#5 偽証
▼偽証
「…と云う事なんですよ」
全ての事の成りゆきを、病院のナースステーションに繋いでもらい朔夜は叶に電話で話して聴かせた。
「そんな事になったんかい……こっちもうかうかでけへんなあ……しかし、俺らマサキの手の平の上で踊られてとるみたいやなあ〜」
事の重大さに、気遅れしている風は見られないが、叶自身緊張感は持っているみたいである。
「しかし、よお、俺を殺してくれなんて思い付いたもんやなあ〜上出来っちゃあ上出きやが、ホンマは本心とちゃうか?」
茶化したように受話器の先で笑って云っているが、叶の性格から考えると怒っているかも知れない。
朔夜はそれをごまかしながら、
「叶は、殺しても死なないタイプですからね〜」
和やかに話しの腰を折る。心配していない訳ではない。ただ、叶なら大丈夫だと信じているのである。
「で、どうするつもりや?その、沼淵佳子を……中島清美はこの病院の関係者だと分かった訳やし的は絞られた。HNのイニシャルKNの人物であっても、本名もKNである可能性がある訳とはちゃうやろ?」
「一日だけ沼淵佳子さんに病院の勤務を理由を話して休んでもらおうかと想ってます。無断欠勤なら、相手を油断させる事ができるかも知れませんからね……」
「酷やな……突然殺されるかも知れません。なんて云うて信じてもらえるとは想えんな〜誰やって頭おかしい想われるわ」
「それもそうですね……でも、何とか説得して分かってもらわないと困るんですよ。別に、中島清美が誰なのかを追求する訳ではなく、この先この危うい関係を保って行く事ができるかどうかの瀬戸際なのだと僕は想うのです」
悲劇がこれで終わるのか?この先雅樹とのもう一つの賭けは存在している。何かの過ちでそれを犯す訳には行かない。
「決心は固いようやな。なら、好きなようにやれや。こっちは止めへん」
こうして、明日迄の算段を二人が立てた後、静かに携帯の音は途切れた。
朔夜は、沼淵佳子の勤務時聞終了を待ちアパートを出た。真夏の深夜だと云うのに人通りが少ない。そろそろお盆の時期だからかも知れないなと想った。気温も丁度良く、昼みたいに不快指数は感じられない。
沼淵佳子の白宅は、一戸建ての家で、その家の前は密集した人家と店が立ち並び、意外とひっそりと隠れる場所もある。待ち伏せるのは容易であった。
時々静かな街灯の下を歩いてくる足音が聞こえてくるとその方に目を配る。しかし、どれも沼淵桂子らしい人物ではなかった。
満月の下、朔夜は一度睡魔に襲われかけたが、何とか意識を取り戻す。今寝る訳には行かない。三日間の過酷な試練が待っている。そう想うと逆に目が冴えてきた。そんな折、一台のタクシーからおりる人影が目に入った。待っていた沼淵佳子が現れたのである。
「沼淵佳子さんですね?」
穏やかな口調で警戒心をなるべくおこされないように、自宅に入る為の門をくぐろうとした沼淵桂子に、朔夜は声を掛けた。
「ええ、そうですが……」
しかし、想った通りの反応。訝しげな目で朔夜を見た。
「こんな事を云うのは変だと思われるのですが、貴女は、誰かに恨みを買っているようです。もし良ければ僕の話を聴いて頂けませんか?」
なるべく、慎重に話を進める。決して、殺される事になってるなどとは云えない。
「……あの……何故そんな事を見ず知らずのあなたに云われなければならないのですか?面識もないのに……それとも何処かの探偵さんですか?」
少し怒ったような表情で朔夜を見る。
「あ、申し遅れました。僕はこういう者です」
そこで、名刺を見せる。
「夢占い?都住朔夜さん……あ、夢関係の本を出版されているあの都住さんですか!」
ここでも、何とか理解してくれる人がいてくれた事に感謝した。
「でも、その都住さんが何故そんな事を?」
「実は……」
今日あった事を簡潔に話して聞かせる為には、骨が折れる気分だった。ただ、賭けの事だけは避けておく。それは自分自身の問題であり、沼淵佳子には全く閲係のない事であるから。
「お話の内容は分かりました。で、私はどうすればよろしいのでしょうか?」
一通り話した後、朔夜がその為の対策を話そうとした時、一陣の風が巻き起こったのである。
「!」
まるで、小型の竜巻きが二人のいる方に向って斬り付けるかの勢いで巻き起こったのだ。
「残念だったね、都住朔夜!」
頭上から声が聞こえて来たのに気付き、辺りを見回した。するといつの間にはびこったのか、辺りの樹木がうねるかのように朔夜達を取り巻いていたのである。
「ヒントは簡単だっただろ?でも、この賭けを切り抜けるのはここからが大変なんだよ!」
はす向かいの四階建てアパートの屋上に月の光の下動く人影が見えた。どうやらそこにいるらしい。そしてその声は紛れもなく、
「雅樹か!」
「気軽に、ファーストネームで呼ばないで欲しいな!……胸くそ悪い!」
すると雅樹は片手を振り上げ、振り下ろす。
まるで剃刀の刃のような風を樹木達を操る事でまき散らしてくる。それを、朔夜は沼淵佳子の前で身を呈して受け止める。その為、夏着の薄い服が裂かれ、至る所に傷が出来、血が滲み出してくる。
「痛〜!」
「今のは手加減したからね……次はこうはいかない!」
手の平から青白いオーラが見える。朔夜はそれを初めて見た。そしてこれからきっと式神を出すのだと想った瞬間、それ目掛けてオレンジの光線が飛び込んで来た。それは、青白いオーラを消し去るかのような勢いで、包み込むと一気に分散した。
「何!」
雅樹の物とは違う、一つの光。それが、叶の式神である事はもう疑う事はない。式神を見た事はないが、下北沢の護衛に飛び立った琴音。それ、であるのだと。
暫くすると、ヒラヒラと焼けこげた紙切れが舞い落ちてくる。それを手の平で受け止めると、朔夜は握りしめた。そしてズボンのボケットの中に仕舞い込む。
「小賢しい!ネズミがウロチョチョロしてるとはな……都住朔夜!お前は一人では何も出来ないのか!」
「一人で何でもできると思っている方が驕っているのではないのか!」
「ちっ!下らん論争はいい!このままねじ伏せるまでだ!」
朔夜の言葉に一気に頭に血が上ったのか、
「翔!開眼!」
雅樹は印を結び突如マンションから飛び下りると、樹木がゾロゾロとその着地地点に集まりクッション代わりのように雅樹を受け止める。そして躊躇いもなくうねる樹木を引き連れスタスタとこちらにやってくる。
その様子を隠れて見ていたのであろう、沼淵佳子は、ガタガタ唇を震わせながらその場に立ち尽くしていた。朔夜は、その前に立ち塞がるようにしっかりと身体を盾にしている。
全身の開いた傷ロがズキズキと疼く。そんな朔夜の前にしたり顔で雅樹に立ちはだかった。
「どけ!」
右手で払い除けるように朔夜の肩を叩いた。
「まさか……そんな事する訳ないでしょう?」
冗談じゃないと、雅樹を睨み付ける。
その利那、『ドス!』
鈍い痛みが一発、朔夜の鳩尾に送り込まれ、前のめりに身体が崩れ落ちる。意識が飛ぶと同時に地面が顔に触れた。
「偉そうな口を叩く前に、護身術でも学んでおくべきだったな……アハハハハ!」
甲高い笑い声の中、意識が遠退のいて行く。何とか雅樹の足首を掴んだ時、沼淵佳子の絶叫がこの街全体に響いた。
朔夜が最後に目に映し撮ったのは、真っ赤な血で染まった世界であった。