#8 沈黙
▼沈黙
それから後は、何事も無く平和な時間が流れた。
「占夢の間、厄介な術は一切なかったで……マサキは何を考えとるんやろ……」
ふと、叶は思い付いたかのように呟いた。まるで息を潜めたかのように、厳かに行われた占夢。そんな会話を吹っかけた時、ひょっこりかえでが現れたのである。
「ちわ〜あれ?朔夜ちゃん来てたの?」
叶しかいないであろうと思っていたのか、意外な顔をした。というより少しバツが悪そうな顔と云った方が良いかもしれない。
「ええ、ちょっとお邪魔してますよ」
朔夜は何も無かったかのような数笑みでかえでを出迎える。しかし、体中の包帯を目にしたかえでは驚いたように、
「どうしたの?朔夜ちゃん!」
大きな目を見開いて詰め掛けるように朔夜の横に座った。
「まあ〜色々ありまして……」
しかし、
「それって、もしかして昨夜の事件絡み?」
かえでは何かを察したのか、ズバリ云い当てる。
けれど、朔夜はその事には触れず笑って聞き流しておいた。
「もう、下北沢は大混乱よ。次狙われるのは自分かも知れないってみんな引いてるわ!後、この情報はマスコミから仕入れたんだけど、ここ最近の下北沢事件関係を洗って行くと、共通して必ず夜になると起こるらしいわ……」
かえでは、そうやって自ら仕入れて来たネタを朔夜と叶に話して聞かせる。そうする事で、自らも興味を持ち奮い立たせているらしい。
自殺未遂で踏み止まった女性が意識を重り戻し、警察に全ての事情を話した事などどこから手に入れたネタか分からないが事細かく教えてくれた。どうやらその女性は、会杜の金に手を付けてその事がばれそうになり自ら命を投げ出したという事だった。その全貌にはあるホームページを介し、天使に憧れ、夢に出て来た天使の御告げに従い、自鞍未遂を行ったと言う事だった。
今はそのホームページの捜査に踏み込んでいると云う。しかし、裏ホームページであらゆる所を経由しているから複雑なのだとの事で警察の手腕を持ってしてもそれを立ち上げた身元は知られていない。
ここにいる朔夜と叶、直紀以外は……
「夜ですか……確かに犯行可能な時間と云えば昼より夜の方が目立ちませんからね〜」
一見当然の事のように思われる節を云っているが、実の所、全て雅樹が夜にしか動けないのでは無いか?朔夜はそう睨んでいた。暗闇に潜む死への誘惑。それを行えるのはもしかしたら、夜だけ?いや、訳ありで夜にしか実行できないのかも知れない。
そこで、これ以上かえでに介入を許す訳には行かないと朔夜は話題をそらした。
「かえでちゃん?次のお仕事はいつになりますか?」
話にのってくると思っていたのに、その腰を折られかえではプクッと頬を膨らませたが仕方なくスケジュールを話しはじめる。そうこうしていると、穏やかな時間が過ぎて行きかえではこの場を後にした。
「叶、僕はそろそろ戻ります。賭けの期限は明日まで……かえでちゃんの話から察するに、雅樹は今夜か、明日の夜事を起こすはず。叶はどうしますか?出来れば、一時退院して事の成りゆきを見守っていて欲しいのですが……」
夜半に起こった事が、脳裏から離れない。叶のことを想うと無理な事はしては欲しくは無い。でも、不安と怒りが同居してしまった心中は今の朔夜にはどうしようもなかった。
「オレがおったかて、役に立つかどうか分からんで……?」
そこで朔夜の表情を伺う。
「そうやなあここにおるのも退屈やし……それに朔夜一人っちのうのも心配やしな〜……なんや?いつも通り『お仕事ですよ』の一言でええんやけどなあ〜」
やれやれと云う表情で、この報酬に見合うだけの事は頼むな。とでも言わんばかりに微笑むと、
「外泊届け出してくるわー」
速やかに叶はナースステーションへと歩いて行った。
病院の反対を押し切っての行動の果て、自宅に戻った朔夜と叶は、朔夜が昨日リストアップしておいたデータの資料を見直していた。下北沢で起こりうる事を考慮に入れながら。そして、そのリストに二宮和恵の住所録が載っている事を確認したのである。
「あの看護師、下北沢の住人なんや……」
リストに目を通していた叶は嫌な予感がして呟く。それを朔夜は、
「関係者と云うからにはやはり同じ下北沢の人間であってもおかしくはありませんね。名刺を渡しておいただけで無く、この資料が役に立てるかも知れません。念のためこの住所は控えておきましょうか……」
叶からそのリストを受け取った朔夜は、手帳に書き込む。それから、咋日釘付けになったホームページを見て回った。が、そこには次の夕ーゲットとなり得そうな人物は浮かび上がらなかった。次第に暮れ行く一日。その緊張感は二人の心に重くのしかかっていた。
そんな時、一本の電話が朔夜の携帯に流れ込んで来た。それは、祖母からであった。今日の夜、錦織邸にて通夜があるからそれに出るようにとの事であった。
朔夜は、神楽の様子も気に掛かっていたためその申し出を無下にもできなかった。それに、この通夜に雅樹が現れるのでは無かろうかと一瞬思ったりもした。
人柱にされた母親をどう云う目で見るのか?しかし、神楽は雅樹の行方を知らない。現れないかも知れない。子供は親を選んで生まれては来れない事は重々承知している。しかし、それでも、母を慕う気持ちが雅樹に無いとは云い切れない。
「叶?ここで御留守番していてもらえませんか?ホームページの監視も宜しくお願いします。僕は神楽さんのお母さんのお通夜に行って参りますから」
「ええけど、無理すんなや?」
「無理な事ではありませんよ。このくらいの事で……それより、僕の携帯はここに置いて行きます。何かありましたら、神楽さんの連絡先を教えておきますから、こちらに連絡下さい」
自らの携帯に登録している番号を教えておく。通夜の最中に自らの携帯に電話を掛けて来られるのも厄介だし、礼儀に反している。そう思った結果だった。
「よう分かったわ。ほな気を付けてな〜」
不自由で無い左腕で軽く朔夜の肩を叩く。
「お願いしましたよ」
こうして、通夜の為の用意をして朔夜はアパートを出て行った。
通夜は厳かに行われていた。広い敷地内に建てられた大きな格式高い建物に陳列している人の数は驚く程多かった。さすが、由緒正しき家柄であることはこれだけで実感できた。しかしそれにしては、入院していた病院はそこまで大きな病院では無くて……個室だと言う他以外は何もこの家を考えてみると質素に感じられた。なぜ、もっと大きな病院に移さなかったのか?朔夜は不思議でならなかった。人柱による病気だとしても、不治の病だとしても、もっと医療技術の高い病院に入った方が家族杓にも安心では無かろうか?
複雑な思いが交錯する中、焼香をあげた朔夜は、静かに黒い和服の喪服を身に纏っている神楽に礼をした。それから、身内だけの席を取り持つ事になった。
それを機に朔夜は紳楽に話し掛けた。
「この度は……」
ありふれた言葉で御悔やみの言葉を話す。
「朔夜さん来て下さったんですね……」
泣き腫らした瞳が赤く染まり痛々しかった。
「お父さんは?」
「海外に出ておりまして……明日には着く事かと思われます」
「そうですか……」
自らの妻が先立ったのに、仕事を優先しているのかと思うと神楽がよけい痛々しく感じられた。
周りを見渡す。しかし、雅樹の姿は無かった。
「弟の雅樹君は?」
「あの子は、一年程前からこの家には帰って来ておりません……どこで何をやっているのかさえわたくしには分かりかねます……」
親戚一同が介してい中、大袈裟な事を云う気は無いのかも知れない。そう思い、朔夜は庭先に神楽を引き連れて二人になれる場所を探した。
朔夜の祖母の家に負けず劣らず、和風の敷地内は、風流さをかもし出していた。
「実は……」
もう、神楽の耳に入れても良いかも知れない。本当はもっと早くに云うべきだったかも知れないと後悔もしていた。賭けの事を……その気持ちは、実の双児の姉弟である二人の亀裂を生むかも知れないが黙って見過ごす事はこれ以上出来なかった。
「賭け?ですか……もうあの子が考えている事がわたくしには理解不可能です……全て話して項きましてありがとうございます……あの、御願いがあります。その……わたくしにも手伝わせて頂けませんか?雅樹をこれ以上悪の道に入り込まないようにわたくしに出来る事があるかも知れませんから……」
「危険ですよ?」
「重々承知しております。もう、血塗られたこの家系を断ち切るにはそれが一番ですから……それと、一つ忠告があります」
「何です?」
「今夜は、きっと雅樹は動きません。わたくしの……いえ…何でもありません。取り敢えず動く事は無いと断言できますから、明日の御葬式が終わったらわたくしを御連れ下さい。あの子には到底及びませんが、微力ながらもわたくしは陰陽師のカが使えます。きっと役に立ちますから……」
動かないとどうして断言出来るのか?朔夜は問いただしたかったが、人柱の継承者。及び、陰陽師がここで味方についてもらえると有り難いとそう想った。それに身近にいてもらえると、無力ではあるが守り甲斐もある。
「分かりました。では、今夜は失札します。お母さんの事で疲労もあるでしょう?今夜はゆっくりお休み下さい」
ただの気林めだと思う。神楽の精神的ダメージを想うと……眠る事など出来はしないだろう。しかしこのままほっておくと倒れてしまいそうな顔色だ。
「満月ですね……こういう夜は、魔が人の心に住みやすいのかもしれませんね?」
ボソリと呟いた。月明かりに照らされた神楽の横顔は今にも空気に溶け込んでしまいそうだうだった。