第十一話 滝行
俺の名前は山田 武。しがない小学一年生だ。このあいだ【幽霊屋敷】に行ったら勝てなくて自信喪失した。いや勝てなかったどころじゃない。手も足も出なかったんだ。俺の家系は肉体派の霊能力者で稼いでいる。そんな俺が物理で除霊できなかったら役立たずなんてもんじゃねぇ。だから修行することにした。
「ここが滝か。やべえデケェな」
俺は修行について何にも知らねぇから親父に聞いたんだ。そしたら健全な肉体は健全な精神に宿る。って言ってたんだ。だから滝行することにした。よくわかんねぇけど修行って言ったら滝行ってイメージがある。そんなイメージがあるくらいだ。健全な精神が鍛えられるに違いねぇ。そう思って早朝から滝に打たれて一分。一つの疑問がある。
「滝に打たれてどうすりゃいいんだ?俺こっから何も知らねぇぞ」
さらに一時間近く滝に打たれて考えた。そうだ。怪異を倒せばいいんだ。結局んとこ怪異を倒すためにやってんだ。怪異を倒せれば成果がでてる。
やはり俺は天才か。善は急げだ。すぐさま滝を飛び出し山を歩いた。
さらに三時間ぐらい歩いて山中を隈なく歩いた。そこで一つの洞窟を見つけた。この洞窟の中には簡単な寝床や食糧庫がありつい最近まで誰かがいた気配がした。そしてすぐさま追えるよう急いで洞窟を飛び出したところ、何かがこちらに向かって飛び込んで来た。
「いてぇ!」
それは矢だった。その矢が胸に深く突き刺さりそうになり、急いで掴む。間違いねぇ。俺は誰かに攻撃を受けている。しかも矢だ。当たったのが俺だったから軽傷で済んでが、もし俺以外が受けていたらと思うとゾッとする。そんな事実に我を忘れ矢が飛来した方向に突進する。
だが相手もバカじゃねぇ。当然俺が辿り付くころには移動している。しかも辿り着いた瞬間また別のところから狙撃しやがった。それは何とか避けることができたが、いつまでもこんな芸当を成功させられわけじゃねぇ。一度冷静になる必要がある。
「クソがよぉ!!誰だ!!さっきからチクチク・チマチマ俺を狙撃してんのはぁ!!!」
だから叫んだ。一度思いっきり叫んで少しは落ち着いた。奴はここの土地勘があって動きが早え。霊力で肉体を強化しているはずの俺が近づくまでに離れ切ってる。
「ならよぉ、もし獲物の俺が逃げたらどうすんだコイツ。もしかして追ってきたりすんじゃぁねぇのか」
全力でもって地面を蹴る。巻き上がった砂埃がそこで小さな爆発があったかのように吹き荒れる。目的地は俺の修行場所、滝。あそこは水辺なだけあって森の中より木々が少ない。川を渡ればそこを超えて追ってこようとする狙撃手の姿が見えるはず。そう思っているときだった。
「ぐぇ」
何かが足に引っかかった。よく見るとそれはロープだった。両端が別々の木々に結ばれて的確に転ぶよう張られていたのだろう。それが今では千切れある種錘となった木の枝とともに足に絡みついている。
「くっそーこんなことするか普通。こんなの早く引きちぎって」
ここで俺の直観が反応を示す。いや待て、ここまでする奴がただ黙ってロープ解くのを見ているわけがねぇ。案の定、その直感の正しさを証明したのは一条の矢だった。
「あぶねぇ!あと少しで当たるとこだったぜ。だがこれでしばらくは矢を撃てねぇ」
それが勘違いだったと証明したのもやはり一条の矢だった。先ほどより間隔が狭い。そうか。今まで奴は移動しながら撃っていたんだ。でも今は俺が動けなくなったから移動する必要が消えた。それで早く矢を撃ち続けられる。
急いで足元のロープを解く必要性が出てきたせいか余計に手が滑って作業が進まねぇ。しかもいつ矢が来るかわからねぇせいで移動用に片手を開けておく必要がある。もし両手が使えたのならこの縄を簡単に引きちぎることができたはずだ。そんなことを考えている内にいつの間にか俺は川に触れられる距離まで近づいていた。
「待て!これ以上は死んじまう!」
それでも構わず矢が飛来する。やはり相手は殺す気なのだろう。俺を川に落とす方向に矢が放たれている。だったらお望み通り川にに落ちてやる。ただし滝つぼに。
片手で思いっきり跳躍し、滝つぼの下に隠れる。矢は滝に押され軌道がブレる。それに水の泡が邪魔でこちらを見通すことができなくなる。その隙に両手を使いロープを引きちぎる。次の矢が来たら飛び出し捕まえてやろう。そんなことを考えて潜っていたが、一向に次の矢が来ない。逃げたのかと思ったが、最初に洞窟から出た瞬間狙撃されたことを思い出す。
水面から慎重に顔を出し辺りを見渡す。やはりと言うべきか狙撃手の姿はなく森は平穏そのものに見えた。どこからも狙撃されないことを確認するとゆっくりと上陸し、矢が飛んできた方向に歩く。その途中で足跡を見つけた。靴を履いていない人の足跡だ。だとすると今追っている奴は裸足で矢を撃ってきていることになる。果たしてそんな状態で俺より早く動けるのか。些か疑問に思う。
だとしても追わない選択肢はない。その思考に沿って辿っていくと周りに何もない平野に出た。さらに追っていくと平野の中央で途切れていることに気が付いた。
「そんなバカな!ここまで分岐もなにもなかったのに!」
さらに背中に矢が刺さる。急いで振り返るとそこには何らかの動物の毛皮を纏った男がいた。手に持った弓からこいつが狙撃手だったとわかる。そんな男が今、次の矢を番えながら一歩一歩とこちらに歩みを進めている。よく見るとそいつは自分の足跡の上を歩き、他の足跡が残らないよう工夫していた。
「その矢には毒が盛られている。ここまで随分手こずらされたが、お前ももうお終いだ」
油断をしているのかこちらに話しかけてくる。だがよく見るとその視線はこちらをじっと睨み据えていた。
取り敢えず周囲から霊気を集めて肉体能力の向上を謀った。毒を解毒するための時間を稼ぐ。
「いったい何のためにこんなことを?」
「どうせ言ってもわからないだろうが、教えてやる。山の神の生贄にするのだ」
「は?」
「俺は元々立派な社会人だった。だが無能な部下、保身の上司、趣味の合わない同僚。それら全てが嫌になりついには自殺未遂までいった。そして気づいたのだ、こんなことになっているのは人間がいるせいだと。だから俺は人間の居ない森の奥深くで自然的な生活をしていた。なのにお前達人間は!いつも邪魔をする!登山気分で山を荒らして楽しいか!?ゴミを捨てて楽だったか!?俺は怒った!二度と人間が寄り付かないよう結界を張ってもらうため生贄を捧げるのだ!」
絶句。あまりに突拍子もない話で口を挟むことができなかった。それよりもマズイことが一つある。それはまだ毒の解毒ができていないことだ。
「そろそろ毒が効いた頃か。止めだ、お前も生贄になるがいい」
マズイマズイマズイ。早く解毒しろ。もっと霊気を集めろ。限界まで集めろ。
そして放たれた矢は避けることもできずに額に刺さっていった。その矢は頭蓋を貫通し脳を損傷させていく。間違いなく即死だった。
「……これで今年も安泰だ。山の神には感謝せねば」
土壇場で集めきらなければの話だが。
「おい、山の神は生贄なんかいらないってよ」
「馬鹿な!?なぜ生きている!?」
頭の矢を引き抜きながら親父との会話を思い出す。
「なぁなぁ親父、どうやったら親父みたいに強くなれんの?」
「それはな、筋肉を鍛えることだ。心を鍛えるのもいい。健全な精神には健全な肉体が宿るからな。だが俺達のご先祖様はもっとすごいぞ。降霊術、つってな。霊を肉体に呼び込んでその霊の霊力と自分の霊力を合わせて戦うんだ。しかも半分霊体だから死ににくい」
「すげぇ!どうやったら俺もできんだ、それ!」
「う~ん。ご先祖様の一部ができてたって話だからなぁ。・・・きっと気合だ!物凄い気合がいるんだ!この世のもんは大体気合でどうにかなるからな!」
本当だったぜ、親父。死ぬかもって必死さが俺を新たなステージに持ち上げた。
「気合だ」
「ふざけるなよ馬鹿が!気合でどうにかなるものか!」
「いいや気合だ。大体のことは気合で何とかなる。けど逃げたお前にはわからないかもな」
その言葉が逆鱗に触れたかのように奴の怒号を引き出した。
「この世にはな!!気合でどうにかならないこともあるんだぞ!!」
「いいやお前は逃げた。確かに俺は複雑な人間関係なんて分からねぇ」
「ほらな!!!」
「だが!吹っ切れたか何だか知らねえけどなぁ、山で暮らして人間ぶっ殺すくらいのことができるなら!会社辞めて起業でも転職でもすりゃよかったじゃねぇか!!」
その言葉に初めて奴が大きく動揺してみせる。俺は説得できなかったときのため、少しずつ距離を詰める。あと五メートルというところまで来たとき奴が暴れ始めた。
「だから何だというのだ!もう一度お前を殺し!山と人とを分かつ!」
奴が持っていた矢を番え放ってくる。当然外すような距離ではない。吸い込まれたかの如く胸に向かってきた矢を避け、弓を掴みへし折る。小枝のように折れたそれを投げ捨て、次々と奴の武器を破壊していく。見えていた全ての武器を砕き終わる頃には奴がこちらを恐怖の目で見ていた。
「頼む、自首してくれ」
「へ?」
頭を下げてまで頼み込むことが予想外だったのか、随分と間抜けな声を上げる。
「さっきは逃げたなんて言って済まなかった。きっと何か耐えきれないことがあったんだろ。だが人を殺すのはやっちゃ駄目なことだ。だから罪を償ってほしい」
奴は暫く呆けた顔で動かなかった。そしてやっと事態を飲み込めたのかプルプルと震えだし、口を開いた。
「馬鹿なガキだな。それで素直に自首すると思うのか」
「もし自首しなかったら、俺が警察署にまで連れていく」
「俺は何人も山の神の生贄にするようなイカレた殺人鬼だぞ」
「お前は進んで殺してたわけじゃねだろ。刑務所出た後、好きな山で一人暮らしでもすればいい。ただし今度は人が寄り付かないような場所にしてくれ」
その言葉を聞き奴は少し顔を赤らめた後、顔を背け、僅かに声を震わせながらこう言った。
「本当に馬鹿なガキだ。俺の罪じゃ出れねぇよ」
そうして奴は一歩また一歩と歩いていった。不思議とその足取りから逃げたいという意思は感じられなかった。寧ろ最後の別れを惜しむような、悲哀の歩調だった。
額の傷が塞がっていることを確認し、降霊術を解除する。俺は疲れていたこともあり、何より彼の意思を尊重したかったため、その場から一歩も動くことはなかった。