し沼~」

「ちょっと、絶妙にバカっぽい喩え止めてくれないかしら」


 いつものジョーク的なふざけ合いを交わしながら、僕らは立ち上がる。

 謎に対する畏怖は勿論あるけれど、今はもう、関係がないことだ。

 知りたいものは山のようにある。それこそ、地球上の山を全部持ち出してきても足りないくらいに。

 けれど、それ以上に僕らが知らない事情というやつは、まさに海のように深くて広い。

 だからこそ、僕らはそれに直面した時、カラスのように空を渡るのだ。


「ああ、そうだわ」


 連れだって歩いていると、隣でメリーがポンと手を叩く。

 どうしたの? と僕がそちらに顔を向ければ、彼女はほんのりと顔を赤らめて、明後日の方を見ながらこう言った。


「クリスマス、ちゃんと空けておいてね。サークル活動もなしよ? 繰り返すけど私……本当に楽しみにしてるんだから」


 その瞬間、僕の世界に稲妻が轟いた。

 取り敢えず山やら海。果ては空なんて目じゃなかったと再認識。だって――。


「――ああ、言われるまでもないさ」


 僕が彼女について知りたいこと。それはきっと、宇宙を持ち出してきたとしても、足りることはないだろうから。


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