アインベル・オレオン
「ここが例の子がいる店?」
「うん。フローレンス様から聞いたから間違いないよ」
アンジェとシャーロットはとある酒場の前に立っていた。
扉を開くとやはり酒場らしく、騒がしく、楽しそうに酒を飲み、色っぽいウエイトレスに鼻の下を伸ばし、片隅で喧嘩が始まりそうになった時、屈強な用心棒が止めに入る。
何人かはアンジェ達に気付いて慌てて頭を下げたが、大半は気付かない。元々この酒場は冒険者と商人達が入れ替わり立ち替わりする様な場所だ。二人が誰だが分からないし、分からなくても良い。
二人はカウンターまで真っ直ぐ歩き、コップを磨いているマスターに声を書ける。
「例の子は?」
声をかけられたマスターは目線を合わせず答える。
「奥に待たせてます」
「そう。人払いをよろしくね」
「分かりました」
それだけ言うとシャーロットはアンジェを連れて奥に入って行く。マスターは出入り口に用心棒を二人立たせて誰も入らせないようにした。
奥の部屋には一人の女性が待っていた。
女性はシャーロットより五つ位年上だろう。金髪碧眼とこの世界では対して珍しくない色だ。容姿も可愛いく、スレンダーなボディで、ソッチ趣味には堪らない姿だ。
女性は背もたれに身体を預けて、突然の来訪者に視線を向けた。
「……貴女がアインベル・オレオン?」
「そうよ。アンタ達が私に会いたいと連絡してきた人達?」
女の名はアインベル・オレオン。旅する商人一族の娘だ。
彼女は歌姫として有名で、客寄せの為に歌を歌った所大評判となった。彼女オリジナルの曲は時に悲しげに、時に楽しげに、言葉遊びな曲など一体どこからそんな曲が生み出すのかと著名な音楽家は驚愕した。噂では難関で有名な音楽学校の推薦が決まったとか。
そんな彼女がこの街に来たのは親の仕事の為と、ヨシワラは移民によって作られた街で、その為多種多様な楽器・民族歌がありソレ目当てに来たと思われる。
アインベルを此処に呼んだ切っ掛けはアンジェだ。アンジェの友達と一緒にアインベルのショーに見に行く機会があった。そして直ぐにシャーロットに報告し、フローレンスに頼んでとある酒場の一室(防音完備・従業員も顧客の情報絶対に流さない)を貸し切りにしてもらったのだ。
ここまで厳重な場所に彼女を呼んだのは他でもない。
「単刀直入に言います。貴女は転生者ですか?」
「……その様子だと、下手に嘘をつくのは得策ではないね」
アインベル・オレオンがアンジェ達と同じ転生者だと確信したからだ。
「自己紹介をするわ。俺の前世の名は鮫島健太郎。元男だ」
「男っ!?」
アンジェが素っ頓狂な声を上げる。
それもそうだ。アンジェもシャーロットもフローレンスも、前世は今世と同じ女だ。前世と性別が違う転生者はアインベルが初めてだ。
「TS転生なんて大丈夫なの? 色々不便な事が多いんじゃあ……」
「まあ、俺の記憶が思い出したのは私が十歳の時だったし、急に記憶を思い出したんじゃなく、徐々に思い出したパターンだから、『俺は俺、私は私』として受け入れる事が出来たから大丈夫よ」
心配そうにするシャーロットにアインベルは平気そうに言った。
「所でどうして私が転生者って分かったの?」
「そりゃあ、前世のアニソンやボカロ、人気の邦楽や洋楽、果ては演歌まで歌う人間がいたら間違いなく私達の同類と思うわよ」
「他の方に教えられた可能性もありますが、私の情報網ではその様な人物はおらず、それどころか貴女が曲を作っている姿を目撃されている為、その可能性はなくなりました」
「俺の趣味が音楽好きで、ジャンル問わず聞きまくったおかげかな。一応異世界だから著作権の問題は大丈夫だと思うけど」
「まあ、名前や歌詞を出さなければ大丈夫でしょう。それより色々とお話をしましょうか」
「そうね。色々と積もり積もった話をしましょう。店からおつまみを作って貰ったし」
「私、子供だからジュースしか飲めないよ?」
「それは皆同じよ。だからジュースで乾杯しましょうか」
かんぱーい!
そうして三人は話に花を咲かせた。因みにフローレンスは仕事の為、今夜の女子会に参加出来る事は出来なかった。
「ふ~ん。この世界はとある乙女ゲームに似た世界なんだ」
「そうなの。でも根本的な所で違うのよ。フローレンス様がその最たる例ね」
「ん~でも、シャーロットお姉ちゃんの情報が正しければ、ミシュラ様は自分の世界が不利益になる人をこの世界に来るとは思えないよ」
女子会の話は最終的にこの世界の情報になった。
「と言うか、シャレーンは大国でしょ? 噂では相当酷くなっているらしいけど」
「フローレンス様を連れ戻そうとした兵士が、家族を連れて逃げているのよ。相当酷いでしょうが」
「シャーロット様の言うとおりですよ」
旅する商人一族の娘であるアインベルが言う。
「色々言う事が多いから何から言えば良いのか……イメージとしてはフランス革命前の貴族と王族、と言えば分かる?」
「「……それはヤバくね?」」
色々と察した二人である。
「まあ父さん達が言うには、賢王であった先代国王夫婦が生きている間は少しずつ改善の余地があったの。優秀な宰相――フローレンス様の御父君ね――と部下達によって膿を吐きだそうとしたんだけど……先代の国王様夫婦や宰相夫婦が亡くなって、馬鹿息子達がその後を継いだ途端、悪化した」
「ねえ。やっぱり王妃様、私達と同じ転生者じゃあない? 悪役令嬢モノのお馬鹿な王子達みたいだよ? 賢王様達はちゃんと帝王学を王子達に学ばせようとしたんでしょう?」
「アンジェ様。先代達が異端なだけで、今の貴族達が本来のシャレーンの貴族の姿なんです。だからこそ、商人・知識人・庶民達は先代達の死に落胆した」
「……ウソでしょ?」
とんでもない情報に思わず頭を抱えるシャーロット。よくまあ、大国でいられたんだと心の中で思う。
「縁の下の力持ちが何人もいたから持っていたんですよ。それがいないのが今のシャレーンの現状何ですよ」
「何だか聞けば聞く程どうしようもない国ね」
頭痛がするのかこめかみを押さえるシャーロット。
「あ、思い出した。王妃様の父親、伯爵がかなりの女好きで、いろんな女に手を出していたって。だから王妃様が生まれたんだって」
「アンジェ。アンタどこからその情報を入手したのよ」
五歳の子供には聞かせられない話をどこから仕入れてきたのか。またまた頭が痛くなるシャーロットの心中を知らないアンジェは平然と答える。
「元伯爵家の使用人の子供。お母さんと年の離れたお姉さんとその子が狙われた辺りから逃げてきたそうよ。因みにお姉さんは十四歳。妹は八歳」
「「うわー」」
どん引きである。十四歳の姉やその母親は分かるが(いや、駄目だけど)八歳の子供にまで手を出すとは心底気持ち悪い。
「何か話せば話す程、頭が痛くなるからこの話は終わりよ、終わり」
「ちょうどジュースもおつまみもなくなりましたから、今日はお開きにしましょうか」
大分時間が立ってお開きとなりそうだが。
「あっ、ちょっとお願いがあるんだけど」
アインベルが手を上げた。
「何ですか? 貴女の家との取引は優先するお話で今夜の約束を取り次いだ筈ですが……」
「いやいや、そうじゃの。ただ、フローレンス様とのアポイントを取り次いで欲しいんだけ」
「フローレンス様との?」
「あの方の人の心を掴む手腕は此方の耳に入っているわ。私は将来世界一の歌姫に成りたいの。その為には色んな権力者をパトロンにしたいの。その為には是非とも『女帝』様のお力が必要なの」
「……会うのはお勧めしないよ」
「覚悟の上よ」
アインベルの様子に思わず互いの顔を見たアンジェ達であったが、溜息を一つ吐いた。そしてシャーロットはメモを懐から取り出し、何かを書いてそれをアインベルに渡した。
「ここはフローレンス様がプライベートで行くバーです。運が良ければもしかすれば……」
「ありがとう! 早速行くね!!」
それだけ言うとアインベルはメモを受け取って部屋から意気揚々と出て行った。
「本当にフローレンス様の言うとおりだったね」
「言うとおりだったわね」
実は二人の目的はアインベルが転生者かと確認する為ではない。アインベルをフローレンスに会わす為だ。
フローレンスはアインベルのその歌に目を付けた。彼女の歌唱力・彼女オリジナルの曲。それらは正に歌姫と呼ばれても問題ないモノだ。
そのまま普通にパトロンになると言えば問題がないのだ。問題なのはフローレンスが性行為で仲良くしようとする事だ。
基本的にフローレンスは淫乱のビッチのバイだ。賢い筈なのに此処に来てから色々と性格が破綻してしまい、『親交を深めるのならまず○ックス』が彼女の信念である。
だが、そんなもの普通の人間には受け入れなれない。アインベルの家族がその例である。
主君としてフローレンスと会わせても良いけど、個人では会わせられない! と壁になってアインベルを守っていた。
フローレンスは自分が異常なのは分かっているので、ヤリたいと言う人しかヤラないのだが。
『……あの子素質あるわ』
と、アインベルを一目見てフローレンスは見抜いた。
この女、自分と同じ素質を持っていると。
「なんでアインベルさんは素質があるんだろうね」
「まあ、私に偏見もあるのかもしれないけど。TS転生の元男の人は大抵の場合童貞だから色々と飢えているんじゃあないの?」
恐らく家族からフローレンスの話は聞いている筈だ。その上でフローレンスと会うと言う事は……。
「ヤリたいんでしょうね」
「男の子だから仕方はないけど……可哀想にね」
フローレンスの性欲の凄さを近くで見ていた二人は合掌した。
当時の一番の歌姫は誰かと言われたら百人中百人はアインベル・オレオンと答えるだろう。
アインベルはその歌唱力と時に涙を零し、時に思わず笑いが起きる程の歌詞。彼女の歌は今日に至るまで人々に歌われている物が多い。
彼女は商人一家の娘として生まれ、家族と共に旅をしながら歌を歌い続けた。
その後、十七歳で音楽の名門ビクレオン学園に最年少で入学を果たす。そこで音楽の知識の全てを詰め込み卒業するまで主席を誇っていた。
アインベルの活躍に一役買ったのはヨシワラの二代目フローレンスの存在がある。
彼女はアインベルの衣装代・舞台代、パトロンの紹介など尽力した。アインベルもフローレンスを心の底から尊敬、いや、崇拝していた。
と言うのも、アインベルはフローレンスと個人的な付き合いがあったのだ。
フローレンスは稀代の女帝でありながら、とんでもない淫乱のビッチのバイだった。彼女と個人的に付き合いがあると言えば、それはつまり、性行為を結んでいる事だ。
彼女の友人達は性別年齢関わらずセフレ関係だし、知人クラスだと最低一回はヤッている。
彼女とソウユウ仲ではないのは『愛娘』であるアンジェとシャーロット、彼女の学生時代の教師であるルエ・カマガ、そして彼女の雑用係であったニーノの四人だけだった。
彼女の親もその性格をよく知っていた。だからこそ個人的な付き合いがない様に注意したり、その性格についてもアインベルに教えた。
しかしアインベルは家族の忠告も聞かずフローレンスと会ってしまった。
当時の年齢を考えればそう言った行為に興味を持つのも分からなくないし、『一夜限り』と考えただろう。
彼女は知らなかったのだ。
フローレンスが数百のオークの集団をたった一人で相手にした事を。
そして半分が腹上死、半分がインポになりオーク達は絶滅の危機に陥る程の性欲と体力の持ち主だった事を。
翌日、アインベルの家族が見たのはメロメロのヘトヘトとなり、一週間ベットを離れる事が出来なくなったアインベルの姿だった。
その影響かアインベルは同性異性と結婚したり離婚したりと、何かと世間を騒がせる彼女だったが。六十四歳でその生涯を下した。
彼女の死は世界中のファンが悲しみ、彼女の記念碑が幾つも作られたと記録されている。