三、「わかってきたでしょ?」
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り始めると共に、愛知は教室に入った。
あまり休み時間中に彼女たちの前をうろうろするのはよくない。それでは彼女たちの格好の的だ。
だからこそ、愛知は昼休みが始まるとすぐに教室を出て、次の授業が始まるギリギリの時間に戻ってくるのだ。
しかし、今日は運悪く次の授業を担当する教師が来るのが遅かった。
それがどうということではない。
別に教師が早くきていたとしても、その悲劇は放課後にでも実行されただろう。
だが事実として、教師が来ないのをいいことに、愛知を苛める女子たちは授業が始まる前に、いつも通り虐めを実行したのだ。
だが、今回の虐めは普段の虐めとは主旨が違うものだった。
「ねえ、安曇野さん」
朝と同じように、金髪の女子―――一乗谷を筆頭に、数人の女子が愛知の周りを取り囲んだ。
彼女たちの表情に朝のような余裕はない。
なんというか、堪忍袋の緒が切れた、とでも言いたげな表情で愛知を睨みつけていた。
「安曇野さん、あなた、昼休み中屋上で羽黒先生と二人きりだったって、本当かしら?」
――――――…そういうことか。
羽黒は確かに変人ではあるが、ルックスはかなりの上物である。
女子にモテないはずがない。
おそらく一乗谷も羽黒に恋心でも抱いているのだろう。
ミーハーもいいところだ。
「そう…だけど…それが何か?」
「それがなにか?じゃないわよ!」
ガン、と一乗谷が愛知の机を蹴りとばす。
「なんであんたが羽黒先生と一緒にいるわけ!?意味わかんない!ふざけんなよ!あんたみたいなクズが、あんたみたいなクズが!羽黒先生と話していいわけがないでしょぉ!?もう二度と羽黒先生に近づかないで!」
一乗谷は堰を切ったかのように憤慨した。
というか意味が分からないのは愛知のほうだ。
生徒が教師と話してはいけない理由が見当たらない。
すると、先ほどまで目尻を吊り上げ、鬼のような形相をしていた一乗谷が、にやり、と笑った。
「そうだぁ、いいこと思いついたぁ」
そう言ってふらふらと自分の席に戻った一乗谷は、何かを手に持ってこちら側に戻ってきた。
その手には、カッター、が握られていた。
「その顔、そのぶっさいくな顔、私が切り取ってあげるね?もう二度と羽黒先生の前に出られないようにさぁ!」
きちきち、とカッターの刃を出す音が響いて、辺りは騒然とした。
「ちょ…紀子、何やってんの?それは流石にまずいんじゃぁ…」
「うるさいなぁ!黙ってろよ!私に逆らうっていうの!?」
一乗谷は心配そうに声をかけた右側の女子を睨みつける。
睨みつけられたその女子は黙り込んでしまった。
一乗谷には逆らえない。
友達も、教師も。
愛知が縋る様に周りを見ると、だれも愛知のほうを見てはいなかった。
知らぬ顔を決め込もうとしている。
「さーて、安曇野さん、その顔、真っ赤にしてあげる。きっとそのほうがかわいいんじゃないの?きゃははははは!」
「ま、待って、やめて…!」
逃げようにも腕を強く掴まれてしまい、逃げ出せない。
目の前にカッターの刃が迫ってくる。
誰も助けてくれない。
もう彼女の友人も止めようとすらしない。
皆自分が傷づくのが怖いから。
「思いやりとか、優しさとか、そういうのが人間の根底にあると、俺は思いたいよ」
…ねぇ、先生。
こんな状態でも同じことが言えるんですか?
人間の根底が優しさだなんて、言えるんですか?
こんな現状を見ても。
先生が言ってたこと、全然理解できないよ。
代わりに、わかってきたでしょ?
人間の本質が。
根底が、真髄が。
人間の本質は、
「悪」だ。




