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湖の草原

作者: 樫宮穂月

 こんな夢を見た。

 私は草原にいる。

 空はない。空間はひずんでそこで切れている。

 いや――窪んだところだから、草の終わりが世界の果てのように思えていただけかもしれない。楕円形の大きな窪みの中にふたつの窪みがあった。ああ、ここはむかし湖だったのだ。

 音のない場所で、私は歩く。温度のない風を受けながら、下へとおりていく。

 誰かがいる。窪みの中に立っている。彼は私の方を見ると、ふわりとほどけるようにほほえんだ。それにつられ、私も唇を綻ばせる。

「ここで何をしているんですか?」

 でも――。

 そう話しかけた途端、彼は目を見開いて草原から消えてしまった。驚きと、わずかな憎しみを残していなくなった。

 

 私は途方に暮れて、山をさまよった。どうやって草原を抜け出したのかは分からないけれど、歩いているうちにいつの間にかちがうところに来ていたのだ。こういうことはよくある。

 猪や豚に似た動物が歩いてる。大きさは猪で、つるりとした桃色の肌は豚のものだ。顔はまるで絵のようで、こんな生き物は見たことがない。図鑑にも載っていないだろう。だとすれば新種なのか。

 ――きっとそうなのだろう。何の抵抗もなく受け入れて、私はとおりすぎる。他にもかわった生き物がいたような気がするけれど、覚えていない。


 しばらく行くと、家らしきものがあった。木造の、草に埋もれてしまいそうな古い家だ。

 誰かいませんか――戸をたたき呼ばうが声はない。私は諦めて、また歩きはじめた。

 

 そうして、私は少年に出会った。

 どうやら誰もいない家を改造して住めるようにしているらしい。見た目も形も歪だけど大きな家だった。

 まるきり人がいないというわけではなかったのだ。荒涼とした淋しさが流れていたから、てっきり誰もいないところへひとり放りだされたと思っていた。自然は豊かだけれど、それは人の手の加わらない太古のままの繫茂だ。心が和むということはない。恐ろしい――畏怖の念しか(いだ)けない。それは、あてどなく彷徨した心もとなさからきているのかもしれないけれど。

 少年に誘われて、私はそこに住むことになった。

 そこには少年の仲間だというふたりの男の子がいた。男の子たちは私を歓迎してくれた。一緒にご飯をつくり、一緒に話して、一緒に寝て――私たちはいつも一緒だった。

「ここで海藻を育ててるんだ」

 苔むしたプールは深緑。足を入れるだけでどろどろしそうだ。遠くの黒が揺らめく。呼吸をしているのだろうか。

「いろんな種類がまじったりはしない?」

「大丈夫、底にはりついてるから」

 男の子たちは何のためらいもなく足を浸けた。夕食の材料にするのだ。私は飛沫(しぶき)がかからぬよう壁に貼りついた。しかし、このままじっと見ているのもなんである。私は何か仕事はないかと風呂場に向かった。

 行くと、何やら外が騒がしかった。風呂場の外はテラスになっている。外に出ると、老人たちがはかりに日用品を載せて量っていた。襤褸をまとい、垢まみれの顔で順番を待っている。きっとはじめに見た家はこの老人のものなのだろう。ここはもうだめだから、家を捨てて別のところへ移るのだという。

 ふと顔を上げると、誰かが自転車で駆けていくのが見えた。あれは草原で見た彼だ。それに続いて、二、三人の男が自転車で走る。私は胸騒ぎを覚えて少年たちの姿を探した。

「ああここにいたの。この人たちがもういらないから布団くれるって」

 少年たちはいつの間にか外に出ていた。嬉しそうな顔で枕やらトイレットペーパーやらを抱えている。

「あ――それはよかったね」

「これでようやくひとりずつ寝れるよ」

「狭っ苦しい生活から解放されるね」

 少年たちは無邪気に笑いあっている。

 どうしよう、言わなくちゃ。はやく言わないと――。

「あ、あのね。私見たの」

「何を?」

 必死に腕をつかむ私を見て、少年は怪訝そうに首を傾げた。

「三人の男の人が自転車ですごい勢いで走っていったの」

 少年たちはさっと色を失くし、その場に凍りついた。

「私――前にも彼に会ったことがある。あの湖の草原に立っていたの」

「……どうしてはやく言わないんだ」

「だって……」

 君が話していたんじゃないか。私はその言葉を飲み込んだ。人の話に割り込むのはどうしても気が引けてしまう。そんな場合じゃないって分かってはいるのに。

「その男は、草原で何をしていたの?」

「ただぼんやり立っていたよ。目が合うと笑って、話しかけたらいなくなった」

「そいつはどんな風に笑った?」

「とろけるような――でも、少しだけ淋しそうな笑顔だった」

 少年たちは荷物を投げ出して走り出した。

 私は知っている。彼らは世界を壊そうとしているのだ。

 彼がもう一度あそこに立った時、世界は終わる。

 彼が私を見てなぜほほえんだのかは分からない。ようやく終わると微睡(まどろ)んでいたのかもしれない。でも、私は彼を知っているような気がする。はじめてなのに、どこか懐かしい。彼はきっと流されるだけの日常を破壊しようとしている。

 ――あれは私。

 ――彼は私。

 ああ、彼に会いに行かなくては。

 奇妙な動物たちの群れを追い越して、私は湖の草原に向かった。


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