名無しのツインテール
くそっ、なんだコイツは!? 【ピン・小太刀】だと、ざけた名前しやがって。どこのどいつだ?
甲殻獣ガニドゥーマ討伐タイム1′27″47? この俺のベストタイム1′30″55を3秒以上も上回っていやがる。畜生め。
油の付着した右の人差し指と親指を舐め、代わりに付いた唾液をテーブルナプキンで拭きとる。フライドポテトをつまみながらやっているせいで、液晶画面の右側に配置されているボタンがぬるぬるする。
すれ違い通信で俺の下に送られてきた、狩猟ゲームのギルドカード。俺は目を疑った。
なんだかザリガニっぽい見てくれの甲殻獣ガニドゥーマの討伐に関して、俺はこの地域一帯のユーザーに『スゲー!』と思われるだけのタイムを叩き出している。
これまで出会った中で最高タイムの奴、つまり2位――今は3位――のランキングの奴ですら5秒以上差があるのだ。ミリオンヒットでそれなりにプレイ人口を有するこの“狩りゲー”でだ。その実力は自分で言うのもなんだが、折り紙付きだと思っている。
それがだ。こんな【ピン・小太刀】みたいなふざけた名前の奴にあっさり抜かされるなんて。有り得ない。こんな事、あってはならない。
冷めたナゲットをマスタードソースにどっぷり浸けてから口に放り込む。くそ、味なんて分からない。コイツのせいだ。
狩りゲーのマイキャラを操って闘技場を訪れる。今すぐ、この場で記録を塗り替えてやる。
対戦モンスターとして、迷わずガニドゥーマを選択する。使用武器は日本刀。
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ああうぜえ! 早くしろ! おおおし、やってやる。
闘技開始。モンスターに向かって直進。5M越えの相手はまだこちらに気付かない。バカが。
――む、気付いたか。だが構わず直進。鼻先まで来たところで抜刀袈裟斬り、袈裟斬り、突き、逆手払い、薙払い飛び退き。
ガニドゥーマのハサミ振り下ろし攻撃を最速のタイミングでかわし、振り向き様に必殺斬り、必殺斬り、必殺斬り、超必殺斬り、のち納刀モーション。その僅か1秒の間に、汗を掻きまくった紙コップのコーラをストローで吸う。
ガニドゥーマがザリガニみたいな見てくれのクセに奇妙に咆哮する。怒りの合図だ。
だが俺はその間にも連撃を放つ。咆哮が終わると同時に、ガニドゥーマの正面から外れるように抜刀したまま反時計回りに回りだす。ボクシングで云う、アウトボックスの要領だ。
バカドゥーマのトロクサい3連ハサミ振り下ろしをやり過ごし、後方から袈裟に2回斬りつけ、キャンセル転がりで攻撃後硬直を減少させる。それを3度繰り返す。ポイントは次だ。
体力を減らし、怒ったバカドゥーマが大技シャボンビームで範囲攻撃を仕掛けてくる。それをギリギリのタイミングで前回り受け身でかわし、必殺斬りを叩き込むのだ。ここをミスればリタイアしてやり直しだ。タイム更新が絶望的になるからだ。実はこのテーブルについてから、これが7回目のチャレンジだった。全てここでミスったのだ。その度にイラつき、舌打ちを繰り返した。
今度こそ……っ! っしゃあ、かわしたあ! 必殺斬り、必殺斬り、必殺斬り、超必殺斬り! 納刀しながらアイテム欄は閃光弾を選択。
画面のカメラアングルを正面に戻し、バカドゥーマと目が合うタイミングを見計らう。今だ! 閃光弾を鼻先に投げつけ、視界を奪う。
と同時にアイテム欄から砥石を選び出し、切れ味の落ちた日本刀を研磨する。数秒のタイムロスではあるが、攻撃力の低下を防ぐ事で、結果的に討伐タイムは向上する事を経験則で知っている。
目が眩んでハサミを振り回すバカドゥーマに対し、一気呵成にたたみかける!
袈裟斬り、袈裟斬り、突き、逆手払い、必殺斬り、必殺斬り、キャンセル前転、袈裟斬り、袈裟斬り、突き、逆手払い、必殺斬り、必殺斬り、必殺斬り、超必殺斬り!……オラァ討伐!
討伐結果が表示されるまで30秒。興奮を抑えようと右手をポテトの群れに突っ込み、その束を口に放り込む。
「隣、いいですか?」
一瞬俺への言葉だとは気付かず、無視しそうになった。ああいいよ、の意味を込めて乱雑に置いた自分の角トレイを手元にずらす。
「失礼します」
そう言って隣に腰を下ろす女。そんな社交辞令など今の俺にとってはどうでもいい事なのだ。彼女いない歴=年齢の、童貞三十路になるまで一年を切った俺にとって、残された最後の矜持が、このガニドゥーマ討伐タイム一位の記録なのだ。
笑いたければ笑うがいい。いや既に隣の女は嘲笑を通り越して、キモいと苦虫を噛み潰したような顔をしているに違いない。
ならなんで俺の隣に座った? 混んでるのか? だが周囲の状況などどうでもいい。それより討伐タイムだ。画面が切り替わり、結果が表示される。緊張の一瞬。
……ぅおおおおっ! 1′29″13。自己ベストを1秒以上更新した。ネットの掲示板を見ても、1分30秒を切るのは間違いなくプロハンターの証だ。誇っていい。だが、上には上がいる。
俺がプロハンなら、この【ピン・小太刀】は神ハンターと言える。実際、27秒台など、ネットで見た限り片手に余る報告しか挙がっていない。
くそっ……何者だコイツは。
……ん? なんかチラチラ視界に入る髪がウザイな。隣の女か。どうせサイドポニーなんかして、『あたしカワイイでしょ』みたいなつもりなんだろうが、生憎俺は三次元女に興味は無い。
俺には俺の帰りを心待ちにしている二次元女、ミルクちゃんがいるのだ。帰ったらまた相手をしてやらねばならない。こんな女を相手にする道理は何もない。
「すごーい、30秒切ってる人初めて見た!」
「えっ」
まさか話しかけられると思っていなかったので、思わず吃驚して声をあげてしまった。そしてその女の顔を俺は初めて見た。
ツインテールだった。ばかな、ツインテールなどアニメかアイドルがしている所しか見た事はないぞ。っていうか俺の愛するミルクちゃんがそうだ。
しかもだ、不覚にもめちゃくちゃ可愛いと思ってしまった。これまで俺にとっては、地球外生命体にも等しかった三次元女。そんなものに一瞬でも心を奪われた俺は、自戒する。惑わされるな。これは罠だ。一口コーラをすする。氷が溶けた、薄い砂糖水のような味だった。
「すごいですね、私もそれやってますよ。面白いですよね」
思考停止。何語だ今のは。聞き間違いか? なんか共感を得る的な発言に聞こえたが。固まり、言葉を失くしている俺に、その女が話しかけてくる。
「いつも一人でやってるんですか?」
「あ、ああ」
「ふーん……楽しい?」
なんだと? 結局こうくるのか。友達もまともにいない、童貞ぼっちプレイヤーを馬鹿にしたいだけなのか。
俺はあからさまに嫌悪感を表情に出した。別にこんなツインテール女にどう思われようと、元々なんの関わりもないのだから、愛想よくする理由などどこにもない。
ただ、その可愛い顔は覚えておいてやる。帰ってから脳内陵辱してやる為に。馬鹿な奴め、飛んで火に入るなんとやらだ。
「……クスッ、やっぱり、ぼっちプレイなんですね」
この台詞に俺は思わずカッとなった。こんな場所で不釣り合いな男女が、肩を並べて座っているだけで衆目を集めるというのに、その上でどう見ても二十歳に届くかどうかの若い女に、童貞オヤジがコケにされたのだ。
いくらスルー能力の高い俺と言えど、この暴言に口を噤んでこのまま座っているなど、出来はしなかった。
ぼっちプレイヤーで悪かったな! お前もこんな所に一人で来るなんて、友達いないんじゃないのか、可哀相にな!
そう言おうとした時だった。
「私もなんです……」
そう言いながらツインテールが籐製のカゴバッグから俺のとは色違いのゲーム機を取り出した。
どうしていいのか分からないでいる俺は、取り敢えず残っている冷めたポテトを口へと運んでみる。何も解決しやしない。もっさもさする口をついてやっと出た言葉は、彼女には一体どんな風に聞こえただろうか。
「周りにいないの? やってる子」
「ううん、いるよ」
いるのかよ。何が私もなんですだ、やっぱ馬鹿にしてんのか。くそ、今晩の陵辱プランに地獄の蝋燭攻め追加だな。覚悟しやがれ、このツインテガールめ。
「でも」
…………へ?
「誰も私とは遊んでくれないの」
「……なんで」
なんだ、どうした。この期に及んで地獄の蝋燭攻めを嫌がるというのか? 俺のサディスティック魂は最早、お前の悲鳴というチンコン歌でしか鎮まらないのだ。諦めろ。
「私が入ると面白くないみたい」
「なんで? 多人数プレイが面白いんじゃないか」
まさか、同情を誘う作戦か? ふざけやがって。これ以上悪あがきするなら、地獄の内ももハダカ電球も追加するぞ。いいのか? 熱いぞ。
ツインテールは何も言わずに二つ折りのゲーム機を開いた。こちらからは見えないが、スリープモードからアクティブ状態に移行するはずだ。
何度かキー操作をした後、俺に画面を見せてきた。ギルドカードだ。俺が驚きの声をあげるまで数秒とかからなかった。
「まさか、君がピン・小太刀なのら!」
思わず声を荒げてしまった俺は、羞恥心に苛まれた。周囲の目が激しく痛かった。俺は滑舌が悪い訳ではなかったが、驚きのあまりつい噛んでしまった。若いツインテガールに向かって、ヘタをすれば「まさにキミでぴんこだちなのら!」などと叫んだように聞こえたかもしれない。こんなオッサンがだ。
「まさにキミでぴんこだちなのら!」
これでは精神を疑われても弁解出来ない。チラッと覗き見た目の前のツインテールの顔は、耳まで真っ赤に染まった。
その反応が益々現場の空気を凍りつかせていく。
やめてくれー! 俺はただの童貞三十路前なんだ。そんな俺が、三次元女相手に「まさにキミでぴんこだちなのら!」などと言えるハズがない。おいツインテ、なんとか言え!
「うん……」
いやちょっと、その反応はダメだ。なんかメイクラヴの承諾をしたみたいな雰囲気じゃないか。
あああ、そこの店員、こっち見てんじゃねえ。くそ、火を噴きそうなくらいに顔が熱い。おいツインテ、なんとかしろ!
「私が入るとバランスが崩れて面白くないんだって。
ほら私って、夢中になると周りが見えなくなっちゃうから、それでいつも無双しちゃうの」
いや、ほらとか言われても知らねーよ。お前の事なんか。ツインテ無双ガールか。
……いやまて。なんか今大事な話をしてないか?
「んん、それはつまりプレイヤースキルがつり合わないって事か。
そして更に君が空気を読めないって事が問題なワケか」
ツインテールはうう、と唸った後に自己弁護を始めた。
「そこそこ上手い人はいたんだよ。みんな男だけど。
最初は一緒にやれて楽しかったの。
でも、だんだん喧嘩になっちゃって」
「ああ、なるほど。若者同士でやってて、でしゃばり過ぎると煙たがられるってのは分かるなあ」
どうやら耳に痛い言葉のようだ。ド派手なハズのツインテールも少々しぼんで見える。ふとガラス越しに外を眺めると、いつの間にかすっかり暗くなっていた。恥もかいたし、もうあまり長居はしたくない。
「んで、結局君は俺に何か用なのか?」
「んん……」
ツインテールが口ごもった。言いにくい事なのか? 隣の席というのは、意外と相手の表情が見えないものだということを、俺はこの時知った。
「おじさ……お兄さんなら、私とつりあうかなと思って」
「どう見たってアンバランスだろう。
お世辞じゃなく君はモテるだろ、俺みたいなのをからかうなよ」
「ゲームの話だよ。
だってお兄さんガニドゥーマ1分30秒切れるプロハンなんだもん。
腕は私と同じくらい有るはずだよ」
「まあ、その自信はあるな」
「でしょ。それにお兄さんなら、私の動きに合わせてくれそうだし」
なんだ、純粋にゲームが好きなだけか、意外だな。でもごめんよ、俺協力プレイやったことないから全然やり方も知らないんだ。
「大丈夫、やり方は教えてあげるから」
なんで考えてる事がバレたんだ。そのツインテールはもしかしてテレパシー機能でも付いているのか。
……だけど、ここまで頼まれて断る理由が、俺にはもう見つけられなかった。まあカワイイし、ツインテールだし。あれ? 俺はいつの間に三次元女とこんなに話せるようになったんだ?
「……分かったよ」
「やった」
ツインテールが嬉しそうに破顔した。それを見た俺は、人生で初めてかもしれない、暖かい気持ちを胸に抱いた。だが何事も上手くいくなどという事は、そう有るものではない。
「でもごめん。今日は無理みたいだ」
そう言って、バッテリー切れを知らせる赤いランプを見せた。途端に曇る、ツインテールの表情。少しだけ胸が痛んだ気がした。
「じゃ、じゃあ携帯の番号とメールアドレスを教えてあげるよ」
俺は手帳の余白を破り、自身の連絡先を記入し彼女に手渡した。赤外線通信は、敢えて使わなかった。なぜなら。
「君の連絡先は聞かないでおくよ。そういうのした事ないから……」
若気の至りという事もある。相手の自由意志に委ねてやるのが大人ってモンだろう。
「じゃあ」
自分の角トレイを持って退席する。ゴミを分別し、振り返る事もなくそのまま店舗を後にする。
マイカーのスカイラインR34型に乗り込み、エンジンをかける。直列6気筒DOHCがうなり声をあげ、車検時に交換して以来手付かずの、少々古くなったファンベルトがきゅるきゅると音をたてる。
チラッと店内を流し見た。結局名前も聞かなかったツインテ無双ガールは、なにやらクエストをこなしているようだった。果たして彼女は連絡を寄越すのだろうか。もし、数日してもメールも電話もなかったら……?
「……この店、足繁く通う事になりそうだな」
一人呟き、アクセルを吹かして発進する。家路につくまでの10分程のドライブが、妙に楽しくて。
「ヒィーホォー!」
奇声と共に、スピーカーから流れるお気に入りのスラッシュメタルに合わせて、俺は激しくヘッドバンキングしていた。 おかげで一時停止の標識を見逃して、警察車両に捕まった。2点ゲット&科料確定。くそっ、ツいてないぜ。
路肩に停められたパトカーの後部座席。ヘルメットを被った男にあーだこーだ言われ、なすがままの俺。赤色灯が辺りを順繰りに照らし、通行人の視線が誘蛾灯にたかる虫のように集まる。くそ、こっち見んな!
ヘルメットポリスマンの説教を馬耳東風とばかりに聞き流し、窓を見る。回転灯の光の加減で、一定の間隔で窓に写る、オッサンの顔。俺だ。
「あなた、聞いてます? 何がそんなに嬉しいんですか?
クスリの陽性反応でも調べましょうか?」
「結構です」
即答で拒否した。検尿結果で、日課の成果が出ましたなんて言われては堪らない。
しかし俺、三次元女には興味なかった筈なんだけどな。名無しのツインテールか……
もしかして俺……まほーつかいに。
――なり損ねたりするかも。
裏設定です。ツインテールの名前はコダチ。多人数参加ゲームを一人でやっている、つまりピンである。ピン芸人のピンですね。すなわち、自身への皮肉を込めたハンターネームなのです。
そして彼女がやっているのは2ndキャラである。
やり込みゲーで、性別やスタイルを変えて別キャラで初めからやり直すというのは、よくある話です。
私の場合、強さ重視の男キャラと、強さやスキルなど度外視した、見た目重視装備の女キャラでやっています。
そして2ndキャラはえてして、名前がふざけたモノになったりするものです。
だから若いツインテールがあのようなふざけたハンターネームであっても、何もおかしくないのです。それに彼女は、男性諸氏が思うようなお下劣な捉え方には気付いていなかったのでした。