有野 柚月
本日最後の授業終わりを告げるチャイムが鳴った。
だいぶ高校の授業体制にも慣れてきたところだが、まだ肩に力が入ってしまう。
(んー、中学よりも断然勉強が難しい。)
有野柚月は高校1年生。中学では地味女をやっていたが、晴れて高校デビューを果たした女子高生である。
柚月はクラスで早速、明るくて可愛いクラスの人気者枠に居座る事に成功している。
こうして授業が終われば、たちまちクラスメイトに声をかけてもらえる 。
「柚月ちゃん、今日放課後、駅前のカフェに行かない?」
「いやいや、有野には俺の部活を見に来て欲しい…なんて…」
我先にと柚月を誘ってくれるクラスメイト達。でも今日は残念ながら予定があった。
「あ、せっかくのお誘いだけどごめんなさい…今日は予定があって…」
両手の指先をちょこんと合わせてごめんねと小首を傾げると、みんな残念そうな顔をしながらも明日は?とめげずに誘ってくれる。柚月はそんなクラスメイトと関わって優越感に浸っていた。
担任の先生が来るまでクラスは賑やかだった。
ホームルームが終わるとクラスの人気者で可愛い柚月は今日も可憐にカバンを手に取ると、みんなにまた明日ね、と小さく手を振りながら教室を後にする。
校門を抜けたら柚月にとって本当に肩の力が抜ける時間がやってくるが、今日は違った。
今日は放課後、別の高校に進んだ中学の時の親友武田真帆とカラオケに行く約束をしていた。今の柚月からは考えられないが中学時代は冷静沈着な地味女だった。
周りに可愛いを演じる柚月を知っている人がいないかを簡単に確認し、頭の中でスイッチを切り替える。
真帆との待ち合わせの前にトイレに寄って可愛いを意識したメイクを落とし、薄く簡単なメイクをやり直す。巻いた髪の毛に水を付けて伸ばして印象をガラッと変える。スカートも二巻きほど降ろして靴下はひざ丈に。少し緩めにしていた胸元のリボンはきっちりと結びなおした。こうすることで随分と印象が変わる。
春の横浜は風が強かった。大岡川沿いの桜は徐々に葉桜に変わっていき、道の端っこには散った桜の花びらがフワフワと積もっている。
集団下校をする小学生集団はそんな桜の花びらを掴んでは宙に放り投げて小さな桜吹雪を作って遊んでいた。
柚月は身近なもので楽しく遊ぶ小学生の姿をしらっとした目で見つめる。地面に落ちた桜の花びらでどうしてそこまで楽しそうに出来るのか理解が出来なかった。
絶対に汚いし、もしかしたら虫が混じっているかもしれない。
柚月が小学生の時も似たようなことをした様な気もするが、その時何を思っていたのかイマイチ思い出せない。
待ち合わせ場所につくと、待ち合わせ相手の真帆はぶんぶん音が鳴りそうなほど両手を振って待っていた。
真帆は勉強が苦手だけど、誰にでも愛想が良く、すぐに仲良くなるタイプ。中学時代、地味女を演じていた柚月にもめげずに話しかけてくれた数少ない友人である。
「柚月ー!こっちー!早くカラオケ行こう!」
「うん。今行くー」
あまりにも真帆の成績が悪く、成績優秀な柚月と同じ高校に通う事は難しかったが、こうして放課後の時間に定期的に集まっていた。
「柚月の高校にはイケメンいないのー?真帆の高校、恋が生まれる気が全然しなくてつまらないっ!」
真帆は「はー、こんなかわいい子が教室に居るのに話しかけて来ないなんてありえない」とほっぺを膨らませてプンスカと怒っている。
すこし濃いめのメイクで制服もラフに着こなしているのが勿体ない。顔立ちはかなり可愛いと思う。
(もう少しアイラインとチークをナチュラルにすると絶対モテるのに)
今の柚月の恰好も人の事は言えないので、口には出さない。
「私、教室の男子とあんま話せてないし、紹介とかできないからね?」
これは嘘。柚月は人に囲まれる高校生活を送っていた。
「えー柚月可愛いから絶対言い寄られるハズなのにー!バカばっかりも良くないけど頭が良い高校も勉強ばかりで恋愛する空気じゃないのかなぁ」
残念、残念とつまらなそうな真帆を見て、柚月はあーこの感じ懐かしいな、と感じていた。
柚月は中学時代地味女で教室の隅に座り、必要最低限の事しか話さないような子だった。
教室にはクラスの中心となる様な陽気な子も多く、その一人が真帆。
真帆は柚月のことを可愛いと形容してくれたが、多くのクラスメイトはそう思ってないはずだった。
そう思われない様な振る舞いを意識的にしていたからだ。
柚月にとって大人数での行動はリスクと隣り合わせだったので、極力巻き込まれないような性格で静かに暮らしていた。
しかし、そんな中学生活は楽ではあったものの、つまらなくも感じており、高校に入ったら高校デビューしてみたいと思い、真帆が褒めてくれた「可愛い柚月」を全面に押し出す事にした。
柚月の今の生活はクラスの端にいる地味な女子ではなく、クラスの中心にいるみんなに囲まれた可愛い女子を演じている。
でもこうして、真帆の前では何も考えなくても体が勝手に冷静沈着な地味な態度に対応していた。
そこに矛盾が出ることは無い。
行こうとしていたカラオケ店が近づくと入り口にたむろしていた4人がこちらに向かって手を振っていた。
「真帆ー!遅いよ!どこまで行ってたのよ!」
「遅刻したから全員にジュースおごりな!」
どうやら真帆の知り合いみたいだったが、誰かと待ち合わせをしていたとは聞いていない。
「あ、柚月に伝えるの忘れてた!今日ね、真帆の高校で仲良くなった子も何人かカラオケ呼んだんだー!
柚月友達少なそうだから仲良くなってほしくて!」
「え、」
真帆はとても良い子だ。でも、大事な事を素で忘れている時がある。
予告なしで大人数で遊ぶという事は柚月にとっては試練だった。真帆の前では地味女を演じる柚月だったが、高校ではまるで性格が違う。もしも柚月の別の性格を知っている人が居ようものなら矛盾が生まれて大変やり辛い。
「みんな紹介するね!中学の時の親友、柚月だよ!ちょっと反応薄い子だけど、とっても優しくていい子だから皆も仲良くなれると思う!」
「柚月ちゃん、よろー!俺、健吾、ケンちゃんって呼んでー…ってイテっ」
健吾はいかにも元気が取りえといっで挨拶してきたが、隣に居た真面目そうな黒髪の男の子がその頭を叩いて静かにしろ、と黙らせる。
「俺は真、こっちは香菜と綾香よろしくね」
真に紹介された香菜と綾香も真帆と同じく、陽気な雰囲気を感じさせる容姿が派手な子達だった。
「あ、柚月です。よろしくお願いします」
高校で出会っていたらにっこりと笑みを浮かべて小首を傾げながら挨拶をするところだが、
今は真帆がいるため必然的にクールな表情で端的な挨拶になってしまう。
香菜と綾香からはなんでこんな子と真帆が仲良かったのか?と疑うような目でこちらを見てきた。
真帆といるとよく向けられる目だった。
「自己紹介もそこそこにカラオケいこー!歌うぞー!明日は声が枯れてのども痛いって言って体育休むんだー!」
「お、それいいな!俺もそうするー!!」
真帆の発言に健吾も同意する。
柚月は内心そんな理由で休めるわけなくない?と疑問を感じたが口には出さない。真は呆れたように見つめ、香菜と綾香はげらげらと笑ってる。
一行は人数の割には広めの部屋に通された。このカラオケ店は人が少ないわりには料金が安いため穴場としてよく利用するが、この調子では経営が心配になる。
最初は1人1曲ずつマイクを回していたが、途中から真帆の友達は今SNSで流行りの曲をリレーで歌っていく。
柚月の存在を忘れているのか、「この間あいつがさーこんなダンスしててー!」とか内輪で盛り上がっていた。「あいつ」を知らない柚月はイマイチ面白さが分からない。
このまま居ても気まずいので柚月はドリンクバーに行くことにした。
ドリンクバーではメロンソーダを飲むと決めている。ほんのりメロンの香りがする体に悪そうな甘さがたまらない。本当はクリームソーダの方が好きだけど、こんな所に無いのは分かっている。
今日のメンバーでは絶対に歌わない十八番の曲を心の中で歌いながらメロンソーダのボタンがどこにあるか探していた。
すると後ろから男性の声がした。
「もしかしてメロンソーダ飲もうとしてる?俺もさっき飲もうとして出てこなかったから店員に言ったら品切れだってさ。」
まだメロンソーダのボタンも見つけてないのに、あまりにも的確に柚月の探し物を言い当て、アドバイスをくれた。
びっくりして男性を凝視する。男性は目深くキャップをか被っており、口元しかよく見えない。にっこりと微笑んでいたが、柚月の反応を見ておや?という雰囲気に変わる。
「あ、ごめん違った?急にごめんね。」
男性はコーラを入れたカップをもってその場を後にした。去り際に口元に笑みを浮かべてボソッと「絶対そうだと思ったんだけどなー」っと呟いた気がした。
見つけたメロンソーダのラベルの下にカップを置く。男性の言う通りボタンを押しても緑の液体は出てこなかった。
柚月はとなりのジンジャエールを入れると、真帆の仲間たちが居る部屋へ向かった。
さっきまで心の中で歌っていた十八番の曲はどこかに消え去り、去り際の男性の一言が何故かこだましていた。
予想が外れたという風ではないニュアンスを含んでいたように感じたからだ。
***
カラオケは20時まで続いた。真帆や健吾は本当に声が掠れており、いつもよりハスキーな声で明日は体育休みだ、と叫んでいた。多分、休みにはならないだろう。
「柚月さん、今日あんま乗り気じゃなかった?俺たちが急に来た感じになってごめんね」
「あ、いえ。別に。真帆はいつもそういう所があるので慣れてます。」
少し身を丸めながら謝らないでくださいと半歩後退りし、真から距離を取る。真は気にした様子もなくそっか、と一言いうと騒ぐ真帆達を止めに入った。真は偏差値が低い学校の中ではかなり常識的な人だという印象が強かった。
「柚月ー!真帆から誘ったのに放置しちゃってごめんねぇ!!」
真帆は柚月の元に駆け寄ってきて片目を瞑って大げさに手を合わせて謝ってきた。真に何かを言われたのかもしれないが、柚月は本当に気にしていなかったので、大丈夫だよと真帆に伝える。
気にしてないというか…正直何も考えていなかった。冷静沈着な地味女を装う柚月にとって放置されていることは悪いことでは無い。むしろ執拗に絡まれる方が厄介であった。
最初会った時、健吾から沢山絡まれるか思ったが、真帆とマイクを取り合う姿を見て今の地味な柚月には興味がなかったのだろうと分析する。大人数で居ても絡まれない場は柚月にとっては気が楽だが、リア充の一員に入れてもらえたような居心地の良い空間だったといえる。
真が場を収めた関係で今日は解散となり、真帆の友達は全員柚月とは逆方向だったので、柚月は一人駅に向かう雰囲気となった。自分が壁を広げていたせいでもあるが、さりげなく、追い出されたような感覚になる。
柚月が居なくなった後、あの子は結局何だったのだろうと話される事だろう。
もう少し愛想を良くしても良かっただろうかと今更小さな後悔が沸き上がる。
煌びやかな高校生活を送る柚月にとって、この性格で居る時の姿はすぐに忘れてほしいと願う。
「今日はありがとうございました」と端的にお礼を言って去ろうとしたが、真帆が後ろから追いかけてきた。
「友達は良かったの?」
「いいのー!嫌でも明日会えるもん!柚月は今度いつ会えるかなー!?」
「またすぐ会えるよ、連絡する」
うんっ!と嬉しそうに満面の笑みを浮かべた真帆は柚月の最寄り駅に着くまで色々な話をしてくれた。
電車から降りる時、真帆はまたねー!と、またブンブンと音が鳴りそうなほど手を振って見送ってくれた。
柚月は改札から出ると少し冷たくなった空気を吸い込み、ふーっと一息ついた。
これから家に帰ったら、両親が喜ぶ優秀な柚月になる。
成績優秀、なんでも器用にこなして、自慢の娘。父親とも仲がいい3人家族。
よく話す母親と寡黙な父親。二人から愛情をもって育てられていると柚月も自負している。
だからこそ、その期待に応えたくて両親が求める柚月を演じていた。
少しガサツで片付けは苦手。口もちょっと悪いけど外に出れば優秀な娘。
柚月にとって気が楽なのは家での姿だと思っていたが、案外高校生活を送っている姿の方が充実しているような気もしていた。
玄関のドアを開けると少ししてから母親が「おかえりー」と迎えてくれる。
柚月は「んー」っと返事とも言えない返事をするのであった。