#10 真実
▼真実
「神楽さんのお父さんもやはり陰陽師なのですか?」
錦織邸で呼び寄せた下北沢駅行きのタクシーに乗り緊張した中、疑問として心の中に止めていた事を朔夜は神楽に問いかけた。
「ええ。でも、お父様はそんなしがらみを公に出さずに仕事に打ち込んで来られた。しかし、それは見せ掛けだけで本当はわたくし達の見えない所でカを使用していたのです。今の世を支える為に、裏では悪どい事をして来ました……その結果、官僚としてのお父様は今の地位を手に入れたのです。時代はそんな陰陽師のカを受け入れているのかも知れません。でも、雅樹はそれを受け入れる事を嫌がった。一度家から遠ざかっていたあの子が何故今頃になってこんな事を……」
神楽は全くその理由が分からないとも云いたげに、唇をぎゆっと噛み締めた。その唇が薄らと紅を帯びている。
「やはり、そのカのせいでお母さんに負担が行ったのですか?」
「母では無く、祖母です。人柱は一代前の人物をさします。代々強く受け継がれて来たカは、一代前の犠牲で成り立っております」
「? ……では、お母さんが亡くなった今、一代前も何も無いでは有りませんか?何故、今度は神楽さんにあたるのです?」
朔夜の頭では分からなかった。こう行った事は、朔夜の範疇では無い。
「異例が有るのです。人柱が亡くなった場合、その血を濃く受け謎がれた者。女人を自動的に選び出すのです。だから、双児のわたくしがその任を受ける事になるのです。そのことは、雅樹も知っている事なのです」
だから、神楽を守る事が出来るかと云いたかったのか……朔夜はあの時の雅樹の言葉をやっと理解できた。
そんな話をしながら、朔夜は叶からの電話を待っている。行き先はどこなのか?下北沢の一体どこ?
ポケットに仕舞い込んだ携帯は一向に鳴る様子も無い。ふと、神楽を見た。すると緊張感を謡るぎないものとするかのように、シッカリと目を見開いていた。そうしないと睡魔に襲われる……そう感じているのかも知れない。
朔夜は、この渋滞に巻き込まれたタクシーの中、シッカリと現状を把握しようとしていたのである。
「タクシーのおっちゃん、ここで止めてな」
叶は、料金を払い終え、路上に身を乗り出した。
琴音の気配がここからする……そう感じ取ったからである。時問的にはもう陽は沈み、月と星が光り輝いていた。
住所的には下北沢の丁度東に位置する事がわかった。近くの通りはまだ人気が多い。それでも繁華街から離れた場所ではあった。番地を調べようと表示されている表示板を確認した。見覚えの有る番地。それが、二宮和恵が住んでいる場所だと気がつく事は遅くは無かった。そこで、いち早く朔夜に連絡を入れたのである。
「朔夜!分かったで……二宮和恵の住所や。はよ来い!待っとるで!」
連絡をつけた叶は、琴音の気配を頼りに路地を探して回ったのである。
「お前は、天使の啓示をどう想っている?」
雅樹は、二宮和恵の部屋で問いかけた。でも二宮和恵は返事が出来なかった。完全に自我が無かったからである。
「オレに罪を押し付け、自ら汚して無いその綺麗な手に……何を想う?」
一人暮らしのマンションは開いたカーテンのガラス越し。月の光のみのこの部屋で、二宮和恵の身体の上に雅樹の影が落ちている。そんな中、独り言を唱えていた。
「もう少し持ってみるかい?正義のヒーローが登場する迄……」
雅樹は不適切な言素を吐いたかとも思えるように、苦笑いした。その表情を、二宮和恵は夢の中で悪魔に微笑まれているかのごとく困惑している。暗示をかけられ、云われるままにこの部屋に雅樹を上げた。そして今は現実と夢の中を彷徨っている。それは、まるで死への誘惑を掻き立てられるかのようであった……
叶は、見つけ出したマンションの部屋を全てあらっていた。二宮和恵の部屋はどこなのかを……
琴音がこのマンションにいる事は掴めた。しかし、細部迄は当てられなかった。妨害電波が阻止している。それが、雅樹特有の物であると掲握するのは早かった。
「どこなんだ!」
と、階段を一つ一つ上がって行く。しかし、表札を出していないが為判らない。朔夜に連絡を入れてみるが、圏外らしく応答も無い。
仕方なくマンションを一時抜け出し朔夜が到着する迄待った。その間、このマンションを取り囲むように、結界を張ろうと方位陣を引く。何かをやっておかなければ、いつ何時呪術が行われるか判からない。左腕の時計を見ながら、刻々と過ぎて行く時聞を眺めながら叶はなす術なく一階の踊り場に座り込んでいたのである。
一時間後、暗い夜道に車一台分のライトが点灯して来た。朔夜と神楽を乗せたタクシーが二宮和恵の住所に辿り着いたいたのである。
一階の踊り場に座り込んでいる叶を発見した朔夜は、
「どうしたんです?叶?」
気分が優れないのかと心配して問いかけたが、
「部屋が分からんかったんや!」
の一言で安堵の溜め息を漏らした。
「505ですよ」
朔夜は、神楽と叶を引き連れてその部屋へと向った。しかし、五階にあるはずの部屋は存在していなかった。また目隠しをされている。
「これは……雅樹の特技なんですわ……少し離れていて下さい」
神楽は、落ち着いて504と506の間に存在しているであろう壁の前に行くと、印を結んだ。
「幻視、開眼!」
そうすると、歪んだ空間がユラユラと明かりを巻き込みそして、一つの扉が浮かび上がって来た。
「在った……あんた凄い技やな〜俺にも教えてや!」
叶は、興味を覚えたのか、飛び上がって喜んでいた。しかし、
「これは、錦織家特有の術ですの。塚原さんには無理ですわ……」
静かに否定の言葉を返す。そして、その扉の中に入ろうとノブに手を掛ける。それは不用心にも鍵があいていた。中は真っ暗で、人の気配を感じ取る事が出朱ない。いないのでは無かろうかとさえ想う。しかし、
「雅樹はいます」
神楽のその言葉に、朔夜達は誘われるかのように入って行った。
「ようこそ、天使の園へ……」
3DKの一番奥の部屋に、雅樹はいた。居たと言うには何かが変である。それが何かは具体的には云えないが……
「久し振りだね、神楽姉さん……もう何年になるかな?」
「……一年よ」
「そんなもの?才レにはもっと長く感じられるよ。しかし、シナリオが一部変更されたな……まさか神楽姉さんがやってくるとは想って無かったよ……」
やはり、シナリオははじめから書きおこされた物だと自覚したとたん、朔夜の背筋に冷たい汗が流れ落ちた。
「わたくしが来ないと思っているようでしたら、甘いわ……そうでしたわ、昨朝お母さまは亡くなったわ……あなたは何を考えでいるの!」
はた目から見ていると、まるで姉弟喧嘩でもしているかのようである。
「くたばったか……それで、業を煮やしてやって来たんだ?姉さんは!」
カーテンがフワフワと揺れている。逆光の中の雅樹の表情は全く読み取れない。
「何故なの?あんなに陰陽師の事を疎んでいたのに……」
「疎んでいると、一つ分かった事が有るんだ。聞きたい?」
「……」
言葉を詰まらせていた神楽は頭を垂らした。それを合図に、雅樹は自らの足下に転がっている二宮神楽を抱え上げ、窓際へと後ろ足で歩を進めた。
「現実を受け止める事もできないオレにはこれが一番だって事が分かったんだよ!」
「やめてーーーー!」
雅樹が印を結び呪文を唱えると、突然神楽が発する絶叫が、辺りに響いた。その瞬間、神楽は心を抜かれたかのように失神した。
「神楽さん!」
神楽を受け止めた朔夜は床に静かに横にした。
「あはははは!これで、勝機はオレのもんだ!」
突如、カーテンの間から斬り付けられるような風が舞い込んで来た。その風は下から一気に伸びて来た樹木の風圧で、その樹木の枝がスルスルと伸び雅樹を包み込むと身体は宙に浮きあがった。
「なんや!これ!……」
叶は、今何が起こっているのか分からないとでも云いたげに朔夜の影から身を乗り出した。
「オレは五行五元素の内、特にずば抜けて水を操る陰陽師。そして一般的に出回っている陰陽師とはケタが違う!そして、神楽をも手に入れた!完全無欠だ!賭けは才レの勝ちだ!残念だったな〜」
そう云うと、念を送り、樹木に包まれたままカーテンの外に飛び出した。それを追って窓際へと朔夜と叶は駆け出した。
「ほう……で、ここの地上に二宮和恵さんを突き落とすと云うシナリオですか?残念ですね。あなたとの賭けは成り立ちません。以前云いましたよね?一人で何でもできると思っている方が驕っているのではないのかと!」
突然……マンションの下からパッと照らし出す光で雅樹の身体は浮き立った。
「警察か……」
下から浴びせるように光を灯している警察官の群れ。その中に直紀の姿を見つけた。
「直紀間に合うたんかい……」
叶は、へたり込みそうになった身体を押し殺して、二宮和恵の部屋から騒け出して行った。
「おい!あの男、異様に伸びた木に巻きつけられて宙に浮いてるぞ!しかもこの木、動いてる!」
外の警察官は、このあり得ない現象に目を見張っていた。そして、急いでその部屋の下にマットを敷く用意が始まった。
「小賢しい真似を……」
そう呟くと、雅樹はより高みへと樹木を伸ばし身体を浮かせて行った。それを目で追う朔夜は、部屋を出て、マンションの屋上へと急いだ。倒れたままの神楽をそのままに……
このマンションは、十階建てのかなり新しい物であった。エレベーターを使い一気に屋上へと向う。
外の空気は雅樹に有利に働いている。それを感じてると朔夜にも分かった。
「二宮和恵さんを返して下さい……今ならまだ間に合います……」
流石にマットを引いたとしても、この高さから落ちると無事には済まない。
「これ以上続けて、雅樹君には何が残ると云うのですか?神楽さんを守る為に何故止まらないんです。あなたが持ちかけた賭けに何故そこ迄神楽さんを巻き込むのです!本当は守りたいのでしょう?」
朔夜は、マンションの屋上のヘリに足を掛けた。
「神楽、神楽と云うな!お前は何も知らない癖に!」
「知る訳ないでしょう!君と僕とでは一緒にいる時間の長さが違うのですから!」
そこで大きな枝伸びてきて朔夜の首を締め付けた。
「グッ……」
苦しくてもがく中、
「神楽の意識界とオレの意識界は繋がってるんだ!あいつが就寝すると、全部オレの中に流れ込んでくる感情の嵐。それは、オレのカを増幅させ、今ではこの通り……死への甘美を味あわせてくれる……あいつさえいなければ、何も問題なんて無いんだ!平気で眠りに陥る姉さんは、オレの事なんて考えて無いんだ!」
より一層きつく締め上げられる木の縄は、朔夜の意識を遠のかせて行く。
「莫迦な……事を……」
うめき声をあげる中で朔夜は思考を取り戻そうと必死だった。
このままで死ぬ訳には行かない……叶!
そう心で念じた時、木の縄は弛んだのである。
その頃の叶は、結界の内に有るこのマンションに術を行った。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」
吹き上げる風が雨雲を呼んだ。そして、雷鳴が轟いて来たのである。
突如の雨に周りの警官達が、咄嗟に頭を手で覆っていた。
「俺ができるんはこのくらいや……朔夜待っとれ!今戻る!」
一気にマンション周りに上昇気流のマットを敷き詰める術をも施し、直紀に一礼すると叶は505室へと向った。
「こんな術が使えるのか……意外にお前付の陰陽師もやるじゃん?しかし、雨はオレに味方してくれるんだぞ……すなわちそれを相生と云う」
雷雨の中、雅樹は樹木を上手く操りながら雅樹は云う。
「しかし、今この手を摩したとしても地上の風のマットが守ってくれると云う訳か……よかろう、その心根だけでも組んで、この供物を手放そうか……」
そう云うと、スッと腕を下ろした。その為に二宮和恵の身体は地上へとまっ逆さまに落ちて行った。それを見守る雅樹。しかし下降して行くその身体は、何故か途中でガクンと止まった。
それは505室の部屋の前であった。
「何!」
気絶していたハズの神楽が無理矢理意識を取り戻し、窓際で二宮和恵の身体を両腕で掴んでいたのである。
そこに駆け込んで来た叶が自由の効く左腕で神楽と二宮和恵を部屋へと引き込んだ。
「無理するんやから……まったくこのお嬢さんは……」
自分の事を棚に上げてそんな事を云うと、叶は窓際から朔夜にニマリと笑ってOKサインを出す。ホッと一息つく朔夜。それに気が付いた雅樹は、急に取り乱した。樹木を上手く操れなくなったのである。
「神楽姉さん……」
表情が先程と異なる。
頭を抱え、うめき声をあげると、雅樹を包み込んでいた枝のカが弱まりふっと地上に落下しそうになった。それに気がつき、朔夜はその雅樹の手を取り上げた。下は上昇気流のマットが有ると云っても、やはり落ちて行く人を助けずにはいられなかった。
「なぜ……」
雅樹の身体の重みが、朔夜の右腕に掛かる。ギシギシと骨が軋む。これが命の重み。こんなに重いと自らも落ちてしまいそうだ。しかも、この天候で、濡れた肌が滑りやすい。
そこに、叶と神楽が現れ、三人掛かりで雅樹を屋上に引きずり上げたのである。
引きずりあげられた雅樹は、
「何故助けるような真似をする!オレはお前などに助けられる謂れなど無い!」
怒りに震えた雅樹を見下ろしていた三人であったが、その次の舜悶『パシーン』と、その横っ面を渾身のカを振り絞って神楽が叩いていた。
「何云っているの!こんな風に身を呈して助けてくれるなんて人、他にいやしないわよ!何寝云っているの!自分だけが不幸だなんて思わないでちょうだい!」
神楽の怒った顔なんて初めて見たとでもいう風に雅樹は驚きの表情で見上げていた。その周りは雷を轟かせる雨が叩き付けていた。もう四人ともずぶ濡れである。
「わたくしは……雅樹の抱えている辛さなんて分からないわよ!わたくしの感情が、意識が……あなただけに注がれている事を……毎夜魘されていたあなたの事を聞かされた時は辛かったわよ。でもわたくしだって、いつ術を使われお母さまのように命を落とす事になるか気が気では無かったわ!この気持ちは、雅樹、あなたには分からないでしょう?だから初めからこんなカに頼らずに、生きようって……決めたじゃ無い……もう忘れ……」
そこで、神楽は崩れるよう意識を失った。全てを吐き捨てて迄云いたかった事はもう言葉として出ては来なかった。降り続ける雨が神楽の熱を奪い取って行ったかのように……その様子を見ていた朔夜は駆け寄った。
「ふはははは……云いたい事はそれだけか?どこまでも甘いんだよ。姉さんは!」
再び樹木を呼び起こした雅樹は宙に舞った。また、一段と人格が変わってしまったかのようで……雅樹今度はドンドンと空高くその樹水の蔓を伸ばして行った。
「賭けは引き分けと云う事にしておきましょうか?都往朔夜!次逢うのはいつになるかわからないが、お前がキョウと関係が有る限りは、またいずれ何処かで逢うだろうよ!勿論、敵としてな!既に別件で運命の輪は回り始めている……」
意味の分からない捨て台詞を吐きながら、暗雲立ち篭める空の彼方へと雅樹は去って行ったのである。