第9話 魔王、再検査へ!〜人間ドックという名の試練〜
朝の通勤電車の中で、黒田はどこか沈んでいた。
窓に映る自分の顔がやけに青白い。
今日は――再検査の日である。
「黒田さん! いよいよですね、再検査!」
向かいの席からミナミが笑顔で手を振る。
なぜか弁当箱のような紙袋を抱えている。
「……なぜ貴様まで付いてくるのだ」
「え? だって黒田さん、一人で行かせたら絶対逃げそうだし」
「私は小学生か」
「心配なんです、ほんと。血液検査のときも青ざめてましたよ」
「……あれは魔――いや、貧血だ」
黒田は言葉を詰まらせた。
“魔力が漏れる”とは、さすがに言えない。
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東都総合クリニック。
ガラス張りの建物を見上げて、黒田はため息をつく。
「……人間たちは、魂の浄化場をこんな明るく建てるのか」
「病院にそんな宗教観いりません!」
「……どうやら今日も苦行の予感がする」
「苦行じゃなくて健康管理です!」
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受付を済ませて案内された採血室。
部屋の奥から現れたのは、明るい声の女性だった。
「黒田さ〜ん、ミナミさ〜んですね! お待ちしてました〜」
白衣姿の看護師が笑顔で手を振る。
胸のネームプレートには「看護師・シラトリ」とある。
柔らかな口調と人懐っこい笑顔。だがその目は妙に観察力が鋭い。
「今日は再検査なんですね。大丈夫です、すぐ終わりますよ〜!」
「……本当に“すぐ”なのか?」
「はい、ちょっとチクッとするだけです。チクッと!」
にこにこと笑うシラトリ。
黒田の中に、よくわからない恐怖がよみがえる。
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腕を差し出す黒田。
シラトリがアルコール綿で拭きながら話しかけた。
「黒田さん、前回の検査、ちょっと不思議な反応が出たみたいですね〜」
「ふ、不思議?」
「うん。血液がちょっと光ってたとか。技師さんびっくりしてました」
「(やはりか!)」
黒田の心臓が跳ねる。
シラトリは首をかしげながら続けた。
「でもね、たまにあるんですよ〜。ストレスとか、寝不足とかで。人間の体って不思議〜」
黒田は思わずうなずいた。
「……そうだな。人間の身体は……非常に、神秘的だ」
「ですよね! なんか黒田さん、言い方が哲学っぽい!」
ミナミがクスクス笑っている。
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針が近づく。
黒田は全神経を集中させた。
魔力の流出を防ぎ、完全に“人間”を演じねばならぬ。
「じゃあ、いきますね〜。チクッと……」
――ブスッ。
「……!」
黒田の体がピクッと跳ねた瞬間、室内の電球がパチンッと一瞬だけ明滅した。
「わっ、停電ですか!?」ミナミが驚く。
「だ、大丈夫ですよ〜。この部屋よくあるんです」
シラトリは慣れた様子で笑いながら、試験管を軽く振った。
中の血液が、わずかに赤紫に光る。
「ん? 綺麗な色……」
シラトリがうっとりと見つめた。
「ちょっと幻想的〜。なんか、ワインみたい」
「それを飲むな」
「飲みません!」
ミナミは笑いながらスマホを構えた。
「写真撮っていいですか?」
「やめろ!」
「え、インスタ映えするのに!」
黒田は深く息を吐いた。魔力が抜けかけている。危ない。
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採血が終わると、シラトリが満足げにうなずいた。
「はい、上手にできました〜! 黒田さん、ほんと血の流れが力強いですね!」
「……そうか。ありがたいことだ」
「なんかスポーツされてました?」
「えっと……千年前に少々」
「え?」
「いや、冗談だ」
ミナミが吹き出す。
「黒田さん、ボケるタイミング完璧ですね」
「ボケではない」
「いや、完全にボケですよ」
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検査が終わり、休憩スペースでコーヒーを飲む三人。
ミナミがストローをくるくる回しながら言った。
「シラトリさんって明るいですね〜」
「え〜、そうですか? ありがとうございます!」
「でも、なんか黒田さんと波長合ってますね」
「えっ、そうですか? 私、黒田さんみたいな“寡黙な人”タイプなんですよね〜」
「(な、なに?)」黒田が思わず咳き込む。
シラトリがにこりと微笑む。
「なんか、影があってミステリアスで……でも優しい。そういう人って惹かれません?」
ミナミが「わかる〜!」と頷く。
「でも黒田さん、ちょっと中二っぽいですけどね」
「なぜ否定のあとに“ぽい”を付ける」
「やっぱり否定はできないんですね」
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そのとき、シラトリのポケットの中でスマホが鳴った。
彼女が画面を見て、目を丸くする。
「あれっ、検査室から連絡……あー、黒田さんの血液、ちょっと“珍しい反応”が出てるみたいで」
「珍しい反応?」
「光るんですって!」
ミナミ「え、やっぱり光ってたんだ!」
黒田「いや、それは……照明の反射だ」
シラトリ「えーでも、反射でここまで光らないですよね〜。なんか“生命エネルギー”が強いっていうか!」
黒田「……(核心を突くな、この娘)」
シラトリが笑いながらメモを取る。
「面白いな〜、黒田さんって。普通の人より、なんか“生きてる感”があるんですよね」
「それは……よく言われる」
「ですよね〜! なんか人間味が深いっていうか」
黒田はふっと笑った。
“人間味”――それは、かつて最も遠い存在だった言葉だ。
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数日後。
再検査の結果は――「異常なし」。
「黒田さん、すごいですよ!」
ミナミが結果票を見せながらはしゃいでいる。
「健康そのもの! 血もピカピカ!」
「……光ってたのでは?」
「え? 褒め言葉ですよ!」
そこへシラトリからメッセージが届く。
《検査データ、見てて面白かったです! また採血させてくださいね♡》
黒田は小さくため息をついた。
「……なぜ、人間の女は“血を抜く”ことにそんな喜びを覚えるのだ」
「黒田さん、それホラーです」
「いや、現実だ」
二人の笑い声がオフィスに響いた。
黒田はそっと心の中で呟いた。
――魔界でも人間界でも、“血の繋がり”とは不思議な縁だ。




