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タッパーの中の優しさ

作者: 涼音

この作品は、地下アイドルと大学生という、

交わるはずのない日常を生きる2人が、

“生活”を通じて少しずつ心を通わせていく物語です。


現実味とフィクションのあわいを意識しながら、

登場人物たちの揺れる気持ちと、それぞれの過去に向き合って書きました。


まだ物語は途中ですが、彼らの“今”を感じていただけたら嬉しいです。

八巻遥加は上京して東京の大学に入学した。そこしこの偏差値のある大学に合格して、親も本人も満足していた。上京して一人暮らしをして、マンションを借りた。立派なマンションではないけれど、でも人が住むにはちょうどいい。

アルバイトもしないとと思って色々求人サイトを見たりしたが、なかなかこれといった条件が見つからなかった。探し方が悪いのかと色々考えてしまうが、とりあえず学校に支障がないようなアルバイトに応募して採用された。

大学にも馴染んで、友達も出来たところで遥加はある場所へと向かっていった。

——地下アイドルの場所だ。今日もチェキ券を何枚か買って推しとの接触を試みる。


遥加は生粋の男性アイドルが好きだった。昔からなんの抵抗もなく男性アイドルが好きでいた。それをあまり好ましく思っていない両親もいて、でもその事にも蓋をして生きてきた。

中学の時に、男性アイドルが好きだということがクラスメイトに広まってしまい「ゲイ疑惑」が沸いてしまう。ゲイなんじゃないのかとからかわれて、必死になって否定しても笑われるだけだった。そこから遥加は学校に通えなくなった。

親には詳しいことは言えなかったが、虐められて通えないと言うと、今は選択肢が沢山あるからと、無理に通学を進められなかったし、その分家でしっかり勉強して、画面の中のアイドルに慰められる生活を送っていた。

そんな中で自分の恋愛対象がなんなのかを考えた。幼い頃から男性アイドルが好きで、幼稚園の頃から女の子を好きになったことがない。今思えばまだ短い人生だけど、女性を恋愛感情でも性的な目でも見たことがなかった。現に同級生はグラビアアイドルの話で盛り上がってるのにその輪に入れない。入れなくたっていいけど、自分がどこかおかしいとは思っていた。

不登校の中で自問する中で、「ああ、俺は男が好きなんだな」というのが何となくわかった。それがわかったからと言って、親に言える訳でもないし、何かが解決する訳でもない。けれども自分自身のことを理解したのは大きい。

結局人と触れ合う事が怖くなった遥加は、通信制高校に通い、大学入学のために猛勉強をはかった。

晴れて大学に合格し、大学生の一歩を踏むことになる。これが新しい自分の人生の一歩だと思うと遥加は嬉しくなったし、自分も中学生の頃と違って一皮むけたなと感じた。

大学生になっても遥加は男性アイドルを追っかけていて、SNSのアイドルアカウントのタイムラインに遥加の顔の好みにそっくりな男の顔が急に流れてきた。フォロワーが引用して『かっこいい』と呟いている。

——ドクンと強く胸が鳴る。恐る恐る画像をタップして大きくしてみると、金髪のストレートヘアに、色素の薄い茶色の瞳、顔の輪郭が優しく描かれているから、穏やかな雰囲気にも見える王子様みたいな見た目。

かっこいいと素直に思った。この人はどこの事務所の所属なのだろうとアカウントのプロフィールを見てみると、地下アイドルと書いてあった。地下アイドルとは何か、遥加は分からなかった。「今日は18時からライブします」という告知ポストがあった。衝動。遥加はマップとにらめっこしながら走ってその場所へと向かう。チケットはさっきあったポストにリンクが貼ってあり、急いで電子チケットを買った。

急いで着くとそこには大勢の女性がいた。遥加は圧倒されてしまう。会場の中に入ると狭くて、男一人で来たのは変なことなのだろうかと考えてしまう。事実、遥加はアイドルの現場というのは初めてだからだ。今まではテレビの前で応援していただけだ。突っ立っていると着飾った女性に睨まれて、怖くなったので誰にも迷惑をかけない隅っこで見ることにした。

照明が暗転すると、黄色い悲鳴が響き渡って遥加の耳を揺らした。

「ソフィアだー!今日も盛り上がっていこうなー!」

ライブ会場は平面で段差がないため、前の女性はうろうろと身体を見えるように揺らしていたが、遥加は身長が170cmあるため、女性の頭を超えてステージを見ることが出来た。

初めてのライブ、初めての地下アイドル、初めてのことだらけで遥加は身体が震えた。

——いた、あの金髪の人。

五人組の真ん中に居たのが遥加が気になっていた金髪の彼である。マイクを持ち、軽やかに踊る姿に遥加は口を開けてみていた。

サラサラな金髪が踊る度に揺れ、合間には手を振ってファンサービスもして。遥加の理想通りのアイドルそのものだった。遥加は金髪の彼に見入っていた。

周りの歓声や曲なんてノイズキャンセルして、金髪の彼だけを追っていたら、ライブがあっという間に終わった。

「ちょっとぉ、邪魔なんですけど」

ライブ後の高揚感を味わっていると、これから撤収なのか周りは帰る準備をしていて、隣の女性に言われてしまった。小声で「すみません」と遥加は言い、会場を出ようとするが、何か列ができている事に気がついた。そこには椅子も置かれている。

女性たちが列をなし、何かを待っている。

一体なんだろうと思っていると、先程のアイドルが出てきた。もちろん金髪の彼もいる。わあと思って衝動で身体が動きそうだったが、人がいるのでなんとか理性を保った。

邪魔にならない場所で眺めていると、椅子に座ってアイドルと写真を撮っていた。個人個人で撮っており、みんな喜びの顔を浮かべている。というより普通に話していた。これはなんなんだろうと考えているとスタッフから肩を叩かれたので、遥加はハッとして逃げるように会場を後にした。

家に着いてシャワーを浴び、夕飯を食べてなかったから簡単な夕食を作って食べる。今日は野菜炒めと冷凍してあったご飯にインスタント味噌汁。明日はお米を炊かないとなと思いながら手を合わせて「いただきます」と言う。

ご飯を食べながら今日起きたことを振り返る。

突然自分のタイムラインに現れた金髪の彼。そして地下アイドルという集団。自分が見てきたいわゆる芸能界のアイドルとは全く違う。パフォーマンスから見れば、レベルは落ちるが、金髪の彼はあの中では歌も踊りも上手かった。他の四人が霞むくらいには。

箸を置いて机に置いてあるスマホに手を伸ばす。

ブラウザアプリを立ち上げて検索欄に『地下アイドルとは』とフリック入力していく。1番上に出てきたのが某百科事典のサイトだった。

地下アイドル——マスメディアの露出より、ライブ等を中心に活動するアイドルのこと。

なるほど、通りでメディアで見なかったわけだ。納得がいく。経緯などを見ていくと、遥加の産まれる昔からその存在はあったみたいだ。小学生の時に握手券をつけCDランキングを総ナメして炎上もしたあのアイドルも地下アイドルになるらしい。

自分はアイドルには詳しいと思っていたが、これは知らなかったなと苦笑いする。

あ、と遥加の中に豆電球が浮かんだ。そうだ、あの握手券だ!今日あそこで列を生していたのは握手会じゃなくて撮影会だ。ファンは何かを買ってあの権利を得ているのだ。実際百科事典にもチェキ撮影という項目があった。

「じゃあ俺も特典を買えばあの人とチェキ取れるってこと……?」

少しだけ心に暖かいものが灯る。金髪の彼とツーショットを撮れたら、嬉しいかも。そうなればと遥加は彼が所属するグループのサイトを見たり、地下アイドルのマナーなどを読んだ。絶対にあの人と話すという野望を持って。


ライブを前の席で見るにはチケットの早い発券がいる。遥加はスマホとにらめっこしてチケットの発券と戦っていた。取れた番号は20番。初めてにしては上出来かなと自分を褒める。

遥加は今までいわゆる茶の間だったので、CDくらいにしかお金を使ったことがない。だから初めて特典を買う。

今日も18時から始まるライブに来ていた。この前よりも早めに、チェキ券を買いに来ていた。サインなしは1000円、コメントありは3000円、とりあえず試しと思ってサインなしを2枚ほど買ってみた。そこで初めて金髪の彼の名前がアキと知る。雰囲気が優しい彼にピッタリな名前だと思った。

20番目に入場すると前の方に陣取ることが出来た。周りは自分より身長が低い女性だらけだから、なんだか一回り大きい自分が申し訳なくなる。身体を小さくしてライブが始まるまで待っていると、会場が暗転した。照明が遥加を照らす。

「今日も楽しもうなー!」

ああ、目の前に金髪の彼——アキがいる。すごい、綺麗だ。サラサラな金髪が照明に反射して輝いていて、鉱石みたいだし、重めの前髪から見える瞳は、琥珀色でそれでも芯がある。

目の前で気になる人が歌って踊ってる。遥加は感激して、足が震えていた。

——アキと目が合った、ような気がした。琥珀色のそれに射抜かれて遥加の胸の高鳴りは加速していく。アキは遥加に手を振った。まさか、ファンサされた? 勘違い? 色んなことが押し寄せて遥加はプチパニックになっていた。今回も曲のことは覚えていなかった。

ライブが終わると遥加はへたり込みそうになるが、地べたに座る訳にもいかないので必死で堪える。それにこれからチェキ会があるのだ。ここでへたっていられない。

移動するともう列ができていた。アキの列を探すとプラカードを持っている人がいた。どうやら最後尾の人はこれを持って並ぶらしい。また自分の後ろに並んだのでそれを渡す。当然ながらアキは人気なんだなと列の流れで実感をする。

自分の番になると目の前にアキがいた。スタッフにツーショットと言うと、アキが座っている隣に恐る恐る座る。

「どうやって撮る?」

「え!?どうやって……」

ポーズまでは考えてなかった。どうすればいいんだ、頭の中が真っ白になって騒がしくなる。困った困った!!

「じゃあハート作ろうよ。ほら手出して」

アキがハートの形をした手を出してきたから、遥加はそれに従う。カシャとチェキが撮られた。

「あ!あのはじめまして!ライブ良かったです!」

本人を間近でみて遥加は興奮気味に話すと、アキは優しく笑う。

「お兄さん前の方いたでしょ?俺、手ぇ振ったの気がついた?」

「えっ!?はい!」

「アハハ、声裏返ってるよ。元気だね。男の人珍しいからつい、ね?また来てよ、待ってるからね」

「あ、あ、ありがとうございました!」

話せたのはほんの一分くらい、そのうち遥加の熟考が入っているから会話は二言くらい。それでも話せて嬉しいと歓喜しているとスタッフに剥がされた。

夢見心地で会場を後にすると、ふわふわした気持ちになり、途中自転車に轢かれそうにもなった。遥加は雲の上にいるような気分だった。

家に帰って最低限生活のことを済ませると、ベッドに座って今日撮ったチェキを眺める。

黒髪ストレートな遥加と金髪ストレートのアキ。なんだかストレートヘアがおそろいみたいで胸がキュンとなる。自分の顔をまじまじと見てみる。

奥二重で重たい印象の瞼が開いて、瞳が輝いている。こんな自分は見た事がない。アイドルと写真を撮るとこうなるのか。アキを見るとパッチリ二重の琥珀色の瞳が笑っていた。この笑顔を見ると胸が高鳴る。

「はあ……アキさんかっこいい……。見てるだけでドキドキするよ。こんなの初めて。まさかこれが恋? なんてね」

遥加の脳内はアキでいっぱいだった。これからは劇場に通う、そしてアキを間近で見たい。遥加はもう欲でいっぱいだった。今までのテレビのアイドルと違う、会いに行ける、喋れる、写真も撮れる。1000円なんて安いものだ。バイトで稼げばいい。新しいおもちゃを買ってもらった子供みたい遥加ははしゃぐ。

「アキさんのこともっと知りたいな」

遥加はこの日興奮して眠れなかった。


大学の講義を受けながら、合間にバイトをして、行ける時には必ずライブに行く。忙しい日々が始まっていた。両親に心配かけないように勉強もちゃんとしながら、でもアキに近づきたくて劇場に通っていた。だんだんと地下アイドルのマナーにも慣れてきて、ライブを楽しむことが出来てる。チケット発券にも慣れて、早い番号を出すことが出来た。当然周りより身長が大きいから冷たい目線が飛んでくるけど、そんなことよりアキが大事だ。それくらい遥加はアキに心酔していた。

「ハルカさぁ、最近来てくれるね? 俺にハマった?」

いたずらっ子のように笑いながら言うアキに、遥加は照れて見せるが、本心を言う。

「そうですよ! アキさんが好きなんです!」

「そっかぁ、俺が推しか!俺、他のメンバーと比べてあんまり男受けしないから結構驚いてるよ。ってまあ、このグループ自体男受けよくないと思うけど。どっちかっていうとおまえが珍しいよ、ハルカ」

通い詰めてから名前を呼ばれる関係になっていた。最初は遊びだと思われていたのか、適当にあしらわれていたけど、回数を重ね話すようになって、アキが名前を聞いてきた。名前を教えるとアキはそれから呼んでくれるようになった。

名前を呼ばれて、心の中で盛大に照れる。自分がわかってもらえるのが嬉しい。遥加は、もっとアキに認められたいと思った。

通い続けていくと、同じアキの担当が目につく。あっちは異性、こっちは同性。わかってても悔しい。同じフィールドに立てないなんて。それでも同性だから撮影の時の距離は近いしと遥加は胸の中で威張る。

ただ地下アイドルにハマりだしてから自分が変わったみたいで怖くもなった。同族の嫉妬、アキに認められたい気持ち、今まで感じたことのない感情だ。自分が暴走しているようで怖かった。

講義までの空き時間にスマホで検索をかける。

「認知……」

遥加があくせく劇場に通い、チェキを撮影し、アキに認められたい、認知してもらいたいことを、アイドル業界では『認知』と呼ぶらしい。だれもが推しに認知してもらいたくて、人それぞれ違うアピールをしている。

——おまえが珍しいよ、ハルカ。

不意にアキの言葉が過ぎる。珍しいと言う意味では、認知されているのではないか。遥加は男だし、このグループのファン層では珍しい。女性はたくさんいるから、自分で特異なところを見つけないと難しいだろう。この時ばかりは男に産まれたことに感謝をした。

「ハルカって、俺を見てる顔可愛いね」

「えっ!? かわ……可愛い!?」

「うん、そのまま」

甘いマスクに甘い声でそう言われて、遥加の心臓はバクバクと轟のような音を立てる。

どういう意図で言っているのだろう。男の自分を可愛いなんて言うなんて。でも嬉しい。好きな人から可愛いって言われたら、舞い上がってしまう。照れているとアキは腕を回して肩を組んできた。

「俺、おまえが来てくれて嬉しいんだ。なかなか同性っていないからさ、こうやって友達みたく話せるっていいなっていうか。メンバーとはまた違うっていうかさ。落ち着くんだよ」

——友達みたく。

その言葉が遥加のときめいていた心臓を一気に貫く。出血量が多くて顔から血の気が引く。

分かってはいたけど、アキは遥加に対して恋愛感情なんて持っていない。けれども接触を通して夢を見ていた。なのに友達と表現されて遥加はショックを受ける。

「どした? 顔暗いぞ?」

遥加は一瞬で作り笑いを作る。

「アキさんの友達になれて嬉しいです!」

「じゃあこれからはタメでいいよ。敬語とか堅苦しいし」

「分かりました……って、分かった!」

「はは、おまえかわいいやつだなぁ」

ケタケタと笑うアキを見て、遥加は少し虚しい気持ちになった。

家に帰って、食事をし、風呂に入る。パジャマに着替えて、今まで撮ってみたチェキを眺める。

最初の時期はぎこちない固いポーズを取っていたが、最近のものだとリラックスしている。中学から学校に行かなくなって、写真も撮る機会がなかったから自分がこんなに心を許しているような表情をしているのが新鮮で、それだけアキに心を許しているのだということが分かる。

アキと一緒にいると心が沸き踊る。それはアイドルと一緒にいるからと思われるかもしれないけど、チェキ会でそばに居たり、アキと何気ない話をしたり、笑顔を見せられると、心臓が騒がしくなる。今までの男性アイドルには感じたことの無い気持ちだ。純粋にアキという人間に惹かれている。

ああ、なんで男なんだろう。なんでアイドルなんだろう。いや、アイドルじゃなかったら出会ってなかったか。遥加は胸が苦しくなって、写真をまとめて机に置き、ベッドに入る。


「え、家事手伝い?」

「そう、俺の知り合いがさ、家事手伝い探してて。おまえ料理とか得意じゃん? ならバイト変えてこっちにしたら良くね?」

冬樹という遥加の大学の友達とカフェテリアで話していた。

冬樹は入学式で隣になって声をかけられて、それからの付き合いだ。学部も同じなので、一緒に行動することが多い。スポーツをしているから、さっぱりした性格をしている。

冬樹にバイトの悩みを相談したら、逆に家事手伝いのバイトを斡旋された。遥加は一通りの家事はこなせるし、給料も今のバイトより高いから、バイト先を変えてもいいなと思った。ただ家事手伝いだからその人の家に上がるわけで、どんな人物かも分からない。少しだけ警戒する。

「ちなみに男? 女? どんな人?」

「男だよ。俺も知り合いの知り合いって感じだから人となりは分からんけど、イケメンって感じだな」

同性と聞いてホッとする。なら大丈夫だ。

遥加はその場でバイトを引き受けることを決めた。

数日経って冬樹からバイト先の住所、電話番号など基本情報が載ったメッセージが送られてきた。遥加は目を通すと、ある部分に驚きを隠せない。

「これって……。うちのマンションじゃん。しかも同じフロア……。こんなことあるのかよ」

依頼主は遥加のマンションで、しかも同じフロアに住んでいるそうだ。誰なんだろう、今まですれ違った人にいるのだろうか。でもあまり隣近所の事を覚えてはいない。

「とにかく! 自分の家事能力を発揮する時が来た! イケメンって言うし、頑張るぞー!」


バイト初日、フロアの一番角の部屋を尋ねる。指定した時間にインターホンを押すと、部屋の扉が開いた。スローモーションに見えた。隙間からどんどん大きく開く扉から見える人物がまさか——。

「ハルカ!? なんでここにいんだよ」

「いやいや、そっちこそ。なんでアキがここに住んでるの!?」

二人とも驚いて大きい声が出てしまう。アキは目を見開いて、遥加を見つめていた。そしてすぐさまジト目になる。

「おまえ、俺のストーカー?」

「なんでそうなるんだよ!」

「そりゃ警戒するだろ。ただえさえおまえ男ファンで目立つし、距離近いし、なんていうか只者じゃないって言うか……」

「俺は大学の友達から家事手伝いのバイトを紹介してもらってきたの」

「じゃあ……ほんとにおまえが家事手伝いなんだ」

アキはふうと息を吐いた。一体アキからどんな印象で見られていたのか、只者じゃないと言われて少しだけ傷つく。

「とりあえず上がれよ」と言われて、アキの家に上がることにした。足を踏み入れると、綺麗に整頓された白を基調としたシンプルな部屋がそこにはあった。これでは家事手伝いなんて要らないのではないかと考えて固まっていると、アキが見透かしたように話してくる。

「地下アイドルでも練習とかで忙しいの。だから掃除、洗濯、あと買い物やって欲しいわけ。ああ見えて俺結構疲れてるんだよ。ライブ終わって、朝起きて何もする気起きないっていうかさ」

きらきら輝いている裏でアキは苦労しているのだと思うと胸が痛む。

歌って踊って、たくさんの人と触れ合って話して、自分はチェキを撮ったり楽しいだろうけど、アキは仕事だ。それは疲れるに決まってる。

「俺、日中は寝てるし。おまえも大学あるだろ。だから仕事は午後からでいい。午後から掃除、洗濯、買い物やってくれ。買い物はお金置いとくからそっから使って。一応俺性善説を信じてるからな」

暗にお金を盗むなよと言われているようなものだが、遥加はそんな気はさらさらない。それからこの部屋について教えてもらい、家事手伝いのレクチャーは終わった。

「おまえって、男が好きなの?」

ふいにアキからピンポイントで聞かれたくないことを聞かれる。

「え、なんの事?」

「いや? 地下アイドルなんて裏側みたいな所にきて、男とチェキ撮って喜んでるなんてさ。なんて言うか、今までになかったし。おまえ見てると、普通の男友達とは違う波動を感じる」

遥加は頭が真っ白になる。なんと言ったらいいのだろう。ここで下手に焦ってしまっては墓穴を掘りそうだ。落ち着けと心の中で何回も唱える。

中学生の時が過ぎる。

『おまえって男が好きなの? 気持ちわりぃ』

過去がフラッシュバックして、身体が震えそうになる。せっかくアキと仲良くなれたのに、こんな所で同性愛がバレたら引かれるだろう。どうしたらいいのだろう。

「別にどっちだっていいけどさ。おまえが男が好きだからって引かないけど。ただ気になっただけ。もし気に触ったならごめんな」

アキに見透かされたように、言葉をかけられる。遥加はその優しさに少し涙が出そうになった。初めて、自分を否定されなかった。その事実だけで、遥加の胸を溶かしてくれる。涙がこぼれそうになって、このままではバレてしまうから、アキの家に居られない。

「じゃ、じゃあ、次のバイトから頑張るから。よろしくね」

「気張るなよ、楽にやっていいから。こちらこそよろしくな」

「じゃあね」と言ってアキの部屋を出た。すぐに自分の部屋に戻り、遥加は玄関でしゃがみこんで、大粒の涙を零した。

次の日からアキの家事手伝いが始まった。日中は大学に通い、講義を受ける。でもアキの家事手伝いが気になって講義のことなんて、左から右に流れていく。

家に帰って、このバイトのために買ったエプロンとスマホを持ってアキの部屋に行く。

アキの部屋にたどり着き、合鍵で部屋の扉を開ける。

『はい。これは合鍵』

『え、合鍵なんていいの……?』

『あのな、どうやって俺が居なくて部屋に入るんだよ』

間抜けな事を言った自分を思い出す。

あの日アキから部屋の合鍵を渡された。まるで恋人のようだと少し嬉しくなりつつ、アキの部屋に入った。前に来た時より少し散らかっている。

「よし! やるぞー! まずは、洗濯からやるか」

洗面所に行くと、洗濯物が溜まっていた。色落ちしそうな物はないか確認して、洗濯機に服を入れていく。

部屋もそうだが、アキの着る服はモノトーンなものが多い。黒が好きなのだろうか。置いてある洗剤を入れて、洗濯機のスイッチを入れる。ゴゴゴという音を立てて、洗濯機は動き始めた。それを見届けて、次は部屋の掃除に取り掛かる。

ハンディ掃除機を使って床を綺麗にしながら、その都度置いてあるものを綺麗に並べる。

小さなテレビの脇にはゲーム機が置かれている。そういえばアキは、ゲームが好きだと言っていたなと思い出す。少しゴチャついているそれらを綺麗に並べる。テレビ台にはゲーム機や本が並べられている。今流行りの漫画が並べられてあって、アキも同年代の男なんだと実感する。

布団と枕を並べると、ふわっとアキの匂いが鼻をかすめる。前から思っていたがアキはいい匂いがする。自分でもこう思っていることが、気持ち悪いと思いながらも、でも隣にいると香ってきて思わず胸が高鳴る。香水かと思っていたけれど、アキ自身の匂いなんだと遥加は顔を赤くした。

一通りの掃除を終えて、スマホを確認すると、買ってきて欲しいものリストが書いてある。お金は机の上に置いてあるので、拝借して遥加は買い物に出かける。

スーパーで必要なものを買う。カップ麺が多くて、あれだけ踊って歌っているのに、これで済ませているのだろうか。だったら栄養とか足りてないだろうし、なにより腹が満たされないような気がする。人の食事にあれこれ口は出せないけど、心配になる。

部屋に戻ってくると、少し散らかっていた部屋は綺麗になっていた。

スマホを取り出してアキにメッセージを送る。

『家事終わったよ』

これで遥加の仕事は終わった。多分今はレッスン中だろうから、連絡は来ないだろう。そう思っていると、スマホが震えた。

『おつ。めちゃくちゃ優秀じゃん。でも見なきゃわかんねーからな』

褒めてるのかなんなのか分からないメッセージが返ってきたがとりあえず遥加のやるべき事は終わったので、アキの部屋から出た。

次の日アキに呼ばれたので、講義もないので部屋に行く。

「綺麗になってんじゃん。おまえすげーな」

アキに直球に褒められて、満更でもない遥加。

「上京してるからね。一通り出来ないと暮らせないし」

「そっか。俺東京から出たことないから、そこら辺は分からないわ。まあ俺も一人暮らししてるけど」

「でもアキの部屋、そんなに散らかってなかったし、強いて言うなら洗濯物が多いくらいだよ」

「褒めてもなんもでんからな? まあ俺も散らかすのは好きじゃないから、平均的な男の部屋だと思うよ。でも助かった。これからもよろしく頼む」

遥加に手を合わせる。好きな人に感謝されるなんて、これ以上のことがあるのだろうか。


「ハルカ、今日夜空いてる?」

アキからのメッセージである。昼間に夜空いてる? なんて確認は珍しい。なんの事だろうか。もしかして家事手伝いを間違えたとか。とりあえず何も無いと送ると、19時俺の部屋集合と返信が来た。

今日はライブがないらしい。そんな日を自分に使うだなんて、アキは一体何を考えているのだろうか。

時間になりアキの部屋に向かうと、いい匂いがしてくる。

「よっ! 学校お疲れ」

ローテーブルにはピザが置かれていた。遥加は状況が把握出来ていない。

「これは……なに?」

「なにって、ピザ?」

「じゃなくて! なんで俺呼ばれたの?」

「まあ座れよ」とアキが隣を叩くので、ラグの上に座る。パイプ椅子とは違った距離感にドキドキした。

「おまえさ、家事手伝い頑張ってんじゃん? だからなんかお礼したくてさ。俺料理できないから、宅配ピザだけど。一緒に食べね?」

思ってもない申し出に遥加はびっくりした。自分のために宅配ピザを用意してくれるなんてと感動してしまう。こんなことされて勘違いしそうになるからやめて、とも思ってしまう。

「ほら、冷めちゃうから、食べようぜ」

アキが一切れに手を伸ばす。厚意を無下にする訳にもいかないので、遥加もピザの一切れを手に取り頬張る。チーズとトマトの相性がいい。

「久しぶりに食ったけど美味いなー。どう?」

「考えたら俺も久しぶりだわ。たぶん子供の頃以来……」

子供の頃と言って遥加は口を噤んだ。アキが中学の頃を聞いてきたらどう答えようと。

「俺もガキの時以来かな。あんまり裕福な家じゃなかったから、こういうのってお祭りみたいでさ」

アキはどんな幼少期だったのだろうか。今の一言で気になってしまう。

「お祭り……?」

「そう。母さんがイベントの時買ってきてくれるんだよ。そういう時にしか食えないからさ。なんか特別って言うか。俺、母子家庭だから」

「そ、そうなんだ」

さらっと簡単に身の上話をするものだから、遥加は拍子抜けする。こんなに明るいアキが、貧しい家の出身だなんてあまり考えられない。でも実際ある話で。

「母さん、俺が高校卒業してから死んじゃってさ。周りは進学やらで浮かれたけど、俺はどう生きるかなって。もう18歳だし親戚に引き取られるのも嫌だったから。街を歩いてたらスカウトされて今に至るわけ。俺って意外にも苦労人なんだよ」

笑って簡単に言ってのけるけど、そんな話ではない。唯一の母親を亡くして、アイドルとして食べていくと決めたアキは凄い。同い年なのに、全然違う。自分のいじめなんて大したことない。

「ハルカも苦労してるだろ? 見てわかるよ。俺、そういうのに目利きいいから」

「え? アキに比べたら俺なんて……。ただいじめられただけだし」

「いじめられていい理由なんてない。俺なんて、いうなそんなこと」

「でも、」

「多分おまえを支えるのがアイドルなんだろうな。なんとなく分かる。俺はアイドル自体には興味無いけどさ。俺には何も支えがないから。信じられるのは自分だけ」

アキの凛とした横顔を眺めることしか出来なかった。琥珀色の瞳が真っ直ぐに前を見つめている。過去もすべてなかった事のように、彼は今を生きている。自分しか信じられないという言葉は、アキみたいな経験をした人間にか出てこないだろう。

遥加が黙っているとアキはこっちをみた。そして苦笑いをする。

「悪ぃ、しんみりしちゃったな。まあ、なんだ、俺もおまえも頑張ってるよなって」

「アキ……」

なにか言えないだろうか、気の利いた事を言えないのだろうか。何も出てこない。この口は何のためにあるのだろう。

「……っ、俺が」

「ん?」

「俺が! アキの支えになる! 柱になるから、だから悲しいこと言わないで」

頭が沸騰しそうだ。こんな告白みたいなこと言ってしまって、でもすべて衝動だ。恋は衝動だっていつか読んだ小説に書いてあった。

キョトンとした顔をしていたと思えば、アキはアハハと笑う。

「ハハ、何言ってんのおまえ」

「俺はふざけてなんかは……」

アキが手で制す。

「分かってるよ。本気なことだって。そりゃ笑うよ。ハルカみたいな大人しいやつがいきなり言ったらさ」

アキの指先が遥加の頬に伸びてきて、指先が頬を撫でる。遥加は沿わされた指先の感覚に集中して、身体が強ばる。

「なら、俺と一緒にいてくれる……?」

「え? あ……、」

口が開いてはくはくと呼吸を荒らげてしまう。指先の感覚がピリピリと皮膚を焦がす。問いの意味に答えられない。

「ど、どういう、こと……」

「俺を一人にしない?」

アキの親指が遥加の下唇をゆっくりと撫でた。遥加は目をつぶって、身体に走る電流を逃すことしか出来ない。

「しないっ……、絶対……」

唇から親指が離れると、おでこにデコビンを食らっ た。

「いてっ」

「なーんて、冗談だよ、ばか」

アキは無邪気にケタケタと笑うと、またピザに手を伸ばした。遥加は心臓がバクバクして、胸に手を当てて深呼吸をした。平常心でいられない。

「食べろよ」と言われても、食が進まなかった。


アキとの冗談での接触以降、チェキ会で隣に座るのがドキドキするようになった。撮影をする時はいつも顔を近づけて笑うようにしているけど、アキの体が近づいてくると、アキの匂いが香ってきて、遥加は茹でダコのように真っ赤になってしまい、少しだけ距離を取った。

「どしたの? 撮る時に動くなよ」

「いや、なんでも……」

微妙な距離のまま、カシャと無情にもチェキが撮られる。

「なんかおまえ挙動不審じゃない? 何かやったのか?」

「べ、つに……何も無いけど、」

「ふーん? あー、もしかして」

顔を近づけてアキが耳元で囁く。

「この前俺に触れられちゃって意識してんの?」

吐息が耳を掠めて、遥加の顔を赤くさせる。心臓が破裂するくらいバクバクしていていつ心臓破裂を起こしてもおかしくない。

パッとアキから離れると、面白おかしく笑っていた。

「初心みたいな反応おもしろー! 可愛いところもあるんだな」

「わ、笑うな、そんなんじゃない」

「そんな顔で言われても説得力にかけるよ。可愛いハルカちゃん」

頭をポンと叩かれて、スタッフに剥がされた。

ドキドキしている心臓を抑えたいのに、抑えられない。ピザを一緒に食べた時のあの時唇に親指が触れた感触。さっき耳にかかった吐息、頭を優しく叩かれた大きな手。全て遥加の体に残っていて、忘れられない。アキの存在が毎日大きくなっていく。

最初は恋のトキメキを感じていたが、アキが近づいてきてから、アキの自出を知ったからか、ディテールが細かくなって、恋が憧れから本物になっている。

でもアキを一人にしないって決めたから、遥加はアキに着いていく決意を強くした。

家事手伝いをしている中で、アキの食生活が気になる。買い出しに行く時、必ずカップ麺や冷凍食品が求められる。ゴミもカップ麺の器が重なっている。もしかして、毎日カップ麺や冷凍食品を食べているのではないだろうか。

遥加はアキのこれからが心配になって、買い物代で負担にならない金額で料理の材料を買う。

アキの家に着いて、タッパーがあることを確認すると、遥加は料理を作り始めた。

豚バラの野菜炒めを作る。豚肉は疲労回復に良いのでメインに使いたい。調味料を入れて炒めて、タッパーに入れる。メモ書きを書いて、マスキングテープでタッパーに貼って、がらんとしている冷蔵庫に置いた。あと家から持ってきた冷凍ご飯も冷凍庫に入れておいた。

『疲労回復にいいです。もしよかったら食べてください』

アキが食べてくれるかどうかは分からないけど、やはり食生活が気になる。あれだけ運動して疲れてないわけが無い。カップ麺で栄養が取れるわけが無い。お節介かもしれないけど遥加は作ってみた。

掃除も洗濯も終わらせて、アキの部屋を出た。今日はライブには行かない。チェキ会があるとアキにからかわれるし、なにより体が熱くなる。自分を見失ってしまうから。

冷蔵庫のあるもので夕飯を作り、お風呂に入ってゆっくり夜の時間を過ごす。

「アキはかっこいいな。自分があるというか、芯が通ってる。でもそれは過去があるからだよね。アキの支えになれたらいいな」

月に向かって呟くと、遥加は欠伸をした。午前中は講義もあって疲れているのか、遥加はそのままベッドに入り眠ることにした。

朝起きて時間確認の為にスマホのロック画面を見ると、7時とメッセージの通知がひとつあった。気になるのでタップして、ロック画面を解除すると、メッセージアプリが開いた。

『ちょっと話したいから起きた時でいいから電話して』

なんだろう。もしかして、料理を作ったのが不味かったのだろうか。まあ家主に断りもなく勝手に作ったのは良くはないよな。

電話今してもいいのかな。アキは起きてるのだろうか。通話ボタンを押すと、無機質な待機音が流れる。2回コールが流れて、出ないかなと思ったらプツと音がする。

「あ、アキ……?」

「んんぅ……おは……おはよー、ふあぁ……」

電話口で大きく欠伸をしながら挨拶をしてくれるあたり、電話して間違いはなかったのだろうと思う。眠そうに息を吐いたあとアキから話し出した。

「昨日、タッパーのアレ。美味かった」

「え!? そ、そう……よかった」

「なんで作ったん? いきなりだし」

「アキの栄養バランスが心配でさ。いつもカップ麺とか冷凍食品ばっかりで。あれだけ動いてるのに、それじゃ栄養不足だしなにより体に悪いなと思って」

一息で喋ってしまったが、事実ではある。この際アキにどう思われてもいい。遥加はアキのことが気になるのだ。

「……やっぱり掃除してるから分かっちゃうか。俺、自炊出来ないんだよね。だからカップ麺とかに頼りがち。それにさ、母さん亡くなってからすぐに一人にほっぽり出されたから、料理を学ぶ機会もないんだよ」

アキがさらりと過去に触れると遥加は少しだけ悲しくなる。でもアキはもっと悲しいのだから、そんな気持ちは傲慢だ。

「そっか。俺は上京してなにがなんでも自分でやらないといけなかったし。それに意外と自炊って楽しいんだよ。だから勝手に作っちゃった、ごめん」

「なんで謝るんだよ。別に悪いなんて言ってないじゃん。寧ろありがたいっていうか……」

拒絶された訳じゃなくて良かったと遥加はほっと心穏やかになる。とりあえず受け入れて貰えただけでも嬉しい。

「だからさ……。これからも作ってよ。勝手にお金使って材料買っていいから」

「いいの!?」

「朝から声でけーよ。元気だなおまえは」

アキから料理して良い許可が降りて、嬉しくなり思わず大きな声が出てしまった。アキは苦笑いをしているよな声色をしている。

「あんな美味いもん食っちゃったらさ、戻れないじゃん。負担にならないのでいいから、お願い」

「わかった!アキの体のことを考えて作るから! やったー!」

「何こんなことで喜んでんだよ、変なやつ」

遥加が喜んでいると、電話口でアキがふっと笑った。

それからアキの苦手なものを聞いたりしたが、アキは嫌いなものはないらしい。それならかなり幅広く作りやすい。作りがいがあるなと遥加の腕がなる。

「ふぁあ、あー眠い。じゃあ練習まで俺はまた寝るから。学校頑張れよ」

「うん。ありがとう。アキも頑張ってね」

プツンと通話が切れると、遥加は自分の体を掻き抱く。

「はあ〜〜、なんか恋人みたいな会話じゃなかった!? 朝からこんな会話できて嬉しい……。よし、レシピとかみて研究するか!」

とりあえず大学に行かなければならないので、遥加は朝ごはんの準備をさっとして、風のように食べて、着替えて家を出た。

講義は真面目に受けながら、合間合間でレシピの検索をかける。嫌いなものはないと言っていたから、なんでも作れる、無限大だ。

講義の合間にスマホを眺めていると、冬樹が覗き込んでくる。

「やっぱり家事手伝いやってるから、飯とかもつくるの?」

「うわぁ!? 覗き込むなよな〜。まあね、依頼主が完全自炊出来ないから、栄養バランスがあるものを作るんだ」

「依頼主ってあのイケメンだよなぁ。スポーツとかやってんの?」

「へ!? ま、まあスポーツマンかな?」

冬樹は地下アイドルをやっていることは知らないし、地下アイドルとここで説明するのも違う。架空のスポーツマン設定を作る。

「やっぱり、アスリートは食べもの大事だからな。俺もスポーツやってるから分かるけど、食事はマジで大事。疲れも取れるし」

冬樹は大学でもスポーツクラブに入っているので、本当のスポーツマンの意見を聞けるのはありがたい。

「朝ごはんは何食べてるの?」

「フルーツかな。ご飯とかは食べないな」

「昼は?」

「昼は普通に学食食べるよ。全部がアスリート飯じゃ人生楽しくないからな。夕飯は練習後おにぎりひとつ食べて、家に帰ってから肉とか魚とかタンパク質が取れるようなものを主に食べてるよ」

「へえ〜、冬樹も色々考えてるんだ」

「なんだよ、俺が考えてないみたいな言い方は〜」

ワハハと笑い合う。大学の部活に入ってバリバリ動いている冬樹が食生活に気を使っているわけだから、同じくらい動いていて、精神的にも疲れているアキはもっと食事に気を配らないと。遥加は胸に誓いながら、教授が教室に入ってきたので、スマホの画面を閉じた。

大学から帰宅して、アキの部屋に行く。

洗濯物も遥加が毎日通っているお陰か、溜まることは無くなったし、シワシワな服もなくなった。少ない洗濯物を洗濯機に入れて、スイッチを押す。モーターが動く音がして、遥加は部屋の中の掃除をする。漫画が乱雑に置かれていたので、一気読みでもしたのだろうか。テレビ台の下に一巻から順に並べる。アキの部屋の配置にも慣れてきて、一瞬だけ恋人みたいと思ってしまう。そんな思考はすぐさまポイ捨てする。

買い物に出かける。アキからは料理のお金も自由に使っていいと言われているから、今日は少し奮発して材料を買ってみる。アキと同棲したらこんな感じになるのかな、俺ってできる恋人じゃない? 心の声がそう囁く。頭をブンブン振って思考を散らした。

部屋に帰って、早速調べたレシピを作ってみる。マグロ漬け丼を作ってみる。マグロの切り落としを取り出して切って、ご飯にすし酢を入れて混ぜる。煮込ませた調味料にマグロを漬け込む。スマホでタイマー20分をつけて、遥加は少しお茶を飲んだ。

「ちょっと贅沢にいいよね」

タイマーが鳴って、マグロを一口食べてみると、調味料が浸かっていて美味しい。酢飯とマグロを別のタッパーに入れて、冷蔵庫に入れておく。

今日は久しぶりにライブに行く。いつものようにチケットを発券して、物販でチェキ券を何枚か買う。

もう男一人で現場に来るのも慣れて、白い目線を送られても気にしない。ある意味アキの特別なのだから。そんなマウントを心の中で取っていることに気づいて、ハッとしてそんなことは消す。アキを好きになり人間の嫌な部分がでてくる。

ライブが始まるとキラキラ輝いているアキを久しぶりに見た。今朝電話で話した時は眠そうにしていたのに、今はプリズムを放つように輝いている。歌声も伸びやかで、聞いてて心地が良い。遥加は楽しくペンライトを振る。

撮影会に入ってスタッフにチェキ券を渡す。パイプ椅子に座ると、アキが笑っていた。つられて遥加も笑う。チェキを3枚撮って、アキと会話をする。

「ライブ来るの久しぶりじゃん。やっぱり家事手伝いやってると来れない?」

「そんなじゃないけど、自分の中で線引きしてるんだよ」

「そっか。あ、今日の飯はどんなの?」

「それは帰ってからの秘密。早く食べてね」

ニコッと柔らかく笑いかけると、アキは呆然とした顔をした。

家に帰って寝る前にメッセージが届いた。

『マグロでびっくりしたわ! ご褒美として受け取っておくわ。ありがとう』

喜んでもらえて良かった。遥加は胸に手を当てて、優しい気持ちを受け取る。

アキのご飯を作るのが遥加は楽しくなっていた。まるで恋人に作るように愛情込めて作っていた。アキが彼氏になったらどんなにいいだろう。でもアキは女の子が好きなんだろうなって悲しいことを思い出す。それでもアキに必要にされているんだからいいんだ。それ以上望んじゃいけない。

今日も買い出しに行こうと思って冷蔵庫を見たら、タッパーが残っていた。開けると食べた痕跡はある。遥加の頭にはクエスチョンマークが浮かび上がる。

「いつもは完食してくれてるのに。どうしたんだろう? 体調でも悪いのかな?今日のライブの時に聞いてみようかな」

残飯は捨てて、新しい料理を作って、遥加はライブに行く準備をした。

ライブ中アキを見ても体調が悪そうとは見えない。もちろんアイドルだから作っているというのはあるだろうが、顔色が悪いとかそういうのは微塵も感じない。好き嫌いがないって聞いてたけど、もしかして嫌いな味だったのだろうか。

チェキ会が始まって、いつものようにパイプ椅子に座ると、アキは遥加をみてから顔を逸らした。

「え? どうしたの」

「なんでも、」

少し距離を取られて、チェキを撮影する。

「そういえばさ、なんで残したの?」

「は?」

「いや、珍しいなって残すのさ。嫌いな味だった?」

そう問うと、アキは一気に険しい表情になった。じっと遥加を睨んでくる。

「——あんな味……」

「え?」

「母親ヅラすんな! おまえ俺のなんなわけ? 他人だろ!?」

アキが叫ぶので、チェキ会が一瞬静まり返る。みんな「え……?」という驚いた顔でこちらを見てくる。いきなり注目を浴びてしまって遥加はプチパニックになった。

「どうしたんだよ、いきなり……」

「帰れよ、顔見たくない」

ぷいと横を向かれて、拒絶される。こんなアキ初めて見た。どうしたらいいんだろうとあわあわしてるとスタッフが来て剥がされた。

「… …母親の味なんて思い出したくないのに」

椅子から立ち上がる時に、何か聞こえた気がするけど、注目を集めているからはやくここから出たい。遥加は体を丸めてライブ会場をあとにした。

——『母親ヅラすんな! おまえ俺のなんなわけ? 他人だろ!?』

家に帰って風呂にも入らずにベッドに傾れ込む。

「俺はアキのお母さんじゃないけど……、どうしてそんなこというの」

アキの言っている意図がわからない。どうして残飯の話で怒ってしまったのだろう。怒られることを言ってしまったのか。会話を思い返してもわからない。初めてのアキとの衝突に困惑を隠せない遥加だった。

「明日手伝いに行ってもいいのかな」

アキにメッセージを送ってみると、数十分後に返信が来た。

『来んな』

強い拒否を感じる。無理にはいけないと思い、明日行くことは諦めた。

「なんで、アキは怒ったんだろう……」

疑問を口に出しても誰も答えてはくれない。自分で考えたってわからない。なら考えたってしょうがないと思い、遥加は風呂に入ったりして気持ちを切り替えることにした。

次の日大学のカフェテリアでコーヒーを飲みながらアキのことを考える。今日は行かないけど、アキはどうしてるだろう。はあ、と深いため息をつくと、遥加の上にぬっと影ができた。

「隣いい?」

遥加は周りをキョロキョロと見渡す。

「え、でも他の席空いてますよ?」

「そんなつれないこと言わないでよ、ハルカくん?」

いきなり現れた青年に名前を呼ばれてびっくりする。目の前の青年のことなど知らない。

「なんで俺の名前知ってんの?」

「なんでだと思う?」

ふわふわとパーマがかけられたブラウンの髪の毛に、黒縁の眼鏡、その奥にあるのは月のような色の瞳がある。でも遥加は目の前の青年を知らない。気味が悪くて遥加は青年を睨む。

「そんなに睨まなくても、俺は怪しいものじゃないよ」

「今現在怪しいじゃないですか」

「ごめんごめん。——俺、アキの幼馴染なんだ」

アキの幼馴染ときいて驚く。でもアキとの関係は誰にも言ってないのに、なぜ知ってるんだろう。遥加はますます目の前の青年が怖くなる。

「家事手伝いのバイトを紹介したのは俺だからね。冬樹くんにお願いしたんだ。彼、顔が広いから。そしたら見つかったっていうから誰? ってきいたら君だったってこと」

「アキの幼馴染……」

遥加は口にだしてその言葉を転がす。まさか大学にアキを知っている人がいるなんて驚いた。それに冬樹に家事手伝いのバイトを紹介したのも目の前の青年だという。

「あの、名前は?」

「俺は海野棗。よろしくね」

目の前で手のひらを出されたので、手を取り握手をする。ひんやりとした体温だった。

「それでハルカくんの悩みはアキでしょ」

「なんで分かるの?」

「アキから聞いてるからね。喧嘩したって」

この棗という男には自分のことは筒抜けなのか。なんだか少しだけ恥ずかしくなる。棗はキリッとした目元を柔らかくして、遥加に語りかける。

「アキがさぁ落ち込んでてさ、理由を聞いたらひどいことを言ったなって。そうなの?」

「いや、むしろ俺がアキの聞いちゃいけないことを聞いたのかなって……」

「どんなこと聞いたの?」

遥加は一瞬だけ息を呑む。あの時のことを思い出して胸が苦しい。

「アキに料理を作り置きしているんですけど、その日だけ残してあって。味が気に入らなかったのかなって聞いたら、母親ヅラするな! って怒られたんです」

興味深そうに棗は耳を傾けて、そして「なるほどねえ」と呟いた。

「アキはね、母親が亡くなった事がトラウマなんだよ。だから手料理とかそういうのは亡くなってから食べてないはず。だから食べてる事自体が奇跡なんだけど……。たぶんお母さんと君が重なったんじゃゃないかな」

「そ、そういうことがあったんですね。アキは普通に食べてくれるし、そう言った話は聞いてないですし」

「まああんまりアキは自己開示しないからね。それでも君の料理を食べてるのはすごい事だよ。たぶん信頼してるんだね」

ニコッと棗は笑う。いわゆる優男みたいな顔をしていて、女性にモテそうだとふと余計なことを思う。

「アキも後悔してるよ、君に言ったことを。戸惑ってるんだよね」

「そうかなぁ……」

「あんまり愛情に慣れてないだけだから」

そう言うと遥加の肩をポンポンと叩いて、棗は立ち上がった。

「これからもアキの生活頼んだよ」

遥加の気持ちとは裏腹に風のように去っていった。

ぬるくなったコーヒーを眺めながらこれからどうなるのか想像するけど、どうなるかはわからない。アキの気持ちは繊細で壊れそうだ。アキから許しが貰えるまで、自分からメッセージを送るのはやめようと遥加は思った。

初めての家事手伝いがない日、ライブにも行かない、ある意味大学に入りたての頃に似ている。今日は暖かいものが食べたいので、ポトフを食べようと決め作り始める。

何もなくて穏やかだけど、でもあの熱気を知ったら戻れない。あの暖かさを知ったら戻れない。寂しい気持ちで、ポトフを頬張る。

「アキに会いたいな、」

そう深く思っていると、机に伏せていたスマホが震える。なんかと思って、手に取ると、そこにはアキからメッセージが来ていた。箸を置いて、真剣に向き合う。

『昨日は急にあんなこと言ってごめん。ハルカの作った料理の味が母さんのに似てて。それでハルカと母さんを重ねてしまって、戸惑ったんだ』

棗が言った通り、やはり母親の出来事が影響あったみたいだ。自分と母親を重ねていたことに、少し驚きを感じる。普通に上京で培った料理スキルを振舞っただけなのに、アキの母親の味に似てるとは奇跡のような話である。しかしアキは母親が亡くなった事をトラウマに思っている。それをフラッシュバックさせてしまったのは申し訳ない。

『そうなんだ。俺は普通に作っていたし、アキのお母さんの事は分からないけど、もし不快にさせたのならごめんなさい』

『だから戸惑ってたんだよ。おまえの料理は美味しいし、これからも食べたいから、家事手伝いよろしくお願いします』

アキらしいシンプルなメッセージに遥加は少しほっとする。自分を見失ったとしてもアキはすぐに自分に戻ってこれる。すごい人だ。とにもかくにも仲直りできて良かった。遥加は嬉しくなって心で踊る。

『こちらこそ、これからもよろしくね』


「俺、これからどうなんのかな」

——斉木亜貴は高校卒業してすぐに母親を病気で亡くした。最初は母親が病気になってもすぐに治ると思っていた。今までそうだったから、母親は強い。だけど今回は違かった。突然職場で倒れて、そのまま死んでしまった。亜貴と最後に交わした言葉は「いってらっしゃい」だった。

母親が死んだことにリアリティが無くて受け入れられない。母方の伯母たちが葬儀をやってくれたが、なにも受け入れられなかった。葬儀の時、火葬の時、なにひとつ涙は出なかった。骨になった母親を見ても、なにも思わない。自分はどうなってしまったのだろうと怖くなる。感情が無くなってしまったのだろうか。

葬儀がひと通り終わり、一人ぼっちになった家に帰ってくる。母親の骨壷を棚において、亜貴の目尻から雫が零れる。ぽたり、ぽたりと床を濡らす。拭っても拭っても溢れてくる。昨日までそこにいたのに、一緒だったのに、もう母親は帰ってこない。

「母さん……、」

感情を無くした訳では無い。ただ押し殺していただけだった。人に涙を見せたくない。亜貴の心のバリケードが壊れた瞬間だった。その場でずるずると崩れ落ちて、大声を上げて泣いた。亜貴が初めて心の底から泣いた瞬間だった。

亜貴は生まれた時から父親がいない。小学生の時母親から聞いた話によると、亜貴の父親はギャンブル中毒で亜貴が産まれてもギャンブルをやめずにいたから、離婚したらしい。そんなろくでなしの人間の血が流れているなんて嫌だななんて、この話を聞かされた時に少し思った。

「ねえ、母さん。俺もろくでなしになっちゃうのかな」

自分の出生の話を聞いてからモヤモヤしていて、聞くか躊躇われたけど、相談する相手は母親しかいない。母親は箸にご飯を乗っけた瞬間だったが、びっくりしたのか落としてしまう。そして眉毛を八の字にして笑いかけた。

「何言ってるのー。亜貴は感受性が強いのかな?」

「からかわないでよ! この前母さんから聞いてから悩んでるんだよ」

必死になって発する亜貴に、母親は亜貴の頭を撫でた。

「絶対亜貴はそんな人にはならない。だって私の子供だから。血とか関係ないよ。全部お母さんの血だから。だから大丈夫だよ」

優しい手のひらから伝わる体温に亜貴はとても暖かい気持ちになった。じんわりと体温が伝わって尖っていた亜貴の心を溶かしてくれる。それに言葉もキッパリとしていて、亜貴の不安を取ってくれる力強い言葉だった。

「血とか関係ない。亜貴は亜貴だから」

母親はとても強い。朝から夜まで働いて亜貴の夕飯まで作ってくれる。一度も蔑ろにされたことがない。とても深い愛情を持っている母親だった。だからたまに良いことがあったとに買ってくるピザやケーキがたまらなく美味しくて、亜貴にとってご褒美だったし、はたから見たら笑われそうだけど亜貴に取っては宝物だった。

亜貴は高校卒業の進路を悩んでいた。自分の家では大学や専門学校にはいけない。なら就職しかないと思って、地元のスーパーの面接を受けて合格した。母親は「頼ってくれてもいいのに」って言ったけれど、負担を増やしたくない。

そんな矢先に母親の死である。亜貴は何も手がつかなくて、就職先のスーパーに断りを入れた。親戚が誰か亜貴を引き取ろうとしたが、断固拒否をした。自分で生きていきたい。

繁華街を歩いていると、今の原点とも言える地下アイドルのスカウトに声をかけられた。

地下アイドルなんて聞いたことがないし、よく分からない。でも自分で言うのもなんだが、母親譲りの顔はそこら辺の人間よりはかっこいいと自負している。職も失った亜貴は地下アイドルになるしかないと瞬発的に思った。この道しかない。スカウトに二つ返事で答えた。

この作品は、当初の予定よりも長くなってしまい、

提出時点ではまだ完結に至っておりません。


生活の中で少しずつ近づいていく2人の距離と、

ぶつかりながらも育っていく想いを、丁寧に描きたいと思って執筆していました。


未完ではありますが、今の自分が出せる限りの形で提出させていただきます。

読んでくださった方に、少しでも何かが届いていたら幸いです。


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