昨日の事は忘れましょう。
お昼休みに入って柚月と美桜は学食に行くことにした。
中学校までは母親お手製のお弁当を作ってくれていたが、高校生になってからは自分で何とかしなさい、との事だった。
柚月は料理が全く出来ないわけではなかったが、毎朝起きて作る気力もなく、こうして学食かコンビニで済ませることが多い。
食堂につくと既に多くの学生で賑わっていた。
学食は日替わり定食コーナー、ラーメンやうどんなどの麺類コーナー、からあげ丼など丼ものコーナー、手軽なサンドイッチも売っているパン屋さん等、壁沿いにそれぞれお店が並んでいる。
柚月と美桜は定食コーナーに向かった。本日の日替わり定食Aはメインが生姜焼きでデザートがプリン、日替わり定食Bは照り焼きチキンでデザートがパイナップルゼリーとの事で、柚月はAの生姜焼き定食の札を手に取った。決めては何といってもプリンだった。
食堂のおばさんが手作りしているプリンは卵の味がしっかりして、カラメルの苦みも丁度良い昔ながらの固めの本格派だった。
まだ1回しか食べていないが既に虜になっていて、見かけたらコレを食べようと決めていた。
決めるのが早かった柚月に比べて、美桜はメニュー板の前に置かれたサンプルとにらめっこしている。
「プリンが食べたいけど、メインは照り焼きが良い…っむむ。どうしてどっちもプリンじゃないの…」
あーでもない、こーでもないと悩む美桜を見て柚月は提案をする。
「…良ければデザート交換しようか?」
柚月がそう言うと美桜は凄いスピードで振り返って、本日二度目のキラキラした視線を向けてくる。
「ゆづちゃん、神っ!天使っ!いいの!?」
「うん、いいよ。私ここのゼリーもパイナップルが沢山入っていて好きだから」
プリンは少し残念だが、美桜が喜ぶ顔が見られるのならそれも良いだろう。
うんうんと自己納得をしていると、美桜が抱きついてきた。柚月はよしよししながら、美桜の分のB定食の札も手に取ると美桜と一緒に定食コーナーの待機列に向かった。
美桜と柚月は定食を受け取って、ちょうど空いていた窓際の4人席に座ると早速デザートの交換をした。
「美桜、この御恩は一生忘れないっ!」
「ははは、大げさだよ。今度プリンが出てきたとき、美桜ちゃんの食べたいメインとセットだと良いね」
「うん、食堂のおばさんに期待する」
念を送っておかなきゃと手のひらを厨房に向けて「はぁー!」とやった時には可愛くて笑ってしまった。
美桜本人はいたって真面目である。
そんなやり取りをしながら2人が食べ進めていると、知らない男の子が話しかけてきた。
「あのっ、良ければここ座っていいすか!?」
柚月はチラッと周りの席を見たが、満席というほど混んでいない。おそらく美桜か柚月のお近づきになりたい意図がありそうだった。
美桜は先ほどまでの楽しそうな表情は無く、凄く嫌そうな顔をしている。男の子は緊張で視線を合わせてないのか、そんな美桜の様子に気が付いていないようだった。
「あ…えーと…」
とりあえず丁重にお断りしようと口を開いたとき、かぶせる様に上から男の子の声が聞こえた。
「…すみません、俺の席なんでどいてもらっても?」
「あぁ、あぁ…なんだ、2人じゃないんだ…」
シュンとして声をかけてくれた男の子が去っていく。丸まった背中を見るとなんだか申し訳なく思ったが、近くの席に仲間がいたらしく、なんだか慰められているようだった。
そんな男の子を追い払った人は今日クラスに合流した蒼だった。美桜の隣に我が物顔でよいしょと腰掛ける。美桜が一層嫌そうな顔をする。
「あれ、すごく嫌そうな顔。もしかして俺余計なことした?」
「うん。してる。…いや、追い払ってくれたことには感謝している。というわけで早速席を立つことをお勧めするよ」
美桜が感謝の言葉を言いつつもバサッと切り捨てる。柚月は昨日の事もあり、ハラハラしながら二人のやりとりを見つめる。
「まだ話してないのに嫌われたものだな。そうだ、俺のプリン有野さんにあげるからそれで許してよ。2年目とはいえ、一人で学食は寂しいからね。」
「私にプリン…」
蒼は一瞬閉じられた目を開けて、唖然とする柚月を見た後、再び目を閉じて、ね?と小首を傾げた。吸い込まれそうになる漆黒の瞳と目が合った時、一瞬風が通ったような感覚があった。
「み、美桜がゆづちゃんのプリンとっちゃったから…ゆづちゃんもプリン食べれるなら…くっ仕方ない。許可する」
何かと葛藤した様な美桜は苦渋の決断で蒼の同席を許した。やっぱり凄く嫌そうな顔はしている。プリンだけ置いてどっか行かないかな、と言い出しそうな目だ。
「はい、坂倉さんの許可も取れたことだし、有野さんご所望のプリンあげる。」
「ありがとう。いただきます。」
柚月は素直にプリンを受け取った。正直、食べたかったので嬉しかった。なぜ柚月がプリンを所望していたと思われたのか疑問だったが、気にしないことにした。
(デザート2個になっちゃった。パイナップルゼリーどうしよう。美園君食べるかな。)
「ねぇ、美園蒼は何で留年したの?」
「美桜ちゃん、いきなりド直球すぎるよっ…!」
さっきまで黙々と食べていた美桜が突然、ストレートにみんなの疑問を口にした。柚月も気にはなっていたが、もう少し仲良くなってからでも良かったのでは、とまたハラハラする。
「だってぇ、気になるんだもん。ゆづちゃんと美桜のランチに同席する権利を得たからには対価で教えてもらわないとねっ?」
(あ、美桜ちゃんの腹黒いところが出てる)
頬杖をついてプリンのスプーンを蒼に向けながら、美桜は切り込んでいく。
「美園蒼はただの引きこもり陰キャじゃなさそうだしぃ。午前の授業を見た感じだと頭も悪くなさそうだった。」
「あれ、俺結構坂倉さんに見られてた?嫌われてるのかと思ったよ。」
ヒラリと質問をかわす蒼に美桜がむきーっ!と怒る。これは、一周回って相性が良いのかもしれないと柚月は思う。
「ふふふ、2人は仲良くなりそうだね」
「やめてよ、ゆづちゃん!」
そんな恐ろしいこと言わないでと美桜は涙目になる。今日の美桜は喜怒哀楽が多く忙しそうだ。
蒼は2人の方こそ仲良しだね、と笑った後、また少し目を開いた。
「留年の理由はね、ただのサボりだよ。出席日数が足りなかったんだよね。反省、反省っと。2人も気を付けた方が良いよ、この学校の教師に情状酌量の余地はなかったから」
柚月は蒼が少し真実とは違う事を言っているように感じた。でも、それを声に出すことは無い。蒼も知られたくない事があるのだろう。
少しだけ他愛のない会話を挟んだ後、柚月は最初に蒼を見た時から気になったことがあったので、蒼の顔を見つめる。
「美園君は何で目を閉じていることが多いの?綺麗な目をしているのに」
蒼の目はぱっちりとした二重になっており、瞼が重くて目が開かないという訳ではなさそうだった。
わざわざ日常生活で目を閉じる人を初めて見たので気になっていた。
「んーただの癖かなー、目から入ってくる情報が多いから。俺には閉じてるくらいが丁度良いのかも」
蒼は不思議なことを言う。柚月が日常生活で目を閉じていたら情報が入らないどころか生活も成り立たないだろう。一歩進むだけでテーブルの角に足の小指をぶつけそうだ。
「よく分からないけど、目を閉じてると大変そうだなって。怪我には気を付けてね」
「はは、分からないけど心配してくれるんだ。有野さんは優しいね。みんな目の事気にかけてくるけど怪我の心配をされたのは初めてだよ。」
柚月は何てことない事を言ったつもりだったが、蒼の閉じられた目じりに笑い皺が浮かぶ。
新しい表情が見れたことがちょっとだけ嬉しかった。
「大丈夫だよ、見た目ほど見えてないわけじゃないから。ありがとうね」
蒼は頬杖をつきながら薄く開いた目で柚月を見てくる。柚月は何となく気恥ずかしくなって食べかけになっていたプリンを口に運ぶ。口に入れた瞬間フワッと広がる卵の味とカラメルの苦味のバランスがやっぱり美味しい。
「ねぇ、美桜の事忘れてない?」
「わ、忘れてないよっ!」
ジトっとした目で美桜は蒼を見ている。
「美園蒼はクラスの女の子たちにお昼誘われなかったの?あんなに囲まれていたから、絶対誰か誘ってると思うんだけど」
「あ、やっぱり俺のこと目で追ってくれてたの?」
今度こそ美桜はナイフを手に持たんとする勢いで怒りのオーラを醸し出した。
「冗談、冗談だって。普通に誘われたけど断ってきたよ。まだ君たちと話してなかったから。初日くらい同じ人と話すより色々な人と話しておきたいじゃん?こうしてお淑やかに見えた坂倉さんがにぎやかな人だって分かったことだし収穫はあったよ。」
「美桜の事馬鹿にしてる?」
「まぁまぁ、落ち着いてよ。坂倉さんの気持ちも分かるよ。大好きなゆづちゃんとのランチ邪魔してごめんって」
美桜のフワフワと可愛い雰囲気が一切なくなってきている。柚月も柚月を演じる役者だが、美桜もまた自分を演じる名役者なのかもしれない。柚月にはうさぎみたいにフワフワした美桜と猫みたいに威嚇する美桜のどちらが本性なのかは分からない。
美桜の事が面白いのか、蒼はわざと煽るような言い回しをする。
「っと、教室に戻らないとね。」
蒼は腕時計で時間を確認し、残っていたお茶を一気飲みすると立ち上がった。
美桜はまだ言いたい事がありそうだったが、このままここに座ってるわけにもいかないので、2人も運びやすいようにお皿の位置を整えて立ち上がる。まだパイナップルゼリーは柚月のトレーに残っていた。
「有野さん、パイナップルゼリー余ったなら家で凍らせて食べると一層美味しいよ。これ、1年先輩の俺からの有益情報」
「そうなんだ、じゃあ家で試してみよっかな。ありがとう」
どうしようかと思っていた所だったので、アドバイスが素直に嬉しかった。ゼリーを凍らせるという発想が無かった柚月は少し楽しみだと思いながらスカートのポケットにパイナップルゼリーを入れた。
教室に戻る途中、美桜は同じ中学出身という女の子に話しかけられた。どうやら隣のクラスの子で英語の教科書を忘れたようだった。
「ってことでごめん、みおちん教科書貸して!!」
「あかりんの頼みならしかたなし!いいよぉ〜。ゆづちゃん、時間ないから先走って教室戻るね!」
あかりんと呼ばれた子と慌ただしく駆けていく美桜を見送ったはいいものの、思いもよらないタイミングで蒼くんと2人になった。
昨日のことを聞くなら今しかないかも知れない。
「あの、蒼くん」
「なぁーにー?ゆづちゃん?」
蒼くんはニヤッと笑っている。美桜の真似をしてくるあたり意地悪だ。
(うぐぐ…これはもしかしなくても)
「き、昨日は放課後、どうしてたのかなぁーって。ほ、ほら新しいクラスに入る前の最後の放課後なわけで…」
柚月は苦しい聞き方をしている自覚があった。
「昨日?まぁ、普通に1年の時クラスで一緒だった奴らに慰めのカラオケに連れてって貰ったくらい。」
(やっぱりあの人は美園君だったー!)
「んで、ドリンクバーのメロンソーダの機械が壊れてて、女の子に助言をしたくらいかなー。彼女はその後何を飲んだでしょう?」
(ぬぁー!!その女の子、わたしぃー!!!ジンジャエール飲みましたっ)
蒼は見たことないくらい、楽しそうにニヤニヤとしている。問題形式で問いかけてくるあたり完全に気がついている。柚月はそんな蒼の方を向くことが出来ず、ダラダラと変な汗が止まらない。忘れてくれないだろうか。
「ソ、ソレハ、サイナンダッタネ」
「あれ、なんでカタコトなのかな。ゆづちゃん?」
蒼はすっかり楽しそうにゆづちゃん呼びをする。柚月にとって全然面白くない状況だった。
(完全に高校生活が終わりを迎えた音がする。明日の朝には柚月高校デビューしたんだ、とかみんなに話しかけられるに違いない。お願いだから忘れて…)
頭を抱える柚月を見ながら蒼はボソッと聞こえないボリュームで呟いた。
「…なるほどねぇ」
柚月をいじるのもそこそこに、教室に入るとクラスの人気者の柚月と未知の留年生である蒼が二人で戻った事に教室が騒めいた。高校生は愛だの恋だのといった話題が絶えないお年頃である。
授業が終わるころには蒼と柚月が二人きりで密会していた、と噂は脚色されていた。
当の柚月本人は午後も授業どころでは無く上の空。噂話は聞こえていなかったようで、否定がない分早く広まったのだろう。
「ねぇ、美園君、柚月と元々知り合いだったの!?」
「さぁどうでしょう。」
知り合いといえば知り合いだし、知り合いじゃないといえば、そうとも言える関係だ。
蒼のどちらとも取れない返答に色めき立つクラスメイト達。
「美桜も一緒に居たからねっ!ゆづちゃんとご飯食べてたのは美桜だからっ!帰り道美桜が外しただけだからー!」
美桜が小さい体で必死に否定して回っていた。
蒼はしばらくこのクラス飽きなさそうだなと、誰にも気づかれないくらいの変化で少し笑ったのだった。