裏エピローグ: 夢の跡地
「そういえば、貴方の質問に答えてなかったわね」
「質問? 何の話だい?」
受験の全日程を終え、細やかながらお疲れ様会と称して都内のファミリーレストランに入った時の事だ。大きめの四人がけテーブルに二人で対面する形で座り、食後のデザートにケーキを頼むべくか迷っていたら、不意にメリーがそう切り出した。
「ほら、その目と脳みそが……」
「素敵な脳細胞と視神経?」
「……気に入ったの? その言い回し」
「実はかなり」
「個人的には感覚と言って欲しいわね。どれが本当に作用してるか曖昧だもの」
「まぁ、いいじゃないか。それがどうしたの?」
幻視に関する事なら確かに質問したいことはたくさんあるのだが、一体どれのことか。僕が首を傾げていると、メリーは人差し指をピストルのようにこめかみに当てて、「この体質が嫌いなのか……」そう言いながら、表情を消して僕を見る。
「聞くまでもないだろうけど、その辺はどうなの?」と問えば、メリーは分かりやすく目を丸くした。
「聞くまでもないって……貴方は答えが分かるとでも?」
「君は何というか……嗜好や考え方。価値観とかが、僕と似通ってる。そんな気がしてるんだ」
例えば、余り人に心理的距離を近づけるのを好まない。
人を試すような。あるいは煙に巻くような言動をする。
それでいて心を少し開いた相手にはそれなりに接する。……あくまでそれなり。
そんなめんどくさい性質なのは、きっと自分の中に確固たる世界を持っているからなのではないか。他者に踏み込まれるのを嫌う、あるいは踏み込んだところでついては来れないだろうと確信する、何かがある。……癖に、集団には浅くでも適合するからタチが悪い。そんな人間だ。
僕がそう言えば、メリーは短く口笛を吹きながら、挑戦的な眼差しを向けてくる。
「私の事を言ってるの?」
「まさか。三日で君を分かった気になるほど、おこがましくないさ。けど、全部が的外れではないと思う。さっき挙げたのは、僕が受けた謂わば啓発だよ。人に僕が言われてきた事の総集なんだ」
これらを口にしたのは三人。幼馴染み、その友人の女の子。そして高校の先生。
自分ではそう思っていなくても、近しい誰かにそんな性質だと取られたならば、それは無視できない自己要素である。とは、母さんの弁だ。だから僕にも、認めがたいがそんな一面があるのだろう。
故に僕はメリーへシンパシーに近いものを感じている。勿論まだ浅い関わりではあるけれど、彼女を見て、歪んだ鏡で自分を見ているように感じたのは事実なのだ。
「……凄いわ。ここまで来ると笑えるわ。だって貴方の啓発? それ、私も昔似たようなことを言われたのよ?」
「……そりゃ凄いや。けど、それならやはり聞くまでもないよ。君は自分の霊媒体質を決して嫌っている訳ではない。いいや。寧ろ好ましくすら思ってるんだ」
でなければ、あの骸骨が現れてから、真相を想像するまでに、あんなに楽しそうな顔が出来ようか。
そう、彼女は僕と同じく、オカルトの類いが大好きだ。僕はそう考えた。
語るべくことを告げ、メリーの答えを待っていると、彼女は静かに目を閉じた。
「ええ。理解はしてもらえなくて、されると期待もしなかった。小さい頃から日常的に幻視を視て。それが夢ではなく、現実で起きていると知った時……私は恐怖なんてしなかったわ。だって私だけが視れる秘密の世界よ? 寧ろワクワクしたの」
その時からね。オカルトの世界に興味を持ち、関連情報を集めるのに夢中になったのは。メリーはそう付け足した。
「でもね。実は私、こんな体質の癖に幽霊が関わる事件に巻き込まれたのは、片手で数えるくらいしかないの。私は見通し、流れや真相を感じられても、それを解決する手段がない。だからいつも怪しいと思ったらトンズラして、遠巻きに眺めて満足するだけ」
今回はそうもいかなかったけど。と、言いながら、彼女は再び僕の指を見る。貴方は? という空気を感じて、僕も語り始めた。
「僕は……君と似てるようで微妙に違う。常日頃から、オカルトに触れ続けていた訳じゃない。日常と非日常が上手く混在していたんだ。おかげで気がついたら巻き込まれてばかりだったよ」
「自分から分かってて首を突っ込んだ事もあったんじゃないの?」
「……エスパー?」
「女子高生よ。……逆なら私もそうしてるわ。困ってる幽霊を見ても何も出来ないのが、結構あったもの」
逆にこれがメリーの幻視みたいに日常茶飯事だったら……。多分人としてまともな社会活動は送れなかったに違いない。
だが、その救いは同時に、呪いにもなった。適度な非日常。それは、僕にとっては、ただ興味が惹かれる、冒険の扉のようなものになってしまったのである。
見えないのが普通。では、それが見えてしまう僕は何者なのか。そもそも、何故こんな非日常がひっそりと、寄り添うように存在しているのか。
一度気になってしまえば、好奇心はもう止まらなくて。気がつけばオカルトに関する世界へ身を沈めていた。
気がつけばもう戻れなくなっていたのだ。それが長いこと探索を続けている理由。重いもの軽いもの、実に色々とあるのだが、一番強く長いものは、こんな俗っぽいものが根本になっていたりする。
推理小説の探偵が、謎や事件を渇望するように。
芸術家が最高の作品を目指し。
勝負師が勝利に貪欲になり。
研究者が新たな発見を求めるように。
僕もまた、オカルトが大好きで、それに関わる事を求める。
例を上げたらキリがない。
初恋が幽霊だったり、何年後かに経験したファーストキス(無理矢理)に至っては口裂け女という始末。
時速百キロで走るおばあちゃんにも会ったことがあるし。
所謂付喪神や座敷わらしと遊んだり。
お盆にはご先祖様から襲撃されるわ。リアルに死人が生けるものを連れていこうとした修羅場にだって遭遇した。
そして今回は、霊感ある同類と共に夢の中を歩むときた。
ざっとほんの一部を挙げるだけでコレである。
過去に危ない場面も少しはあった。それでも、僕はフラッと出歩いて、これらに関わっていた時が、間違いなく一番生き生きしていたのだ。
僕が話し終えると、おもむろにメリーが席の注文ボタンを押す。どうしたのかという僕の顔を見た彼女は「デザート。頼むでしょう?」なんて、悪戯っぽく笑った。
「食べてホテルに帰るだけなんて、惜しいと思うわ。お互いの目の前に、これ以上ないネタの宝庫があるのに」
「……ネタの宝庫って。間違いではないけどさ。まぁ確かに。晴れて正体曝し合った訳だし。折角自由な身にもなった訳だし?」
時刻は夜の七時少し過ぎ。受験から解放された後の僕らにとって、退散する時間には些か早すぎた。
「ドリンクバーも追加しよう。聞かせてもらうよ。君の素敵な脳細胞と視神経で、何を視たのか」
「いいわ。貴方のハチャメチャな騒動も聞かせてね? メリーさんの幻視日記。まさか他の人にお披露目する日がくるなんてね」
「夢日記みたいなものかい? なにそれ見たい。凄く見たい」
「実物はダメよ? 一応普通の日記も兼ねてるんだから」
他愛ない会話をしているうちにウェイトレスさんが現れる。パンケーキとレアチーズケーキを頼み、コーヒーと紅茶をお供にして、僕らの怪奇譚大会は記念すべき第一回を迎えたのであった。
※
受験終わりの数日間を思い出しながら、僕は名残り雪で白くなった悪路を淀みなく進んでいた。
今までにないくらい楽しかった。そう断言出来る。あれは言うなれば世界の拡張だったのだ。
例えるならゲーム。そんなに詳しくないし、それで喩えるのもどうかと思う。けど、近いのはそれだろう。
一人でやるのと二人でやるの。どっちが楽しいかなんて比べるまでもない。それがそのゲームの良さを分かっている同士なら尚更だ。
「お互い上手く滑り込めたら、また会いましょう」
そんな言葉と共に栞の裏に書いて渡された連絡先は、修理したスマートフォンにしっかり入っている。
今でも週に二回ほど、夜な夜な怪談や世間話に花を咲かせるのだ。
「……到着っと」
そして、あれから一週間。僕は件のウッドピア跡地に再び訪れていた。
本日は雪も殆んど無くなり、気候も暖かい。約束を果たすには、絶好の日だろう。
「お待たせ。また会ったね」
ヒラリと手を挙げる。
閉鎖された門の向こう側に、セラといつかの白黒な獣がいた。
「獏だったんだ」
『そう。その子は普通とは違うの。どう違うかって言われたら、私も説明に困るんだけど……死んでから、私とだけお話が出来たって言ったら、信じる?』
「今更だね」
実は神様だったり? と、僕が肩を竦めれば、セラは吹き出しながら傍らの獏を撫でた。
『ずっと昔に突然いなくなったの。お兄ちゃんが東京に来てから再会したんだよ。何でもお兄ちゃんの空気? が気に入って、随分長い間お兄ちゃんの傍をフワフワしてたんですって』
「それ初耳なんですが」
ホテルの時しかり、今まで僕はおろかメリーにも気づかれなかった辺り、もしかしなくても凄く強い奴なのかもしれない。うろ覚えだけど、中国辺りじゃ夢を喰うって伝説にあるらしいし。
僕の変な体質も、もしかしたらこの獏に出会って、長年付きまとわれたから……は、考えすぎか。
確かめる術がないので、僕はそこで思考を打ち切る。セラが手招きしていたのだ。
チラリと、バリケードが張られた。立て看板を見る。
警察に通報します。の注意を華麗に無視。
小さな頃から寄り道王。補導の滝沢とは僕のこと。オカルト追って学区外で保護されて、お巡りさんに「またお前か」とよく言われていたものだ。酷い免罪符だが高校生として、最後の不良行為といこう。
柵を越え、無言でセラについていく。錆び付いた遊園地跡は草木が伸び放題の荒れ放題。朽ちた遊具が無造作に横倒しになり、積み上げられ、まるで別世界のようだった。
それはごくごく普通の父親が懐いた、夢の跡。それに少しの切なさを感じながら、僕はセラに続く。
やがて動物園跡と思われる、檻や猿山らしきものを越え、更に奥。石切り場を思わせる辺鄙な空き地にたどり着いた。
「ここは……」
「皆の、お墓。そして、私が死んだ場所」
一匹。また一匹と、いつかにホテルで見た動物達が何処からともなく現れる。メリーが言ってた埋められた場所が、ここなのだろう。
「皆は、毒を盛られて死んだんですって。私はそう、夕方にもう一度皆に会いに来て、見ちゃったの。無我夢中に止めようとして……気がついたら突き飛ばされて、頭がグワングワンして。すぐ横におっきな石があった」
予想は出来ていた。メリーが見た、セラの視点。これが正しいなら、少なくとも動物を埋めていた知り合いとやらは、間違いなくセラを見ていたはずだから。
逆にそれを最後にセラが消えて。かつ目撃談もなかったのなら……。セラはその男に殺されたと見るのが妥当だろう。
死体は動物達に紛れて埋められたといった所か。
『最初はね。私怒ってたの。けど、踏みとどまれたのは泣いてるお父さんをずっと見てたから。だから私は、〝弁えずに〟お父さんを見守っていた』
「……君を殺した人は?」
『……聞きたい?』
それも予想は出来るから、深くは聞かなかった。『そろそろ逝こうかな』セラがそう言ったのが合図になる。
僕は、色んな感情を抑えて、セラに近づいた。
『他の皆と、一緒にお願い。抵抗はしないわ』
「分かった」
静かにセラに手を当てると、動物達がそっと集まってくる。そこにはあの獏も含まれていた。
『楽しかったよ。その力、上手に使ってね』
そんな声が聞こえたが、きっと気のせいだ。そう思うことにした。
意識を集中させる。これでようやく、彼女は父親と再会できるのだ。知らなくてもいいことは……。
『本当は、私がお父さんを更に不幸にしてたのね〝悪霊〟の私が、いつまでも一緒にいたから』
ボソリと呟くセラに、僕は顔を向けてしまう。その行動を、激しく後悔した。
セラは少しだけ哀しげに。僕の顔を見てクスリと笑う。
『優しいんだね。お兄ちゃん』
空気が変わる。
そこにはもう何もなく。ただの空き地が広がっていた。
悲しいすれ違いは、ここで終止符が打たれた。死後にも世界があるのなら、もう親子が離れ、お互いが見えなくなることはないのだろう。
それだけが、たった一つ残された救いであり希望だった。
「……行くかな」
踵を返し、僕も歩き出す。通報される前に出なければならない。何より、じっとしていたらあれこれ考えそうだ。
セラに触っていた右手の小指が、ネジ切るように痛かったが、そんなものより切なさが勝った。
幽霊は、存在することで大なり小なり現実に影響がある。それが悪霊ならばなおのこと。
確かに抵抗はなかった。だからこそ、その痛みは彼女が悪霊だったという証明だった。




