第8話 健康診断バレ寸前!〜魔王、血を抜かれる〜
年に一度の健康診断の日。
社内は朝から、妙な緊張感と憂鬱が入り混じっていた。
「黒田さん、行きますよ!」
元気いっぱいの声が背後から飛んできた。ミナミだ。
白衣を着た看護師のような明るさで、なぜか社員たちを引き連れて健診会場へ向かっている。
「……私は、こういう行事には詳しくないのだが」
「そんな人いませんよ。会社員の常識です! 血液検査、心電図、あと身長と体重測定です」
「血液……?」
黒田は一瞬、眉をひそめた。
――まて、血液とは、あの、魂のエネルギーを構成する重要な……。
「ちょ、ちょっと待てミナミ君。私、そういうのは、あまり得意では……」
「注射嫌いなんですか? 黒田さん、意外にかわいいとこありますね!」
ミナミが笑いながら言う。
黒田の脳裏に、地獄の採血部隊の記憶がよぎった。
魔界では、血は魔力の根源であり、抜かれるなど屈辱中の屈辱である。
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会場の片隅で、黒田は腕を組んで順番を待っていた。
まわりの社員たちは和気あいあいと話している。
「ミナミ、血液検査って……どれくらい取るんだ?」
「んー、2ccくらいですよ。ちょっとチクッとするだけです!」
「チクッ……?」
「そう、チクッと! 黒田さん、そんなにビビってるんですか?」
「……ビビってなどいない。多少、生命エネルギーを奪われることに、警戒しているだけだ」
「え、なにそれカッコよく言っても注射ですけど」
ミナミがぷっと吹き出す。黒田はそっぽを向いた。
魔王がこのような屈辱的行為に怯えるなど、誰にも知られてはならない。
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順番が来た。
看護師が優しく言う。「はい、力抜いてくださいね〜」
黒田は腕を差し出した。
針が近づく。――その瞬間。
ビキッと空気が震えた。
わずかに魔力が漏れたのだ。
看護師「……あれ? 今、静電気……?」
ミナミ「え? なんか光りませんでした?」
黒田「気のせいだ」
額から冷や汗を垂らしながら、黒田は静かに視線を逸らした。
針が刺さる。黒田の指先がピクリと動いた。
看護師が血液を採取していく。
――瓶の中の液体が、わずかに黒く輝いた。
ミナミ「あ、今なんかキラッてしましたよね?」
看護師「気のせいですね〜。ちょっと珍しい色ですけど……」
黒田「いや、それは……照明の具合だ」
ミナミ「照明、そんなに魔界みたいじゃないですけど……?」
黒田「……なぜ“魔界”という単語が今出てきた?」
ミナミ「え、なんとなく? 黒田さんの雰囲気で」
黒田の心臓がドクンと跳ねた。
危うくバレるところだった。
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検査が終わり、休憩スペースで水を飲むミナミ。
「黒田さん、意外と平気でしたね。ほら、注射も大丈夫だったじゃないですか」
「……うむ、我が腕に通る細針など、羽虫の一刺しにも等しい」
「言い方が中二すぎますよ」
「む……いや、これはただの比喩表現だ」
黒田はそっと自分の腕をさすった。まだ針の跡が残っている。
ほんの少しだけ、魔力の流れが乱れているのがわかる。
「ところで黒田さん、健康診断って結果返ってくるじゃないですか。あれ、楽しみですよね!」
「結果……?」
「ええ、ほら、血糖値とか肝機能とか。数字で出るんですよ!」
「……っ!」
黒田の顔が引きつった。
――マズい。この身体、普通の人間とは構造が違う。
血中に魔素が含まれている。解析されれば……。
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数日後。
総務課の掲示板に「健康診断結果配布のお知らせ」と貼り出された。
黒田はおそるおそる封筒を受け取った。
中を開く。
《血液検査結果:判定不能》
「……ッ!」
紙が震えた。
同封のメモにはこうある。
《特殊な物質反応のため、再検査をお願いします。》
そこに現れたのがミナミだった。
「黒田さん! 再検査ですって! 珍しいですね!」
「……いや、私は特異体質でな……」
「もしかして、超人ですか? 血が金色とか?」
「(それは否定できぬ)」
「え、今の間なんですか!?」
慌てて誤魔化す黒田。
だが、その時、ミナミが笑顔で言った。
「ま、なんか変でもいいじゃないですか。黒田さんは黒田さんですし!」
黒田は思わず固まった。
そんな言葉をかけられたのは――魔王時代以来、初めてだった。
「……そうか。うむ。では、再検査とやら、受けてみようではないか」
「さすが黒田さん、勇気ありますね!」
「勇気……いや、これは戦いだ」
「え、何と戦ってるんです?」
「己の血だ」
ミナミが吹き出す。
そして二人は笑いながら、再び健康診断室へと向かっていった。




