第二十話 霧と雲の違いは発生位置
『それで?ソウたちが怪異を掃除しているあいだにイチャイチャしていたンですか?』
あれから数分の時を経て、見かねたソウ先輩が一声掛けて来た。
「…ねぇ、そろそろ動かない?いろいろと感覚共有しているソウ先輩からイチャイチャするなって」
「イ、イチャイチャって………そんな…」
真由ちゃんが頬を赤くして否定する。…実際私も告白されたように感じたので、イチャイチャは間違っていないと思う。
未だ熱が下がらない真由ちゃんを連れて部屋を出る。彼女は俯いて表情を見せないが、手を引いて歩きだすと小走りで着いてきたので心配ないだろう。それよりも問題は女将が何処に居るかだ。木製の床を触れる度、ギシギシという音を奏でる。これでは敵に近づけば、直ぐにバレてしまうだろう。
そう考えている内に部屋を渡る通路へと出た。そこで気付く。通路の奥には奴らが居た。奴らの内の一体と目が合う。
「ごめん!」
「きゃっ!」
私は咄嗟に真由ちゃんを突き飛ばした。真由ちゃんは俯いて歩いた矢先に衝撃を受けたせいか、受け身を取ることなく尻餅を搗いた。そして奴らは此方を見つけた瞬間、嬉しそうに顔を歪め突進してくる。否、しようとしている。奴らは腕と足の一部が凍り付き、壁に固定されていた。しかし此方へと向かう熱意が凄まじいせいか、固定している氷は融け───いや砕けかけている。
「真由ちゃん、そこから出ないでね」
「え、いやわたしも手伝うよ。怪異でしょ、まかせて」
「…駄目。真由ちゃんには刺激が強すぎる」
「え~、そんなことな───」
バタンッと勢いよく足で扉を閉め、出てこられないよう背中で扉を押さえる。
「ちょっと!!なんでこんなことするの!?出してよ!!おーねーがーいー!!!」
彼女は出して欲しいと扉を叩き続けているが、私もその分本気で体重を掛ける。背中から伝わる衝撃が内臓に多大なダメージを負わせているものの、今開けてしまっては奴らと鉢合わせてしまう。…というか内臓のダメージが苦しい。テセウスの死体が無ければ致命傷だっただろう。
私が必死に扉を押さえている間、奴らは全ての拘束を破壊し、廊下に解き放たれた。あるモノは腕が千切れ、またあるモノは露出した脛骨とも腓骨とも分からない骨で地面を突き迫ってくる。
そんな奴らの服装は少し血が付着している以外、大した汚れがなく生前誰だったかが分かりやすい。だがよく見ると奴らの内の一体だけ、首からプラカードを掛けられている。そのプラカードの文字はこう書かれていた。
”こいつらの魂は預かっている。返してほしくば駐車場に来い”
舐めた要求だ。そんな見え透いた罠に乗る必要はない。だが魂を返して貰えば奴らは生き返るのか?もしそうであるのならば、私はそれを実行しなければならない。
「例え死体だろうが生体だろうが、殺せるというのなら従わせてみせろ徴収特権。支配下に置いた君達に命令する。総員、その場で停止しろ」
私がその意思を以て徴収特権を行使した瞬間、奴らの動きが止まった。しかし奴らは動きを止められているはずなのに一部揺れているモノ達が居る。恐らく前に居た奴らの影に隠れていたモノだろう。ここは一旦距離を取って出てきた瞬間、支配下に置けばいい。
しかし今は扉を押さえている為、ここから一歩も動けないことを思い出した。ならばと奴らの視界を共有しそこから発動しようとした時、部屋の中から窓ガラスが割れる音が聞こえた。
「ガァッ!」
その音に気を取られた隙に、まだ動ける奴らが咬みつこうと飛び掛かって来た。空中にいては奴らの動きを止めても衝突するだろう。
「黒口腔、壁に付いた凍った肉片も含めて丸呑みに」
私の命令を聞いた黒口腔がその場に居た奴らごと通路の奥まで丸ごと口の中に収めた。
『喰ッタゾ。噛ンデイイカ?』
「駄目。奴らはちゃんと治療するから」
何故か食べたがっている黒口腔を宥め、奴らを最後の一体まで支配下に置く。此方が一段落付いた為、私は急いで部屋の中を見たが、そこに真由ちゃんの姿は無かった。その代わり窓が内側から外側に破られ、土の上にガラスがばら撒かれている。……前からアグレッシブな子だと思っていたが、まさかここまでやるとは。
『ソウ先輩、真由ちゃんのこと探して。チョット不味い怪異と引き離そうとしたら逃げられた』
『へ?…え?…な、ナニやってるンですかアナタは!?コンナ危険な場所に女の子一人放置して───』
よし。これで問題ないだろう。今の真由ちゃんなら並みの怪異は倒せるし、玄関から入ると考えたら確実に出会う。後は奴らを何処に隠すかだ。真由ちゃんには絶対に見せられない。真由ちゃんだって、家族の死体は見たくないだろう。
この世界には動き出す死体が実在する。現在主流となっているのは西インド諸島発祥の怪異、【ンザンビ】だそうだ。さらにその派生形として咬まれると感染するという吸血鬼の性質を混ぜられた【ゾンビ】、人間以外の死体も動き出す【動物ゾンビ】、魂を抜き取られ意識がなくともあるように振る舞う【哲学的ゾンビ】、【哲学的ゾンビ】なのにゾンビのような挙動をする【ゾンビ哲学的ゾンビ】が存在する。
今襲い掛かってきたこいつ等は魂がなく、生命活動をしているのにゾンビの挙動をしていたことから【ゾンビ哲学的ゾンビ】だと分かる。【哲学的ゾンビ】は抜き取られた魂を戻すことで元に戻るらしい。【ゾンビ哲学的ゾンビ】は【哲学的ゾンビ】の派生だ。その性質も受け継いで…………受け継いで……受け継いでいてくれ、頼む。
兎も角相手もそれを分っていて人質にした。なら受け継いでいるはずだ。多分。
彼らの一体一体に手足をくっ付け傷を移転する。何事もなかったことにする為とは言え大量の肉片を消費してしまった。次の戦いは苦しいものとなるだろう。
そして魂を取りに行っている間に【ゾンビ哲学的ゾンビ】が見つかっては遠ざけた意味がない。先ほど支配下に入れたテレビの怪異に頼み、電脳空間で保管することにした。
「やはり便利だな、コレは。……折角だ。名前を付けてやろう。”液晶”を”門”として電脳空間を出入りする”霊”、君の名は液晶門霊だ」
液晶門霊と名付けられた存在は、喜びと悲しみの合わさった複雑な反応を示した後、仕事を果たして帰って行った。
「今のは…………文句を言わなかったからセーフでいいか」
一先ず門霊のことは置いておき、真由ちゃんの後を追うことにする。老紳士の左右一組の手で壁を掴み、ゆっくりと体を降ろそうとした。その時だ。
「バァ」
後ろから奇妙な声がした後に肩の肉が一部抉られる。遅れて乾いた音が耳に届く。
私はそれまでのゆったりとした下降から急速な自由落下へと切り替える。老紳士の手が壁を透過し、肉体が重力に導かれ大地に帰る。身体が大きな水溜まりと化す直前、魔の手で旅館の壁を押し出し転がりながら受け身を取る。
私の後を追い、後ろから撃った不届き者も窓から飛び出す。奴は私と違い、受け身も取らず頭から水溜まりと成った。その後、奴は足の力だけで立ち拳銃を構えた。
「ウヒ、ウッヒッヒッヒヒイ。ドウモ皆サン、コン罰ハ。ケイサツ!ケイサツ!逮捕スル!ヒヒッヒッヒッヒ」
それは確かに台頭警部補だった。目はあらぬ方向を向いていて焦点があっていなくとも、足の骨が折れていて内股になって立っていても、その身体だけは警部補だった。但しそこに魂がなく、明らかに別の悪霊に憑依されている。
「ミンナ死ンダ。罪ヲ償イ、贖イ、報イル。他ニ、ホカニ、ホカホカホカホカニ人ハナク、復讐ハ果タサレ………ナイ!!」
拳銃を持っていない左手で頭を掻きむしり脳味噌を露出させる。それでも掻くことを辞めずに手を赤と黄色の粘液、そして白子のようなモノまでも付着させた。彼が動く度、仄かに香る生ゴミのような臭いが鼻腔を擽る。鼻だけでなく脳裏も擽るこの刺激が、既に腐敗が始まっていると告げてくる。…今日は怪奇現象で霧が出ているが、多湿な環境が遺体の腐敗を速めたにしては早すぎる。これも怪奇現象か。
「…それで?君は一体全体何者だ?復讐とか言ってたけど…もしかして君が復讐者か?」
「フクシュウ?ソウダ、ワレワレハ復讐者。コノ宿デ死ンダ悲シキ女トカノ霊。長イ間、地下牢ニ閉ジ込コメラレテタ。デモワレワレハ再ビコノ地ニ現レタ。今コソ復讐ノ時。コノ宿許サナイ。ワレワレヲ犯シ殺シ攫イ閉ジ込メタ。ダカラ妻ノ仇ヲ苦シメル」
なるほど。確かにコレは女とかの霊だ。被害者の夫らしき意識も混ざっているらしい。
「じゃぁ何故無関係な人まで殺す?今使っているその人だって偶々この旅館に泊まっただけの警察だ。他の客だって…その……善良とは言い難い人も混ざっていたが無関係だった」
「コノ宿ニ泊マッタ。……コノ宿ニ泊マッタ!コレハ重罪!知ッテテ泊マッタ!知ランプリシテル!」
「えぇ?」
無茶苦茶な理屈だ。通るわけがない。だがこの霊は本気で信じている。何処も間違ったトコなどないと認識し改めない。何体もの霊と融合したせいか、将又長期間囚われたせいかマトモな思考が出来なくなっているのかもしれない。
「しかし君の言いたいことは分かった」
「ホントカ!」
「勿論。これ以上君達に無関係な人を殺させない、女将は司法に則った裁きを下す。それが生前の君達の願いだったと信じて、私が君達の望みを叶えてあげよう。その代わり、私の戦いに力を貸して欲しい」
「……シタイノハ復讐!オマエノハ恩讐!気ニ入ラナイ報酬ト体臭!皆殺シダゼココイラノ大衆!」
「元より無作為に人を襲う化け物に配慮は───いや待て、今体臭について気に入らないとか言ったか?温泉に入れなくした原因のくせに?」
思い返せば思い返す程、段々と腹が立ってきた。コイツはここで殺す。……違った。何時でも殺せる状況に持っていき支配する。
しかし相手は銃を持っている。私もテセウスの死体で傷を直せるが、脳を損傷した場合思考が出来なくなる。思考が出来なければ徴収特権も使えず傷を移せない。そうなれば詰みだ。しかもこの後に駐車場で魂を奪還する必要がある。それも真由ちゃんに悟られないよう一人でだ。
健二も呼ぶか?いや、もし呼んで逃げられたら彼に迷惑が掛かる。それに彼はちょっと動けるだけの一般人。寧ろ弾が当たる面積が大きくなる分、肉の消費が増える。今回は呼ばずに怪異の力だけで切り抜けるとしよう。
「ナニ黙ッテイル。…静カハ嫌イダ。……イツモ静寂ハ苦痛ノ前ニアル!仇、オマエハワレワレヲ拷問スル気カ!」
痺れを切らした霊が警部補の死体を操り一発の弾丸を放つ。その弾は寸分の狂いもなく私の心臓を穿った。
……これで二発目。
「当タッタ!当タッタ!コレガ正義ダ!オオ妻ヨ、仇ハ取ッタ……取ッテナイ!!」
妙にコミカルな霊は微動だにしない私を見て驚愕する。一方で私は老紳士の魔の手が体内の弾を摘出、テセウスの死体に傷を移し肉体の損傷を無効化する。この意識の差が次の行動の主導権を決める。
「捕まえた」
大地の中に透過させていた左右二本の魔の手を引き上げ鷲掴みにする、はずだった。
「!?」
実体化させたはずの手は死体を掴むことなくすり抜け、左手と右手で握手が出来てしまう。
「バカメ!ソレハ残像ダ!」
咄嗟に残った右の魔の手で眼孔から上を覆いガードする。遅れて三発の銃声が鳴り響いた。一発は魔の手に阻まれ、残りは左頬と首を貫く。ギリギリではあったが、ガード出来た。最重要な脳だけは守り抜けた。しかし身体が言うことを聞かず前のめりに倒れてしまう。
「マダ死ナナイ。仇、オマエハ一体何者ダ。怪異デハナク、ソレデイテ人ジャナイ」
先ほどの攻撃で頸椎を損傷したようだ。神経が切れている。テセウスの死体に傷を移転し治療したいが、頸椎に当たり残った弾丸が再生を阻害する。私は頭部を守る右手以外全ての魔の手を呼び戻した。左の魔の手で心臓を動かし、残った魔の手で横隔膜を無理やり動かす。動くことが出来ないが、これで延命が出来る。しかし喉に空いた穴から血が少量流れ込む。早く治療しないと窒息するだろう。
『増殖鬼、小さくなって弾丸を取り出せ。黒口腔は奴に食らいつけ』
黒口腔に命じて攻撃させる。だが何度やっても同じ結果だ。奴に触れた瞬間、その部位から霧散する。
幻覚か?私と黒口腔、同時に幻覚を見せられている?
『液晶門霊、窓の割れたその部屋から奴を見ろ』
門霊に確認させても同じ位置に奴の姿がある。つまり奴の能力は、霧で幻覚を見せる能力だ。そう考えると辻褄が合う。この館から逃れようとすると幻覚を見せて元の場所に戻らせていた。そうに違いない。だが能力が分かったところで勝てるわけじゃない。奴の本体は霧に紛れ姿を現さない。しかもこの霧は微弱な霊力を含むようで配下の怪異も探知しづらくなっている。時折ガラスを踏む音が聞こえることだけが幸いか。
喉へと到達した増殖鬼が残留物を全て摘出する。私は急いで傷を移転し再生を謀った。
「仇、オマエヤハリ治ッテイルナ。傷ガ治ッテイル。ダガ限界ガアルハズダ。何事ニモ限界ハアル。ソレコソ、外デ待機シテイル警官ドモカラ撃タレ続ケテモ死ナナイ、トカカ?」
「おい怪異がコッチに逃げたぞ!」
咄嗟に後ろを振り向く。耳を澄ますと幾つもの草木を掻き分ける音がした。外で待機している警官なら怪異用の特別な弾丸を所持しているはず。そんな物で撃たれたら魔の手が千切れ飛び、治せない程のダメージを与えられるだろう。
ガード用に二本の手を残し、付近の木を引っこ抜き投げつける。これで少しの時間稼ぎが出来たか。この隙に、奴を倒す。ガード用の手で眼孔の上下を分けて覆い、視界だけ保つ。そして先ほど木を引っこ抜いた手の内一本を左から、もう一本を右から伸ばし、視界にある大地を薙ぎ払う。しかしその手は何者にも触れることなく視界の端まで行き届く。
───ガシャン!!
直後ガラスが砕けた音が耳に届く。……ジャンプで躱したと見做していいだろう。
「必死ダナ。ナラ本当ニ死ヌノカ。………キャー!助けてー!!怪異に襲われてるの!!」
「!?」
この怪異、人間らしい声も出せたのか。いや、感心している場合じゃない。
『ならば此方も鳴き真似だ。黒口腔、被せて叫べ』
私が下した命令に従い、黒口腔の声帯が変形する。そこから放たれた悲鳴は迫真に迫るモノだった。
「キャー!助けてー!!怪異に襲われてるの!!助けキャー!怪異に襲てー!!われてるの!!襲わキャー!れて助け怪異にてー!!るの!!」
掻き分ける音の間隔が狭まった。被せたのは逆効果だったか。だがさっきのガラスの音から他に音はしていない。そこに居ることさえ分かれば、私の方が早く決着が付く。薙ぎ払った手を壁としてその地点を囲うように漂わせる。動こうとすれば即座に分かる、即席の結界だ。
「仇、オマエハワレワレヲ追イ詰メタ気ニナッテイルヨウダガ少シ違ウ。既ニ外部ノ警官ハ到着シテイル。閉ジ込メタトコロデ意味ハナイ」
私は真っ直ぐ奴に向かって走り出した。頸椎を損傷させたあの弾丸で五発。これ以上の銃撃は来ないだろうが、念の為防御は解かずに攻める。
踏み抜いたガラスが立てたパキリパキリという音が鎮魂歌のように感じられる。
「怪異発見!発砲許可求む!」
「待て!怪異が消えたぞ。一体どうなっているんだ」
「意味ハナイノダゾ。コノママデハ仇、オマエモ撃タレテ死ヌ。ソレヨリモ両者生き残る道を選ぼう。仇、オマエトワレワレガ手ヲ組メバ勝テナイ仇ハイナイ」
後ろの警官達が私達を見失う。目の前に居るはずのコイツが時間を稼いでくれたのか。しかしコイツにとって私も憎い仇の一人に見えているはず。共闘などありえない。
「ダカラコソ組ムベキダ。ワレワレハ復讐シ放題。憎イ奴ハ───フハハハハ。ナンチャッテ。銃ハ二丁アッタノダ!」
正面から五発の弾丸が放たれる。だが当然魔の手の防御を突破することが出来ずに弾かれる。
弾いた感触から進行方向をやや右に修正。この目線の先に奴が居る。
「クッ!ナラバ共倒レダ!ワレワレガ死ンデモ仇ハ討ツ!!」
「討つべき仇は女将でしょ!」
「!怪異再発見!!発砲許可ァ!!」
「許可する!!」
背後から放たれた弾丸が私達を肉片へと千切っていく。そこには人も怪異も違いはなかった。地面に撒かれた血肉が誰のものなのか。それを正確に判別出来たモノは存在しないだろう。目の前の壁に空けられた弾痕がフィルムのように私と奴を写し取る。これでハッキリ分かった。奴はそこに居る。
奴本体は弾丸を喰らい死にかけている。触れてしまえば徴収特権は発動するだろう。しかし───伸ばした手に、穴が開いた。開いた指が、千切れ飛ぶ。宙を舞う肉片は原型すら留めていない。あと一歩、いやあと一手足りない。
刑事の死体が持ってた二丁目の拳銃はもう一人の警察官のものです。こんなに人が出ては死ぬなら蛇足かな、と思って消したはずの巡査部長…。なぜか刑事の登場場面に”二人”と書いたままだったので、一言も喋らず描写されずで消えた謎の人物です。




