第6話 魔王、外回りに出る
朝。
オフィスの窓から射し込む光が、黒田の机を容赦なく照らしていた。
「黒田さん、今日の外回り、一緒ですよ!」
ミナミが元気よくやって来た。
その声に黒田は思わず顔を上げる。
「む……今日もその“外回り”という戦場に赴くのか」
「戦場って……まあ、確かにメンタル的には戦場ですけど!」
黒田は書類を抱え、社用車の助手席へ。
運転席のミナミは、エナジードリンク片手にハンドルを握る。
「では出発します、黒田さん!」
「うむ。出撃だ」
「いや、“出発”でいいです!」
◆渋滞と赤信号の陰謀
朝の都心は、まるで魔界の瘴気のような渋滞だった。
車列はほとんど動かず、ミナミはハンドルを叩く。
「うわー、これヤバいっす。最初の商談、ギリギリかも」
「ふむ……。なぜ止まる?この“信号”とやらのせいか」
「そうですよ。赤は止まれ。青は進め。黄色は……まあ無理しない」
「色で命令するとは、なんと単純な支配構造だ」
「支配構造!? 言い方ぁ!」
黒田は赤く光る信号を睨んだ。
まるで、己の前進を嘲笑うようだ。
(くだらぬ灯火ごときが、我を阻むとは……)
低く呟いた瞬間、黒田の目が一瞬だけ黒く光った。
ふっと、風が吹き抜ける。
「……黒田さん? 今、なんか風、巻きました?」
「なに、ただの自然現象だ」
「車内で!?」
次の瞬間、前方の信号が青へ。
続いて、左右の交差点すべての信号が青に変わった。
「え、ちょ、全部青!? やば、今日ツイてる!」
「ふ……人は時に、“運命の風”に乗るものだ」
「かっこよく言って誤魔化そうとしてます?」
ミナミが笑いながらアクセルを踏む。
黒田は内心、ひやりとする。
(……危うく魔力を使いすぎるところだった。信号如きに“支配”の呪文を使うとは、我ながら情けない……)
◆初訪問のトラブル
ようやく一件目のビルに到着。
取引先は広告代理店。ミナミが資料を確認していたが、急に顔が青ざめた。
「……あれ? 名刺ケースが、ない……」
「なに!?」
「ど、どうしよう! 初訪問なのに、名刺忘れとか致命的!」
鞄の中をひっくり返すミナミ。
黒田は一つ息を吐いた。
「……仕方あるまい」
「仕方ないって……?」
黒田が指を鳴らす。
――空間がゆらぎ、ミナミの手の中に名刺ケースが“すっ”と現れた。
「……あった!? え!? 鞄の底にあった!?」
「うむ。人間界の鞄は底が深いからな」
「いや、深くないですけど!?」
ミナミは不思議そうに首を傾げるが、時間がない。
「もう、なんでもいいっす! 行きましょう!」
黒田は胸をなでおろす。
(危なかった……次はもう少し控えねば)
◆営業魔王、言葉の壁にぶち当たる
商談は順調……かと思いきや。
黒田の口が、つい“魔王語”を漏らす。
「御社の案件、我が軍の戦略にも通ずるものがある」
「……え?」
「い、いや、我が“部署”の、だ」
ミナミが横で必死にフォローする。
「すみません、うちの黒田さん、比喩が壮大なんです」
「戦略家タイプなんですね!」と取引先。
なんとか丸く収まる。
商談後、ミナミはため息をついた。
「黒田さん、たまに中二病っぽいんですよね」
「ちゅう……に? 二つの世界を行き来する者、という意味か?」
「……まあ、間違ってはないかもです」
◆昼休みのカフェで
外回りの途中、二人はカフェで休憩を取る。
ミナミがカプチーノを飲みながら、黒田をじっと見る。
「黒田さんって、ほんと謎っすよね」
「謎?」
「なんか、機械とか疎いのに、やたら反応速度早いし。さっき信号も全部青になったし」
「それは偶然だ」
「あと、名刺ケース、どっから出したんですか?」
「鞄の深淵からだ」
「また変な言い回ししてる!」
ミナミは笑いながら、ふと真顔になる。
「でも、黒田さんって、意外と頼りになりますね」
「む……?」
「いつも落ち着いてるし、なんか“大物感”ある」
「ふ、ふむ……それは褒め言葉として受け取っておこう」
黒田は照れくさそうに視線を逸らした。
(まさか“元魔王”を人間界で“大物”と呼ぶとは……)
◆午後の悲劇:暴走する風力
三件目の商談へ向かう途中。
急に突風が吹き、ミナミの書類が宙を舞った。
「ああっ! 提案書が!」
黒田は反射的に手をかざす。
風が渦を巻き、紙が空中で静止した。
まるで見えない手に掴まれたように。
「……助かった!」
ミナミは書類をキャッチして笑った。
「黒田さん、すごい反射神経ですね!」
「う、うむ……多少、風の扱いには慣れている」
「風の扱い!? なんすかそのスキル!」
黒田は咳払いして誤魔化した。
(危ない、完全に魔力を使ってしまった……)
◆帰り道の会話
夕方。
オレンジ色の光がフロントガラスを染める中、ミナミがぽつりと呟く。
「黒田さんってさ、なんか“運”強くないですか?」
「運?」
「信号青、落し物発見、書類も無傷。まるで、“世界が味方してる”感じ」
「……ふむ。人は皆、己の信ずる道に世界を従わせるものだ」
「出た、哲学!」
ミナミが笑い転げる横で、黒田は外を見つめた。
ビルの向こうに沈む夕日が、魔界の赤い月を思い出させる。
(この世界は……不思議だな)
人間たちは、弱く、滑稽で、それでいて美しい。
そんなことを考えていた。
「黒田さん、明日も一緒に外回りですよ!」
「……ぬぅ、またか」
「えっ、嫌なんすか?」
「いや……悪くはない」
「ツンデレですか!?」
「その“デレ”とは何だ」
「説明すると長いです!」
ミナミの笑い声が、社内に響く。
今日もまた、黒田の一日は、やけに騒がしくて、どこか心地よかった。




