羊達が黙る刻 破
それと遭遇したのは、大学生として初めてのクリスマス・イヴだった。
当時はサークルの相棒として。そしてよき友人として行動を共にしていた僕らであったが、例によって聖夜にはお互いに欠片も予定がなく。寂しいもの同士で適当に楽しもう。という事になったのは、ある意味で必然だったのかもしれない。
実は誘うのに結構勇気を絞り出したのは、懐かしい思い出だ。メリーは美人さんだから、誰かに声を掛けられていても不思議ではないと思っていたのである。
……もっとも、当の本人は然り気無くクリスマスについて何度か僕に探りを入れてきていた記憶があるので、僕に予定さえなければメリーの方から誘ってくれていたのかもしれないけれど、そこは変に掘り返さないでおこう。
そんなこんなで、僕らは普通にクリスマスを楽しんだ。
話題作の映画からスタートして、ウィンドウショッピング。取って付けたかのようにプレゼントを贈り合い、夜は並んでイルミネーションを見る。
そして……。
「カルビと、砂肝に……あと野菜セット。取り敢えずこれで。貴方は?」
「僕もカルビ。それから肩ロースに豚トロかな」
「かしこまりました~」
ポニーテールの女店員さんが、パタパタとかけていく。カラーコンタクトでもしているのだろうか。特徴的な目色だった。
僕らのクリスマス。締めのディナーは焼き肉屋さんである。
……どうしてよりにもよってそんなチョイスに至ったのか。と言われたら、こうなってしまったからとしか返しようがない。
昭和の大衆食堂を思わせる、なかなかに無骨な佇まいの店は、店内の雰囲気もまた、クリスマスとは程遠かった。
肉を焼く匂いと、天井近くをもうもうと漂う煙。時折聞こえるサラリーマンの豪快な乾杯音頭や、はしゃいで走り回る子どもの笑い声。世間の時間から隔離された。あるいは、ある意味で置き去りにして前を行く世界がそこにあった。
「今更だけどさ。こんなとこで良かったの?」
「あら、私達みたいな人間には穴場だと思うわよ? ほらあそこ。泣きながら一人焼き肉してるOLさんが……」
「メリー、メリー。やめとこ?」
会話に花を咲かせながら、僕らは肉を焼く。色気の欠片もないクリスマスだが、そんなのは僕もメリーも承知の上。そもそも、何の計画も立てずに、当日になってようやくクリスマスを過ごす事が決まったので、昼間のクリスマスっぽい過ごし方は、結構な行き当たりバッタリの結果だった。
あと、僕らは知らなかったのだ。クリスマスの夕食時はどこもかしこもあり得ないくらい混雑することを。
つまるところ、僕らが聖夜の真っ只中でワイルドに肉を焼いているのは、ただ単に夕食にする場所が何処にもなかったからという酷い理由から来るものだったりする。
「お待たせしました~!」
明るい声と共に、さっきの女店員さんが皿を両手に戻ってきた。追加注文した肉がやってきて僕らはテーブルのお皿に残された残りの肉を網の上に乗せていく。
ジュウジュウという音と共に、食欲をそそる脂の匂いが立ち上った。ハラミと牛タンだ。どっちが頼んだとかは特に気にせずに。乗せてつついて、思い出したように相手に勧める。そんなスタイルだ。
「お肉って、羊が一番美味しいと思うんだよね」
「羊で一括りなんて、随分と大雑把ね。でも、それ普通の焼肉屋に無いわよね?」
「悲しいことにそうなんだ。ジンギスカンも、ラムも好きなんだけどなぁ……。あ、牛タンどう?」
「……遠慮しておくわ。唯一食べられない肉なのよね」
「へぇ? 何でまた?」
僕がそう問えば、メリーは「え? 言っていいの?」といった顔になる。「あまり気にしないからどうぞ」と、僕が牛タンに塩コショウをまぶしながら続きを促すと、メリーはおずおずと遠慮がちに口を開いて。
「上手く噛みきれないってのもあるし……何か牛とディープキスしてるみたいで……」
「お、おう……」
予想以上にヘヴィな答えが帰って来た。正直そう来たか。と思いつつ、今更食べるのを止めるのもあれだから、そのまま口に入れる。それを見たメリーは、ホッとしたかのように息を吐いた。
「よかった。食べる気なくされたら、罪悪感がちょっと芽生えそうだったわ」
「気にしたってしょうがないじゃないか。クリスマスだし」
「そうね。変に難しく考えるべきじゃなかったわね。クリスマスだもの」
あっはっはと笑い合いながら、僕らはそのまま網を見る。
なんとなく会話が途切れて沈黙が訪れる。とはいえ、そこに苦痛は感じなかった。互いにワンクッション置こうという暗黙の了解という奴である。
「今日、ありがとね」
「……へ?」
そこから先に口火を切ったのは、メリーの方だった。何が? と、僕が首を傾げれば、メリーはわざとらしくトングを持ったままはにかんだ。
「クリスマスに誘ってくれて。思えば、サークルの活動とかなしにお出かけしたの、初めてじゃないかしら?」
「え、それはいくら何でも…………あれ?」
ないだろう。と思ったが、そんなことはなかった。入学してからよく行動を共にしていたが、それら全ては根底にオカルトがあったのである。
人の営みがひたすらに多い東京は、それに対応するかのように外れた存在もまた多い。追いかければ追いかけるほどに、僕らは非日常の断片を目撃し続けていて。
そんな活動を初めてから、実はまだ一年も経っていない事を思い起こせば、いかに東京が。いや、人が営む日常の裏が〝魔的〟なのかを思い知らされるようだった。
……単に僕とメリーの能力が相乗しあっているから遭遇しやすい。というのもあるんだろうけど。
「夢の国の時に言ってた事が、ようやく実行された訳か。オカルト無関係でも、遊びに行きたい時は誘おうってやつ」
「そういうこと。だから嬉しかったわ。一応女の子だし。クリスマス位は友達と普通に楽しんでみたかったのよ」
「何だかまるで、今まで楽しんだことがなかったみたいな口ぶりだね」
「……私の灰色な青春を掘り返そうっていうの? おばさんに引き取られてからの十三年間。リア充を呪い続ける保護者の隣でチキンをモグモグしてたクリスマスを」
「ゴメン、僕が悪かったよ」
嫌な事を思い出したのか、瞳の輝きを消したまま乾いた笑みを浮かべるメリーに、慌て平謝りする。たまにこうやって地雷が飛び出すから、我が相棒は侮れない。
だが、同時に何だか申し訳なくもなってくる。初めてかもしれない楽しいクリスマス。それを僕と。しかも最後の最後が焼肉屋さんだなんて。何というか、幻想が壊れてはしまわないだろうか?
「〝夜の中を歩み通すときに助けになるものは、橋でも翼でもなくて、友の足音〟らしいよ? 僕は助けになれてただろうか?」
「ヴァルター・ベンヤミンかしら。そうねぇ。友の足音だけじゃ、不安だわ。暗いんだもの。隣にいるのは本当に貴方か、否か」
試すようなメリーの視線を受け流す。こういった回りくどい言葉の応酬が心地いいのは、僕だけの秘密だ。
「……手でも繋ごうか? 今なら懐中電灯も買ってくるよ?」
「……〝男女の間では友情は不可能だ。情熱と敵意と崇拝と愛はあるが、友情はない〟貴方といると、たまにこの言葉が真実にも真逆にも思えるわ」
「オスカー・ワイルドだね。……なんでまた?」
「全部該当するんだもの」
おいちょっと待て我が相棒よ。君は僕に敵意なんて抱くのか。
僕がひきつった顔を見せていると、メリーはため息をつきながら。
「敵意というより、ささやかなムカつき? いくじなし~とか、ヘタレ~とか」
「近年稀に見るほど僕は傷付いたぞ」
「ささやかな。よ。本気にしないで。友情とか、愛情とか……そっちの方が大きいわ」
クスクスと笑いながら、メリーはヒョイとカルビを拾い上げながら、「貴方が気にしているのは全部杞憂よ」と、付け加えた。いつも思うのだが、箸の持ち方がとても綺麗だった。
「ロマンチックなのに憧れがない訳じゃないわ。でも結局私は何処でクリスマスを過ごすかより、誰と過ごすかの方がずっと重要なの。……貴方だって、そうでしょう?」
「……確認するまでもないだろう? 相棒」
変にうだうだ悩みかけたのがバカらしくなって、僕がわざと強気な言葉を使えば、メリーの顔がへにゃりと明るくなった。
せっかくだから、高いのも行っちゃいましょう。そんな言葉に誘われ、いいね。と僕もまた賛同しようとして……。ふとそこで、店内がどよめきに包まれた。
「……なんだ?」
「さぁ? あっ、でも見て。ニュースが原因らしいわ」
サラリーマンらの視線をたどったメリーがそちらに指を向ける。
そこには一昔前の店にありがちな、天井付近に無造作に取り付けられた小さなテレビがあった。
映し出されているのは……。最近横行していた、連続死体損壊・遺棄事件の速報だった。
内容は……新たな犠牲者の死体が発見されたというもの。しかも……。
「ねぇ、待って。これ、ここの近くじゃない」
「……ホントだ」
成る程。それはざわめきも起きる訳である。少し背中が寒くなるような事実に僕らは思わず顔を見合わせる。
オカルトサークルなんてやっている手前、こういう類いの事件はチェックしている。惨い殺され方をされた者は、結構な確率で悪霊になることが多いからだ。
「最初はここの二駅隣だっけ? 確か犠牲者は今のを入れたら三人で……」
「あと、この事件の最初の被害者が、未だに身元不明。だったかしら。損壊が他のよりもずっと酷かったんですって」
「……そりゃあ、また」
不思議なモヤモヤとしたものが、僕の頭を揺さぶっていた。死体が出てるのに、それが誰か分からない。そこまで死体を破壊し尽くすなんて可能なのだろうか?
チラリとメリーを見る。当の彼女はハンドバッグからタブレットを取り出し、ディスプレイに指を走らせていた。
「経験上、君がタブレットを取り出すとさ。大抵ロクでもない情報が飛び出してきてる気がする」
「酷いわぁ、まるで出かける先で死体に遭遇する探偵みたいじゃない」
「……僕らに関しては、ある意味で間違ってないと思う」
遭遇するのはオカルトだけど。という言葉は飲み込んだ。
やがて、「見つけたわ」というメリーの一言と共に、僕も身を乗り出す。
クリスマスに何をしているんだと言われそうなものだが、一度こういったものが気になってしまえば、僕もメリーも止まれない。
静かに活動開始の気配を噛み締めながら、僕らは一緒にタブレットを覗き込んだ。
曰く。最初の被害者は女性。見つかったのは寂れた街角の路地裏だったそうだ。
死体は損傷が物凄く、頭は丸々なくなって、未だに見つからず。胴体の方も、全身殆どの肉が抉りとられていた上に、内臓の一部も持ち去られていたという。また、以降の事件における被害者達も、頭を持ち去られた以外はほとんど同じような殺され方だったとのこと。
「やっぱり変だ。被害者全員が野外で殺さたと見られてる」
「……単独犯にしては、ちょっと手際が良すぎるわね。内臓とかが見つかっていないのも気になる……し」
そこで僕らは再び目を合わせる。さっきとは違う、気まずい沈黙がその場に流れた。
ジュワジュワと、周囲でお客さんが思い思いに肉を焼いているのが、嫌でも目に入って。牛や豚の色んなお肉が、実に濃厚な香りを立てて焼けている。
隣の席に座る家族は、一家でホルモン焼きと一緒にお肉をつついていた。「不思議な食感~」何て、呑気に笑う小学生の男の子とその両親。……多分僕らの会話は聞こえていないだろう。幸運な事に。
「……ねぇ」
「……うん、僕も今、丁度思った」
この話は止めよう。
サークル活動をするのは勿論好きだ。だが、他のオカルト話ならばともかく、この話題を掘り下げるには、場所があまりにも悪かった。せっかく美味しく食べていたのに、それをわざわざマズくする事はないだろう。しかも今夜はクリスマスなのだ。
「いいやつ頼もう。今度こそ」
「賛成よ。ねぇ、私この〝ざぶとん〟とかいうのが気になるんだけ――――っ!?」
タブレットをしまい込み、気を取り直してメニューを眺めようとした矢先。メリーが突然顔を歪め、頭痛を堪えるかのようにこめかみを手で抑え始めた。
「――っ、メリー!?」
「んっ、大丈夫、……ぐぅ……」
悶えるように身を震わせるメリーを見て、僕は思わず唇を噛み締める。
この現象は知っている。無差別かつ唐突に幽霊やオカルト現象をリアルタイムで観測し、白昼夢のように視界に収める。
彼女曰く感覚による幻視。
原因は考えるまでもない。さっきのニュースの話題に引っ張られて、彼女は霊現象をあるいは死体の念を受け取ってしまったのだろう。しかも……。
「う……あ……!」
「っ、メリー、大丈夫? しっかり!」
ついには恐怖に顔を青ざめて、耳を塞ぐようにメリーは頭を抱え始めた。
今日の幻視はいつもより長い。それは裏を返せば、尋常ではない量の情報がメリーに叩きつけられている事に他ならなかった。
「メリー……!」
席を立ち、彼女の隣に座った僕は、無言で彼女の手を握る。恐怖に震える彼女がそれを握り返すのに、時間はかからなかった。指が白くなる程に強く締め上げられているが、不思議と痛みは感じない。寧ろ、苦しむ彼女に何もしてあげられない事の方が何倍も辛かった。
やがて、メリーの身体が一際ビクリと跳ね上がって。そこでようやく、彼女は深い深い安堵のため息をつく。
終わったようだ。
「大丈夫? メリー?」
「…………最、悪。だわ」
未だにプルプルとしながら、メリーは吐き捨てるようにそう呟くと、素早く辺りを見渡して。そのまま。握りしめた手をゆっくりと動かした。
僕の中指を上から下までなぞり。そのまま小指に爪を立てる。
それは、僕らが取り決めたハンドサイン。中指を全部なぞるのは『沈黙』小指を引っ掻くのが『警告』だ。
内容は分からないが確実に何かがある。そう察した僕は、戸惑いながらもメリーの人差し指の間接をなぞる。対応する意味は了解だ。
すると……。
「お客様? どうかなさいましたか?」
歌うような。アルトボイス。
それがすぐそばで発せられた。振り向けば、さっきのポニーテールの店員さんがいる。星マークが横についた名札には、宗像という名字が記されていた。
「すいません、少し胃もたれしちゃいまして。焼き肉、好きなんですけどね~」
「おや、そうでございましたか。お冷、お持ちしましょうか?」
「いいえ、結構です。そろそろ……出ようと思ってましたから」
ポーカーフェイスで店員さんをいなすメリー。だが、店員さんからは見えなかっただろうが、その手は……冷や汗でびっしょりと湿っていた。
「お会計ですね。かしこまりました~」
そんなメリーの様子に気づいていないのか、女店員さんはペコリとお辞儀をし、ポニーテールを揺らしながら足早に入り口のレジへと向かっていく。
僕はその後ろ姿をぼんやりと眺めてから、チラリと横目でメリーを見る。彼女は浅い呼吸を整えてから「すぐにここを離れましょう」とだけ口にして。
僕の手を引いて足早に歩き出すと、そのままレジの女の子に一万円を差し出してあっさりと会計を済ませてしまった。
「ちょ、メリー……」
「後で割りましょう。ごめんなさい、ガムが噛みたいの。コンビニ行かなくちゃ」
せかせかとメリーにまくし立てられて、僕は半ば引きずられるように店を後にする。
「ありがとうございました~」という女店員さんは、そんな僕らを最後までにこやかに見送っていた。
「ね、ねぇ。どうし……」
「後ろに、誰もいない?」
寒空の下を暫く歩き、そろそろいいかな? と直感した僕は、改めてメリーに真意を問う。すると彼女は緊張したような鋭い声で、僕に周りの安全確認を促した。
「……誰も、いないよ。君ほど探知は得意じゃないけど、幽霊の類いもいない筈」
「そう。なら、そのまま、駅に向かいましょう。とにかく遠くへ逃げるの」
「……了解」
明らかによくないものが近くにあったのだけはわかる。一体彼女は何を視たのだろうか。そんなことを考えながら、僕らは手を繋いだまま、クリスマスの喧騒へと足を踏み入れる。
やがて、ライトアップされた街路樹に囲まれた駅のイルミネーションが視界にちらつき始めて……。そこでようやく、メリーは口を開いた。
「死体損壊・遺棄事件の、現場を視たわ」
それを聞いた僕の身体に緊張が走り、同時に少しの疑問が浮かび上がる。
彼女の幻視は絶対的な真。だから、見えたものは実際に起きたものなのだろう。だけど……。
「それが、何で慌て帰ることに繋がるのさ?」
思ったままを口にする。だって事件と行動がいまいち繋がらないではないか。僕がそう言えば、メリーは「珍しく頭が回らないわね」と人差し指で僕の頬を軽く弾いてから、誰にも聞こえないように僕の耳に顔を近づけた。
「言ったでしょう? 〝遺棄の現場〟を視たって。……あの店よ」
それはまさに青天の霹靂で。僕の背筋を否応なしに凍りつかせるには充分すぎた。
「じ、冗談だろ? メリー……?」
だって、それが正しいならあの店は……。
僕が震えながら口をパクパクさせれば、メリーは顔を伏せる。私も嘘であったならと何度も思ったわよ。と呻いてから。その真実を白日に晒した。
「犠牲者の死体。その断片は……今もあの店にあるわ。あそこは……〝怪物〟の食料庫だったのよ」




