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渡リ烏のオカルト日誌  作者: 黒木京也
羊達が黙る刻
103/140

羊達が黙る刻 急

 逃げるように焼き肉屋を後にした僕らは、そのまま電車に飛び乗った。クリスマスに彩られた楽しげな街の雰囲気には目もくれず、ひたすらに自分の部屋を目指す。

 メリーの部屋の方が現地から近かったので、最初にメリーはそこに逃げ込もうと提案したが、それは僕が却下した。

 彼女が後ろを気にしていた以上、何らかの追跡が考えられる。

 霊現象を観測できるメリーと、霊現象に干渉できる僕。霊の類いから身を隠すのはメリーの方が抜群に上手いのだが、拠点を知られるとなれば、ある程度自衛の手段を持っている僕の部屋の方が逃げ場所としては適任だ。……あと長々と理屈を捏ねたが、ちょっとした男の意地でもある。

 変なのにメリーの部屋を知られるのは御免なのだ。


 そんなこんなでようやっと部屋に辿り着く。

 思わず二人揃ってホッと息を吐いてしまったのは、張りつめた緊張の糸が多少は緩んだからだ。

 部屋や家というのは、ある種の結界だ。そこに人の営みがある以上、霊といった存在はそうそう入って来ることは不可能なのである。


「……何か、疲れた」

「ええ。もう21時ね。まさか聖夜に逃避行する日が来るとは思わなかったわ」


 ブーツを脱ぐメリーに手を差し伸べつつ、リビングに上がり込む。

 煙の匂いがついてしまっているので、手早く順番にシャワーを浴びて。僕らはようやく腰を落ち着けた。

 

「それで? そろそろ聞いてもいいかい? 君の素敵な脳細胞と視神経で、何を視たのかを」


 シャンパンもチキンもケーキもない。かわりに暖かなココアとマシュマロをテーブルに置いた。飲み物とたまにお菓子を傍らに携えて、怪奇譚に花を咲かせる。常識から少しだけ逸した渡リ烏倶楽部の日常がやってきた。


感覚(センス)って言ってってば。実際に脳で認識しているのか、目で視ているのか曖昧なのよ?」

「でも、視界に入る事には変わりないだろう?」

「そうだけども……ま、いいわ」


 アンティークライターでお香に火を灯す僕の横で、メリーはこめかみをトントンと指で叩きながら肩を竦める。

 暗夜空洞で深雪さんから譲り受けた、魔除けの力があるらしいお香は、羊の毛皮を思わせる煙を漂わせていた。


「テレビで警察は殺人って話にしてるみたいだけど……多分真実は報道したら不味いと思ったんじゃない? 死体の傷口が、特殊過ぎただなんて」

「……まさか何かに食いちぎられたような傷だった……なんてベターな展開じゃないよね?」

「…………そのまさか」

「……マジですか」


 僕が思わず「うげー」といった顔をすると、メリーは唇に指を当てて、静かに。というジェスチャーを送る。話はまだ終わっていないのだろう。


「じゃあ、最初の犠牲者の損傷が酷かったって……」

「理論上証拠が残らない殺人って何だと思う? 私はね。全部まるごと食べちゃえばいいと思うのよ」


 ついでに言うなら、理論上とは素晴らしいと思う。流石に人一人を丸ごと食べるだなんて、ライオン辺りを連れ歩かなきゃ無理だろう。そんなものを都会のど真ん中で用意出来るとは思えない。


「遺体の断片はあの焼き肉屋にあったんだよね? なら……。何らかの方法で肉を切り出した後に犬……。いや、狼に、傷口を潰させたとか?」

「……犬は分かるけど、狼は無理でしょ。どっから出てきたのよ」

「いや、純粋な奴じゃなくってさ。犬と狼の混血で……ウルフドックだっけ?」


 一番現実的に用意が出来そうだし、狼と犬の判別なんて、普通の人には出来ないだろう。ウルフドックは躾を間違えれば、とんでもなく狂暴になるとも聞くので、極度の緊張状態に持っていけば、人間の死体にだって噛みつく可能性もある。

 それならば、凶器の特定だって不可能に出来るので、更に捜査の手を遅らせる事が出来るだろう。

 タイトルは忘れたけど、昔読んだ小説にそんな展開があった気がする。僕がそう言うと、メリーもまた、「面白い理屈ね」と言いながら微笑んだ。


「確かにその方法なら死体を身元不明に。よしんば特定を遅らせる事が出来るかもしれないわ。人間が獣を連れてきて、死体を破壊。でもね……もし〝人間が犯人だった〟なら、私はあの場から貴方を連れて逃げたりなんかしなかったわ」

「え……? あ」


 それもそうか。と、僕が納得すれば、メリーは己の上瞼に指を触れる。何処と無く憂いを含んだ表情だった。


「犯人はオカルト絡み。しかも人間や……多分獣とも違うものだった」

「……いきなりぶっとんだね。じゃあ、人食い怪物(モンスター)とか」


 僕が苦笑いを浮かべると、メリーは頷く事でそれを肯定してしまう。

 ココアにマシュマロを沈めようとした手が、無意識に固まってしまったのは言うまでもなかった。


「……今日は、驚いてしかいない気がする」

「私だって混乱してるわよ。存在がクレイジー過ぎるわ。見えたのは……熊だった」

「熊って……あの熊?」


 それは獣じゃないの? と言いたげな僕を手で制して、メリーは話を続ける。


「赤い目をした、真っ黒な熊だったわ。それが、顔は見えないけど女の人にのしかかっていた。ボリッポリッと、骨を噛み砕く音。そこから、クチュクチュって、口吻で内臓を掻き分けるような音がして……次の瞬間、霞みたいにその熊は消えてしまった。代わりにそこに現れたのは、血塗れに全裸の、赤い目をした女の人」

「…………つかぬことを聞くけど、最初の犠牲者以外の身元は、皆判明してるんだよね?」

「ええ。顔写真もバッチリ」

「熊がいた場所に突然現れた人の見た目は? 被害者の中にいた?」

「どれにも該当しなかったわ」


 少しずつ。何が起きているか見えてきた。にわかには信じがたいが、それはつまるところ、人の血肉を喰らい、その皮を被った怪物が、今街を闊歩していて。その拠点。あるいは巣穴があの焼き肉屋だという事になる。


「出来の悪い三流のSFみたいだ。食べて人になるなんて、どんな奇跡(ミラクル)なのさ」

「私に言わないでよ。〝奇跡は起こらないようでよく起こる〟こうして出てきているんだもの。認めざるを得ないわ」

「メン・イン・ブラック、だっけ? 奇跡の連続が過去であり、今であり、未来である……。まぁ、君の受信で見た以上、真実なのは疑いようもないと」


 メリーの見た白昼夢(ヴィジョン)は、今のところ確認できたものは全て現実で起きている。つまり、今巷を騒がせる殺人事件の真実がこれという事になる。

「何気に危ない所にいたんだなぁ」なんてコメントすると、メリーは少しだけ目を伏せ、「しばらくは、多分誰も襲わないんじゃないかしら」と呟いた。


「熊さんは……充分な蓄えを得たみたいだし」

「……蓄え?」


 メリーがココアの入ったマグカップを傾ける。彼女の横顔には、未だに怯えが色づいていた。

 

「……熊の習性って知ってる? 彼らは、食べ残しはしないの。ちゃんと後で食べれるように、取っておくんですって。幻視(ヴィジョン)でね。見せらちゃったのよ。人間の姿を借りた熊人間さんが、人を食い殺した後……残ったお肉を隠す所。大きな冷蔵庫に入れてたわ」


 その瞬間、僕の心は静寂に包まれた。

 彼女が言った事を、再び頭の中で並べていく。熊は、肉を何処かに隠している。

 冷蔵庫? 自宅の冷蔵庫に? いや……。肉はあの店にあるとも言っていた。

 しかも……そうだ。それだけじゃない。考えてしまった。熊はどんな人間の皮を被ったのだろう……と。


「……ねぇ、その冷蔵庫って……他に何が入ってたんだい?」

「人間ではないお肉が沢山よ。木を隠すなら森の中って奴?」

「……じゃあ、あの従業員の中に、怪物が紛れ込んでいたってこと?」


 消え入りそうな声で僕が問うと、メリーはゆっくりと頷いた。


「ポニーテールの女店員さん、覚えてる? 貴方、随分と熱い視線送ってたわよね」

「いや、それ誤解だよ。特徴的な目の色だったけど、カラーコンタクトだろうなぁって思っただけ。君の瞳の方、が……」


 場を和ませる暇は与えられなかった。息が詰まるとはまさにこのこと。僕は思い出してしまった。その人の瞳は、何色だったのかを。

 光の加減で分かりにくかったが、あれは間違いなく……赤だったではないだろうか。


「…………あの人が?」

「ええ、肉を貪り、肉を隠していたのは、あの人だったわ」


 部屋に沈黙が流れる。僕もメリーも言葉を発しようとは思わなかった。

 あれはまさしく、未知との遭遇だったからだ。


「……どうしよう?」

「どうにも、ならないわよ」

「……だよね」


 思わず口から出た言葉に、メリーは冷静にかつ的確に返答する。

 真実は手に入れた。だが、僕らがこれを例えば警察に告発したとして、それで解決するとは思えない。

 かといって、僕らがどうこうできるかと言われたら、それも無理な話だ。僕とて霊感があるし、幽霊に触れ、干渉する位は出来る。けど、エイリアンとは流石に対峙した事はないのだ。


「けど、さっきも言ったけど大丈夫よ。肉を隠していただけ。それを私達が知っただなんて、向こうは知りようがないもの」

「確かに、そうだね。熊だって、そうそう正体は知らたくない、か」

「ええ。でなきゃコソコソする理由もないでしょうしね。だから私達に出来ることは、ただ震えて忘れるだけ……――っ!?」


 努めて明るく、今回の件を記憶の彼方へ放り投げてしまおうとした矢先。

 メリーは再び渋面を作って額を抑えたかと思えば……すぐに、その顔を青ざめさせた。


「メリー?」

「……っ、あ……う……!」


 まさか、また何かを視たのだろうか? そんな嫌な予感が僕の胸を過ったのと同時に――。

 メリーは素早く僕の手を取ると、部屋のリモコンを操作し、照明を落とした。


「は? え? ちょっと……どうし――」

「静かに! そのまま来て!」


 暗闇で、切羽詰まったようなメリーの声が耳に届く。ただ事ではないのは明らかだった。

 すると彼女は僕を強引に引っ張ると、そのままベッドに押し倒し、その上に重なるようにのし掛かってきた。


「うぃ? メリー? メリーさん!?」

「声だしちゃダメ! 目を閉じて寝たフリして! …………来るわ」


 硬いメリーの声を最後にバサリと上から毛布がかけられて、部屋はしんと静まり返る。

 感じるのは寝息を装おうお互いの息遣いと、暖かな体温だった。

 そこから数分間。僕らは何もせずに寄り添ったまま。一体どうしたのだろう。と、僕が思い始めた頃――。それは訪れた。

 最初に耳にしたのは、カタン。という物音だった。すぐ傍の、部屋の窓側……丁度小さなベランダがある場所からだった。

 続けて、ギシリ。と、窓が重いものに寄りかかられて軋みを上げる音が耳に届いて――。その時、僕は今何が起きているのかを把握した。

 カーテンは閉められている。だから、部屋の中から外は勿論のこと、外から中を把握することは叶わない。けど……。分かってしまうのだ。

 今、僕らが身を沈めているベッドから、すぐ横にある窓の向こうに……何かがいる。

 ここはマンションの二階にもかかわらず。それは突然そこに降り立って、押し潰すような威圧感(プレッシャー)を僕らに向けていた。


 フゥ……フゥ……フゥ……。


 と、窓の方から、唸るような生暖かい呼吸の気配が、静寂に包まれた世界の中で微かに感じられる。

 僕とメリーは、頭のてっぺんから爪先までブルブルと震えながら、ベッドの中で痛いほどに抱き締め合っていた。

 時折、カリ……カリカリ……カリッと、窓枠が引っ掛かれるような異音まで聞こえてきて、僕らの重なりあった心臓は、壊れんばかりに猛烈な勢いで拍動していた。

 それからどれくらい、時間が経っただろうか。


『ここじゃ、ないみたいですねぇ~』


 間延びした、聞き覚えのある女の声がしたかと思えば、気配が急速に離れていき……やがて、僕らを苛んでいたプレッシャーが消失した。


「――っ、はっ……!」

「――くっ、んっ……!」


 いつの間にか寝息等忘れていた僕らは、謀らずも同時に大きく息を吸い、軽く噎せこんでしまう。

 身体の上に乗っかっていたメリーの吐息が、物凄く近くにあることや、全身に絡み付くような彼女の肢体の柔らかさ。甘いハチミツみたいな香りと、ネグリジェごしに分かってしまう、下着の少し硬い感触。全てが僕の中で、遠い現実離れしたもののように思えた。

 何時もならば仮にこんな状況になった時、自分で平常心。平常心と何度も唱えるところなのだが、臨死体験に近い一時を越えた今の僕には、ただひたすらに、腕の中にある生きた相棒の存在が尊く、愛おしかったのだ。


「し、ん……」

「ああ、なんだい? メリー……?」


 恐怖に支配された二人の声が部屋で交差する。

 僕らは冷や汗でぐっしょりと湿った身体をピタリと密着させたまま、大きく。大きく息を吐く。

 

「……流石に今回ばかりはダメかと思ったわ」

「……僕らが首突っ込んだ訳じゃないのにね」


 寿命が縮むとはまさにこのことだ。熊にあったら死んだフリ。これは実際には効果はないと聞いていたが。成る程。こんな状況ではもうそれにすがるしか手段は残されていなくて……。そう思えば思う程、あのまま真っ直ぐに部屋に帰らなかったらどうなっていたのだろう。なんて考えてしまった。

 

「……電気は」

「止めておきましょう」

「懸命だ」


 短く方針を定め、僕らは冬の寒さから逃れるかのように寄り添い合う。

 いつもなら背中合わせで眠るのだが、今日は暗黙の了解の如く、向かいあったまま。

 そこでようやく、闇に目が慣れてきて、メリーの姿がうっすらと見え始める。アメジストの瞳は僕をじっと見つめていた。

 彼女は肌が白いから、頬が紅潮しているのがよく分かってしまう。その姿に思わず胸が一瞬だけ高鳴ったのは忘れる事にして。彼女は指をもじもじと動かしながら、か細い声で囁いた。


「私、メリーさん。今夜は……ちょっと心細いの」


 ……らしくない事を言う。そんな事を思いながらも、僕は無言で彼女を引き寄せる。

 渡リ烏倶楽部はいつだって、怪奇と対峙する時は、二人で乗り切るのが御約束なのだ。こうして予期せぬ恐怖に震える夜だって、一緒なら大丈夫だから。


「そういえば……」


 そんな中、気のせいだとは思うが、妙に嬉しそうに。僕の胸元に顔を埋めながら、メリーはポツリと呟いた。


「あの熊、どうしてうろついてたのかしら?」


 答えは、この時点では闇の中だった。


 ※


 急に訪れた、怪物とのニアミスは、こうして幕を閉じた。

 存在を確認し。二人揃ってビクビクしながら見て見ぬふり。締まらない幕切れではあるが、現実なんてそんなもの。

 エイリアンやら宇宙人を倒せる光線銃など、僕らは持ち合わせていない。あんなのをどうこうするなど、無理がある話なのである。


 だから、この話はこれ以上語ることなく、終わりを迎える筈だった。

 翌日のお昼頃。僕らが、あるニュースを見てしまうまでは。


 ニュースの内容は以下の通り。

 都内に済む一家が、惨殺されたというもの。

 それだけならば、言い方は悪いがただの殺人事件だ。問題は……。


「ねぇ、これ……」

「……うん、辰も気づいた?」


 遅めの朝食となったトーストを、メリーと一緒に食べながら、僕ら二人は戦慄していた。

 公開されていた顔写真は……。僕らの隣で食事をしていた家族のものだったのだ。


「どうしても気になって今朝、調べたの」


 何を? と、僕が首を傾ければ、メリーは肩を抱きながら、「熊について、よ」と答えた。


「熊の習性でね。もう一つ特徴的なものがあるの。熊が隠した食料に手をつけたり、それを持ちさってはダメなんですって。熊は執着心が強いから……どこまでも。どこまでも追ってくる」


 メリーの語りが、僕の耳にこびりつくと共に、あの日の在りし親子達の会話が甦る。不思議な食感。そう言ってはいなかったか。

 同時に、昨夜現れた熊の行動や言動が、頭の中でリフレインする。荒い息遣い。あれはきっと、匂いを確かめていたのだ。すなわち……。

 それは本当に不幸で、悪魔的な手違いに違いなかった。


「誰よ……。焼き肉屋に羊が出ない何て言った奴」


 僕が画面を食い入るように見つめている横で、メリーが自嘲するように呟く。その流れから、僕は彼女が何を言わんとしているのか分かってしまう。


「きっちり出してるじゃない。〝アミルスタン羊〟」


 米澤穂信だね。なんて、僕に言う余裕は当然ながら存在しなかった。

 

レッツ検索! アミルスタン羊!(自己責任で)

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